ドS大佐はVチューバー

心雪くん

文字の大きさ
16 / 41

ドS大佐はVチューバー⑭

しおりを挟む



新緑の間を吹き抜ける風が、少しだけ汗ばんだ肌に心地好い。

『風薫る五月、いかがお過ごしでしょうか』そんな古風な挨拶を一筆したためたくなるような、透き通った青空が広がる季節。真琴の頬は、ここ数日、自分でも制御不能なほど緩みっぱなしだった。

​「小林さーん、なんか良い事ありました?」

ショップでの品出し作業中、カゴを抱えた高校生アルバイトの和泉が、怪訝そうな、それでいて興味津々な顔で声をかけてきた。

「え~、ないない。つまらない毎日だよ~」

真琴は締まりのない顔のまま、これっぽちも説得力のない返事を返す。
「いやいや嘘じゃん!そんなデレッデレな顔してるくせに。さては彼氏さんから何か、サプライズで
 もあったんですか?」
​「相変わらずの恋愛脳よのぉ」と、アオハル真っ盛りの和泉に慈愛に満ちた眼差しを向けた。
「言ったよね~?藤堂さんは彼氏じゃないからね~」
そう口では否定しながらも、真琴の声は隠しきれない歓喜で弾んでいる。
「……ってことで、休憩入りまーすっ」
軽やかな足取りで、真琴は事務所へと歩き出した。

​(あの夜から、私の世界はピンク色のフィルターがかかったみたいだ)

画面越しに聞いていたあの『低音ボイス』が、自分一人のためだけに、耳元で熱を持って響いた時の感覚。思い出すだけで、レジ打ちの手元が狂いそうになる。

(……藤堂さんは、どうなんだろう。私のことを少しは……思い出したりとかしてくれてるのかな)

二週間前、ショッピングモールの帰り道で、あろうことか自分から「触れたい」なんていう理性をかなぐり捨てた告白をしてしまった。

一生胸に秘めておくつもりだった想いは、あの夜、奇跡のように律に受け入れられた。

​耳元で響いた低い声、背中に回された腕の強さ。その熱い余韻は、二週間が過ぎようとしている今も、真琴の心を支配している。
(今なら、どんな理不尽なお客様のクレームだって笑顔でスルーできる気がする……っ)
無敵の幸福感に包まれ、事務所のドアノブに手をかけたその時。

​「あのっ……すみません!」

不意に背後から、一人の男性客に声をかけられた。




一方、その頃。藤堂律もまた、別の意味で窮地に立たされていた。

律のマンションの自室。
休日の穏やかな昼下がり、彼は二枚のPCモニターに向かい、配信用の動画編集に没頭していた。
だが、その眉間には深い皺が刻まれている。
原因は、背後のソファでくつろぐ義姉の桃果だ。

「最近、律と真琴ちゃん、良い感じだね?何があったの?」

桃果がその質問を繰り出すのは、今日だけでも何度目だろうか。
無数の音声波形が並ぶ編集画面から目を離さぬまま、律は低い声で応じた。
「……あっても言わねぇから」
「え~教えてよぉ!この間デートお膳立てしてあげたじゃんかっ!二人ともラブい雰囲気出してるし
 さ、別れ際も離れがたそうに見つめ合ってるし……。ねぇ、告白した?付き合ってるんでしょ!?」
「ねーねー」と、背中を人差し指で突っついてくる姉の指を叩き落とそうとした瞬間。
律の脳内に、ある致命的な欠落が稲妻のように走り抜けた。
「あっ……」
「なになに!?やっぱ告ったの!?」
律は口元を片手で押さえ、その事実に愕然とした。

あの夜、確かに二人の想いは重なった。
抱きしめ合ったし、あんなにも甘い空気が流れた。
だが、一番肝心な「手続き」を、彼はすっかり忘れていたのだ。

「付き合ってって………言ってねぇーわ」

ぽつりと漏れたその独り言を、桃果の地獄耳は逃さなかった。
「……は?今なんて?言ってないって………まさか律、告白してないの!?」
「あ、いや、……違う、そうじゃなくて……」
律は慌てて取り繕おうとしたが、手遅れだった。
桃果の瞳から一気に熱が引き、冷ややかな視線が突き刺さる。

「ちょっと待ってよ!気持ち確かめ合ったんじゃないの?告白もしないで何してたわけ!?」

(ひたすらハグしてただけなんて、死んでも言えねぇ………っ!)

​普段、得意なFPSではIGL(インゲームリーダー)として、冷静沈着にチームを勝利へと導く司令塔を担う律。敵の退路を完全に断ち、一歩先、二歩先の『外堀』を埋めてから確実に『本丸』を落とすのは、彼にとって息をするように簡単なことのはずだった。

それなのに、いざ自分の恋愛となると、最重要ミッションである『正式な交際の申し込み』を確認し忘れるなんて、普段の彼からは考えられない致命的な失態だった。

(……まじでしっかりしろよ、俺っ!)

あの夜から体中を満たし続けている多幸感のせいで、ここ数日、律の脳はオーバーヒート気味でまともに働いていない。

真琴の体温や、抱きしめた時の柔らかい感触、あの切ない告白の声がフラッシュバックするたびに、最強の司令塔の思考回路はノイズまみれになって、あっさりとショートしてしまうのだ。

律は左手で両目を覆い、自分への呆れと羞恥心が混ざった、深すぎる溜め息をついた。





​午後八時を少し過ぎた頃。
仕事を終えて店を出た真琴は、入り口付近にできた異様な人だかりに目を疑った。
中心にいるのは、不機嫌そうな顔で佇む律。
そして、彼に質問攻めをしているのは、真琴の同僚たちだった。

​「やっと来た」

真琴に気づいた律の顔が「ようやく脱出できる」という安堵で一瞬だけ緩んだ。
まるで救世主を見つけたように駆け寄ろうとした彼の足が、不自然に止まる。
「すみません、お待たせして……」
苦笑いする真琴だったが、律の鋭い視線は、彼女の右手に釘付けになっていた。
​「……真琴さん、それ何?」
指摘された手には、春の名残のような桜色の封筒。
「あー……手紙、かな」
気まずそうに目を逸らす真琴を、律がジッと睨みつける。
「なんで手で持ってんの。リュックあるでしょ」
「……リュックに入れたくない……から?」
「へぇ……」
​律の瞳に、うっすらと暗い嫉妬の火がともる。
彼は何かを飲み込むように黙り込んだあと、ナイフのように刺々しい声で促した。

「帰りますよ」

真琴が返事をする間もなく、彼は背を向けて歩き出した。





​電車の座席に揺られながら、しばらくの沈黙。
やがて、律が隣でポツリと、吐き捨てるように言った。
「ねぇ、ダルい事言ってい?」
「……どうぞ?」
「それ、見たくねぇからリュックに入れるなり、ポケットにしまうなりしてほしいんだけど」
​その「提案」に込められた子供じみた独占欲に、真琴は一瞬呆然としたが、すぐに口角が上がってしまうのを止められなかった。
「駄目です」
「はい!?」
「しまっちゃうと、大事な物みたいだからしまいたくないの」
「……意味わかんねぇんだけど」
​律の怪訝な顔を見つめながら、真琴は優しく微笑む。
「スマホでやりとりしたくないから、返事は明日、直接言うつもり。『好きな人がいるからごめんな
 さい』って」
​それを聞いた律は、数秒の間を置いてから、深く重い溜め息をついた。
「そこ『好きな人』じゃなくて『彼氏』か『結婚してるから』に変えて?曖昧な言い方じゃ、相手は
 諦めないから」
「いやいや、諦めるでしょ!私だったら諦めるっ」

「俺だったら、死んでも諦めない!」

​律の真剣すぎる表情に、思わず見入ってしまった。
「嘘つかせて悪いけど、まじでそれだけは譲れない」
​(……むちゃくちゃだ)
けれど、その強引さが、今の真琴にはたまらなく愛おしかった。

​「……よくあるんですか?そういうの」

律がポツリと、刺々しさを少しだけ残した声で尋ねてきた。
「ないない!前に言いましたよね?モテたことないって」
「…実際モテてんじゃん。見知らぬ人からラブレターもらうとか、そんなあるもんじゃないでしょ」
​律は不服そうに唇を尖らせる。
「本当に、たまたまだと思うよ」
「………普通に心配なんだけど」
​ボソッと呟いた本音。律は感情のやり場に困ったように、右手で自分の首筋を乱暴にさすった。
視線を窓の外へ投げ、むくれた子供のように顔をしかめるその横顔は、いつもの冷静な『大佐』ではない。ただの、好きな人の動向に一喜一憂している、年相応の『男の子』の顔だった。

​真琴は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、空いている左手を伸ばした。
そして、律のさらさらとした黒髪に触れ、頭をぽんぽんと二回、優しく叩いた。
「は?なにそれ、どういう感情?」
驚いたようにこちらを振り向く律に、真琴は顔をほころばせたまま答えた。
「可愛いなと思って」
​「…………」
​律は一瞬絶句した後、不満げに眉をひそめて、ぐいっと両腕を組んだ。
「……バカにしてんでしょ!俺はまじで、ソイツが引き下がらなかったらどうしようかとか考えてん
 のに」
「いやいや、普通に引き下がるでしょっ」
「……もう知らねぇー」
​お気楽な真琴に律はぷいっとそっぽを向くと、そのまま完全に沈黙してしまった。
いつもならここで律らしいちょっと意地悪な一言でも返ってきそうなものなのに、今はただの、本気で拗ねた男の子の横顔だった。
​(あ、ヤバ、本気で怒らせたかな……?)
​気まずさと、それ以上に「どうにかして機嫌を直してほしい」という愛おしさが込み上げてくる。
真琴は少しだけ迷ったあと、電車の揺れに合わせて、そっと、重力を預けるように律の肩に自分の頭を乗せた。
​「……真琴さん?」
「……ごめん、調子乗った。藤堂さんが私のこと、心配してくれてるのが、なんか嬉しくって」
​真琴の髪から、微かに甘いシャンプーの香りが律の鼻先をくすぐる。

「……ずっる。そういうこと言うの反則なんだけど」

​律は小さく、吐き出すように呟いた。
肩に伝わる真琴の頭の重みと、そこから立ち上る甘い香りが、律の思考をさらにかき乱す。
​(……この人、まじで分かってないんだろうな)
​隣で幸せそうに目を細めている真琴は、きっと「気持ちが通じ合った」という事実だけで胸がいっぱいなのだ。
あの夜、二人で一つになったような感覚。
それだけで彼女の世界は完結していて、その先に「交際の定義」が必要だなんて、微塵も思っていない。
対して、律の膝の上にある右手は、所在なげにピクリと動いた。

(繋ぎたい……)

けれど、まだ正式に「付き合ってくれ」と言っていない自分に、はたしてその資格があるのか。
律は指先を迷わせた末、真琴のカーディガンの袖口を、迷子のような心細さできゅっと握りしめた。
形にこだわっている自分が馬鹿らしくなるほど、真琴から伝わってくる体温は温かくて、ひたむきだ。

​律は深いため息をひとつ吐いて、ようやく憑き物が落ちたように肩の力を抜いた。
そして、自分の頭を真琴の頭の上に、そっと、慈しむように重ねる。

​「……真琴さん」
「うん?」

「明日も、迎えに行ってい? ……もっと会いたいんだけど」

​また誰かにラブレターなんて渡されないように。
今度はちゃんと、『外堀』じゃなく『本丸』を埋めに行く。

そんな静かな、けれど揺るぎない決意を秘めた律の声は、真琴にはただ、初夏の気配をはらんだ晩春の夜のまどろみに誘う甘い子守唄のように響いていた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

第3皇子は妃よりも騎士団長の妹の私を溺愛している 【完結】

日下奈緒
恋愛
王家に仕える騎士の妹・リリアーナは、冷徹と噂される第3皇子アシュレイに密かに想いを寄せていた。戦の前夜、命を懸けた一戦を前に、彼のもとを訪ね純潔を捧げる。勝利の凱旋後も、皇子は毎夜彼女を呼び続け、やがてリリアーナは身籠る。正妃に拒まれていた皇子は離縁を決意し、すべてを捨ててリリアーナを正式な妃として迎える——これは、禁じられた愛が真実の絆へと変わる、激甘ロマンス。

処理中です...