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一章
拾陸話★
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遊園地へと移動し、どのアトラクションから乗るか、二人は話し合っていた。
「どうしましょう」
「そうですね、瑪瑙さんはジェットコースターは乗りますか?」
「遊園地は初なんで、紬さんが乗りたいものへ乗ります」
紬は迷いながら、最初に乗るものを決めた。
「では、この空中ブランコに乗りましょう」
「わかりました」
二人乗りのブランコに座ると、当然身体が密着する。
紬は瑪瑙との距離に、若干緊張しながら、動き出すのを待っていた。
先程、あのクラゲの水槽での出来事をーー。花の香りと共に、彼の唇が近づいたと思った。
「恋をした」と彼は言った。
私は、彼のことをどう思うのかーー?
ファンとして彼を好きなのはもちろんだが、番として好きなのかーー。
この惹かれている気持ちは好きといってもいいのだろうかーー?
紬は瑪瑙に対する自分の気持ちに迷っていた。
ふと、彼の手が自分の手を握るのがわかった。
ただ握るだけではない。指を絡ませるように握られる。
「め、瑪瑙さん?」
「少し不安なんで、こうさせてください」
「は、はい……」
「ありがとうございます。そろそろ、動き出しますね」
スタート音が鳴り、ゆっくりとブランコが動き出す。
最初はゆっくりと、そして徐々にスピードを早めて、上へと上がっていく。
風を感じながら、紬は、瑪瑙の横顔へと目を向けた。横にいる瑪瑙は瞳を閉じていた。
その様子に心配になった紬は声をかけた。
「大丈夫ですか?瑪瑙さん。苦手でしたか?」
「いえ、大丈夫。風がとても気持ちいいです」
「よかった……」
「蛇は飛べませんからね。こんな体験ができ嬉しいです。ありがとう、紬さん」
瑪瑙は穏やかに微笑し、景色に目を向けた。
紬も同じ様に外の景色へ目を向けた。
姉に連れられていったあの場所で、彼を知り。
不思議な糸で繋がれたかのように、番として彼の傍にいる。
日常の会話で交わされる言葉が毎日温かく、自分のために、特別に弾く音色を聴けて嬉しく思う。
ずっと番に会うのを願っていた彼の、心の拠り所になれているならこんなに嬉しいことはない。
腕に巻かれた紐の交信を通じて、少しずつ彼のことを知っていった。
彼は、蛇神だ。
音を通じて、人々に何かを与えている心優しい神。
本当に、彼が番である自分に恋をしているというのならーー。
こんな気持ちを神である彼に抱くのは、失礼かもしれない。
でも許されるなら……この気持ちを伝えてもいいだろうか。心の中で紬は呟いた。
(私も瑪瑙さんが、好き……)
紬は顔を赤らめながら、顔を伏せた。
心の声が聞こえてしまったかもしれない。
だがもう一層、ばれてしまってもいいと思った。
上段にいた位置から下降し始め、速度がゆっくりと落ちていく。
定位置に止まると瑪瑙は沈黙のまま、紬の手を繋いだままの状態で歩き出した。
「あの、瑪瑙さん。次はどこに?」
「あれがいいです。ジェットコースターに乗りましょう」
正直、紬はあまり得意なアトラクションではなかったが、瑪瑙のために乗る決心をした。
順番がきて乗り込むと、バーが降ろされる。
ジェットコースターに乗り込んだのは何年ぶりだろうか。
前回乗った時もしばらく足の震えが止まらなかった記憶がある。
おまけに、横にいる彼の前で大声を挙げてしまうかもしれない。
「あの、大声出したらすみません……」
「大声は慣れてますので、大丈夫です。……若干、僕も緊張してきました」
スタッフの合図により、乗り物が動きだす。
ゆっくりと動いていく中、しばらくして下降する。
「きゃーっ!!」
恐怖のあまり、声を発する。横にいる彼は、何もないかのように平然としていた。
周りを見る余裕もなく下を向いていると、速度がゆっくりとしながら、上へと登っていく。
下降していく恐怖で、紬はバーを強く握った。
数秒後、乗り物は勢いよく滑り落ちた。
「っ……!!」
自分が叫ぶ声に混じりながら、彼が少しだけ声を漏らしたように聞こえた。
停車した時には、やはり足が震えていた。
乗り物から降りると、瑪瑙は気分を悪くしたようで、頭を手で抑えながら呟いた。
「……少し怖かったです。頭が痛くなりました」
「大変、座って少し休みましょう」
途中飲み物を購入し、ベンチに腰掛けた。
まだ若干暑さもあったため、スポーツドリンクを彼に渡す。
「瑪瑙さん、どうぞ」
「……ありがとうございます」
瑪瑙は飲み物を口に含むと、ベンチの背に身体を預けた。
天を仰ぐように、視線を空に向けると傍で話しだした。
「紬さん、今日は見苦しい姿ばかり見せてますね……情けない」
「そんな、全然見苦しくなんてありません。いろんな一面が見れて楽しいですよ」
「……僕も貴女の無邪気な姿が見れて楽しい。いい休日を過ごせてます」
澄んだ赤褐色の瞳が、自分に向けられる。
普段表情をあまり出さない彼が、ふっと笑みを零している姿に見惚れてしまう。
「好きです……紬さん」
「っ、えっ……」
「貴女は僕に力をくれる……番とは神にとって、傍にいるだけで力が湧く存在なのだと思います」
「役に立ててるなら嬉しいです」
頬を赤らめ恥じらう彼女の手に、先程と同じように指を絡める。
伝わる体温が心地よく。自分の胸の内へと閉じ込めてしまいたくなる。
この時間が終わるのが惜しいほど。
遥か昔、女神が口にしていた『苦しみを伴う……』の言葉を思い出す。
香りを発した時から、自分の身の変化による苦しみ、そして番への感情の苦しみーー。
好きになってしまったら、一層欲しくなるーー。
一方で、不安も募る。
翡翠が再び彼女に襲いかかるかもしれない。
奇妙な怪事件は未だ起こり続けている。
もし柘榴まで復活してしまったら、人々に危害を加えるに違いない。
また、琥珀殿の番であった鈴殿のようにーー僕の番である彼女を狙うだろう。
それだけは絶対に、防がなければいけない。
紬の手の甲に口づけを落とし、瑪瑙は誓いを立てるように呟いた。
「番である貴女を、私は邪悪なものから守り抜きます」
***
いくつかのアトラクションを巡っている内に日は沈んでいき、すっかり夜になった。
観覧車の時計が、十九時近くをさしていた。
そんな時、彼女の身が不意に強張るのがわかった。
「瑪瑙さん、嫌な予感がします」
「どうしました?」
「近くに何かいる気配がします……」
彼女の感じ取ったものに気を手繰り寄せ、瘴気の影が見えた。
園内にいる何者かが狙われようとしている。
「紬さん、貴女を巻き込みたくありませんが、共に来てもらえますか?」
「わかりました」
二人で黒い瘴気の元へと走る。園内を流れる排水溝から黒い瘴気が溢れているのがわかる。
翡翠たちによるものだと一目でわかる。
発生場所は水に関する場所。これまで自分が祓っている中で確信したことだ。
人々に危害が及ばない内に自身の神気を、根源である箇所に放った。
浄化と同時に、黒い瘴気は散り散りと靄になり消えた。
瑪瑙が瘴気を浄化する場面を初めてみた見た紬は、感動したかのように目を輝かせた。
「すごい、瑪瑙さん……」
「……少々疲れました。紬さん、最後に観覧車に乗りませんか?」
「わかりました、乗りましょう」
乗り場へと向かい、観覧車に乗り込んだ。
紬は当然のように向かいに座ろうとしたーー。
けれど、瑪瑙は自然な動きで隣に腰を下ろした。
「え、あれ……」
戸惑いかけた声が漏れたが、彼はいつものように淡々とした表情で窓の外を見ていた。
肩が、思いのほか近い。
ゴンドラがゆっくりと空へと登っていく。街の喧騒は遠ざかり、風の音と機械の低い唸りだけが耳に残る。
「……夜景、綺麗ですね」と紬が話しかけると、彼は僅かに頷いた。
「えぇ、ですが……」
そこまで言って、彼はそっと視線を横に向ける。
「この夜景よりも、僕は……貴女と言葉を交わしながら過ごす時間の方が綺麗に思えます」
思わぬ言葉に、紬の鼓動が跳ねる。
「少しずつ、貴女のことを知り、愛しさが込み上げてきます」
彼の声は静かで、だけど確かな熱を帯びていた。
「紬さんは……僕のこと、どう思ってますか?」
突然の問いかけに、紬は頬に熱を感じながらも、目を逸らさずに返した。
「先程、聞かれていたかもしれませんが……私も瑪瑙さんのこと……好きに……ううん。好きです」
「……嬉しい。ありがとう」
不意に、彼が紬の肩を寄せてきた。まるで羽のように軽く、でも紬の肩に重みがかかる。
金木犀の香りが混じり、鼓動が高鳴ってくる。
「め、瑪瑙さん?」
「……少しだけ。このまま」
「……はい」
しばらくして、紬が小さく呼びかけても、彼の返事はない。ふと覗き込むと、彼の目は静かに閉じられていた。
ーー眠ってる?
演奏に、収録に、神としての努めに。
きっと想像以上に疲れていたのだろう。けれどその寝顔は、儚くて、美しくて……。
息のかかる距離にある横顔を、紬は見つめた。
まつ毛の長さ、ほんのり紅を差したような唇。その全てが神とは思えないほど、優しい表情をしていた。
「瑪瑙さん、いつも頑張っていて凄いです」
そう呟きながら、紬はそっと、寄り添う肩に自分の頭を預けた。
ゴンドラの中、静かに夜風が吹き抜ける。二人の影が重なり、まるでそれが一つの光となって、夜空に溶けていくようだった。
観覧車が、ゆっくりと地上へ戻っていく。
紬は肩に眠る瑪瑙の重みを感じながら、ただ静かにその瞬間を味わっていた。もうすぐ地上へ着いてしまう。そう思った矢先ーー
ふ、と肩の感触が変わった。
彼に視線を向けると、顔に鱗が見えだし、人ではないものに変わっていく。次第に小さな影になり、赤みを帯びた美しい鱗。細く、しなやかな身体。目の前で、瑪瑙が人の姿を解いてしまっていた。
「……えっ!!」
声にならない息が、喉の奥で引っかかる。
彼は完全に蛇の姿になっていて、それでもなお、ぐっすりと眠っているように動かない。
ーーなんでこんな時に!
慌てる気持ちを抑え込み、紬は観覧車のドアが開く直前に、カーディガンをすっと脱ぎ、彼の身体をそっと包む。まるで大切なものを隠すように。
「……大人しくしててくださいね」
そう囁きながら、カーディガンの中で丸まる瑪瑙を抱えて、できるだけ目立たぬよう足早に観覧車を後にした。
遊園地の片隅にあるベンチまで来ると、ようやく深く息を吐く。
明かりの届かぬ木陰で、紬はそっと膝に彼を乗せた。
瑪瑙は蛇のまま、まだ夢の中にいるようだった。
「もう、本当に……びっくりするじゃないですか」
誰にも聞かれないような声で呟くと、彼の身体に指先でそっと触れる。
滑らかな鱗が、月の光を微かに反射している。小さく、温かく、そして確かに生きている。
「だけど、この姿を見せてくれるなんて……信頼されてるってことですかね……?」
その重みを膝に受けながら、紬は夜風の吹く静けさの中に身を置いた。
誰にも見つからない場所で、彼の眠りを守るように、ただ傍で座っている。
二人だけの静かな時間。遊園地の華やかな音は遠く、代わりに虫の声と、風が木々を揺らす音だけが耳に届いていた。
カーディガンの中の彼が、少しだけ動いた。
眠りながら紬の膝にくるりと身体を巻き付けるような仕草をとる。
「……瑪瑙さんて、実は甘えん坊?」
紬は微笑んだ。その瞳には、赤い蛇神と過ごす、柔らかい温もりが映っていた。
風の匂いが変わった。
どこか、夜の終わりを告げるような、涼やかさ。
瑪瑙はゆっくりと意識を浮上させ、見慣れない景色と、顔に触れる柔らかな布の感触に気づいた。
ーー?何だ。膝枕?
目を開けると、自分は彼女の膝の上にいる。
驚きで瞬時に、布から這い出る。
『紬さん、すみません。僕は……』
「あ、瑪瑙さん起きましたか?観覧車の中で、突然眠ってしまって、気づいたら蛇になってましたよ」
その瞬間、瑪瑙の表情は凍りついた。
『そんなっ……なんという失態を……また』
瑪瑙は人に顕現すると、肩を震わせ、顔を覆い、ゆっくりと項垂れる。
顔は真っ赤だった。いつもの冷静さはどこにもなく、完全に取り乱していた。
「……僕は、貴女の前ではちゃんとしていたかったのに……」
その言葉が真剣で。紬は思わず笑いそうになったが、でもこらえた。そっと、彼の肩に手を置いた。
「気にしませんよ。私、少し嬉しかったです。信頼されてるんだなって」
その言葉に、瑪瑙の身体がぴくりと揺れた。
同時に、遊園地の閉園のアナウンスが流れ出し始めた。
「……貴女の家まで送ります」
顔を伏せたまま、瑪瑙がぽつりと言った。
「え、でも瑪瑙さんも明日仕事ですよね?私は一人でも平気なんで」
「いえ、もう遅いのに、一人で帰らせるわけにはいかない。……送らせてください」
「ありがとうございます。じゃあ、お願いします」
紬が立ち上がると、瑪瑙もそっと後をついて歩き出す。
二人の休日はあっという間に過ぎていくのだった。
「どうしましょう」
「そうですね、瑪瑙さんはジェットコースターは乗りますか?」
「遊園地は初なんで、紬さんが乗りたいものへ乗ります」
紬は迷いながら、最初に乗るものを決めた。
「では、この空中ブランコに乗りましょう」
「わかりました」
二人乗りのブランコに座ると、当然身体が密着する。
紬は瑪瑙との距離に、若干緊張しながら、動き出すのを待っていた。
先程、あのクラゲの水槽での出来事をーー。花の香りと共に、彼の唇が近づいたと思った。
「恋をした」と彼は言った。
私は、彼のことをどう思うのかーー?
ファンとして彼を好きなのはもちろんだが、番として好きなのかーー。
この惹かれている気持ちは好きといってもいいのだろうかーー?
紬は瑪瑙に対する自分の気持ちに迷っていた。
ふと、彼の手が自分の手を握るのがわかった。
ただ握るだけではない。指を絡ませるように握られる。
「め、瑪瑙さん?」
「少し不安なんで、こうさせてください」
「は、はい……」
「ありがとうございます。そろそろ、動き出しますね」
スタート音が鳴り、ゆっくりとブランコが動き出す。
最初はゆっくりと、そして徐々にスピードを早めて、上へと上がっていく。
風を感じながら、紬は、瑪瑙の横顔へと目を向けた。横にいる瑪瑙は瞳を閉じていた。
その様子に心配になった紬は声をかけた。
「大丈夫ですか?瑪瑙さん。苦手でしたか?」
「いえ、大丈夫。風がとても気持ちいいです」
「よかった……」
「蛇は飛べませんからね。こんな体験ができ嬉しいです。ありがとう、紬さん」
瑪瑙は穏やかに微笑し、景色に目を向けた。
紬も同じ様に外の景色へ目を向けた。
姉に連れられていったあの場所で、彼を知り。
不思議な糸で繋がれたかのように、番として彼の傍にいる。
日常の会話で交わされる言葉が毎日温かく、自分のために、特別に弾く音色を聴けて嬉しく思う。
ずっと番に会うのを願っていた彼の、心の拠り所になれているならこんなに嬉しいことはない。
腕に巻かれた紐の交信を通じて、少しずつ彼のことを知っていった。
彼は、蛇神だ。
音を通じて、人々に何かを与えている心優しい神。
本当に、彼が番である自分に恋をしているというのならーー。
こんな気持ちを神である彼に抱くのは、失礼かもしれない。
でも許されるなら……この気持ちを伝えてもいいだろうか。心の中で紬は呟いた。
(私も瑪瑙さんが、好き……)
紬は顔を赤らめながら、顔を伏せた。
心の声が聞こえてしまったかもしれない。
だがもう一層、ばれてしまってもいいと思った。
上段にいた位置から下降し始め、速度がゆっくりと落ちていく。
定位置に止まると瑪瑙は沈黙のまま、紬の手を繋いだままの状態で歩き出した。
「あの、瑪瑙さん。次はどこに?」
「あれがいいです。ジェットコースターに乗りましょう」
正直、紬はあまり得意なアトラクションではなかったが、瑪瑙のために乗る決心をした。
順番がきて乗り込むと、バーが降ろされる。
ジェットコースターに乗り込んだのは何年ぶりだろうか。
前回乗った時もしばらく足の震えが止まらなかった記憶がある。
おまけに、横にいる彼の前で大声を挙げてしまうかもしれない。
「あの、大声出したらすみません……」
「大声は慣れてますので、大丈夫です。……若干、僕も緊張してきました」
スタッフの合図により、乗り物が動きだす。
ゆっくりと動いていく中、しばらくして下降する。
「きゃーっ!!」
恐怖のあまり、声を発する。横にいる彼は、何もないかのように平然としていた。
周りを見る余裕もなく下を向いていると、速度がゆっくりとしながら、上へと登っていく。
下降していく恐怖で、紬はバーを強く握った。
数秒後、乗り物は勢いよく滑り落ちた。
「っ……!!」
自分が叫ぶ声に混じりながら、彼が少しだけ声を漏らしたように聞こえた。
停車した時には、やはり足が震えていた。
乗り物から降りると、瑪瑙は気分を悪くしたようで、頭を手で抑えながら呟いた。
「……少し怖かったです。頭が痛くなりました」
「大変、座って少し休みましょう」
途中飲み物を購入し、ベンチに腰掛けた。
まだ若干暑さもあったため、スポーツドリンクを彼に渡す。
「瑪瑙さん、どうぞ」
「……ありがとうございます」
瑪瑙は飲み物を口に含むと、ベンチの背に身体を預けた。
天を仰ぐように、視線を空に向けると傍で話しだした。
「紬さん、今日は見苦しい姿ばかり見せてますね……情けない」
「そんな、全然見苦しくなんてありません。いろんな一面が見れて楽しいですよ」
「……僕も貴女の無邪気な姿が見れて楽しい。いい休日を過ごせてます」
澄んだ赤褐色の瞳が、自分に向けられる。
普段表情をあまり出さない彼が、ふっと笑みを零している姿に見惚れてしまう。
「好きです……紬さん」
「っ、えっ……」
「貴女は僕に力をくれる……番とは神にとって、傍にいるだけで力が湧く存在なのだと思います」
「役に立ててるなら嬉しいです」
頬を赤らめ恥じらう彼女の手に、先程と同じように指を絡める。
伝わる体温が心地よく。自分の胸の内へと閉じ込めてしまいたくなる。
この時間が終わるのが惜しいほど。
遥か昔、女神が口にしていた『苦しみを伴う……』の言葉を思い出す。
香りを発した時から、自分の身の変化による苦しみ、そして番への感情の苦しみーー。
好きになってしまったら、一層欲しくなるーー。
一方で、不安も募る。
翡翠が再び彼女に襲いかかるかもしれない。
奇妙な怪事件は未だ起こり続けている。
もし柘榴まで復活してしまったら、人々に危害を加えるに違いない。
また、琥珀殿の番であった鈴殿のようにーー僕の番である彼女を狙うだろう。
それだけは絶対に、防がなければいけない。
紬の手の甲に口づけを落とし、瑪瑙は誓いを立てるように呟いた。
「番である貴女を、私は邪悪なものから守り抜きます」
***
いくつかのアトラクションを巡っている内に日は沈んでいき、すっかり夜になった。
観覧車の時計が、十九時近くをさしていた。
そんな時、彼女の身が不意に強張るのがわかった。
「瑪瑙さん、嫌な予感がします」
「どうしました?」
「近くに何かいる気配がします……」
彼女の感じ取ったものに気を手繰り寄せ、瘴気の影が見えた。
園内にいる何者かが狙われようとしている。
「紬さん、貴女を巻き込みたくありませんが、共に来てもらえますか?」
「わかりました」
二人で黒い瘴気の元へと走る。園内を流れる排水溝から黒い瘴気が溢れているのがわかる。
翡翠たちによるものだと一目でわかる。
発生場所は水に関する場所。これまで自分が祓っている中で確信したことだ。
人々に危害が及ばない内に自身の神気を、根源である箇所に放った。
浄化と同時に、黒い瘴気は散り散りと靄になり消えた。
瑪瑙が瘴気を浄化する場面を初めてみた見た紬は、感動したかのように目を輝かせた。
「すごい、瑪瑙さん……」
「……少々疲れました。紬さん、最後に観覧車に乗りませんか?」
「わかりました、乗りましょう」
乗り場へと向かい、観覧車に乗り込んだ。
紬は当然のように向かいに座ろうとしたーー。
けれど、瑪瑙は自然な動きで隣に腰を下ろした。
「え、あれ……」
戸惑いかけた声が漏れたが、彼はいつものように淡々とした表情で窓の外を見ていた。
肩が、思いのほか近い。
ゴンドラがゆっくりと空へと登っていく。街の喧騒は遠ざかり、風の音と機械の低い唸りだけが耳に残る。
「……夜景、綺麗ですね」と紬が話しかけると、彼は僅かに頷いた。
「えぇ、ですが……」
そこまで言って、彼はそっと視線を横に向ける。
「この夜景よりも、僕は……貴女と言葉を交わしながら過ごす時間の方が綺麗に思えます」
思わぬ言葉に、紬の鼓動が跳ねる。
「少しずつ、貴女のことを知り、愛しさが込み上げてきます」
彼の声は静かで、だけど確かな熱を帯びていた。
「紬さんは……僕のこと、どう思ってますか?」
突然の問いかけに、紬は頬に熱を感じながらも、目を逸らさずに返した。
「先程、聞かれていたかもしれませんが……私も瑪瑙さんのこと……好きに……ううん。好きです」
「……嬉しい。ありがとう」
不意に、彼が紬の肩を寄せてきた。まるで羽のように軽く、でも紬の肩に重みがかかる。
金木犀の香りが混じり、鼓動が高鳴ってくる。
「め、瑪瑙さん?」
「……少しだけ。このまま」
「……はい」
しばらくして、紬が小さく呼びかけても、彼の返事はない。ふと覗き込むと、彼の目は静かに閉じられていた。
ーー眠ってる?
演奏に、収録に、神としての努めに。
きっと想像以上に疲れていたのだろう。けれどその寝顔は、儚くて、美しくて……。
息のかかる距離にある横顔を、紬は見つめた。
まつ毛の長さ、ほんのり紅を差したような唇。その全てが神とは思えないほど、優しい表情をしていた。
「瑪瑙さん、いつも頑張っていて凄いです」
そう呟きながら、紬はそっと、寄り添う肩に自分の頭を預けた。
ゴンドラの中、静かに夜風が吹き抜ける。二人の影が重なり、まるでそれが一つの光となって、夜空に溶けていくようだった。
観覧車が、ゆっくりと地上へ戻っていく。
紬は肩に眠る瑪瑙の重みを感じながら、ただ静かにその瞬間を味わっていた。もうすぐ地上へ着いてしまう。そう思った矢先ーー
ふ、と肩の感触が変わった。
彼に視線を向けると、顔に鱗が見えだし、人ではないものに変わっていく。次第に小さな影になり、赤みを帯びた美しい鱗。細く、しなやかな身体。目の前で、瑪瑙が人の姿を解いてしまっていた。
「……えっ!!」
声にならない息が、喉の奥で引っかかる。
彼は完全に蛇の姿になっていて、それでもなお、ぐっすりと眠っているように動かない。
ーーなんでこんな時に!
慌てる気持ちを抑え込み、紬は観覧車のドアが開く直前に、カーディガンをすっと脱ぎ、彼の身体をそっと包む。まるで大切なものを隠すように。
「……大人しくしててくださいね」
そう囁きながら、カーディガンの中で丸まる瑪瑙を抱えて、できるだけ目立たぬよう足早に観覧車を後にした。
遊園地の片隅にあるベンチまで来ると、ようやく深く息を吐く。
明かりの届かぬ木陰で、紬はそっと膝に彼を乗せた。
瑪瑙は蛇のまま、まだ夢の中にいるようだった。
「もう、本当に……びっくりするじゃないですか」
誰にも聞かれないような声で呟くと、彼の身体に指先でそっと触れる。
滑らかな鱗が、月の光を微かに反射している。小さく、温かく、そして確かに生きている。
「だけど、この姿を見せてくれるなんて……信頼されてるってことですかね……?」
その重みを膝に受けながら、紬は夜風の吹く静けさの中に身を置いた。
誰にも見つからない場所で、彼の眠りを守るように、ただ傍で座っている。
二人だけの静かな時間。遊園地の華やかな音は遠く、代わりに虫の声と、風が木々を揺らす音だけが耳に届いていた。
カーディガンの中の彼が、少しだけ動いた。
眠りながら紬の膝にくるりと身体を巻き付けるような仕草をとる。
「……瑪瑙さんて、実は甘えん坊?」
紬は微笑んだ。その瞳には、赤い蛇神と過ごす、柔らかい温もりが映っていた。
風の匂いが変わった。
どこか、夜の終わりを告げるような、涼やかさ。
瑪瑙はゆっくりと意識を浮上させ、見慣れない景色と、顔に触れる柔らかな布の感触に気づいた。
ーー?何だ。膝枕?
目を開けると、自分は彼女の膝の上にいる。
驚きで瞬時に、布から這い出る。
『紬さん、すみません。僕は……』
「あ、瑪瑙さん起きましたか?観覧車の中で、突然眠ってしまって、気づいたら蛇になってましたよ」
その瞬間、瑪瑙の表情は凍りついた。
『そんなっ……なんという失態を……また』
瑪瑙は人に顕現すると、肩を震わせ、顔を覆い、ゆっくりと項垂れる。
顔は真っ赤だった。いつもの冷静さはどこにもなく、完全に取り乱していた。
「……僕は、貴女の前ではちゃんとしていたかったのに……」
その言葉が真剣で。紬は思わず笑いそうになったが、でもこらえた。そっと、彼の肩に手を置いた。
「気にしませんよ。私、少し嬉しかったです。信頼されてるんだなって」
その言葉に、瑪瑙の身体がぴくりと揺れた。
同時に、遊園地の閉園のアナウンスが流れ出し始めた。
「……貴女の家まで送ります」
顔を伏せたまま、瑪瑙がぽつりと言った。
「え、でも瑪瑙さんも明日仕事ですよね?私は一人でも平気なんで」
「いえ、もう遅いのに、一人で帰らせるわけにはいかない。……送らせてください」
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紬が立ち上がると、瑪瑙もそっと後をついて歩き出す。
二人の休日はあっという間に過ぎていくのだった。
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