緋色の蛇は宵に咲く

羽純朱夏

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二章

弐話

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夢の中で、何かが近づいてくる気配がしたーー。
暗く淀んだ場所から、何かが這ってくるような感覚。まるで、彼に似た蛇のようなものが、迫ってくるようだ。

『何ーー?』

暗闇の中、声を発する。ただ、近づいてくる音だけが谺する。

『……蛇神と添い遂げるなど、無理なことだ』

遊園地に行った際、耳に過った声だと思った。
ここ数日、ずっと魘されている。

早く目を覚まさなければーー。

『瑪瑙さん……!』

夢の中で彼の名を呼んだ。だが、ただあの笑い声が響き渡るだけ。やがて足に何かが絡みつく感触がした。緑色の尾が映る。

『ふん、紬……俺達、蛇神と親しくするなどあってはならない。蛇神にとって番とは、単なる力を得る駒に過ぎない』
『……嫌!離してください!!』
『お前のせいで、あいつは穢れる……』
『やめて!!』

紬は叫びながら目を覚ました。額には汗が滲んでいる。このところ同じような夢を何度も見る。
自分が彼を穢すーー?
“番は力を得る駒”という言葉が、頭の中で引っかかっている。

ずっと、一緒にいたいとは思っていない。それは不可能だと理解している。自分は彼を支えたいだけだ。彼は神なのだから、いつか別れが来ることを受け入れなければならない時が来る。
あの人が必要としなくなるその時までーー。あの人の活躍を応援できるのなら。
窓の外には、微かに雪が舞っている。久々に積もりそうだ。
ふと、契を交わした夜のことを思い出す。自分だけに見せてくれた異形の証。そして、表情をーー。


『紬さん、おはようございます』

いつものように、彼からの交信が聞こえる。夢の話を彼に伝えていいか迷ったが、紬は話した。

「おはようございます。瑪瑙さん……」
『どうしました?元気がないようですが……』
「あの、最近変な夢を見てまして……」
『夢ーー?どんな』
「緑の蛇の尾に絡まれて……追い詰められるみたいに声が聞こえて……」

その言葉に、彼が息を飲む声が聞こえた。

『……紬さん、簪を常に傍に置いていてください。君を狙ってきている』
「狙って……?」
『傍にいれたらいいのですが、今日は都内で……そちらに迎えそうになく』


新しいアルバムが発表されて、多忙になっている彼に迷惑をかけられない。自分でなんとかするしかないと、紬は決意して彼に伝えた。

「大丈夫です。簪……しっかり身につけてますね」
『……えぇ。もし、あの者たちと接触した時は、僕を呼んでください!では、これで……』

交信が終わった後、瑪瑙は頭を抱え項垂れる。
彼女の夢の中に語りかけてくるようになるとはーー。

契の後から、不穏な空気がまた強くなった気がした。深夜、瘴気がいたるところで発生し、一日に数件、発生したことがある。主祭神である、大物主の調子もどこか悪そうな気がした。
翡翠が着実に動き出している。今いるこの場所の被害はないことを願いたいがーー。何が起こるかわからない。
何より、彼女の周りが心配でならない。

ドアを叩く音が聞こえ、マネージャーの橘が顔を覗かせる。

「お待たせしました。瑪瑙さん、今日も、お願いします!」
「はい……」
「どうしました?なんか表情暗い気が……」
「いえ、大丈夫です」

不安な思いを抱きながら、ラジオの収録現場へと向かった。

***

雪が降り積もる道を慎重に踏みしめ、今朝は仕事へと向かった。
仕事中、簪が目立っていたのか、同僚に声を掛けられる。

「天川さん、この簪綺麗ですね。どこのですか?」
「あ、これは貰い物で……」
「へ~彼氏ですか?」
「えっと……それは」

言葉に詰まっていると、相手は探るかのように話す。

「簪って確か、プロポーズや告白の意味ありますよね?もしや結婚?」

プロポーズという言葉に、思わず声をあげてしまう。まさか、彼にとってそんな意味はないはずだ。
ただ、自分を守るためだけのものーー。

「そんなことないですよ……」
「え~怪しいな~」

すると、自分の机の電話が鳴った。
素早く電話を取り、対応をする。同僚からの追求から逃れられて助かったと、紬は安堵した。
電話を終え、不意に窓の外を見ると、緑の物体が目についた。

「!!!」

それはあの夢で見たような、緑の蛇だった。こちらを睨んでいるように見ている。

「何で……」

すると、紬の周りの者達が次々に倒れだす。横にいた同僚も眠りについてしまう。

「ど、どうなってるの……起きてください!」

身体を揺すっても目覚めようとはしなかった。確実に自分が狙われていると思った。

「何で、ここに……」

窓にいるはずなのに、その姿は揺らぎ、室内へと忍び込んできた。緑の蛇は、少しずつ紬の下へ近づいてくる。
逃げなければーー。心臓が警告するように早鐘を打つ。

『紬、ずっと見ていたぞ……やっと近づけた』
「貴方は……瑪瑙さんの敵」
『……敵とは失礼だな。同朋と言ってもらおうか』

腕紐に手を充て、彼の名を呼ぶ。だが、仕事中なのか返事がない。
様子を見ている翡翠が、嘲笑うかのように冷たく声を放った。

『……番が危機だというのに、助けには来れぬか。可哀想に……お前は大事にされていないな』
「彼は……忙しいんです!」
『……番ならば、大事に傍に置いておくのが普通だというのに。これなら、簡単に奪えそうだ』

蛇の姿から人型に顕現すると、翡翠は紬の身を素早く床に組み敷いた。
緑の目に見下され、身が強張る。目の前にいる蛇神は、彼と同じ様に妖艶さを纏っているが、どこか加虐的な雰囲気を感じた。
禍々しい気を感じ、危険な存在だと感じる。だが、どれほど抵抗してもびくともしない。

「震える小動物みたいな反応だ……面白い。あぁ……血の穢れの臭いがする」
「っ……離して!!」

血の穢れーー?生理のことを言っているのだろうか。考えを過ぎらせていると、翡翠の手が紬の胸を強く掴んだ。

「痛っ!!」
「痛いか……?これだから、人間は弱い。お前を穢したら、あいつはどんな顔をするだろうな……?」
「なっ!!」
「教えてやろう……血の穢れがある時、神に近づけば、神の神気がすり減る」

紬はその事は前から知っていた。月経の時は、お互い会うことを避けていた。神にとっては、禁忌とされているらしい。それでも、交信だけは続けていた。

「接触を避けるとは、意思を交わすことも駄目だというのを聞かされていないのか?」
「……そんな」
「意思を交わすことすら、あいつの力は弱るのだ……お前が穢す」
「嘘……」

翡翠の手が、簪に触れる。赤い閃光が光り結界のように広がったが、怯むことなく、翡翠は簪を紬の髪から外す。
いとも簡単に外されてしまったことに、紬は動揺を隠せない。

「簪が……そんな」
「こんな弱い神気で、俺が怯むとでも思ったか」
「やめて!!返してください!」

翡翠の手元から、瞬時に簪を奪うと強く握りしめた。私は目の前の蛇神に襲われてしまうのか、恐怖がこみ上げる。
男の笑いに紛れ、女の声が谺しだした。
翡翠の胸元から、白い髪と紅い目の妖艶な女性の顔が覗いた。

「あぁ、柘榴様……出てこられますか」

柘榴という女性は、妖しく笑みを浮かべながら語りかけてきた。白色の髪に、緋色の目が美しく輝いている。だが、纏っている気は、翡翠同様淀んでいる。

「お前が、瑪瑙の番……初めましてと言うべきかしら?」
「……」
「やっぱり……琥珀の気を感じる」
「っ……」
「あぁ……琥珀は結局、人になって、あの鈴と結ばれた……そして、お前に血が続いているということか」

手が翡翠の身から伸び、紬の顔を掴むと、柘榴はそっと舌先で紬の輪廓をなぞるように舐めた。
身がゾッとする。手に持つ簪が震えるのがわかった。

「紬、番を降りて、瑪瑙を我ら神の世に返しなさい。本来、蛇神が人間と生きるなどあってはならぬのだから……」
「……瑪瑙さんは、皆のために。音を奏でてます!彼の意思を無視して返すなんて……」
「音……そんなもの、奏でたところで意味などないのに」

柘榴の言葉に、紬は怒りが込み上げた。かつての仲間である者を、どうしてこの蛇神たちは、酷いことが言えるのだろうか。

「何てことを言うんですか!瑪瑙さんの曲は、守りのように皆に力をくれます……。私は、支えたい……ただそれだけ」
「……番とは神に供物として捧げられ、力を与える駒にすぎない。ねぇ、紬……瑪瑙はどんな表情で貴女を抱いていたのかしらーー?」
「……えっ」
「優しかった?それとも激しかったーー?私は、彼と交わることはなかったから……知りたくて」

柘榴は紬の表情を楽しむように、淫靡な言葉をつなげる。

「蛇の交わりは……?きっと、あいつは執着が強いわ……お前の身が、いずれ潰されてしまわないか心配」
「やめてください!……瑪瑙さんに限ってそんなこと……」
「随分と瑪瑙を信じてるのね……ねぇ、紬。琥珀は特別だったけど……瑪瑙は無理よ。何せ格が違ったから」

祖父と祖母の名前を聞かされ、祖父がこの蛇神達の仲間だったのだろうかと思った。あの物語のように、人として生きる道を選んだ、蛇だった祖父。種族の壁を乗り越えて結ばれた祖母。二人の間に何があったかなど、知ることはできないけれど、二人の様子はいつも温かく、互いを想い合っていた。

「琥珀は、本当は私と結ばれるはずだったのに……人間の鈴と。今思っても、憎く忌々しい……」

柘榴は恨みを込めるように、狂ったように言葉を続ける。

「琥珀は、私のものだった。人間を選ぶなど!!そして、今度は瑪瑙が、お前を番と選んでいる……許さない。消えたはずの瑪瑙が、今は人としてこの世に生きているなど、おこがましい」


耳元で妖艶に囁く声が、脳内を支配していく。そして、身体が急に重くなり、冷たい何かが流れ込んでくる気がした。

(お前にまじないをーー)

「嫌……」
「瑪瑙を穢したくなければ、交信も避けなさい紬。守りたいならね……ふふっ」

絡みついている腕紐も、何処か重たい気が包む感覚がした。交信してしまえば、彼が苦しむことになる。
今、遠い場所で頑張っている彼を、傷つけるわけにはいかない。

「さぁ、終わったわ、翡翠……疲れたわ。眠らせて……」
「お疲れ様です、柘榴様……。紬、せいぜい瑪瑙のためを思うなら、月の期間は接触しないことだ」
「……」

翡翠は、柘榴を取り込むとその場から姿を消した。消え去ると同時に、周りにいる者たちが一斉に目を覚ました。
紬は不安と恐怖で、部屋を一度後にし、御手洗へと向かった。

「……瑪瑙さんの力を私が弱くしてたのかな……」

月経が終わる一週間、彼に接触してはいけないと心に決め。見えない腕紐を撫でる。ぴり、と電流が走る気がした。

(ごめんなさい……瑪瑙さん。貴方を守るために、交信を我慢します)

心の中で呟くと、紬は仕事へと戻っていった。


***

ラジオ収録が終わり、一息つく頃、時間はお昼を過ぎていた。瑪瑙は、彼女が休憩中だと思い、腕紐に声を掛けた。

「紬さん……聞こえますか?」

だが、声が返ってはこない。いつもなら、この時間帯なら休憩のはずなのに。

「……おかしい。紬さん何かあったんですか?大丈夫ですか?」

もう一度声を掛けたが、やはり返答はなかった。翡翠たちが彼女の元へ行ったのだろうか?嫌な予感がする。
神気を使い、彼女の気を探ろうとした時だった。冷たく鋭利な痛みが身体に走った。

「うっ!!」

身体に痺れが走り、彼女の気が探れない。探ろうとすればするほど、黒く淀んだ何かが流れ込む気がした。
感じたのは、淀んだ気に混じる翡翠と柘榴の気配だった。

「……紬さん。どうして……こんな時に、あの者たちは…!」

怒りのままその場の机を叩くと同時に、ドアが開き、橘が戻ってきた。

「瑪瑙さん、ご飯食べに行きましょう!って、あれ?どうしました?」
「何でもないです……そうですね、行きましょう」

僅かに、身体に重みを感じながら席を経ち、瑪瑙はその場を後にした。胸の中では、番の声が聞こえない不安を抱えながらーー。
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