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ドS大佐はVチューバー⑭
しおりを挟む新緑の間を吹き抜ける風が、少しだけ汗ばんだ肌に心地好い。
『風薫る五月、いかがお過ごしでしょうか』そんな古風な挨拶を一筆したためたくなるような、透き通った青空が広がる季節。真琴の頬は、ここ数日、自分でも制御不能なほど緩みっぱなしだった。
「小林さーん、なんか良い事ありました?」
ショップでの品出し作業中、カゴを抱えた高校生アルバイトの和泉が、怪訝そうな、それでいて興味津々な顔で声をかけてきた。
「え~、ないない。つまらない毎日だよ~」
真琴は締まりのない顔のまま、これっぽちも説得力のない返事を返す。
「いやいや嘘じゃん!そんなデレッデレな顔してるくせに。さては彼氏さんから何か、サプライズで
もあったんですか?」
「相変わらずの恋愛脳よのぉ」と、アオハル真っ盛りの和泉に慈愛に満ちた眼差しを向けた。
「言ったよね~?藤堂さんは彼氏じゃないからね~」
そう口では否定しながらも、真琴の声は隠しきれない歓喜で弾んでいる。
「……ってことで、休憩入りまーすっ」
軽やかな足取りで、真琴は事務所へと歩き出した。
(あの夜から、私の世界はピンク色のフィルターがかかったみたいだ)
画面越しに聞いていたあの『低音ボイス』が、自分一人のためだけに、耳元で熱を持って響いた時の感覚。思い出すだけで、レジ打ちの手元が狂いそうになる。
(……藤堂さんは、どうなんだろう。私のことを少しは……思い出したりとかしてくれてるのかな)
二週間前、ショッピングモールの帰り道で、あろうことか自分から「触れたい」なんていう理性をかなぐり捨てた告白をしてしまった。
一生胸に秘めておくつもりだった想いは、あの夜、奇跡のように律に受け入れられた。
耳元で響いた低い声、背中に回された腕の強さ。その熱い余韻は、二週間が過ぎようとしている今も、真琴の心を支配している。
(今なら、どんな理不尽なお客様のクレームだって笑顔でスルーできる気がする……っ)
無敵の幸福感に包まれ、事務所のドアノブに手をかけたその時。
「あのっ……すみません!」
不意に背後から、一人の男性客に声をかけられた。
一方、その頃。藤堂律もまた、別の意味で窮地に立たされていた。
律のマンションの自室。
休日の穏やかな昼下がり、彼は二枚のPCモニターに向かい、配信用の動画編集に没頭していた。
だが、その眉間には深い皺が刻まれている。
原因は、背後のソファでくつろぐ義姉の桃果だ。
「最近、律と真琴ちゃん、良い感じだね?何があったの?」
桃果がその質問を繰り出すのは、今日だけでも何度目だろうか。
無数の音声波形が並ぶ編集画面から目を離さぬまま、律は低い声で応じた。
「……あっても言わねぇから」
「え~教えてよぉ!この間デートお膳立てしてあげたじゃんかっ!二人ともラブい雰囲気出してるし
さ、別れ際も離れがたそうに見つめ合ってるし……。ねぇ、告白した?付き合ってるんでしょ!?」
「ねーねー」と、背中を人差し指で突っついてくる姉の指を叩き落とそうとした瞬間。
律の脳内に、ある致命的な欠落が稲妻のように走り抜けた。
「あっ……」
「なになに!?やっぱ告ったの!?」
律は口元を片手で押さえ、その事実に愕然とした。
あの夜、確かに二人の想いは重なった。
抱きしめ合ったし、あんなにも甘い空気が流れた。
だが、一番肝心な「手続き」を、彼はすっかり忘れていたのだ。
「付き合ってって………言ってねぇーわ」
ぽつりと漏れたその独り言を、桃果の地獄耳は逃さなかった。
「……は?今なんて?言ってないって………まさか律、告白してないの!?」
「あ、いや、……違う、そうじゃなくて……」
律は慌てて取り繕おうとしたが、手遅れだった。
桃果の瞳から一気に熱が引き、冷ややかな視線が突き刺さる。
「ちょっと待ってよ!気持ち確かめ合ったんじゃないの?告白もしないで何してたわけ!?」
(ひたすらハグしてただけなんて、死んでも言えねぇ………っ!)
普段、得意なFPSではIGL(インゲームリーダー)として、冷静沈着にチームを勝利へと導く司令塔を担う律。敵の退路を完全に断ち、一歩先、二歩先の『外堀』を埋めてから確実に『本丸』を落とすのは、彼にとって息をするように簡単なことのはずだった。
それなのに、いざ自分の恋愛となると、最重要ミッションである『正式な交際の申し込み』を確認し忘れるなんて、普段の彼からは考えられない致命的な失態だった。
(……まじでしっかりしろよ、俺っ!)
あの夜から体中を満たし続けている多幸感のせいで、ここ数日、律の脳はオーバーヒート気味でまともに働いていない。
真琴の体温や、抱きしめた時の柔らかい感触、あの切ない告白の声がフラッシュバックするたびに、最強の司令塔の思考回路はノイズまみれになって、あっさりとショートしてしまうのだ。
律は左手で両目を覆い、自分への呆れと羞恥心が混ざった、深すぎる溜め息をついた。
午後八時を少し過ぎた頃。
仕事を終えて店を出た真琴は、入り口付近にできた異様な人だかりに目を疑った。
中心にいるのは、不機嫌そうな顔で佇む律。
そして、彼に質問攻めをしているのは、真琴の同僚たちだった。
「やっと来た」
真琴に気づいた律の顔が「ようやく脱出できる」という安堵で一瞬だけ緩んだ。
まるで救世主を見つけたように駆け寄ろうとした彼の足が、不自然に止まる。
「すみません、お待たせして……」
苦笑いする真琴だったが、律の鋭い視線は、彼女の右手に釘付けになっていた。
「……真琴さん、それ何?」
指摘された手には、春の名残のような桜色の封筒。
「あー……手紙、かな」
気まずそうに目を逸らす真琴を、律がジッと睨みつける。
「なんで手で持ってんの。リュックあるでしょ」
「……リュックに入れたくない……から?」
「へぇ……」
律の瞳に、うっすらと暗い嫉妬の火がともる。
彼は何かを飲み込むように黙り込んだあと、ナイフのように刺々しい声で促した。
「帰りますよ」
真琴が返事をする間もなく、彼は背を向けて歩き出した。
電車の座席に揺られながら、しばらくの沈黙。
やがて、律が隣でポツリと、吐き捨てるように言った。
「ねぇ、ダルい事言ってい?」
「……どうぞ?」
「それ、見たくねぇからリュックに入れるなり、ポケットにしまうなりしてほしいんだけど」
その「提案」に込められた子供じみた独占欲に、真琴は一瞬呆然としたが、すぐに口角が上がってしまうのを止められなかった。
「駄目です」
「はい!?」
「しまっちゃうと、大事な物みたいだからしまいたくないの」
「……意味わかんねぇんだけど」
律の怪訝な顔を見つめながら、真琴は優しく微笑む。
「スマホでやりとりしたくないから、返事は明日、直接言うつもり。『好きな人がいるからごめんな
さい』って」
それを聞いた律は、数秒の間を置いてから、深く重い溜め息をついた。
「そこ『好きな人』じゃなくて『彼氏』か『結婚してるから』に変えて?曖昧な言い方じゃ、相手は
諦めないから」
「いやいや、諦めるでしょ!私だったら諦めるっ」
「俺だったら、死んでも諦めない!」
律の真剣すぎる表情に、思わず見入ってしまった。
「嘘つかせて悪いけど、まじでそれだけは譲れない」
(……むちゃくちゃだ)
けれど、その強引さが、今の真琴にはたまらなく愛おしかった。
「……よくあるんですか?そういうの」
律がポツリと、刺々しさを少しだけ残した声で尋ねてきた。
「ないない!前に言いましたよね?モテたことないって」
「…実際モテてんじゃん。見知らぬ人からラブレターもらうとか、そんなあるもんじゃないでしょ」
律は不服そうに唇を尖らせる。
「本当に、たまたまだと思うよ」
「………普通に心配なんだけど」
ボソッと呟いた本音。律は感情のやり場に困ったように、右手で自分の首筋を乱暴にさすった。
視線を窓の外へ投げ、むくれた子供のように顔をしかめるその横顔は、いつもの冷静な『大佐』ではない。ただの、好きな人の動向に一喜一憂している、年相応の『男の子』の顔だった。
真琴は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、空いている左手を伸ばした。
そして、律のさらさらとした黒髪に触れ、頭をぽんぽんと二回、優しく叩いた。
「は?なにそれ、どういう感情?」
驚いたようにこちらを振り向く律に、真琴は顔をほころばせたまま答えた。
「可愛いなと思って」
「…………」
律は一瞬絶句した後、不満げに眉をひそめて、ぐいっと両腕を組んだ。
「……バカにしてんでしょ!俺はまじで、ソイツが引き下がらなかったらどうしようかとか考えてん
のに」
「いやいや、普通に引き下がるでしょっ」
「……もう知らねぇー」
お気楽な真琴に律はぷいっとそっぽを向くと、そのまま完全に沈黙してしまった。
いつもならここで律らしいちょっと意地悪な一言でも返ってきそうなものなのに、今はただの、本気で拗ねた男の子の横顔だった。
(あ、ヤバ、本気で怒らせたかな……?)
気まずさと、それ以上に「どうにかして機嫌を直してほしい」という愛おしさが込み上げてくる。
真琴は少しだけ迷ったあと、電車の揺れに合わせて、そっと、重力を預けるように律の肩に自分の頭を乗せた。
「……真琴さん?」
「……ごめん、調子乗った。藤堂さんが私のこと、心配してくれてるのが、なんか嬉しくって」
真琴の髪から、微かに甘いシャンプーの香りが律の鼻先をくすぐる。
「……ずっる。そういうこと言うの反則なんだけど」
律は小さく、吐き出すように呟いた。
肩に伝わる真琴の頭の重みと、そこから立ち上る甘い香りが、律の思考をさらにかき乱す。
(……この人、まじで分かってないんだろうな)
隣で幸せそうに目を細めている真琴は、きっと「気持ちが通じ合った」という事実だけで胸がいっぱいなのだ。
あの夜、二人で一つになったような感覚。
それだけで彼女の世界は完結していて、その先に「交際の定義」が必要だなんて、微塵も思っていない。
対して、律の膝の上にある右手は、所在なげにピクリと動いた。
(繋ぎたい……)
けれど、まだ正式に「付き合ってくれ」と言っていない自分に、はたしてその資格があるのか。
律は指先を迷わせた末、真琴のカーディガンの袖口を、迷子のような心細さできゅっと握りしめた。
形にこだわっている自分が馬鹿らしくなるほど、真琴から伝わってくる体温は温かくて、ひたむきだ。
律は深いため息をひとつ吐いて、ようやく憑き物が落ちたように肩の力を抜いた。
そして、自分の頭を真琴の頭の上に、そっと、慈しむように重ねる。
「……真琴さん」
「うん?」
「明日も、迎えに行ってい? ……もっと会いたいんだけど」
また誰かにラブレターなんて渡されないように。
今度はちゃんと、『外堀』じゃなく『本丸』を埋めに行く。
そんな静かな、けれど揺るぎない決意を秘めた律の声は、真琴にはただ、初夏の気配をはらんだ晩春の夜のまどろみに誘う甘い子守唄のように響いていた。
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