緋色の蛇は宵に咲く

羽純朱夏

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二章

参話

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腕紐を伝う交信は、執拗に繰り返された。数日経ってもなお、紬からの返事はない。
彼女の気配が遠いーー。何度も様子を探ろうと試みた。だが、何かの気が邪魔をして様子を伺うことができない。
自身の公演に向けた作業をしなければならないのに、ギターや琵琶を手に取ると力が抜けていくように、思うような演奏ができない。

「紬さん……どうして。せめて一言だけでも、くれたら……」

一人、腕紐を指で撫でる。何度も何度も名前を呼んだ。

「紬さん、紬さん!お願いです、何か返事を」

ぬめりのように澱んだ気配が絡んでいく。少しずつ、胸の奥が重くなる。
熱を奪われるように力が抜けるのに、欲望の芯だけが熱を孕む。

”番に触れたい…”とーー。

彼女の家に足を運んでも、傍に近づく度に身体に激痛が走り近づけない。
それはまるで、彼女に拒絶されているかのように。

「何故……」

(瑪瑙よく聞いて、紬はね……番でいるのはもう嫌だと言ったわ)

「……」

耳元で、柘榴の声が響き渡る。

「お前達が、何かしたんだろう。彼女がそんなことを、言うはずない!」

(ねぇ、瑪瑙。よく考えて、お前は歳を取らない。蛇神である者が、人と共に生きるのには無理があるわ。お前自身、よくわかっているでしょう?)

「わかっている……それでも」

何と言われても、種族を超えた琥珀と鈴のように、自分は生きていきたいと思っている。たとえ、人になることはできなくとも、自分は人として、この世界に関わっていきたいと思う。それが、今の願いだ。

だが、それを嘲笑うように彼女の声が続く。

(お前は、琥珀とは違う。琥珀は神格が強かった私と同じ白蛇……。お前は力の弱い下等な蛇。人間などなれるわけがないわ)

「……うるさい!放っておいてください!」

(可哀想な瑪瑙……拒絶されているじゃない。お前が好きなら、返事をくれるはずでしょう?)


さらに心の中に黒い澱みが広がっていく。闇に飲まれるような感覚に囚われる。
彼女がそんなことをするはずない。好きと言ってくれたーーだが、今はずっと自分の声に応えてはくれない。

目の前に翡翠が現れ、淡々と語りだす。

「瑪瑙、お前は異形の化け物だ。それは、変えられない。お前に関わる人間も、お前の真の姿を知ったら……」
「……やめろっ!」
「皆、恐れてお前からいなくなる。仮初の姿で、騙されていたのだと思うだろうな」

二つの声に支配されていく。抗いたいと思うのに、その言葉は決して間違いではない。
この姿は本当の姿ではない。人々を騙しているのは本当のこと。もし、周りに知られてしまったらーー。
怖いーー。人の世に紛れた時から、顕現だけは力を入れていた。途中で、変わってしまうことがないように。
神気が弱いながらも、これだけは崩さぬまま、ずっと保てていた。
歳を取らないのは神の性質。少しずつ周りに変化が見られても、自分は変わることはない。
変化のない自分に、時折寂しさを感じながらも生きてきた。ただ、音を奏でながら。

「紬さん……」

不安を覚え、彼女の名を呼ぶ。だが、やはり声は聞こえない。

彼女という番を得た時、少しずつ変わっていけていると思えた。彼女の祈りと温かな想いが力をくれる気がした。
彼女と共に生きたいと思えた。
それなのにーーー。
貴女さえ、自分からいなくなってしまうのかーー?
守ると思っているのに、大事にしたいと思っているのにーー。

ふと、彼女の声の幻聴が聞こえ始める。

(もう、瑪瑙さんと一緒にいられません……だって、貴方は人じゃないから)

間違いではない。だが、何故突然そんなことを言うのか、瑪瑙は理解できなかった。
契を交わしたというのに、どうして拒絶をするようになったのか。原因がわからない。

「確かにそうですが!……でも、”好き”と言ってくれたではないですか?本心ではなかったのですか……?」

否定の言葉は欲しくないと思うのに、聞こえるのはただ冷たい言葉だった。

(瑪瑙さんの香りがいけないんです。番として、選ばれたから仕方なく。だって、貴方は神様だから……)

何かが崩れる気がした。少しでも、甘い夢を見ていた自分がいけないのかーーー?
たった一人の番を信じていた。心が繋がっていると思っていた。
それなのに、今はもう自分との絆を断とうとしている。

「……っ、もういいです。聞きたくありません……裏切リ……者メ」

許せないーー許さないーー!!

淀んだ闇が瑪瑙の心を支配した時、彼の中の本能が暴れ出す。その様子を感じ取った二人は、にやりと笑うように
瑪瑙に語りかけた。

『紬は悪い番ね……可哀想な瑪瑙、もっと憎みなさい』
「番などいなかった……裏切られた……」
「本能に支配されし、蛇神よ……番を喰らえ」

瑪瑙の影が揺らぎ、蛇の姿へと変わる。神気を帯びているとは見えない。黒い瘴気を纏いながら、深紅の目が鋭く光る。ただ、憎しみを抱えた存在へと変わっていく。

『紬……許さない……』

自分に向けられた笑顔も、恥じらいも、すべて嘘。本当はどこか自分を恐れていた。
完全に受け入れるなんて不可能だった。自分から逃げるというなら、彼女を壊すまで……。


『ふふっ、上手くいったわ。瑪瑙は完全に闇に呑まれた。紬の拒絶の念が流れ、その反動で瑪瑙は瘴気に侵され彼女を喰らう存在となる。番が消えた後、こいつを殺してしまえば邪魔者は消え去る……』
「さすが、柘榴様……番を、愛する者により殺される様に仕向けるとは」
『案外脆いものね……さすが、下等な蛇。何も知らない紬は、恐れるでしょうね?いい気味……』
「……終わりだな、番。悪く思うなよ……」

赤い蛇はただ、紬の部屋へと這っていく。彼女の気を探るように。翡翠は柘榴を取り込むと、その場から姿を消した。

***

彼と交信を絶ち、そろそろ七日目となる。月経は終わりを迎えていた。明日は彼より早く話しかけてみようと思いながら、腕紐を撫でた。
ただ、何も声を掛けずに彼の声を無視してしまったことに、怒っているかもしれない。どうやって謝ろうと考えた。
湯船から上がり、シャワーで身体を流し扉を開けたその時ーー。
怖い瘴気がその場に漂っていた。

「何?これ……」

そして、ずるりと赤い尾が伸びるのが見えた。

「瑪瑙……さん?」

『紬、裏切リ……者メ……』

瞬時に尾が足に絡み身が崩れる。さらに絡みつくように胴が身体に巻き付き、引き寄せられる。
目を開けると、普段見たことのない深紅の瞳がこちらを凝視していた。

「な、瑪瑙さん……どうしたんですか?」

声をかけると、さらに”ぎり”と強く締め付けられる。怒っているのだろうか?胴をそっと撫でても、緩むことはない。

『酷い人だ……貴女は。僕を拒絶して……』
「あ、これはその……瑪瑙さんのために。ごめんなさい……」
『何を言ってるんです?……あぁ、僕からよほど離れたいのですか?』
「そんなこと!」

金木犀の濃い香りが、部屋の中に満ちていく。
香りに囚われるように、紬の気分がどこかおかしくなっていく。あの時とはまた違う、若干気持ち悪さを感じるような甘い香りだ。
力が思うように入らなくなっていく。

『……番である、僕から逃げようとするなど無理なことだ。好きと、言ったくせに!!』

「痛いっ……瑪瑙さん、何を怒ってるんですか?交信しなかったのは、ごめんなさい。でも、それは、瑪瑙さんを穢さないために……!」

紬の言葉を聞き入れることなく、蛇の瑪瑙は声を荒げるだけだった。

『黙れ!うるさい……穢さないため?そんな嘘をついて、僕から逃げようとして……番を降りる気でいるのでしょう?』
「何を言って……」
『あぁ、もういいです……逃がしません……』

蛇の身に絡まれたまま、それはまるで囚われた獲物のように、紬は暗い寝室へと吸い込まれていった。
触れている彼の体温はただ冷たく、こちらの言葉を一切聞くことがないままーー。

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