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一章
拾伍話★
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デート当日、紬は着ていく服装について悩んでいた。
ワンピースにするか、それともブラウスとスカートコーデで行くべきか、鏡の前で真剣に迷っていた。
アーティストである彼の隣を歩くなど、恐れ多く緊張して、昨夜はほぼ眠れなかった。
また、もし彼のファンに知られてしまったらという不安もある。
「瑪瑙さん、目立ちそうだからな……」
迷っているうちに約束の時間が近づいてくる。
(紬さん、おはようございます)
瑪瑙の声が、紬の意識に語りかけてきた。
(おはようごさいます!もう少ししたら向かいます)
(こちらは今から向かうところです。遅れても大丈夫なので、気を付けてきてください)
交信が消え迷った挙げ句、紬はカーキのブラウスと茶色のフレアスカートを着用し家を出た。
電車に乗り目的地へ向かう中、彼の曲をイヤホンで聞く。
何度も繰り返し聞いている琵琶の曲。
車窓の風景を眺めながら目的地に着くのを待つ。
秋が少しずつ進んでいるのか、山の一部が少し色づいているのがわかる。
だが、日中はまだまだ暑い。
しばらくして大きな観覧車が見えてきた。目的地の駅のアナウンスが車内に流れ現地に到着した。
駅を降り、待ち合わせである大きな広場に向かった。辺りを見渡していると花の香りが香ってきた。
香りの先には私服姿の男が一人立っている。
緊張しながらも、彼の傍に近づいた。近づいてくる気配に気づいたのか、相手も視線をこちらに向けた。
「おはようございます。瑪瑙さん」
「……おはようございます。紬さん」
今日の瑪瑙は、つばの広い帽子を被り、黒い縁の眼鏡をかけていた。
見たことのない彼の容姿に、紬は見惚れ、顔を赤くした。
「今日は、眼鏡なんですね」
「あぁ……念の為、僕を知る人達に知られないよう隠そうと思いまして……日中なんで」
「知られたら大変ですからね……」
「では、行きましょうか。紬さん、手を繋いでもいいですか?」
そっと、瑪瑙の掌が差し出された。紬は胸の鼓動が高鳴りながらも、彼の掌に自分の手を添えた。
ゆっくりと現地へと歩き出す。不意に彼の横顔を見ると、微かに耳元が赤く染まっている気がした。
現地に到着すると、瑪瑙はどちらに向かうか紬に訪ねた。
この施設は、水族館と遊園地が併用されたテーマパークになっているようだ。
「紬さんはまず、どちらに行きたいですか?」
「えと、そうですね。日中は少し暑いので水族館にしませんか?」
「わかりました。ではチケットを買ってきますので、ここで待っていてください」
「はい」
彼がチケット列へ並ぶのを確認した時、耳元で不気味な声が聞こえた。
『お前は瑪瑙のすべてを、番として受け入れられるのか?』
「え??」
『あれは人の皮を被った蛇神。化け物だぞ?』
じわりと背筋に冷たい気が伝わるのを感じる。
「っ……」
何かが近くにいるーー。
身体に震えが湧き上がり、咄嗟に、耳元を塞いだ。その声は粘着質をもつように笑いを含みながら囁き続ける。
『弱々しい番め。教えてやる。番となった者は神にその身をすべて捧げるということだ……』
(捧げるーー?)
『異形のものと交わりを持つこと。まだ生娘のお前に耐えられるか?』
(交わり……)
『そう、深く身体を交わらせ、喰われるようにーー』
ある物語で読んだことがあるような内容だと紬は思った。神に対して生贄を捧げ、その生贄は人々の為に犠牲となり喰われるものーー。
彼は神だが、自分を喰らうなんて信じられない。信じたくない。
(そんなこと……瑪瑙さんに限ってそんなことしません)
きっと、大丈夫だと心に言い聞かせると、彼の声がした。
「紬さん!!紬さん!どうしたんですか」
「あ……瑪瑙さん」
彼に身を揺さぶられ、我に返った。
先程の薄気味悪い声は、途絶えていた。
身の震えが止まらず、不意に彼の手を握りしめた。
その震えを感じたのか、そっと身を引き寄せられた。
「震えてます。何か感じたんですか?とりあえず、中に入ったら椅子に座りましょう」
「……変な声が聞こえました。霊がいたかもです」
「……大丈夫。僕がいます。離れないほうがよかったですね。気が利かずすみません」
水族館の中に入り、近くにあった椅子に腰掛けた。
瑪瑙はずっと紬の手を握っていた。温かな手の温もりと香りに心が次第に落ち着いてくる。
「瑪瑙さん、ありがとうございます」
「いえ、時間は十分あります。ゆっくり行きましょう」
彼女に危害を加えた者は誰だったのか。
彼女の気を通して、探り寄せる。すると、緑の気にたどり着く、間違いない……奴だ。
(翡翠……よくも)
彼女の背に手を回し、そっと抱き寄せた。
どこまでも心が汚い者だと瑪瑙は思った。徐々に番である彼女にまで狙い始め、危害を加えようとしている。
危険に晒すことだけは、避けなければ。
「瑪瑙さん、もう大丈夫です。行きましょう」
「はい。紬さん、貴女を傷つけさせません。絶対に……」
彼女の手を取り、最初の水槽のもとへと向かった。
まずは、小さな魚たちが泳ぐ水槽から眺める。
光に照らされ、色鮮やかな色彩を放つ姿を、瑪瑙はそっと見つめた。
紬は隣で瑪瑙を見つめた。
水槽越しに、魚たちの動きを目で追いながら立ちつくしている。
暗く柔い光の中でも、彼の姿に神聖さを感じてしまう。
彼は、神社に住む蛇神。“人ではない”ーー。
彼独自の香りを感じるのも、自分が“番”であるからで。本来なら決して隣にいることなどないと思う人。
ライブの時とは違い、プライベートの姿の彼の隣に立っているということが奇跡だと思う。
紬は先程の声を思い出す。
「番とはその身を捧げ、異形のものと交わること」
(もし、本来の蛇の姿で交わることになったらーー?)
すると、彼の手が強く握られるのがわかった。
花の香りが一瞬濃くなった気がした。
「紬さん、次、行きましょう」
彼に聞こえてしまったのでは?と紬ははっとした。
だが、瑪瑙は何も言うことなく、次のエリアへと歩いていく。
今度は、アザラシやペンギンたちのエリアへと入る。
アザラシの一部は、仲が良いように二匹で寄り添っていた。
「あれは、番ですかねーー?」
そう彼が口にする。
「どうでしょう?雄と雌いるようですけど」
「……種族が一緒の方がいいですよね。やはり……」
心の声を悟られないよう、蓋をする。
彼女は、翡翠に何かを吹き込まれたのだろうーー。
彼女の心の声を一部聞いてしまった。蛇の姿で交わるなど、したいとも思わない。
だが、番を得てもこの関係は何も進展していない気がする。
彼女のことを守りたいと思うほど、欲のまま壊すのが怖い。
本能による発情は落ち着いたが、もし交わることになればどうなるかわからないーー。
完全な人の身ではない、異形の姿を晒す時がきたらーー。
これから先も、共に過ごしたいと願っているはずなのにーーー。
「瑪瑙さん?」
「……すみません。可愛いですね。海の生き物たちも」
彼女と過ごすことができ、嬉しいはずなのに。何処か苦しいのは何故なのか。
「瑪瑙さん、次はあっちに行ってみましょう」
「えぇ……」
次の空間へ足を踏み入れると、海の生物が何匹かいる多くの小型水槽エリアに入った。
そこで、彼女がある場所へ駆け寄る。
「瑪瑙さん、ウミヘビです。瑪瑙さんと同じ仲間ですかね?」
「あぁ、確かウミヘビには二種類いて……。こちらは、ヒレがないので、同じ仲間ではありますが……猛毒ですよ。噛まれたら危険です」
「知りませんでした。さすが、物知りですね」
無邪気に話す彼女は、そっとその水槽の様子を眺めた。
「……可愛い」
不意に言葉を漏らす。すると、彼女が振り返った。
「あ、何か言いました?」
「……い、いえ、そうだ。そろそろお昼なので、ご飯食べませんか?」
「そうですね。このエリアを見たら何か食べましょう」
一通り見た後に、レストランへ向かう。
お昼ということもあり、店内は賑わっていた。
なんとか、座ることができメニュー表を見ながら、二人で考える。
「紬さんは何を食べますか?」
「そうですね、私はオムライスにしようと思います」
「いいですね、僕もそうします」
「え、オムライスでいいんですか?」
彼が意外にも自分と同じオムライスを注文するなんて驚きだ。もっとお洒落なものを食べると思っていたのに。
紬は瑪瑙を見ると、彼は表情を崩すことなく不思議そうに視線を向けた。
「え?変ですか?卵料理は好きなんで……」
しばらくして、料理が届くと二人で食べ始めた。
瑪瑙は目の前に映る紬を、伏し目がちに見つめた。
美味しそうに食べる姿を見て、頬に熱を持つのを感じ、顔を伏せた。
するとその様子を見たのか、彼女が声をかけてくる。
「瑪瑙さん、どうしたんですか?」
「ごめんなさい……何でもありません」
他の席にいる人々の様子を見ると、自分の掬った料理を相手の口元へと向けている光景が目に入った。
相手は照れながらも口を大きく開け、口に含んでいる。
しばらく様子を見ながら手元にあるコーヒーを口に含むと、思わずむせてしまった。
その場で酷く咳き込んでしまう。
「ちょっ、瑪瑙さん!水飲みますか?」
「っ、すみません。大丈夫……紬さん、口を開けてください」
自分のオムライスを掬い取ると、彼女に向けて差し出す。思わず手が動いてしまった。
彼女は少し固まりながら、困惑する表情を浮かべた。そして、小声で呟く。
「え?は……はい」
彼女の口が軽く開くと、そっと口元へと運んだ。
「美味しい……です」
「そうですか」
彼女は顔を赤らめながら、口を動かしている。その様子に思わず見惚れてしまう。
すると、彼女自身もオムライスを掬い取ると、自分の元へと差し出してきた。
「瑪瑙さんも、どうぞ……」
予想していなかったことが起こり瑪瑙も困惑したが、同じ様に口を開けた。
「……っ!は……い……」
お互い、スプーン越しの口移しを交わす。
瑪瑙の表情が赤く染まり、冷静さを装ってる顔が少し緩んだ。
「何ですか……貴女は、本当に……」
「す、すみません。つい、お返ししないと、と思いまして……」
「っ……いや、嬉しいです。今はその、あまり見ないでください。変な顔をしてる気がします」
眼鏡を外し、顔を伏せる。
先程までの不安が、一瞬にして消えてしまった。
徐々に彼女が可愛く思えてしまう。番とはそんなものだろうかーーー?
すると、彼女はくすりと笑いそっと呟いた。
「瑪瑙さん、可愛いです……」
「な、可愛い……?何を言ってるんですか!可愛いのは貴女です」
「え!!」
つい大声を上げてしまい、周囲の目線がこちらに注がれるのがわかった。
「あ、申し訳ありません……はぁ……」
彼女の前で失態を見せてしまったと思い、自分に失望する。
それでも目の前の彼女は、にこやかに呟いた。
「瑪瑙さんの、新しい一面が見れました」
「紬さん、君って人は……」
瑪瑙は髪をくしゃりと押さえながら、軽いため息をついた。
でも、不思議と心地がいい。
残りの食事を済ませると、残りのエリアへと足を進めた。
クラゲが浮かぶ巨大な水槽に、音楽と映像が流れている。
色鮮やかに光を浴び、幻想的に輝いている。
「綺麗……」
「そうですね……」
静かな曲が耳に流れ込んでくる。切ないような、温かいような。
瑪瑙は、その曲をつい鼻歌交じりに口ずさんだ。
紬は、瑪瑙の鼻歌を聞き、どこでも音に集中する方なのだと思った。
この人の世界には常に音がある。
ずっと昔から、音を愛し続けていた神ーー
(瑪瑙さんにとって私は……)
紬がふと考えた時、傍にいる瑪瑙は静かに口を開いた。
「紬さん、僕は……貴女に恋をしました」
「……え」
「きっと、僕は君以外、好きになることはないと思います」
照明が青く灯ると、一層クラゲの色が光に発光し、輝いた。
紬の手が取られ、瑪瑙の口元へと添えられる。
「番という縛りではなく、一人の女性として貴女がいいです」
「……瑪瑙……さ」
「交わりなんて、なくてもいい。心で通じていられるならそれでいい」
「やっぱり、聞いてたんですか……」
「はい。貴女を、道具の様に扱いたくありません。もし、また発情という欲に苛まれても、耐えてみせます」
瑪瑙の指先が紬の輪廓をなぞった後、彼の口元が紬の唇へ寄せられようとした。
香りと共に近づく彼に、紬は咄嗟に目を閉じた。
だが、後ろから人が近づいてきたのを感じ、瑪瑙は瞬時に身を引いた。
「すみません、行きましょうか……」
「あ……はい」
最後のエリアでは、二人沈黙のまま、エイやマンボウなど、巨大な魚が浮かぶ光景を眺め、その場を後にした。
出口付近に行くと、お土産コーナーが目についた。
「見ていきますか?」
「少しだけ」
ぬいぐるみが沢山並べられている中で、先程見たクラゲの栞が目に留まった。
ステンドグラスのような、青く綺麗なクラゲの絵が描かれている。
手に取り見ていると、不意に瑪瑙に栞を取られた。
「気に入りましたか?お礼として買いますよ」
「え。あ、そんな……」
「いいから。では会計を済ませましょう」
朝の時の様に離れることはなく、瑪瑙は紬と共にレジへと向かった。
購入を終えると、その栞を紬に差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます。使わせてもらいます」
「では、次は遊園地に行きましょうか」
瑪瑙と紬は水族館を後にし、遊園地の場所へと歩き出した。
ワンピースにするか、それともブラウスとスカートコーデで行くべきか、鏡の前で真剣に迷っていた。
アーティストである彼の隣を歩くなど、恐れ多く緊張して、昨夜はほぼ眠れなかった。
また、もし彼のファンに知られてしまったらという不安もある。
「瑪瑙さん、目立ちそうだからな……」
迷っているうちに約束の時間が近づいてくる。
(紬さん、おはようございます)
瑪瑙の声が、紬の意識に語りかけてきた。
(おはようごさいます!もう少ししたら向かいます)
(こちらは今から向かうところです。遅れても大丈夫なので、気を付けてきてください)
交信が消え迷った挙げ句、紬はカーキのブラウスと茶色のフレアスカートを着用し家を出た。
電車に乗り目的地へ向かう中、彼の曲をイヤホンで聞く。
何度も繰り返し聞いている琵琶の曲。
車窓の風景を眺めながら目的地に着くのを待つ。
秋が少しずつ進んでいるのか、山の一部が少し色づいているのがわかる。
だが、日中はまだまだ暑い。
しばらくして大きな観覧車が見えてきた。目的地の駅のアナウンスが車内に流れ現地に到着した。
駅を降り、待ち合わせである大きな広場に向かった。辺りを見渡していると花の香りが香ってきた。
香りの先には私服姿の男が一人立っている。
緊張しながらも、彼の傍に近づいた。近づいてくる気配に気づいたのか、相手も視線をこちらに向けた。
「おはようございます。瑪瑙さん」
「……おはようございます。紬さん」
今日の瑪瑙は、つばの広い帽子を被り、黒い縁の眼鏡をかけていた。
見たことのない彼の容姿に、紬は見惚れ、顔を赤くした。
「今日は、眼鏡なんですね」
「あぁ……念の為、僕を知る人達に知られないよう隠そうと思いまして……日中なんで」
「知られたら大変ですからね……」
「では、行きましょうか。紬さん、手を繋いでもいいですか?」
そっと、瑪瑙の掌が差し出された。紬は胸の鼓動が高鳴りながらも、彼の掌に自分の手を添えた。
ゆっくりと現地へと歩き出す。不意に彼の横顔を見ると、微かに耳元が赤く染まっている気がした。
現地に到着すると、瑪瑙はどちらに向かうか紬に訪ねた。
この施設は、水族館と遊園地が併用されたテーマパークになっているようだ。
「紬さんはまず、どちらに行きたいですか?」
「えと、そうですね。日中は少し暑いので水族館にしませんか?」
「わかりました。ではチケットを買ってきますので、ここで待っていてください」
「はい」
彼がチケット列へ並ぶのを確認した時、耳元で不気味な声が聞こえた。
『お前は瑪瑙のすべてを、番として受け入れられるのか?』
「え??」
『あれは人の皮を被った蛇神。化け物だぞ?』
じわりと背筋に冷たい気が伝わるのを感じる。
「っ……」
何かが近くにいるーー。
身体に震えが湧き上がり、咄嗟に、耳元を塞いだ。その声は粘着質をもつように笑いを含みながら囁き続ける。
『弱々しい番め。教えてやる。番となった者は神にその身をすべて捧げるということだ……』
(捧げるーー?)
『異形のものと交わりを持つこと。まだ生娘のお前に耐えられるか?』
(交わり……)
『そう、深く身体を交わらせ、喰われるようにーー』
ある物語で読んだことがあるような内容だと紬は思った。神に対して生贄を捧げ、その生贄は人々の為に犠牲となり喰われるものーー。
彼は神だが、自分を喰らうなんて信じられない。信じたくない。
(そんなこと……瑪瑙さんに限ってそんなことしません)
きっと、大丈夫だと心に言い聞かせると、彼の声がした。
「紬さん!!紬さん!どうしたんですか」
「あ……瑪瑙さん」
彼に身を揺さぶられ、我に返った。
先程の薄気味悪い声は、途絶えていた。
身の震えが止まらず、不意に彼の手を握りしめた。
その震えを感じたのか、そっと身を引き寄せられた。
「震えてます。何か感じたんですか?とりあえず、中に入ったら椅子に座りましょう」
「……変な声が聞こえました。霊がいたかもです」
「……大丈夫。僕がいます。離れないほうがよかったですね。気が利かずすみません」
水族館の中に入り、近くにあった椅子に腰掛けた。
瑪瑙はずっと紬の手を握っていた。温かな手の温もりと香りに心が次第に落ち着いてくる。
「瑪瑙さん、ありがとうございます」
「いえ、時間は十分あります。ゆっくり行きましょう」
彼女に危害を加えた者は誰だったのか。
彼女の気を通して、探り寄せる。すると、緑の気にたどり着く、間違いない……奴だ。
(翡翠……よくも)
彼女の背に手を回し、そっと抱き寄せた。
どこまでも心が汚い者だと瑪瑙は思った。徐々に番である彼女にまで狙い始め、危害を加えようとしている。
危険に晒すことだけは、避けなければ。
「瑪瑙さん、もう大丈夫です。行きましょう」
「はい。紬さん、貴女を傷つけさせません。絶対に……」
彼女の手を取り、最初の水槽のもとへと向かった。
まずは、小さな魚たちが泳ぐ水槽から眺める。
光に照らされ、色鮮やかな色彩を放つ姿を、瑪瑙はそっと見つめた。
紬は隣で瑪瑙を見つめた。
水槽越しに、魚たちの動きを目で追いながら立ちつくしている。
暗く柔い光の中でも、彼の姿に神聖さを感じてしまう。
彼は、神社に住む蛇神。“人ではない”ーー。
彼独自の香りを感じるのも、自分が“番”であるからで。本来なら決して隣にいることなどないと思う人。
ライブの時とは違い、プライベートの姿の彼の隣に立っているということが奇跡だと思う。
紬は先程の声を思い出す。
「番とはその身を捧げ、異形のものと交わること」
(もし、本来の蛇の姿で交わることになったらーー?)
すると、彼の手が強く握られるのがわかった。
花の香りが一瞬濃くなった気がした。
「紬さん、次、行きましょう」
彼に聞こえてしまったのでは?と紬ははっとした。
だが、瑪瑙は何も言うことなく、次のエリアへと歩いていく。
今度は、アザラシやペンギンたちのエリアへと入る。
アザラシの一部は、仲が良いように二匹で寄り添っていた。
「あれは、番ですかねーー?」
そう彼が口にする。
「どうでしょう?雄と雌いるようですけど」
「……種族が一緒の方がいいですよね。やはり……」
心の声を悟られないよう、蓋をする。
彼女は、翡翠に何かを吹き込まれたのだろうーー。
彼女の心の声を一部聞いてしまった。蛇の姿で交わるなど、したいとも思わない。
だが、番を得てもこの関係は何も進展していない気がする。
彼女のことを守りたいと思うほど、欲のまま壊すのが怖い。
本能による発情は落ち着いたが、もし交わることになればどうなるかわからないーー。
完全な人の身ではない、異形の姿を晒す時がきたらーー。
これから先も、共に過ごしたいと願っているはずなのにーーー。
「瑪瑙さん?」
「……すみません。可愛いですね。海の生き物たちも」
彼女と過ごすことができ、嬉しいはずなのに。何処か苦しいのは何故なのか。
「瑪瑙さん、次はあっちに行ってみましょう」
「えぇ……」
次の空間へ足を踏み入れると、海の生物が何匹かいる多くの小型水槽エリアに入った。
そこで、彼女がある場所へ駆け寄る。
「瑪瑙さん、ウミヘビです。瑪瑙さんと同じ仲間ですかね?」
「あぁ、確かウミヘビには二種類いて……。こちらは、ヒレがないので、同じ仲間ではありますが……猛毒ですよ。噛まれたら危険です」
「知りませんでした。さすが、物知りですね」
無邪気に話す彼女は、そっとその水槽の様子を眺めた。
「……可愛い」
不意に言葉を漏らす。すると、彼女が振り返った。
「あ、何か言いました?」
「……い、いえ、そうだ。そろそろお昼なので、ご飯食べませんか?」
「そうですね。このエリアを見たら何か食べましょう」
一通り見た後に、レストランへ向かう。
お昼ということもあり、店内は賑わっていた。
なんとか、座ることができメニュー表を見ながら、二人で考える。
「紬さんは何を食べますか?」
「そうですね、私はオムライスにしようと思います」
「いいですね、僕もそうします」
「え、オムライスでいいんですか?」
彼が意外にも自分と同じオムライスを注文するなんて驚きだ。もっとお洒落なものを食べると思っていたのに。
紬は瑪瑙を見ると、彼は表情を崩すことなく不思議そうに視線を向けた。
「え?変ですか?卵料理は好きなんで……」
しばらくして、料理が届くと二人で食べ始めた。
瑪瑙は目の前に映る紬を、伏し目がちに見つめた。
美味しそうに食べる姿を見て、頬に熱を持つのを感じ、顔を伏せた。
するとその様子を見たのか、彼女が声をかけてくる。
「瑪瑙さん、どうしたんですか?」
「ごめんなさい……何でもありません」
他の席にいる人々の様子を見ると、自分の掬った料理を相手の口元へと向けている光景が目に入った。
相手は照れながらも口を大きく開け、口に含んでいる。
しばらく様子を見ながら手元にあるコーヒーを口に含むと、思わずむせてしまった。
その場で酷く咳き込んでしまう。
「ちょっ、瑪瑙さん!水飲みますか?」
「っ、すみません。大丈夫……紬さん、口を開けてください」
自分のオムライスを掬い取ると、彼女に向けて差し出す。思わず手が動いてしまった。
彼女は少し固まりながら、困惑する表情を浮かべた。そして、小声で呟く。
「え?は……はい」
彼女の口が軽く開くと、そっと口元へと運んだ。
「美味しい……です」
「そうですか」
彼女は顔を赤らめながら、口を動かしている。その様子に思わず見惚れてしまう。
すると、彼女自身もオムライスを掬い取ると、自分の元へと差し出してきた。
「瑪瑙さんも、どうぞ……」
予想していなかったことが起こり瑪瑙も困惑したが、同じ様に口を開けた。
「……っ!は……い……」
お互い、スプーン越しの口移しを交わす。
瑪瑙の表情が赤く染まり、冷静さを装ってる顔が少し緩んだ。
「何ですか……貴女は、本当に……」
「す、すみません。つい、お返ししないと、と思いまして……」
「っ……いや、嬉しいです。今はその、あまり見ないでください。変な顔をしてる気がします」
眼鏡を外し、顔を伏せる。
先程までの不安が、一瞬にして消えてしまった。
徐々に彼女が可愛く思えてしまう。番とはそんなものだろうかーーー?
すると、彼女はくすりと笑いそっと呟いた。
「瑪瑙さん、可愛いです……」
「な、可愛い……?何を言ってるんですか!可愛いのは貴女です」
「え!!」
つい大声を上げてしまい、周囲の目線がこちらに注がれるのがわかった。
「あ、申し訳ありません……はぁ……」
彼女の前で失態を見せてしまったと思い、自分に失望する。
それでも目の前の彼女は、にこやかに呟いた。
「瑪瑙さんの、新しい一面が見れました」
「紬さん、君って人は……」
瑪瑙は髪をくしゃりと押さえながら、軽いため息をついた。
でも、不思議と心地がいい。
残りの食事を済ませると、残りのエリアへと足を進めた。
クラゲが浮かぶ巨大な水槽に、音楽と映像が流れている。
色鮮やかに光を浴び、幻想的に輝いている。
「綺麗……」
「そうですね……」
静かな曲が耳に流れ込んでくる。切ないような、温かいような。
瑪瑙は、その曲をつい鼻歌交じりに口ずさんだ。
紬は、瑪瑙の鼻歌を聞き、どこでも音に集中する方なのだと思った。
この人の世界には常に音がある。
ずっと昔から、音を愛し続けていた神ーー
(瑪瑙さんにとって私は……)
紬がふと考えた時、傍にいる瑪瑙は静かに口を開いた。
「紬さん、僕は……貴女に恋をしました」
「……え」
「きっと、僕は君以外、好きになることはないと思います」
照明が青く灯ると、一層クラゲの色が光に発光し、輝いた。
紬の手が取られ、瑪瑙の口元へと添えられる。
「番という縛りではなく、一人の女性として貴女がいいです」
「……瑪瑙……さ」
「交わりなんて、なくてもいい。心で通じていられるならそれでいい」
「やっぱり、聞いてたんですか……」
「はい。貴女を、道具の様に扱いたくありません。もし、また発情という欲に苛まれても、耐えてみせます」
瑪瑙の指先が紬の輪廓をなぞった後、彼の口元が紬の唇へ寄せられようとした。
香りと共に近づく彼に、紬は咄嗟に目を閉じた。
だが、後ろから人が近づいてきたのを感じ、瑪瑙は瞬時に身を引いた。
「すみません、行きましょうか……」
「あ……はい」
最後のエリアでは、二人沈黙のまま、エイやマンボウなど、巨大な魚が浮かぶ光景を眺め、その場を後にした。
出口付近に行くと、お土産コーナーが目についた。
「見ていきますか?」
「少しだけ」
ぬいぐるみが沢山並べられている中で、先程見たクラゲの栞が目に留まった。
ステンドグラスのような、青く綺麗なクラゲの絵が描かれている。
手に取り見ていると、不意に瑪瑙に栞を取られた。
「気に入りましたか?お礼として買いますよ」
「え。あ、そんな……」
「いいから。では会計を済ませましょう」
朝の時の様に離れることはなく、瑪瑙は紬と共にレジへと向かった。
購入を終えると、その栞を紬に差し出した。
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