恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい

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第十話 似合ってしまった part2

街は、午後の光に満ちていた。

ノクスの歩調は、いつもよりわずかに速い。
それに気づいているのは、隣を歩くアリアだけだった。

「……こちらです」

足を止めた先にあるのは、以前にも一度立ったことのある店。
街で一番格式が高い、高級洋服店だった。

アリアは思わず立ち止まる。

「……ここ、以前の」

「ええ」

あっさりと答えられる。

「今日は、こちらで問題ありません」

「問題……あります」

はっきり言うと、ノクスは一瞬だけ首を傾げた。

「なぜですか」

「ここは……その……」

言葉を探しているうちに、重厚な扉が開いた。
中から現れた店員が、即座に姿勢を正す。

「お待ちしておりました。ノクス様、アリア様」

名前を呼ばれ、アリアは反射的にノクスを見る。

「私、仮の……」

「婚約者です」

即答だった。

「仮でも、今はそうでしょう」

その声音に、迷いはない。
譲る気配も、微塵もなかった。



店内。

布地を当てられ、鏡の前に立たされたアリアは、完全に落ち着きを失っていた。

「こ、こんなに必要ですか……?」

「必要です」

ノクスは迷いなく答える。

「公の場に出る以上、それ相応でなければならない」

「……そうですか」

納得したわけではないが、それ以上言えず、アリアは視線を彷徨わせた。

試着を終え、アリアが姿を現した瞬間。
店内が、ふっと静まった。

「……とても、お似合いです」

「まるで、貴婦人のよう……」

控えめな色合い。
無理のない仕立て。
派手ではないのに、自然と視線を集める。

ノクスは、しばらく動けなかった。

一度、目を逸らした。
それで終わるはずだった。

けれど、気づけばまた見ている。

理由は考えない。
ただ、そこに立つ彼女を見ていた。



次に差し出されたのは、宝石だった。

控えめだが、質の良い首飾り。

「……宝石まで?」

「婚約者ですから」

淡々とした言葉だったが、迷いはなかった。

「……慣れていません、こういうの」

ノクスは一瞬だけ黙り、

「そうでしょうね」

と静かに言った。

「次は、コートと帽子も見ましょう、小物も必要です」

「……まだ、続くんですか」

「当然でしょう」

理屈として、揺らぎはない。

アリアは一度、口を開きかけて、諦めた。

「……分かりました」

観念したようなその仕草が、どこか可笑しい。

ノクスは視線を逸らす。
理由は分からないが、胸の奥がわずかに緩んだ。

——悪くない。

声にも、表情にも出さない。
ただ、胸の奥が静かに騒いでいた。

かつて一人で立っていたこの店に、
今は“婚約者”が隣にいる。

その事実だけが、
思った以上に彼を落ち着かなくさせていた。

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