立派な淑女に育てたはずなのに

本編

16

　日が暮れ始める前に、レイフは満足げに塔を出た。王族は塔に訪れるときも去るときも、かならず転移の魔法を使う。魔法使いでない彼らが転移魔法を使えるのは、魔女の力によるものだ。

　転移魔法にはかならず道標となる転移先の座標が必要になる。魔法使いでない王族が自力で座標を指定することなどできるはずもなく、なにか座標を特定するものを利用しているのだろう。

　エスタはそれが知りたかった。転移で指定される塔の座標と、王族らの居場所の座標を。そのために、エスタは隠れてレイフの後をつけた。

（……あんなところにあったのか）

　レイフは塔の近くにある木のそばまで歩いていく。エスタは木の根元に目的のものが埋め込まれているのを感じ取った。レアケから魔法を学ばなければ、感じ取ることなど一生なかっただろう。

　レイフがその場で右の中指にはめた指輪をなでると、そこから発せられた光が彼と騎士を包み、光と共に姿が消えた。

　エスタはそれから目をそらさず、目を見開いて魔力の残滓を追った。それが向かう先、憎き王族らの転移座標を見つけてほくそ笑む。

（……腐った王族どもめ。いまにみていろ）

　エスタは内に秘めた決意とともに、王が去った方角をにらみつける。しばらくにらんでいたが、時間がもったいないと思い直して塔に戻った。

　塔に戻ると、エスタの鼻に香ばしい香りが届く。エスタが階段を上ると、テーブルの上には湯気の立つ料理が並べられ、レアケが腰に手を当て仁王立ちして待っていた。

「なにしてんだ……いるのですか、魔女さま」

「帰ってきたか、エスタ！　ほれ、今晩はごちそうだ」

　見覚えのある料理にエスタは目を丸くする。それはエスタがこの塔にやってきた初日、レアケが用意していた料理の数々だった。その日以降は侍女であるエスタが担当したため、ずいぶんと懐かしい。

（作りすぎたって言っていたけど……俺のために用意していたんだろうな）

　その日のことを思い出し、エスタは鼻の奥がつんとして目がうるむ。レアケはただ笑ってエスタの手を引いた。

「冷める前に、食べてしまおうぞ」

「……作り過ぎじゃないですか？」

「足りぬより良い！」

　エスタをソファに座ると、レアケがその隣に座った。彼女はフォークを手にとって切り分けた肉をとると、エスタの口元に運ぶ。

「……は？」

「ほれ、あーん」

　レアケの突然の行動に度肝を抜かれたエスタは顔を真っ赤にする。にこにことほほ笑みながらフォークを差し出すレアケをにらみつけ、エスタはそれをぱくりと一口で食べた。

「うむ、もっと食べなさい」

「……自分で食べられるし」

「そう言うでない、ほれほれ」

　エスタは拒もうとしたが、しばらく会えなくなるのだと思うとそれを拒めなかった。恥ずかしそうにレアケをにらみつけながらも、小さく口を開いて食べ進める。レアケはうれしそうに笑いながら、何度も何度もエスタに食事を勧めた。

「おいしかったのう！」

「魔女様さま、ほとんど食べていないじゃないですか」

　皿の上の料理をきれいに平らげ、食事を終えて一息ついたエスタはレアケにもたれかかる。レアケはなにも言わず、ただ寄りそった。

（このままずっと……）

　ずっとレアケのそばにいたい。そう思うエスタに終わりを告げたのは、ほかならぬレアケだった。

（俺は……ここを離れる。魔女さまのために）

　あなたのためだと言われたのなら、エスタは逆らえた。けれどもそれがレアケのためだと言うのなら、うなずくしかなかった。

（こうするしか、ないんだ。いまは、こうするしか……）

　エスタには力がない。魔女をこの塔から解放する力も、王に逆らう力も。

（……力がいる）

　己の望みを叶えたければ、力が必要だ。魔女のような魔法の力もそうだし、王のように姑息であっても周りを利用する力もそうだ。

　魔女に匹敵する魔法の力、王に対抗し得る権力。レアケをここから解放するにはどちらか、あるいはそのどちらもが必要だ。

（俺は、かならず……）

　エスタは決意を胸に抱いて、顔を上げる。エスタはレアケにさまざまなことを教わった。言葉遣いや立ち振舞い、礼儀作法、そして魔法。それらすべてを駆使し、力を手に入れ、レアケを解放するのだと。

「どうした、エスタ」

　レアケがエスタの頭をなでる。冷たくてやさしい魔女の手だ。エスタはその手がとても好きなはずなのに、いまはただ、悲しくてたまらなかった。

「……魔女さま」

　エスタは冷たい手をそっと握る。バケツにつまずいて水をぶちまけても、調理に失敗してまずい料理をつくっても、レアケはエスタを笑って許し、頭をなでた。エスタが風邪をひいて寝込んだときは、レアケは彼が眠るまで安心させるように手を握ってくれた。

　ずっとこの手に触れていたい。けれどもエスタはレアケの冷たい手が、いまの自分の手の内にとどめておけないものだと理解していた。

「……私、魔女さまに匹敵するくらいの魔法使いになれるかな」

　エスタのつぶやきにレアケは目を丸くする。エスタにとっては今後に必要不可欠な条件だが、レアケ笑って軽く答えた。

「エスタならなれるだろうて。魔法使いとしてなら、早々に私を超えるやもしれぬ」

「……えっ、本当に？」

「私は、魔法使いとしてはそこまで強くないからのう」

　エスタは驚きに目を見開いた。レアケは自分とは比べ物にならないほどの魔力を持っているし、転移など高度な魔法を扱える。そんな魔女を超えられるとは、にわかには信じられなかった。

「でっ、でも、魔女だろ？」

「魔女になる条件は保有している魔力量であって、魔法使いとしての実力は関係ないからのう」

「そ……そうなのか……」

　レアケが得意としているのは空間操作の魔法と治癒魔法だという。ほかに関しては、知識や扱える魔法は一般的な魔法使いとくらべても大差はないそうだ。

「威力は比べものにならないがのう」

　所持している魔力量が膨大なため、簡単な攻撃魔法でも倍以上の効果を発揮したり、防御魔法なら倍以上の強度など威力が大きくなりやすいが、それだけだ。

「とはいえ、私は身体能力が高いわけでもない。争いごとは苦手だ」

　王がレアケを矢面に立たせないのも、それが理由なのだろう。どれほど強力な魔法を使えるとしても、先手をとられて無効化されては意味がない。

「……そういえば、日々だらだらしている魔女さまは、ちょっと走っただけで息を切らすもんな」

「ふ、ふんっ。走らずとも浮けば良いのだし、転移すればよかろう！」

「そっか。じゃあ、希望はあるんだな」

「うん？　どうしたのだ、エスタ」

「別に、なんでもない」

　エスタは抱きつき、その胸に顔を埋める。レアケは甘えるエスタの頭をなで、冗談めかして言った。

「なんだ、エスタ。私の胸が好きか？」

「…………好き」

「大きいのが良いのか？　そなたもそのうち大きくなるとも」

「……だから、ならねえって」

　美しく成長したエスタだが、胸は断崖絶壁だ。男であるエスタは女性らしい膨らみを得られないのだが、少女だと信じて疑っていないレアケは知る由もなかった。

「……エスタ」

　レアケはエスタの頭をひとなですると、そっと体を離した。怪訝そうに眉をひそめるエスタの前で、レアケは自分の胸に手を当てる。

「……う……っ」

「魔女さま!?」

　苦しげに眉根を寄せ、小さく呻いたレアケにエスタは驚く。レアケが手を当てた胸がわずかに光を帯び、彼女が手を離すとその内に小さな結晶が現れた。

「っ……エスタ、そなたにこれを贈ろう」

「え……？」

「これは、私たち魔女の……結晶だ」

　レアケはわずかに白く染まった小さな結晶をエスタの手に握らせる。そこには膨大な魔力が含まれていることが、エスタにもわかった。

「この魔力……魔女さまの……」

「ほう、わかるか。そなたは本当に才がある。それは魔女になったものの心臓を包む、魔力の結晶だ」

　保有する魔力が一定量を超えたとき、心臓が特殊な結晶に包まれる。本人もそれを感じ取ることができ、自分が、魔女になったのだと気づくのだという。

「魔法使いであるそなたなら、これを有効活用できるだろう」

「魔女さまの……」

　それを自分の手の内に握りしめたエスタは、顔を上げてレアケを見つめる。

（魔女さまの魔力があれば……！）

　その内に秘められたものに気づけないまま、レアケはエスタにほほ笑んだ。

「……では、そなたをレゼの修道院まで送ろう」

　レゼの修道院はエスタの妹、アニカが身を寄せている場所だ。エスタがいなくなればアニカは追い出されるか、最悪殺される可能性もある。その前に、エスタは妹を連れ出そうと考えていた。

　エスタは餞別代わりにもらった、換金しやすい宝石を詰めた袋を服の中にしまう。その間に、レアケは転移座標を特定し、準備を終えていた。

「これで、お別れだの。さみしくなるのう……」

（……会えないのは、ひとときだけだ）

　レアケはもう二度と会えないと別れを惜しみ、エスタはある決意の下にひとときの別離に耐える。あっさりと完成してしまった転移魔法は、エスタを光で包んだ。

「魔女さま！」

　転移の光が消えるその瞬間、エスタは声を張り上げてレアケに約束する。

「絶対に、迎えにくるから！」

　レアケにだめだと言わせないために、その言葉をぎりぎりに残した。エスタは光とともに、魔女のもとから姿を消した。