緋色の蛇は宵に咲く

羽純朱夏

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一章

拾肆話

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その夜、瑪瑙は夢を見ていた。
かつての自分の主が突然、聖域から消え去った時のことを。
神霊たちだけ残る聖域は、いずれ他の神に統治されてしまうかもしれない。
危機を感じ、仲間たちと手当たり次第彼女を探した。
だが、女神は見つかることなく、御神座にただ琵琶だけが残されていたーー。

柘榴が、“弁才天”は消滅したと口にしていた。
あの高貴な方が消滅するはずはないと、その時は思っていた。
だが、いくら時が経っても女神が聖域に戻ることはなかった。

『主様、どこに行かれたのですか?私はこれからどうすれば』

人の姿に顕現し、御神座の琵琶に触れた。
当時から彼女が奏で、自分たちに聞かせてくれていた楽器。
もう会えないのならーーせめて形見として、この琵琶を受け取っていいだろうかと、その時思った。

『貴女の大切なこの楽器を、いただいてもいいですか?』

そっと、風に混ざり鈴の音が鳴った気がした。

それから、自分はその琵琶を聖域で奏で出した。
しばらく仲間に聞かせていた頃ーーとある日を境に、聖域に翳りが見え始めた。
柘榴が新たな主となり、蛇の神霊たちは彼女の誘惑に堕ち、享楽にふけるようになっていった。
人が住まう村を守護する代わりに、贄をもらうという掟が、新たな主となった柘榴の命により撤廃された。
人の贄など取らず。人の世に関わることなく、ただ我ら蛇だけの聖域となった。
傍には翡翠が常に柘榴の傍に控え、人型を取ろうとした蛇には容赦ない仕打ちを施した。
琵琶を奏でることが難しくなりながらも、周りの目を盗んでは隠れて弾いていた。書物を読むことだけでは落ち着かず、ただ何かをしていないと、自分の存在意義がわからなくなっていった。

演奏を聴いていた仲間達は、次第に自分を否定するようになっていった。

『瑪瑙、もうその琵琶弾くのやめろよ。あの主は死んだんだ』
『そうだ。人の姿でなんて、恥だ!この蛇の聖域に人になる化け物などいらない』

『……っ。音を奏でることすら、もう許されないのか……』

とうとう、思うように琵琶を奏でられなくなり、人間に祟りをなすように命じられ、従う日々となった。
自分は香りも持たず力も弱くただ無力だった。歯向かうことすらできず、従わなければ殺される。
そんな日々に怯える毎日に、疲弊していた。
柘榴が気に入っていた、白蛇のあの方が聖域を自分の意思で抜け出した頃。
正直彼は、すぐに死ぬと思っていた。
それなのに、あの方は一人の番を見つけ幸せを得た。そして、柘榴を倒すまで力を持った。


自分も、彼女との幸せを得たいーー。最近ではそんな風に思ってしまう時がある。
互いで繋いだ腕紐の交信をしながら、彼女の日常・家族のこと、仕事の話など知っていった。
自分もどんなものに興味があるのかや、いつから演奏をしているのかなど些細なことを話していた。
朝と夜の挨拶だけはどんなに忙しくても彼女に伝えている。番だからだろうか、一日彼女の声を聞かないと落ち着かなくなっていた。
次の休みに会う約束をしたが、どこへ連れて行けばいいのか悩んでいる。

***

明け方になり、軒先に吊るされた風鈴の音で目を覚ます。
今日は風が強いのか、その音色は少し煩いほどだ。
ベットから起きると、楽器が立てかけられている部屋の中へと入る。
ギターや琵琶が並べられている中に唯一、紫の布が掛けられているものを手にする。
布を外すと、かつての主の使用していた琵琶が姿を現した。

「……」

ここで暮らし始めてから、滅多に弾くことはなくなっているが、時折、触れてはいる。
まるで蓋をしてしまったかのような主の物ーー。


再び、布をかけたところに着信が入る。

「はい、もしもし」

相手は、マネージャーからだった。

「わかりました。よろしくお願いします」

新曲の撮影の打ち合わせのため、支度を始める。
彼女ももう起きただろうかーー?
腕の紐にそっと、念じながら声をかける。

(紬さん、おはようございます。起きてますか?)

しばらくすると、彼女の声が響いてきた。

(おはようございます。瑪瑙さん……)

(まだ、眠そうですね。僕はこれから仕事です。お互い頑張りましょう)

(はい)

咄嗟に、彼女に声をかける。

(今度の休日、楽しみにしてます)

瑪瑙は紬との会話を終えると、打ち合わせのため目的の場所へと向かった。
個人で移動する時は交通機関は使わず、神社の神域から移動する形をとっている。
そのため、目的地にすぐに到着することができ、いつもマネージャーに驚かれている始末だ。

「もう少し、遅く出ればよかったですが。つい早く行動する癖が……」

予定時間までまだ時間があるため、近くの喫茶店へと足を運んだ。
中に入ると、平日だというのに、やけに恋人たちが多いと感じた。
一人カウンター席へと座り、コーヒーと卵サンドを注文する。
店内の曲を聞きながら、新曲についての撮影構成を練る。
単独での撮影ということもあり、これは毎度緊張する。
しばらくして、コーヒーと卵サンドが届く。それを口にしながら携帯のメモを開いた。

「水」「しなやかに揺れる影」「灯の光」「番」
イメージを考えながら、彼女に聞かせたあの一フレーズを思い出しながら。
不意に、周りの客の様子を眺める。
お互い楽しそうにしている様子を眺めて、ふと彼女のことを思い出す。
今度会う時、気さくに話すことができるだろうかーー?
当日緊張のあまり、顕現が解けることなく無事に過ごせるだろうか。

「困ったな……」

しばらく悶々と考え込んでいる間に、予定時間になった。
ビルの中に入り、三階の一室へと足を踏み入れる。

「あ、瑪瑙さん、おはようごさいます」

男性マネージャーである橘が声をかけてくる。すかさず会釈をし、挨拶をする。

「橘さん、おはようございます」
「瑪瑙さん、今日は怪我してないですよね?前の時すごく痛そうだったから」
「大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」
「あ、そういえば、この前また当たったんですよ、宝くじ!一万円なんですけど」

橘は嬉しそうに、瑪瑙に話しかける。瑪瑙はその話を聞いて、軽く笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。

「そうですか、おめでとうございます」
「へへっ、瑪瑙さんと会うとなんかいいことあるんですよね~不思議だ」
「気のせいでしょう」

数分して制作会社の関係者がやってきた。監督、カメラマンなど数名が揃った。
新曲に向けての自分が表現したい内容を伝え、相手側からの提案や意見を聞く。
緻密な打ち合わせが続いた後、撮影日が決定し、話を終えた。
帰り際の女性スタッフへ、瑪瑙はある質問を投げかけた。

「あの、教えてもらいたいのですが……」
「なんです?」
「デートスポットで、女性が好きそうな場所はどこでしょうか?」

一瞬、女性の目が大きく見開かれたのがわかった。
女性はしばらく考えた後、にこやかに返答した。

「そうですね、どこでもいいと思いますが、最初なら遊園地とか、水族館とか」
「遊園地……そうですか」
「私だったら、カフェや映画館が好きですけど。え、もしかして彼女ですか?」

女性スタッフの質問に、瑪瑙は冷静に答えを返した。

「いえ、知人が初めての彼女にどこへ連れて行けばいいのかと言われたので……」
「そうなんですね……てっきり貴方かと思いましたよ」

瑪瑙の返答に女性はがっかりした様子で、声をこぼした。
横で聞いていた別のスタッフが、話に割って入ってきた。

「なんだ、瑪瑙じゃないんだ。でもお前なら一番詳しいと思うのに」
「自分は音楽ばかりで、疎いんです」
「音楽が恋人って?紹介しようか?」
「いえ、気持ちだけ受け取っておきます。では、夜に向けてライブがあるので失礼します」

頭を下げて、瑪瑙はその場を後にする。
マネージャーと次の会場で会う約束をし、書店に立ち寄る。
先程スタッフに教えてもらった、夜におすすめの幻想的な“遊園地”、“水族館”を調べる。
昔から調べ物は苦ではない、むしろ知らないことを調べるのは楽しい。
旅行ガイド、デートスポットの雑誌を手当たり次第確認する。
彼女と過ごす日、喜んでもらうにはどこがいいだろうかと考える。

(ここにしよう……)

瑪瑙は場所を決めると書店を後にし、ただ歩き出した。

ーーー

その夜、ライブが幕を開ける。
本番前、メイク室にて関わるメンバーの一人が声をかけてきた。

「瑪瑙、この前お前からもらったお守りに助けられた。まじ助かった」
「そうですか、効いたならよかった」

以前共演した時、黒い気が見えていたため、魔除けとして守りを渡していた。
災いを免れたようで安心した。

「ほんと、お前って不思議な奴だよな。他のバンド仲間も言ってる。スタッフさんとかもさ、必ずお前に関わると良いことあるって」
「気のせいですよ……」

関わる者には感謝として少しの徳や加護を渡す。それが時折、大神に忠告されてしまうことなのだが、つい動いてしまう。
本番になり、ステージに立つ。個人の時とはちがう、圧倒的な観客の熱が押し寄せる。
ギターの弦に指を添え構えると、不意に彼女の気を感じたーー。

(紬さんーー?)

気の場所を確認し、彼女がいるのがわかる。
どうやら、姉と共に来ているようだ。

(瑪瑙さん、来てしまいました。頑張ってくださいね)

彼女の声が伝わることが嬉しく、微かに笑みがこぼれる。
軽く、その気の方向へ瑪瑙は視線を向けた。

(ありがとうございます。頑張ります……)

ドラムの音と共に演奏を始める。前方の観客は曲に乗って、拳を突き上げながらステージに向けて熱を送り出す。
今宵も、音に乗せて会場にいる者たちへ、密かに加護を送る。
激しくギターを掻き鳴らし、会場を煽っていく。
一曲ごとに、すべてに熱を注ぎながらーー。

***

ライブが終了し、関係者達との打ち上げが終わった後、帰路に着く。
神社の境内入ると、彼女の声が聞こえた。

(瑪瑙さん、もう帰りましたか?)

「えぇ、今帰ったところです。今日も来てくれて、ありがとうございました」

(今日もすごかったです。姉がすごく楽しそうでした)

「それはよかった。貴女は怪我しなかったですか?後方まで人が動いてましたから」

(大丈夫でした。まだちょっとあの雰囲気には、慣れないですが……)

彼女の声音が、少しだけ沈んだように感じた。ふと、日中考えていたデートの計画を伝える。

「そうだ。次会う時、水族館と遊園地に行きましょう」

(あ、いいですね……お願いします)

「では、今夜はこれで。おやすみなさい、紬さん」

(おやすみなさい)

ささいな会話をし交信を終えると、瑪瑙は暗闇に紛れ自分の家へと足を進めた。
次の休み、紬との時間を心待ちにしながらーー。
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