立派な淑女に育てたはずなのに

茜菫

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本編

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 王の手がエスタに伸びる。この国では、王は絶対の存在だ。エスタはこの国の侯爵家の血筋だったものの、目の前にいるこの王によって潰され、いまではただの平民と変わらない。

 なんの力も持たないエスタにはその手を避けることさえ許されなかった。拒めばエスタは罰が与えられるだろうし、レアケにも被害が及ぶだろう。

(……ダメだっ)

 自分が罰せられるだけならまだしも、レアケにまでそれが及ぶと考えると、エスタは逆らえなかった。

(どうしよう……どうしたら……っ)

 だが、エスタはレアケのように相手に幻を見せる高度な魔法など扱えない。現状を打破する手段はなく、最悪の未来しか見えなくなったエスタは青い顔で震えていた。それが嗜虐心を煽ったのか、王はますます笑みを深くする。

 エスタは己にゆっくりと伸ばされるしわくちゃの手が、まるで地獄へ引きずろうとするなにかに見えた。

「レイフ!」

 王の手がエスタに触れる前に、レアケの大きな声が響いた。



 レアケは転移魔法の気配を感じ、レイフが訪れたことを知った。普段なら出迎えなどしないが、今日に限っては嫌な予感がして階段を駆け下りた。

 嫌な予感は当たるもので、レアケが見たのはエスタに手を伸ばすレイフの姿。レアケは目尻はつり上げ、白い頬を怒りに赤く染めて声を張り上げる。

「あなたは、私に用があるのでしょう!?」

 レアケは二人の間に割り、エスタを背に隠した。いいところを邪魔されたのが気に食わなかったのか、レイフは眉根を寄せる。彼は不機嫌そうに、しかし静かな声でレアケに命令した。

「レアケ、そこに跪け」

「……っ」

 命じられたレアケは目を見開き、悔しそうに顔を歪めながらもそれに従う。その姿をレイフは鼻で笑い、見下ろした。

「ふん。ばかだな。契約がある限り、逆らえないくせに」

「本当に、あなたって……っ」

 レイフは跪いたレアケの顎をつかむと、強めの力で引いた。痛みに顔を顰めたレアケは目に涙を滲ませながらも、レイフをきつくにらみつけている。

「おいおい、なんだその目は。おまえ、俺を愛しているんだろう? 結婚したいくらいになあ?」

 この国は一夫一妻制、それは王族でも変わらない。そしていま、王の妻はレアケではなく彼女を罵りにやってくるブリヒッタだ。

「ばか言わないで……だまされたと知ったいまは愛していないし、結婚したいとも思っていないわ」

 レアケはレイフをにらみつけたまま、怒りに震える声で答える。レイフはそれを一笑すると、彼女の頬を打った。乾いた音が響いてエスタが息をのみ、レアケはただ目を伏せて悔しさに唇を噛む。

「そうか、それは残念だ。ばかな女だな。まんまとだまされて」

 なんてことはない、男の甘言にだまされてのめり込んだ女の末路だった。その男が王位継承争いを繰り広げていた王子で、女は強大な力をもった魔女だったことが悲劇につながった。

 人に愛されたことのなかった魔女は、愛を囁いた男の言葉を信じ、男を愛し、男の手を取った。王位を望む男の願いをすべて叶え、男と生涯を共にし死すら共にすることを誓って、契約を交わした。

「おまえは、俺に従うしかないんだよ」

 魔女は王に従う、たったそれだけの契約。だがあまりにも単純な契約だからこそ、それは男の良いように扱われた。

 愛しているから、男の役に立ちたい。そんな純粋な女の願いは、女が力をもった魔女であるが故に利用された。

 魔女は、王族に逆らってはならないと命じられた。魔女は、王族らに危害を加えてはならないと命じられた。魔女は、逃げてはならないと命じられた。魔女は、力を寄越せと命じられた。

 王に従うと契約した魔女は、それらにすべて従い、いまも従っている。

(私は……なんて、愚かだったの……)

 レアケは当時の自分を愚かだと罵るしかなかった。あまりにも無知な魔女は、愚かにも偽りの愛を信じ、その愛故に自らのすべてを捧げた。それが己を利用するためだけの偽りだと気づかないままに。そうしてだまされた魔女は、王の傀儡となった。

 魔女がその偽りに絶望できたのなら、死という自由を手に入れられた。だが、魔女は偽りに激しい怒りを覚えて死の機会を失った。それから四十年、魔女は自分の過ちを悔いながら王に囚われ、操られ続けている。

「まあ、いまさらおまえの意志など関係ないがな」

 レイフはレアケを引きずり立たせると、そのまま顎で上の階を差した。レアケは唇を噛みながらもそれに従い、階段を上る。

「おい」
 
 後ろから聞こえた声にレアケは振り返った。エスタはうつむき、手に持っているシーツを握りしめている。

「おまえも来い」

 レイフは見逃すつもりなどないようだ。レアケは唇を噛んだが、いまは手が出せなかった。

 レアケが先に部屋に入り、その後からレイフが部屋に入る。その後にエスタも部屋に入り、扉を閉めた。

「おい、おまえ……、……」

 レイフが振り返り、下卑た目でエスタを眺めてレアケに背を向けた。その隙にレアケは幻の魔法を使う。

「光栄に思……え……」

彼が望む、とびきり甘美な幻の世界だ。レイフの目は虚ろになり、そのままゆっくりとベッドまで歩み寄る。その上に倒れ込んだレイフは、自分の服に手を掛けた。

「……魔女さま!」

 エスタがレアケのもとに駆け寄る。レアケは耳にはいってくる衣擦れの音を不快に思いながら、ベッドを視界に入れないようにして、エスタにやさしげにほほ笑んだ。

「エスタ、すまぬのう。行動が遅く、止められなかった。怖かったろう?」

 エスタは首を横に振ると、手を伸ばしてレアケの頬に手を添える。

「ああ、これね……」

 思っていた以上に強い力だったようで、レアケが打たれた頬は熱を帯びていた。

「魔女さま……」

「……終わるまで、このままにしておかねば」

 王が見ている幻との齟齬を極力なくすためにも、すぐに手当てをするわけにはいかない。エスタは泣き出しそうな表情でうつむく。

「申し訳ありません。私が、王の目についてしまったばかりに……」

「私の侍女なのだから、塔で仕事をしておるのは当然であろう?」

「……でも、隠れていればこんなことにならなかったのに!」

「隠れたことがばれるほうが、厄介なことになるであろうよ」

 目に涙を浮かべ、エスタは顔を上げた。レアケは涙目で自分を見つめるエスタの頭をやさしくなでる。遅かれ早かれ、こうなることは予想できていた。

 ここに来たばかりのエスタは痩せこけた子どもだったが、元々、顔は整っていた。きっちりと食事をとるようになってからは肉つきが良くなり、その美しさを表し始めた。

 好色のレイフが美しく育ったエスタを見逃すはずがない。実際、レイフはこの塔の侍女に手を出そうとしたことは何度もあった。

 もちろん、レアケにはそれを黙って見ているつもりなどなかった。自業自得の自分の身ならまだしも、エスタやほかの侍女らが食い物にされることは許せない。

 エスタがいま着ている服にはレアケの魔法がかけられている。それは、エスタ以外のだれかが服を脱がせようとすれば幻を魅せる魔法だ。レアケはそれが発動する前に止めに入るつもりではあるが、万一の対策だった。
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