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第141話 新たな旅立ち
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皆を連れて教会を出る。
すでに夜は明けていた。
しばらく待っていると、コウガイと『ねね』さんが出てきた。
コウガイの腕には、『ねね』さんの身体が抱かれている。
その隣には、影の『ねね』さんが静かに佇んでいるから、なんとも奇妙な様子ではあった。
「もういいのか?」
「……うむ。ナンタイの介錯は、吾輩が」
「そうか」
大扉の向こう側では、高い場所にはめ込まれたステンドグラスから差し込む朝日が、礼拝堂を柔らかく照らし出している。
すでに教会から漏れ出てくる瘴気はない。
それはつまりコウガイが言う通り、因縁に決着が付いたということだ。
「二人はこれからどうするんだ?」
ナンタイを討伐した以上、この街にもう用はないだろう。
「……吾輩はこの日のために生きてきた。『ねね』も同じだろう。これからのことなど……考えてはおらぬ」
そう話すコウガイの顔は、憑きものが落ちたようにスッキリとしている。
だが、目を離せばフッと消えてしまいそうな雰囲気があった。
言い換えるならば、正直危なっかしかった。
このまま故郷に帰るというならばそれはそれで別に構わない。
だがこの状態のままだと道中でザコ山賊とかにサクッと身ぐるみ剥がれそうだ。
さすがにそんな事態が起きてしまっては、俺としても夢見が悪過ぎる。
……正直、忠義を尽くされるとか、臣下として仕えられるとか、そういう堅苦しい関係は、性に合わない。性に合わないのだが……
一度くらいなら、らしいことをしてみてもいいのではないだろうか。
「なあコウガイ」
「なんだ、ライノ殿」
「その『これからのこと』ってやつ……俺にちょっとばかり、任せてみないか」
◇
ナンタイ討伐から一ヶ月がすぎた。
ヘズヴィンの街も魔物との戦闘などで倒壊した家屋やら破壊された街路などもあらかた片付き、ぼちぼち日常が戻ってきている。
ちなみにグレン商会は、結局すべての責任をロッシュに押しつけ、ヘズヴィンから撤退することになったらしい。
香辛料屋のおっちゃんの話では、グレン商会の敷地やら直営の店舗などは、借りてが現れるまで商工ギルドが管理することになるとのことだった。
そして今日は……『彷徨える黒猫亭』の営業再開初日である。
「おおー! お店、すっかり元通りだねっ! いい匂いー」
「む。この匂いは危険。お腹と背中がくっついてしまう」
狭い路地を歩く俺の後ろで、パレルモとビトラがうっとりした声を上げる。
まだ店までは少しあるというのに、食欲をそそる匂いが路地の奥から漂ってきている。
「しばらくぶりだからな。今日は好きなだけ食べるといいぞ」
「やったー! じゃあじゃあ、百人分食べちゃうよ!」
「む。私は海鮮カリーなら二百人分はいける」
「お前らいきなり店を潰す気かよ……」
二人にかかれば、冗談でもなく本当にそれくらい平らげてしまうだろう。
その華奢な身体のどこにそんな大量の食べ物が収まるのかいつも疑問に思うが、胃袋が亜空間にでも繋がっているのだろうか。
まったく……
だがまあ、二人が山のように食べるのは想定内だからな。
もちろんペトラさんには俺たちが行くことを事前に伝えてあるし。
店の前まで来ると、いよいよいい匂いが濃くなった。
頭上の排気ダクトからは、温かく刺激的な香りがもくもくと吐き出されている。
否が応でも、口の中に唾液が湧き上がってくる。
二人と同じく、俺の腹もペコペコだった。
俺は今日、料理人ではない。
純粋に、食べにきたのだ。
「しかし、ずいぶんと完璧に元通りにしたもんだ」
魔剣持ちの冒険者たちとの戦闘で損壊した部分はすっかり修繕されていた。
というか、一体どうやったのか、以前の寂れてボロボロの民家風なところまで完璧に再現されている。
せっかくギルドで修繕費用を賄ってもらったのだから、外装くらい新調すればよかったのに……まあ、それだとこの店のコンセプトから外れてしまうか。
「ねえねえ、はやくはやくっ! はやく入ろうよ!」
「む。そろそろ私も限界」
「おっとすまん。入ろうか」
二人に急かされながら、店の扉に手をかける。
「あ、ライノさん、いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませ」
扉をくぐると、カウンターの奥から元気な声が俺たちを出迎えてくれた。
それから少し間を置いて、緊張したような男の声が続く。
「……ラッシャイ」
「ちょっとコウガイさん! もっと明るく、元気に挨拶しなきゃダメですよっ! 『ねね』さんを見習って下さい! 接客の基本は笑顔、ですよ。こう、ニコッ☆ っと口の両端を持ち上げて……ほら、私の真似をしてみてください!」
「ぬ、ぬうぅ……い、いらっしゃいませ……」
カウンターの一番奥で苦み走った顔をしている男は、言わずと知れたコウガイだ。
まだ仕込み途中なのか、包丁を握ったままこちらを見て、口の端をギニィ……と、ほんの少しだけ歪めてみせてくる。
…………どうやら微笑んでいるらしい。
それが全くそう見えず、まるで人を殺しそうな凶相になっているのは……まあ、ご愛敬というヤツだろう。
だいたい今まで殺伐とした人生を歩んできた男がそう簡単に笑顔で接客できるわけがないからな。
……ナンタイを倒した、そのあと。
俺は、コウガイに『彷徨える黒猫亭』の料理人として働いてみないかと提案した。元々、俺は先代が倒れたあとに雇う人間がやってくるまでの助っ人要員だったからな。
当然、俺の突然の申し出にコウガイはかなり迷っていたが……ほとんど路銀が尽きていたらしく、当面の日銭を稼ぐ手段があるならば、と了承したのだった。
それからペトラさんのところに連れて行ったり、借家を探したりと忙しい日々を送り……今日に至る。
「よう、コウガイ。料理人服、似合ってるぞ」
「ぬう……ライノ殿。恥ずかしい姿を見せてしまった。包丁の扱いにも料理を作ることにも慣れてきたが、来店時の挨拶というのには、なかなか慣れぬものでな……」
コウガイがぼつりと呟く。
なんだか煤けた顔をしているが、それはきっと仕込み作業が予想より大変だったからだろう。
香辛料を砕いたり肉や野菜を切り刻んだり重たい鉄鍋を長時間振ったりと、結構重労働だからな。
「あなた。その姿、とっても似合ってますよ」
そんなコウガイを『ねね』さんが嬉しそうに褒めそやす。
ちなみに『ねね』さんは、今でのような『影』ではなく、生身の身体だ。
コウガイの話では、今の『影』の状態では小太刀に取り憑くことができるならば、自分の身体の取り憑くこともできるのではないかという仮説を元に実際に試してみたところ、あっさり元の身体に戻ることができたらしい。
もっとも、油断するとすぐ幽体離脱してしまうので、寝るとき以外は常に気を張っていなくてはならないらしいが。
「にいさま、おそーい! あっパレルモちゃんとビトラちゃんはこっちこっち! 隣に席を用意しておいたわ!」
「ライノ殿。久方ぶりだな。パレルモ嬢、ビトラ嬢も壮健か? 今日はよろしく頼む」
と、店の奥から声がかかった。
アイラとイリナだ。
すでに二人の前には食べかけの料理が鎮座している。
かなり前から居たらしい。
今日俺たちがここに来ることは連絡しておいたのだが、時間は伝えていなかった。待ち合わせてもよかったのだが、予定が合わなかったのだ。
「おう。そっちも元気そうだな」
俺は二人の隣に腰掛ける。
「今日はたくさん食べるからね! 覚悟はいい、にいさま?」
「約束だからな。好きなだけ食ってくれ」
アイラはドヤ顔を浮かべているが、取り立てて大食いというワケではない。
常識の範囲で注文してくれるだろう。多分。
ちなみに、実は彼女らに会うのはナンタイ討伐以来だったりする。
パレルモとビトラは毎日一緒なのは当然だが、ギルドへの報告やら香辛料屋のおっちゃんの手伝いだとか『彷徨える黒猫亭』の引き継ぎだったりとかで、二人とはなかなかタイミングが合わずに来てしまったのだ。
「わたしはこれっ! 『ナッツと鶏の煮込みカリー』! それとそれと、こっちの『ごろごろ野菜煮込みカリー』もお願いっ! ふたつともまずは五人前だよっ」
「む。私はこの『川海老と川魚のカリー』と、『皮付き鶏肉のパリパリ焼き』。それに、『カリーに三日漬け込んだ沢ガニのフライ』も。どれも五人前を所望する」
「ち、注文、確かに承った……二人とも、本当にその量でいいのか?」
二人の元気いっぱいの注文にコウガイがドン引きしているが、二人にとって、それはあくまで前菜だ。
一応、今日は俺らが行くから仕込みは大量にしておくようペトラさんに伝えてあるから、在庫を切らすようなことはないだろう。
まあ、ひたすら調理に明け暮れることになるコウガイらには、ご愁傷様というほかないが……
◇
「で、にいさま? 私たちに、いうことがあるんじゃないかしら」
食事が済み、飲み物片手に歓談に興じていた、そのときだった。
ドン、と手にもった瓶をテーブルに叩きつけて、アイラが責めるように言う。
飲んでいるのはただのレモネードのはずだが……なぜか目が据わっている。
「うん? ああ、あれのことか」
いきなり話を振られたせいで、何のことが一瞬分からなかったが……もちろん心当たりはある。
「出発は明日の早朝だ」
「明日……明日ぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたアイラのせいで、一瞬場が静まりかえる。
「ゴ……ゴホン。と、とにかく。なんで黙っていたのかしら。……王都に行くってことは聞いていたけど、今日の明日なんて、急すぎるわ」
そう言われてもなあ……
確かに俺とパレルモ、そしてビトラは明日ヘズヴィンを発ち、王都へ向かう予定だった。
アイラとイリナにはナンタイ討伐直後に、俺たちがいずれ王都へ向かう予定だということをチラッとだが話している。
もちろん、予定も隠していたわけじゃない。
ここのところ忙しくて、詳しい話をするのがたまたま今日になっただけだ。
「……目的も聞いてないわ」
そういえば、それは言ってなかったな。
「大したことじゃない。香辛料や美味そうな料理を見つけに行く、ただそれだけだ」
ここのところ、パレルモもビトラもヘズヴィンで食べられる料理はほとんど食べ尽くしてしまい、文字通り食傷気味の日々を送っていたからな。
身辺も落ち着いてきたし、事件らしい事件も起きていない。
ならば俺自身の料理のレパートリーを増やすついでに、パレルモとビトラを連れて食べ歩きの旅に出るにはいい頃合いだと思ったのだ。
ちなみに王都に行く、と言っても王都自体はただの中継地点だ。
そこを足かがりに、様々な地域の料理や食材、それに香辛料を探しに行くつもりだ。
王都の向こう側には海もあるし、高い山もある。
ヘズヴィンも辺境だが、もっと僻地もある。そんな場所で出会う人々の料理や、ダンジョンに生息する魔物の肉を味わってみたい。
考えただけでも、ワクワクしてくる。
「そんな、寂し……ズルいわ! 私も行く!」
「アイラ、それは無理だ。明日も分刻みで予定が入っているだろう」
「でも、ねえさま…………はあ。ううん、仕方ないわね。治癒院の運営も大事だし、今ものすごく忙しいから」
アイラはぐぬぬ……と顔をしかめたあと、すぐに瞼を伏せ大きなため息を吐いた。
俺やイリナの前では年相応の表情を見せるアイラだが、これでも彼女はヘズヴィン有数の治癒院を運営する腕利きの治癒術師だからな。
そのへんの分別は一応持ち合わせているらしい。
もっとも、彼女が忙しいのには理由がある。
まあ、彼女自身も俺の知らないところで魔物湧出の際に瀕死の重傷を負った冒険者たちを片っ端から治してしまったり、彼女謹製の魔力回復剤やら体力回復ポーションやらで消耗しきってヘトヘトの冒険者を一瞬で戦線復帰させたりと、八面六臂の活躍を見せていたらしいからな。
で、そんな話にさらに尾ひれを付けまくって、ギルド長殿が有力な商人連中だとか、懇意にしているらしい魔術師ギルドの長だとか、ヘズヴィンに逗留している貴族連中だとかに触れ回りまくったのだ。
おかげで、ただでさえ知名度のあったアイラの名前は冒険者界隈を越えてヘズヴィン中に轟いてしまった。
当然、治癒院には連日患者が押しかけるわ、謹製ポーションは飛ぶように売れまくるわで……今やアイラはヘズヴィンでも指折りの富豪になってしまっていたのだ。たった一ヶ月で、だ。末恐ろしすぎる。
ちなみにイリナはそのへんのツテで、有力な貴族の剣術指南役に収まったらしい。そんなわけで、彼女も俺たちと一緒に旅に出ることはできない。
「そのうち帰ってくるから、そのときは新しく覚えた料理でメシをふるまってやるよ」
「にいさま、約束よ! 絶対帰ってきて、ご飯を作ってね! 毎日、毎日よ!」
「……? ああ、もちろんだ。別にそのくらい構わんぞ」
どうせパレルモとビトラの食事で大量に食材を調理しなくてはならないからな
一人ふたり増えたところで、大して変わらない。
「げ、言質は取ったからね!」
そんな耳まで真っ赤にして叫ばなくても、ちゃんと帰ってくるつもりだが……
というか、なぜイリナはニヤニヤしながらこっちを見ているんだ。
なんというか、こういう空気は読みづらい。
「さて、もう時間だ。パレルモ、ビトラ、そろそろ帰るぞ」
たらふく食べて、そのまま満足そうにテーブルに突っ伏していた二人の身体をゆする。
「ごはんー……またお腹すいてきた……」
「む……夜食がまだ。柑橘ジュースと鶏のカリー焼きを所望する」
「お前らまだ食うのかよ……」
まあ、屋敷にも食材はたくさんあるからな。
戻ってから作るとするか。
「じゃあ、また」
店の全員に挨拶をしたあと、ぐだぐだのパレルモとビトラを無理矢理起こし、外に出る。
すっかり暗くなった夜空を見上げると、星々が瞬いていた。
食べ過ぎでほてった身体に、夜風が心地良い。
「さて、行くか」
俺は明日の準備を整えに、そして二人の夜食を作るため……狭い路地を歩き出した。
了
すでに夜は明けていた。
しばらく待っていると、コウガイと『ねね』さんが出てきた。
コウガイの腕には、『ねね』さんの身体が抱かれている。
その隣には、影の『ねね』さんが静かに佇んでいるから、なんとも奇妙な様子ではあった。
「もういいのか?」
「……うむ。ナンタイの介錯は、吾輩が」
「そうか」
大扉の向こう側では、高い場所にはめ込まれたステンドグラスから差し込む朝日が、礼拝堂を柔らかく照らし出している。
すでに教会から漏れ出てくる瘴気はない。
それはつまりコウガイが言う通り、因縁に決着が付いたということだ。
「二人はこれからどうするんだ?」
ナンタイを討伐した以上、この街にもう用はないだろう。
「……吾輩はこの日のために生きてきた。『ねね』も同じだろう。これからのことなど……考えてはおらぬ」
そう話すコウガイの顔は、憑きものが落ちたようにスッキリとしている。
だが、目を離せばフッと消えてしまいそうな雰囲気があった。
言い換えるならば、正直危なっかしかった。
このまま故郷に帰るというならばそれはそれで別に構わない。
だがこの状態のままだと道中でザコ山賊とかにサクッと身ぐるみ剥がれそうだ。
さすがにそんな事態が起きてしまっては、俺としても夢見が悪過ぎる。
……正直、忠義を尽くされるとか、臣下として仕えられるとか、そういう堅苦しい関係は、性に合わない。性に合わないのだが……
一度くらいなら、らしいことをしてみてもいいのではないだろうか。
「なあコウガイ」
「なんだ、ライノ殿」
「その『これからのこと』ってやつ……俺にちょっとばかり、任せてみないか」
◇
ナンタイ討伐から一ヶ月がすぎた。
ヘズヴィンの街も魔物との戦闘などで倒壊した家屋やら破壊された街路などもあらかた片付き、ぼちぼち日常が戻ってきている。
ちなみにグレン商会は、結局すべての責任をロッシュに押しつけ、ヘズヴィンから撤退することになったらしい。
香辛料屋のおっちゃんの話では、グレン商会の敷地やら直営の店舗などは、借りてが現れるまで商工ギルドが管理することになるとのことだった。
そして今日は……『彷徨える黒猫亭』の営業再開初日である。
「おおー! お店、すっかり元通りだねっ! いい匂いー」
「む。この匂いは危険。お腹と背中がくっついてしまう」
狭い路地を歩く俺の後ろで、パレルモとビトラがうっとりした声を上げる。
まだ店までは少しあるというのに、食欲をそそる匂いが路地の奥から漂ってきている。
「しばらくぶりだからな。今日は好きなだけ食べるといいぞ」
「やったー! じゃあじゃあ、百人分食べちゃうよ!」
「む。私は海鮮カリーなら二百人分はいける」
「お前らいきなり店を潰す気かよ……」
二人にかかれば、冗談でもなく本当にそれくらい平らげてしまうだろう。
その華奢な身体のどこにそんな大量の食べ物が収まるのかいつも疑問に思うが、胃袋が亜空間にでも繋がっているのだろうか。
まったく……
だがまあ、二人が山のように食べるのは想定内だからな。
もちろんペトラさんには俺たちが行くことを事前に伝えてあるし。
店の前まで来ると、いよいよいい匂いが濃くなった。
頭上の排気ダクトからは、温かく刺激的な香りがもくもくと吐き出されている。
否が応でも、口の中に唾液が湧き上がってくる。
二人と同じく、俺の腹もペコペコだった。
俺は今日、料理人ではない。
純粋に、食べにきたのだ。
「しかし、ずいぶんと完璧に元通りにしたもんだ」
魔剣持ちの冒険者たちとの戦闘で損壊した部分はすっかり修繕されていた。
というか、一体どうやったのか、以前の寂れてボロボロの民家風なところまで完璧に再現されている。
せっかくギルドで修繕費用を賄ってもらったのだから、外装くらい新調すればよかったのに……まあ、それだとこの店のコンセプトから外れてしまうか。
「ねえねえ、はやくはやくっ! はやく入ろうよ!」
「む。そろそろ私も限界」
「おっとすまん。入ろうか」
二人に急かされながら、店の扉に手をかける。
「あ、ライノさん、いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませ」
扉をくぐると、カウンターの奥から元気な声が俺たちを出迎えてくれた。
それから少し間を置いて、緊張したような男の声が続く。
「……ラッシャイ」
「ちょっとコウガイさん! もっと明るく、元気に挨拶しなきゃダメですよっ! 『ねね』さんを見習って下さい! 接客の基本は笑顔、ですよ。こう、ニコッ☆ っと口の両端を持ち上げて……ほら、私の真似をしてみてください!」
「ぬ、ぬうぅ……い、いらっしゃいませ……」
カウンターの一番奥で苦み走った顔をしている男は、言わずと知れたコウガイだ。
まだ仕込み途中なのか、包丁を握ったままこちらを見て、口の端をギニィ……と、ほんの少しだけ歪めてみせてくる。
…………どうやら微笑んでいるらしい。
それが全くそう見えず、まるで人を殺しそうな凶相になっているのは……まあ、ご愛敬というヤツだろう。
だいたい今まで殺伐とした人生を歩んできた男がそう簡単に笑顔で接客できるわけがないからな。
……ナンタイを倒した、そのあと。
俺は、コウガイに『彷徨える黒猫亭』の料理人として働いてみないかと提案した。元々、俺は先代が倒れたあとに雇う人間がやってくるまでの助っ人要員だったからな。
当然、俺の突然の申し出にコウガイはかなり迷っていたが……ほとんど路銀が尽きていたらしく、当面の日銭を稼ぐ手段があるならば、と了承したのだった。
それからペトラさんのところに連れて行ったり、借家を探したりと忙しい日々を送り……今日に至る。
「よう、コウガイ。料理人服、似合ってるぞ」
「ぬう……ライノ殿。恥ずかしい姿を見せてしまった。包丁の扱いにも料理を作ることにも慣れてきたが、来店時の挨拶というのには、なかなか慣れぬものでな……」
コウガイがぼつりと呟く。
なんだか煤けた顔をしているが、それはきっと仕込み作業が予想より大変だったからだろう。
香辛料を砕いたり肉や野菜を切り刻んだり重たい鉄鍋を長時間振ったりと、結構重労働だからな。
「あなた。その姿、とっても似合ってますよ」
そんなコウガイを『ねね』さんが嬉しそうに褒めそやす。
ちなみに『ねね』さんは、今でのような『影』ではなく、生身の身体だ。
コウガイの話では、今の『影』の状態では小太刀に取り憑くことができるならば、自分の身体の取り憑くこともできるのではないかという仮説を元に実際に試してみたところ、あっさり元の身体に戻ることができたらしい。
もっとも、油断するとすぐ幽体離脱してしまうので、寝るとき以外は常に気を張っていなくてはならないらしいが。
「にいさま、おそーい! あっパレルモちゃんとビトラちゃんはこっちこっち! 隣に席を用意しておいたわ!」
「ライノ殿。久方ぶりだな。パレルモ嬢、ビトラ嬢も壮健か? 今日はよろしく頼む」
と、店の奥から声がかかった。
アイラとイリナだ。
すでに二人の前には食べかけの料理が鎮座している。
かなり前から居たらしい。
今日俺たちがここに来ることは連絡しておいたのだが、時間は伝えていなかった。待ち合わせてもよかったのだが、予定が合わなかったのだ。
「おう。そっちも元気そうだな」
俺は二人の隣に腰掛ける。
「今日はたくさん食べるからね! 覚悟はいい、にいさま?」
「約束だからな。好きなだけ食ってくれ」
アイラはドヤ顔を浮かべているが、取り立てて大食いというワケではない。
常識の範囲で注文してくれるだろう。多分。
ちなみに、実は彼女らに会うのはナンタイ討伐以来だったりする。
パレルモとビトラは毎日一緒なのは当然だが、ギルドへの報告やら香辛料屋のおっちゃんの手伝いだとか『彷徨える黒猫亭』の引き継ぎだったりとかで、二人とはなかなかタイミングが合わずに来てしまったのだ。
「わたしはこれっ! 『ナッツと鶏の煮込みカリー』! それとそれと、こっちの『ごろごろ野菜煮込みカリー』もお願いっ! ふたつともまずは五人前だよっ」
「む。私はこの『川海老と川魚のカリー』と、『皮付き鶏肉のパリパリ焼き』。それに、『カリーに三日漬け込んだ沢ガニのフライ』も。どれも五人前を所望する」
「ち、注文、確かに承った……二人とも、本当にその量でいいのか?」
二人の元気いっぱいの注文にコウガイがドン引きしているが、二人にとって、それはあくまで前菜だ。
一応、今日は俺らが行くから仕込みは大量にしておくようペトラさんに伝えてあるから、在庫を切らすようなことはないだろう。
まあ、ひたすら調理に明け暮れることになるコウガイらには、ご愁傷様というほかないが……
◇
「で、にいさま? 私たちに、いうことがあるんじゃないかしら」
食事が済み、飲み物片手に歓談に興じていた、そのときだった。
ドン、と手にもった瓶をテーブルに叩きつけて、アイラが責めるように言う。
飲んでいるのはただのレモネードのはずだが……なぜか目が据わっている。
「うん? ああ、あれのことか」
いきなり話を振られたせいで、何のことが一瞬分からなかったが……もちろん心当たりはある。
「出発は明日の早朝だ」
「明日……明日ぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたアイラのせいで、一瞬場が静まりかえる。
「ゴ……ゴホン。と、とにかく。なんで黙っていたのかしら。……王都に行くってことは聞いていたけど、今日の明日なんて、急すぎるわ」
そう言われてもなあ……
確かに俺とパレルモ、そしてビトラは明日ヘズヴィンを発ち、王都へ向かう予定だった。
アイラとイリナにはナンタイ討伐直後に、俺たちがいずれ王都へ向かう予定だということをチラッとだが話している。
もちろん、予定も隠していたわけじゃない。
ここのところ忙しくて、詳しい話をするのがたまたま今日になっただけだ。
「……目的も聞いてないわ」
そういえば、それは言ってなかったな。
「大したことじゃない。香辛料や美味そうな料理を見つけに行く、ただそれだけだ」
ここのところ、パレルモもビトラもヘズヴィンで食べられる料理はほとんど食べ尽くしてしまい、文字通り食傷気味の日々を送っていたからな。
身辺も落ち着いてきたし、事件らしい事件も起きていない。
ならば俺自身の料理のレパートリーを増やすついでに、パレルモとビトラを連れて食べ歩きの旅に出るにはいい頃合いだと思ったのだ。
ちなみに王都に行く、と言っても王都自体はただの中継地点だ。
そこを足かがりに、様々な地域の料理や食材、それに香辛料を探しに行くつもりだ。
王都の向こう側には海もあるし、高い山もある。
ヘズヴィンも辺境だが、もっと僻地もある。そんな場所で出会う人々の料理や、ダンジョンに生息する魔物の肉を味わってみたい。
考えただけでも、ワクワクしてくる。
「そんな、寂し……ズルいわ! 私も行く!」
「アイラ、それは無理だ。明日も分刻みで予定が入っているだろう」
「でも、ねえさま…………はあ。ううん、仕方ないわね。治癒院の運営も大事だし、今ものすごく忙しいから」
アイラはぐぬぬ……と顔をしかめたあと、すぐに瞼を伏せ大きなため息を吐いた。
俺やイリナの前では年相応の表情を見せるアイラだが、これでも彼女はヘズヴィン有数の治癒院を運営する腕利きの治癒術師だからな。
そのへんの分別は一応持ち合わせているらしい。
もっとも、彼女が忙しいのには理由がある。
まあ、彼女自身も俺の知らないところで魔物湧出の際に瀕死の重傷を負った冒険者たちを片っ端から治してしまったり、彼女謹製の魔力回復剤やら体力回復ポーションやらで消耗しきってヘトヘトの冒険者を一瞬で戦線復帰させたりと、八面六臂の活躍を見せていたらしいからな。
で、そんな話にさらに尾ひれを付けまくって、ギルド長殿が有力な商人連中だとか、懇意にしているらしい魔術師ギルドの長だとか、ヘズヴィンに逗留している貴族連中だとかに触れ回りまくったのだ。
おかげで、ただでさえ知名度のあったアイラの名前は冒険者界隈を越えてヘズヴィン中に轟いてしまった。
当然、治癒院には連日患者が押しかけるわ、謹製ポーションは飛ぶように売れまくるわで……今やアイラはヘズヴィンでも指折りの富豪になってしまっていたのだ。たった一ヶ月で、だ。末恐ろしすぎる。
ちなみにイリナはそのへんのツテで、有力な貴族の剣術指南役に収まったらしい。そんなわけで、彼女も俺たちと一緒に旅に出ることはできない。
「そのうち帰ってくるから、そのときは新しく覚えた料理でメシをふるまってやるよ」
「にいさま、約束よ! 絶対帰ってきて、ご飯を作ってね! 毎日、毎日よ!」
「……? ああ、もちろんだ。別にそのくらい構わんぞ」
どうせパレルモとビトラの食事で大量に食材を調理しなくてはならないからな
一人ふたり増えたところで、大して変わらない。
「げ、言質は取ったからね!」
そんな耳まで真っ赤にして叫ばなくても、ちゃんと帰ってくるつもりだが……
というか、なぜイリナはニヤニヤしながらこっちを見ているんだ。
なんというか、こういう空気は読みづらい。
「さて、もう時間だ。パレルモ、ビトラ、そろそろ帰るぞ」
たらふく食べて、そのまま満足そうにテーブルに突っ伏していた二人の身体をゆする。
「ごはんー……またお腹すいてきた……」
「む……夜食がまだ。柑橘ジュースと鶏のカリー焼きを所望する」
「お前らまだ食うのかよ……」
まあ、屋敷にも食材はたくさんあるからな。
戻ってから作るとするか。
「じゃあ、また」
店の全員に挨拶をしたあと、ぐだぐだのパレルモとビトラを無理矢理起こし、外に出る。
すっかり暗くなった夜空を見上げると、星々が瞬いていた。
食べ過ぎでほてった身体に、夜風が心地良い。
「さて、行くか」
俺は明日の準備を整えに、そして二人の夜食を作るため……狭い路地を歩き出した。
了
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〈村人〉の固有スキルは【命中率0%】というデメリットしかない最弱スキルのため、ティムはスライムすらまともに倒せない。
危うく死にかけたティムは森の中をさまよっているうちにある隠しダンジョンを発見する。
『【煌世主の意志】を感知しました。EXスキル【オートスキップ】が覚醒します』
いきなり現れたウィンドウに驚きつつもティムは試しに【オートスキップ】を使ってみることに。
すると、いつの間にか自分のレベルが∞になって……。
これは、やがて【種族の支配者(キング・オブ・オーバーロード)】と呼ばれる男が、最弱の村人から最強種族の『半神』へと至り、世界を救ってしまうお話である。
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※小説家になろうにも掲載しています。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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戻れて良かった(*´∀`)
了って……え、終わり!?
ご感想ありがとうございます!
ライノたちの冒険はまだまだ続いてゆきますが、
お話としてはここまでとさせて頂きました。
名残惜しい気持ちは僕もありますが、まあ頃合いかな、と。
ここまで追いかけてきていただき、本当にありがとうございました。
一応、今後も新作を書いたりする予定はありますので、
またどこかでお会いできれば嬉しいです。
それではまた。
食事って……あれ、中身、戻せるチャンス?
チャンスかも……!
あとはどうやるかですね……!
ナンタイと対峙……盛り上がってきたwwwwwww
こうご期待です……!!!!!!