緋色の蛇は宵に咲く

羽純朱夏

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一章

※拾漆話※★

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静かな夜道。二人は寄り添うように歩き、やがて紬の家の前に辿り着いた。

「ここです。ありがとうございました」

紬が鍵を取り出そうとした、その時ーー。

「あの……今夜、泊まってもいいですか?」

唐突に、静かな声で、瑪瑙が言った。
紬は一瞬きょとんとした後、顔を真っ赤に染め上げた。

「え、えぇっ……!と、泊まるって……」
「あ……ち……違います!」

瑪瑙は慌てて言い直した。

「そういう意味ではなくて……その、貴女のことが心配で……このまま帰したくないとか、そういう不躾な意図は一切なくて……!」

瑪瑙は、うまく言葉を紡ごうとしたが、何を伝えたいのか戸惑い焦ったように声を発した。ただ確実なのは、まだ共にいたいという気持ちだけは強く残っていた。

二人して、顔を赤くしながら、目を合わせられずに立ち尽くす。
やがて、紬が小さく笑った。

「じゃぁ……冷えますし、一緒にお茶でも飲んでから……帰りますか?」

瑪瑙は彼女の返答に安堵したように、ほんの少しだけ笑ったように答えた。

「えぇ、ありがたく……」

どこか照れくささを滲ませながら、二人は玄関の扉を開けて中へと入っていった。
部屋に上がると紬は即座に部屋の明かりをつけた。

紬の部屋は、落ち着いた木目の家具と、柔らかな照明が心地よい。

「あ、瑪瑙さん。少々散らかってますが、座ってください。お茶淹れますね」
「ありがとうございます。いい部屋ですね……貴女らしい」

そう言って微笑んだ瑪瑙の目は、どこか穏やかで、だがふとした瞬間、影が差すような翳りを見せた。

ーー(番の味を、知ったか?)

以前、翡翠たちと対峙した時、柘榴の放ったその言葉が、頭に浮かんできた。

「……番の味……か」

瑪瑙がぽつりと呟き、紬が首を傾げた。

「……何か言いました?」
「いえ、少し考え事を……」
「これ、お気に入りの紅茶です。口に合うかわかりませんが」
「いただきます」

瑪瑙は紅茶の入ったカップを手に取り一口飲むと、そっとカップを置いた。
そして、目を逸らすように窓の外を見やる。紬の家の前の道は、人通りも少なく静かだ。

「……普段なら今頃、一人で演奏している頃ですが、貴女と一日こうして過ごすのも悪くないです」
「よかったです」
「ただ、失態だらけで……そこが唯一の反省です」

未だに引きずっているのか、瑪瑙は悔しげな表情を見せた。
カップの飲み物を全て飲み切ると、瑪瑙は椅子から立ち上がり、紬の傍へと近づいた。

ーー帰らなければ、けれど……離れがたい。

胸の内でぐるぐると巻かれる葛藤を、彼は言葉にせず、ただ静かに耐えていた。
部屋の時計は、約二時間ほどで、日付の境をまたごうとしている。

そんな瑪瑙に、紬がそっと声をかける。
部屋の奥からは、お風呂が沸く音が流れていた。

「あの、私、ちょっとお風呂に入ってきてもいいですか?」

彼女の言葉に、思わず言葉がこぼれ落ちた。

「一緒に入ったら……駄目ですか?」

紬の身が固まる。
瑪瑙が発した一言に、紬の顔が一気に赤く染まる。

「え。え……?」

見つめる紬に、瑪瑙は珍しく、視線を逸らしたまま、うつむいて答えた。

「身体が冷えたので、少しでも早く温まりたいんです。蛇の姿になりますので……」

「え、いやその……蛇だとしても……どうしよう」

紬は、なすすべもなくその場に立ち尽くす。
顔が熱い。思わず両手で顔を覆った。

「……ただ、もう少し傍にいたい。貴女を絶対見たりしません。触れたりもしない……」

瑪瑙の声は、どこか切なさを帯びていた。

「わ、わかりました……私ももう少し、一緒にいたい……ので。でも、一緒にお風呂は困ります……」

声が震え、恥ずかしさで肩が小刻みに揺れる。

その様子を見て、瑪瑙は少しだけ口元を緩めた。

「わかりました。なら、どちらから入りましょうか?」
「そ、それなら瑪瑙さんから先にどうぞ……私は後から入りますので……」
「では、お言葉に甘えて……」

そう言うと、彼は浴室へと向かった。
ふと紬は思った。蛇の姿といえど、どのように入るのだろうーーと。
あの時膝に乗せていた大きさだと、湯船に浸かることができるのだろうか。
考えている間に、浴室の扉が開く音がした。
紬は気になり、その場に近づいた。

浴槽から水が溢れる音が聞こえたため、少しだけ扉を開き、こっそりと様子を伺う。
湯気がぼうっと立ち込める浴室の中、ぽたりぽたりと水音が響いていた。

蛇となった瑪瑙が、ゆるりと尾をくゆらせ、湯の中で緩やかに体を曲げる。

『ふぅ……』

どこか気の抜けたような、小さな吐息。

彼の姿は、普段の凛とした佇まいとは程遠く、無防備でーー何より正直、可愛らしかった。

「う……か、かわ……」

扉の隙間から、そっと覗き見る紬は、心の中で葛藤していた。

(これ以上……見ちゃだめ。瑪瑙さんを覗き見なんて……私、最低!!)

だけどーー。

「可愛い……」

呟いてしまった。

蛇の尾が、くるりと一度丸まり、湯の縁を枕のように使って小さく頭を乗せる仕草。ついでに、体のうねりを利用してお湯の表面を波立たせて遊んでいる。

「ぷかぷか、浮いてる……」

その動き一つが、ふわふわしていて、どこか愛おしい。しかし、紬はふと我に返る。

(可愛いけど……瑪瑙さん男の人だし。しかも、神様でっ!!)

頬がまた熱くなる。目線が宙を彷徨い、彼がこちらに気づいていないかと何度も確かめた。

幸い、今の瑪瑙は風呂の心地よさに溶けてしまったようで、完全にリラックスモードだった。お湯に半分沈み、気持ちよさそうにしている。
蛇の姿でも、彼の存在感はまるで変わらない。

(瑪瑙さん……蛇の貴方も可愛い……いえ、素敵……)

そう思っていた時ーー。

『紬さん、聞こえてます。……覗き見なんて悪い人だ……』
「あ、ご、ごめんなさい!」

どうやら、腕紐により心の声が伝わってしまったらしい。その紐の存在すら頭になかった。
尾で水を叩く音がして、瑪瑙から声がかかる。

『紬さんも、こちらへ。別々に入ろうと思ってましたが……僕を覗いたのだから、罰として、共に入ってもらいます』
「えっ、い……いや。もう見ませんから!上がるの待ってます!」

すると、扉の隙間から金木犀の香りが香り始める。

『紬さん……貴女が来るまで、僕はここから出ません。それとも……逃げて、僕をのぼせさせるならそれでもいいですが……明日の仕事に支障がでたら、困るな……』
「っ~~そんな。えぇ……」

いくら蛇といえど……異性と共に入ることなど、紬は生まれてこの方なかった。
緊張してしまい。肩が震える。
蛇の姿であろうとも、人の時の、神々しい彼の姿を想像してしまう。

(瑪瑙さんは、大人だからきっと大丈夫……入ったところで何も。見ないって、触れたりしないって約束してくれたし……)

このまま彼が、湯船の中でのぼせてしまうのもまずいと思い、紬は覚悟をして服を脱ぎ捨てる。
一応視線が気になり、バスタオルで身体を包む。目の前の扉を開ければ、彼の姿が目に入るのは確実だ。
心臓の音が早く頭の中に響く。

「……あの、入るので。絶対、見ないでください……ね」
『えぇ、顔は伏せておきます……』

扉を開けると、彼は奥の浴槽の縁で蜷局を巻いて蹲(うずくま)っている。
顔は隠されたままだった。

「……ふぅ」

軽く息を吐き、紬は椅子に腰掛けシャワーを流す。
シャワーの水滴とともに、髪を洗い始める。
背後にいる彼に見られていないか、恥ずかしさを感じながらーー。
まったく、リラックスして入れたものではない。
さっと、シャンプーを洗い流すと、コンディショナーを髪に浸透させるように塗る。
その間に、軽く背後にいる赤い蛇の様子を伺う。赤い蛇は、変わらず蜷局を巻いたまま蹲っていた。
確認した後、バスタオルを外すと、全身を洗い始めた。

紬が身体を洗うのを集中している間に、瑪瑙の身体がしゅるりと動く。

(見ないと言ってましたが……僕も少しだけ貴女を見ます)

彼女には聞こえないように呟く。
綺麗な白い肌、濡れた髪ーー。甘い香りに包まれた女の匂い。
眠っていた欲が溢れそうになる。だが、手を出さないように必死に堪える。
ここで手を出せば信頼を失ってしまいそうだ。だけど……無性に触れたくなる。

『……こんなの生殺しです』

好意のある番を前にしたら、理性をこらえるのに必死だ。
番の味が知りたくなるーー。

『……ごめんなさい紬さん。少しだけ……』

シャワーを洗い流していると、背後に冷たいものが這う感触がした。

「きゃっ!え、め、瑪瑙さん?」

『……すみません。貴女を目にしたら身体が勝手に動いてしまって……』

「も、触らないって約束……っ」

瑪瑙の身体が、紬の身体に巻き付くように絡みつく。
金木犀の花の香が濃厚に香り、浴室を満たしていく。
巻き付く力が強く、彼の体温が高いのを感じる。振り払おうともびくともしない。

「駄目、瑪瑙さん!」

水族館に立ち寄った際に聞こえていた。あの言葉が浮かぶーー。

『番となった者は神にその身を捧げることーー』
『異形のものと交わりを持つことーー』

神に逆らうことはできない。だけど、まだ自分には覚悟ができていない。
やがて、首筋に彼の顔が当たるのがわかる。なぞるような舌の感触がし、擽ったさで身体が敏感に反応する。

「嫌っ……瑪瑙さん、私……まだ心の準備が!!」

大声を上げると、瑪瑙の動きが止まり、絡められていた身体が、ゆっくりと開放された。

『……怖がらせてしまいましたね。つい、衝動が抑えられず……』
「こちらこそ、大声をだして、ごめんなさい……」
『いえ、触れないと言ったのに、約束を破ってしまいました。怒って当然です』

浴室の空気が一瞬静まり返った。
不意に寒気を感じ、くしゃみがでる。どうやら冷えてしまったようだ。
紬は温まろうと、瑪瑙を肩に乗せたまま浴槽に足を踏み入れた。

『僕は先に上がりますよ……これ以上は貴女を、傷つけそうなんで……』

切なげな声を残し、肩から滑り落ちそうになる瑪瑙の身を、紬は咄嗟に抑える。蛇の身が一瞬跳ねた。
なんて口にしたらいいかわからない。だけど、彼を傷つけてしまったに違いないーー。
紬は思わぬことを呟いた。

「……あの、瑪瑙さん、その……蛇での交わりはどうやってするんですか?」

咄嗟に浮かんだ疑問を彼に投げかける。番として、異形のものと交わることが必要ならば、どのように行うのだろうか。

瑪瑙は一瞬、顔を伏せた。呼吸が少しだけ深くなったのがわかる。
肩にいる瑪瑙の顔が、紬の顔に近づくと、少し間を置いてから、静かに口を開いた。

『……知りたいですか?』

瑪瑙は口元を紬の頬や額に軽く当てながら、囁くように語りだす。

『蛇の交わりは、番となったものと絡み合い。長時間愛し合います……』
「長時間……それってどのくらい?」
『……半日くらいか、一日中か』
「っ、い、一日……」

そんなにも時間をかけるというのか。未だ経験のない自分が、もし事に進んだとしたらーー。
受け入れたい気持ちがあるが、流石に一日中となると堪えれそうにない。
紬は瑪瑙の身体に視線を移すと、変な想像をしてしまった。

「そんな、どうしよう……」

紬が動揺している様子を見て、瑪瑙は微笑気味に話す。

『……安心してください。僕はこの姿で交わりたいとは思いません』
「え……」
『番を傷つけるのは嫌ですからね、それに、僕も覚悟が……』

もし事に及ぶ時が来た時ーー。果たして自分は激しい本能に飲まれてしまわないだろうか。
理性を無くし、我を忘れ、彼女をもし喰らってしまったら。
その不安だけが、ずっと心に残っている。
先程も我慢ができず、彼女の身に飛び込んでしまったのだからーー。
ふと、もう一つ蛇には誓いがあることを思い出した。

『また、蛇には誓いというものがあり。お互いの尾を巻き付けて結ばれます……』
「お互いを巻き付ける……?」
『そう、例えば……人である貴女にはこういう感じでしょうか?』

瑪瑙の身が肩から移動し、紬の腰元へと尾を巻き付けるように触れていく。
ひんやりとしながらも、どこか熱を持つ感触に紬の身が震える。
尾は優しく、そして確かに紬の腰に巻き付いた。
それはまるで、”抱く”という行為に限りなく近かった。

『……これが蛇の……誓いです』

正面に映る蛇の彼の声は、どこか震えていた。
だが、それ以上に熱を帯びている事に紬は気づく。
彼が纏う金木犀の香りも、自分を捉えて包むように感じ身体が熱を持つような感覚になる。

ふと、身体に触れている尾の内側ーー腹側の部分が、やや膨らんで当たっていることに気づいた。
そこだけ、僅かに硬く違和感を感じ、また熱を帯びているような感覚。
おまけに一つではない、二つのモノが動く感じがした。

(?……これは……何?)

違和感の残る感触に、紬は息を止めた。

『隠しきれないな……。どうやら、僕の身体は貴女を求めてしまうようです…っ…まだ……我慢します』
「え、それは、えと……つまり……」

問いただそうとした時、一瞬腰の締め付けが強くなった。そして、ほんのわずかな熱を残しながら、瑪瑙の尾がそっと解けていく。

『ご想像にお任せします……君には少し刺激が強すぎましたね』

瑪瑙が浴槽の縁へと這い上がると、再び蜷局を巻いて蹲ってしまった。
蛇である瑪瑙の熱と、奇妙な感触に触れた紬は頭の中が混乱気味になった。

(これって、つまり、あの……いわゆる。男の人の……!)

心の中で紬は叫ぶと、瑪瑙は静かに返答した。

『そう……君が今触れたのは……僕の急所ですよ……」

湯の熱さと、身体の熱さが混ざり紬は突然気を失った。

『紬さんーー!!』

気を失い湯船に沈んだ彼女を、瑪瑙は咄嗟に顕現し抱き上げた。
彼女の状態を確認しながら、すぐに浴室を出る。
神気を使い、お互いの身を整える。

「……まだ身体が熱い。すみません。紬さん」

紬をベッドに寝かせると、瑪瑙は手を彼女の額へと当てる。
また余計なことをしてしまったと反省する。
冷静でいなければならないのに、どうも彼女の前だと落ち着かない。
まさか、蛇のままで彼女に触れてしまうなど。同時に誓いを立ててしまうとは。

しばらくして、紬の意識が戻ったのか薄っすらと目を開けた。

隣には、人の姿の彼がいた。いつの間に着替えられていたのか?濡れていた髪もすっかり乾いている。
先程のことを思い出し、まだ恥ずかしさが残る。

「瑪瑙さん、私……ごめんなさい」
「すみません。僕……少し、強く触れすぎたかもしれません」
「いえ、そんなことないです。ちょっと……びっくりしましたけど……」
「番だからなのか……男の性(さが)なのか、貴女を見ると気持ちが抑えられなくなり、もっと深く結ばれたくなります」
「っ、そんなさらっと言わないでください……」

瑪瑙が平然と口にする言葉すべてに、紬は羞恥心が増し、いたたまれない気持ちになった。
瑪瑙は紬の反応を楽しむかのように笑みを零すと、彼女の額に己の額を当てた。
甘い花の香りが彼女を包むように、瑪瑙の手が優しく紬を抱き寄せた。

「瑪瑙さん?」
「……実際にこうして貴女に触れていると、妙に安心します」

香りが芽生えた際に起こった発情も、彼女の血を舐めたことにより、衝動が落ち着いた。
彼女との繋がりが持てたことにより不思議と力が湧く気がした。番は蛇神にとってかけがえのない存在なのだと思う。
各々が持つ蛇神の香りは特別ーー。決められた者しか香りを感じないのだから。
古い皮を脱ぎ捨て、新しく生まれ変わるような感覚がする。
番とはこんなにも離れがたく、特別な感情を抱いてしまうほど恐ろしいと思う。
あの方も番に対して、このような感情を抱いていたのだろうかと考える。

「紬さん、口づけをしてもいいですかーー?」
「……っ」

赤褐色の瞳が自身を捉える。その瞳に吸い込まれそうなくらい美しく、緊張してしまう。
けれど、彼に惹かれている。こんな自分が彼の傍にいていいものかという戸惑いは消えない。
それでもーーこの神が。この人が好意を持ってくれているのなら。

「は、はい……」



紬は静かに目を閉じた。彼の細い指先が頬をなぞり添えられる。やがて、彼の唇が重なった。
初めての口づけは優しく触れるような口づけだった。それから、額に、頬に軽く触れるだけの口づけを落とした。

「……このくらいにして、寝ましょうか」
「はい……」

「おやすみなさい。紬さん……」

いつも腕に付けて眠る香水の香りとは違う、本物の彼の花の香りを吸い込みながら、紬は瑪瑙の腕に抱かれて眠りについた。
心地よい彼の心音と、温かな温もりを感じながらーーー。
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