15 / 43
本編
14
しおりを挟む
「……エスタ、そなたは部屋に戻っていなさい」
「いや、私もここにいる」
「そなたが、醜悪なものを見ている必要はない」
エスタが後ろを振り返ろうとすると、レアケは顔を両手でつかんで固定した。後方から聞こえる息遣いや声、物音にエスタは口元を抑える。
「でも、アイツ……いま、私のことも……な、なんだろ」
「それは……」
「だったら、私がいなくなっていたらおかしくなるだろ……じゃないですか」
レイフがどのような幻を見ているのか。その幻はエスタもレアケも見えないが、わざわざエスタを部屋に連れてきたことを考えれば想像がつく。
「まったく、ちっとも言うことを聞かぬ侍女だの」
レアケは困ったように眉尻を下げ、エスタの頭をなでる。唇をとがらせたエスタはレアケから目をそらした。
「……仕方のない子だのう」
レアケは手を止めると、小さく笑って手を離した。
「エスタ、おいで。一緒に外を眺めようか」
レアケはゆっくりとした足取りで窓際へと向かう。鉄格子のはめられた窓から空を眺め、隣に立ったエスタも同じように空を眺めた。狭い塔の中は暗雲としているのに、皮肉なほどに空は青く、とても広い。
「今日は良い天気だのう」
「……こんないい天気の日は、外でティータイムしたくなりませんか」
レアケは目を丸くし、隣に立つエスタに目を向けた。エスタは彼女に目を向けることなく、ただじっと青い空を眺めている。
「……そうだのう」
「なら」
「だが、私が外に出るときは私が死んだときのみよ」
エスタの息を呑む音が聞こえる。レアケは契約により逃げることができず、塔から外に出ることができない。外に出るには契約が破棄されるか、契約の効力がなくなる、つまりはその契約の元となっている魔女が死ぬかしかない。
「……エスタ。そなたがここに来た理由は忘れてはおらぬな?」
エスタはその言葉になにも答えず、うつむいた。
(……やっぱり、こうなってしまうのね)
レアケは彼女から目をそらしたエスタを見つめながら、悲しげに笑う。やさしい子ほど、レアケの置かれている状況を見て見ぬふりすることができなくなる。
目をそらすことも、瞑ることもできなければ、無理やりにでも塞ぐしかない。だがエスタはいずれ、目も、耳も、口も、塞ぐことができなくなるだろう。
そしてなにか行動を起こすか、起こす前に危険因子と認識されて処罰される。レアケに初めてついた侍女が、そうだったように。
(……あの子も、やさしい子だった)
その侍女もエスタのようにやさしい子だった。故にレアケを案じて口を出し、処罰された。レイフはおまえが惑わしたからだとレアケを責め、涙する彼女を嘲笑った。
何人かの侍女がつけられたが、皆、同じようなことになった。わけありでやってきた少女らは、殺されずともここを追い出されればまた悲惨な目にあう。だから、レアケはやってくる侍女を教育し、彼女らが行動を起こす前に逃がすようになった。
塔に住む魔女に仕えた侍女は、どこかに消えていなくなる。そのうわさの真実は、魔女が侍女が過ちを犯す前に塔から逃すからだった。
(……エスタは、もう大丈夫)
多少言葉遣いは怪しいものの、エスタは立ち振舞いは美しくなり、立派な淑女として恥じぬものになっている。火をつけるにも、水を生み出すにも、湯をわかすにも、レアケが作った魔法道具を利用していたエスタは自分の魔法ですべてを賄えるようになり、立派な魔法使いだと十分にいえるようになった。
魔法使いはどこにいっても重宝されるし、さまざまな可能性がある。世に便利な魔法道具を作る道に進むもよし、魔法の真理を追い求める研究者の道を進むもよし、小さな村で人々の役に立つ魔法使いとしてのんびり暮らす道もよし。魔法の基礎を取得したエスタはまだ若く、どんな道でも拓けるのだから。
(……そうね。これ以上、未来のある子をこんなところに縛りつけるわけにはいかないわ)
レイフはレアケが侍女を逃していることなど、とっくに気づいている。気づいていながら放置しているのは、レアケの精神が削られていくさまを眺めて楽しんでいるからだ。
魔女を従属させている限り、逃げ出した侍女程度がどうすることもできないと侮っている。実際に、この四十年はなにごとも起きていなかったのだから。
「そうふくれるでない。まったく、そなたはまだまだお子さまだの」
「……もう子どもじゃない。ただ魔女さまが歳食ってるだけで……いでええええええっ」
「だ、れ、が、ババアだと!?」
「いでででっ、て、言ってないっ、いまの、言ってないだろっ!」
「同じことよ!」
頭をわしつかみにされたエスタは悲鳴を上げる。このやりとりがあると、なにも変わっていないと安心できた。
「ふん。私からすれば、そなたなんぞいつまで経っても子どもだ」
この不平等な世界で、時間だけがすべてに平等だ。だれも未来には進めないし、過去には戻れず、続いていくいまを生きるしかない。
エスタが一つ歳をとれば、レアケも同じように歳を取る。歳の差はけっして縮まらない。
「うっせえ、ババア! 年の差なんて、どうやっても埋まらないだろっ! ……ひっ」
エスタはけっして言ってはならぬ言葉を、ついぽろりとこぼしてしまった。
「エスタや」
魔女に据わった目で見つめられ、エスタは恐怖に体を震わせる。魔女レアケはエスタの粗相をなんでも許したが、年齢のことだけはけっして許さなかった。
「……はあ。やれやれ、お口は本当に心配だの」
「別に、ずっとここにいるんだからいいだろ」
「……いや、そなたはここにいてはいけない」
「……え?」
「エスタ。今夜、この塔から去りなさい」
レアケが告げると、エスタは顔を真っ青にした。
「いや、私もここにいる」
「そなたが、醜悪なものを見ている必要はない」
エスタが後ろを振り返ろうとすると、レアケは顔を両手でつかんで固定した。後方から聞こえる息遣いや声、物音にエスタは口元を抑える。
「でも、アイツ……いま、私のことも……な、なんだろ」
「それは……」
「だったら、私がいなくなっていたらおかしくなるだろ……じゃないですか」
レイフがどのような幻を見ているのか。その幻はエスタもレアケも見えないが、わざわざエスタを部屋に連れてきたことを考えれば想像がつく。
「まったく、ちっとも言うことを聞かぬ侍女だの」
レアケは困ったように眉尻を下げ、エスタの頭をなでる。唇をとがらせたエスタはレアケから目をそらした。
「……仕方のない子だのう」
レアケは手を止めると、小さく笑って手を離した。
「エスタ、おいで。一緒に外を眺めようか」
レアケはゆっくりとした足取りで窓際へと向かう。鉄格子のはめられた窓から空を眺め、隣に立ったエスタも同じように空を眺めた。狭い塔の中は暗雲としているのに、皮肉なほどに空は青く、とても広い。
「今日は良い天気だのう」
「……こんないい天気の日は、外でティータイムしたくなりませんか」
レアケは目を丸くし、隣に立つエスタに目を向けた。エスタは彼女に目を向けることなく、ただじっと青い空を眺めている。
「……そうだのう」
「なら」
「だが、私が外に出るときは私が死んだときのみよ」
エスタの息を呑む音が聞こえる。レアケは契約により逃げることができず、塔から外に出ることができない。外に出るには契約が破棄されるか、契約の効力がなくなる、つまりはその契約の元となっている魔女が死ぬかしかない。
「……エスタ。そなたがここに来た理由は忘れてはおらぬな?」
エスタはその言葉になにも答えず、うつむいた。
(……やっぱり、こうなってしまうのね)
レアケは彼女から目をそらしたエスタを見つめながら、悲しげに笑う。やさしい子ほど、レアケの置かれている状況を見て見ぬふりすることができなくなる。
目をそらすことも、瞑ることもできなければ、無理やりにでも塞ぐしかない。だがエスタはいずれ、目も、耳も、口も、塞ぐことができなくなるだろう。
そしてなにか行動を起こすか、起こす前に危険因子と認識されて処罰される。レアケに初めてついた侍女が、そうだったように。
(……あの子も、やさしい子だった)
その侍女もエスタのようにやさしい子だった。故にレアケを案じて口を出し、処罰された。レイフはおまえが惑わしたからだとレアケを責め、涙する彼女を嘲笑った。
何人かの侍女がつけられたが、皆、同じようなことになった。わけありでやってきた少女らは、殺されずともここを追い出されればまた悲惨な目にあう。だから、レアケはやってくる侍女を教育し、彼女らが行動を起こす前に逃がすようになった。
塔に住む魔女に仕えた侍女は、どこかに消えていなくなる。そのうわさの真実は、魔女が侍女が過ちを犯す前に塔から逃すからだった。
(……エスタは、もう大丈夫)
多少言葉遣いは怪しいものの、エスタは立ち振舞いは美しくなり、立派な淑女として恥じぬものになっている。火をつけるにも、水を生み出すにも、湯をわかすにも、レアケが作った魔法道具を利用していたエスタは自分の魔法ですべてを賄えるようになり、立派な魔法使いだと十分にいえるようになった。
魔法使いはどこにいっても重宝されるし、さまざまな可能性がある。世に便利な魔法道具を作る道に進むもよし、魔法の真理を追い求める研究者の道を進むもよし、小さな村で人々の役に立つ魔法使いとしてのんびり暮らす道もよし。魔法の基礎を取得したエスタはまだ若く、どんな道でも拓けるのだから。
(……そうね。これ以上、未来のある子をこんなところに縛りつけるわけにはいかないわ)
レイフはレアケが侍女を逃していることなど、とっくに気づいている。気づいていながら放置しているのは、レアケの精神が削られていくさまを眺めて楽しんでいるからだ。
魔女を従属させている限り、逃げ出した侍女程度がどうすることもできないと侮っている。実際に、この四十年はなにごとも起きていなかったのだから。
「そうふくれるでない。まったく、そなたはまだまだお子さまだの」
「……もう子どもじゃない。ただ魔女さまが歳食ってるだけで……いでええええええっ」
「だ、れ、が、ババアだと!?」
「いでででっ、て、言ってないっ、いまの、言ってないだろっ!」
「同じことよ!」
頭をわしつかみにされたエスタは悲鳴を上げる。このやりとりがあると、なにも変わっていないと安心できた。
「ふん。私からすれば、そなたなんぞいつまで経っても子どもだ」
この不平等な世界で、時間だけがすべてに平等だ。だれも未来には進めないし、過去には戻れず、続いていくいまを生きるしかない。
エスタが一つ歳をとれば、レアケも同じように歳を取る。歳の差はけっして縮まらない。
「うっせえ、ババア! 年の差なんて、どうやっても埋まらないだろっ! ……ひっ」
エスタはけっして言ってはならぬ言葉を、ついぽろりとこぼしてしまった。
「エスタや」
魔女に据わった目で見つめられ、エスタは恐怖に体を震わせる。魔女レアケはエスタの粗相をなんでも許したが、年齢のことだけはけっして許さなかった。
「……はあ。やれやれ、お口は本当に心配だの」
「別に、ずっとここにいるんだからいいだろ」
「……いや、そなたはここにいてはいけない」
「……え?」
「エスタ。今夜、この塔から去りなさい」
レアケが告げると、エスタは顔を真っ青にした。
13
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる