治療と称していただきます

茜菫

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第一部

そばにいるから(6)

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 二人はこのまま抱き合っていたかったが、そうもいかない。ここへは享楽の魔女が遺した魔法を解除するために来たのだから。

 最後の扉の魔法を解除し、中にある魔法を解除してやっとここでの役目が終わる。そのためにもエレノーラは立ち上がらなければならないが、まずは右足の痛みをなんとかしなければいけない。

「レイモンド。ちょっと、右足首を痛めちゃったの」

「一度上に戻るか?」

「ううん、応急処置して続けましょう」

 致命的なけがではなく、応急処置で痛みを抑えれば歩け、作業にも問題ない。応急処置自体は上に戻って行ってもここで行っても同じことだ。作業があるから残ると言った手前、戻るのは気まずいという気持ちもあったが。

「手伝ってくれる?」

「わかった」

 エレノーラが座り直して右足を差し出すと、レイモンドは彼女の足を片手で支え、足を動かさないように気をつけながらゆっくりとブーツを脱がせた。その間にエレノーラはポーチから痛み止めと炎症を抑える薬草を煎じた塗り薬、塗布用の布を取り出す。その布に薬を染み込ませて魔法をかけ、患部に貼りつけようとしたところでレイモンドが手を差し出した。

「私がやるよ」

「ん、ありがとう」

 エレノーラが好意に甘えて預けると、レイモンドは受け取って彼女の足首に貼りつける。

「このハンカチを……」

「いや、僕のを使う」

 ハンカチを手渡そうとしたが、レイモンドは自分のハンカチを取り出して上から丁寧に巻きつけた。

(さすが、手際がいいわね)

 エレノーラがレイモンドの手を眺めていると、彼はハンカチの上に唇を寄せた。目を見開いてそれを凝視すると、顔を上げたレイモンドは少し気はずかしげに視線をそらす。

「良くなるように、おまじないだ」

「好き」

「そっ……そっか」

 顔を赤らめたレイモンドはかわいくて、格好よかった。今夜はどうしてくれようと不埒なことを考えている内に、レイモンドはエレノーラのブーツを履かせ、布を取り出して上から足を固定する。

「立てるか?」

 レイモンドは先に立ち上がり、エレノーラに手を差し伸べる。その手を取って立ち上がるが、薬と魔法のおかげで痛みは感じなかった。

「ありがとう」

「つらかったら、言ってくれ」

 つらいといえば、レイモンドは彼女を抱き上げるだろう。だが、なにかあった時に対応してもらうためにも両腕はしっかり空けておいてもらわなければならない。

「固定はしたし、痛み止めが効いているから、歩くには問題ないわ」

 エレノーラは足に負担をかけないように、ゆっくり歩いて部屋を出る。扉がある部屋に戻ると、残る三つのうち二つの幻の扉を解除した。苦もなく解き終わると、最後の難関である扉に向き合う。

 扉に手を触れると、魔法で封じられていたはずなのにひとりでに解け、音を立てて開かれた。嫌なことに、二人を歓迎しているようだ。

「ねえ、レイモンド」

「なんだ?」

「私、すっごく嫌な予感がするの」

「まあ……そうだな……」

 ほかのすべての魔法を解いたことで、開かれた扉。その先にあるものなど、大抵、ろくなものではない。

「このまま踵を返して帰りたいな、なんて」

「同感だ」

 しかし、この先にあと一つ、なにかの魔法が発動しているのを感じていた。それを解除しなければ仕事を終えたとは言えない。

「ああ、私、もう嫌だわ。レイモンド……帰っていいかしら」

「気持ちはわかるけど、もう少しだ。大丈夫、ぼ……私も、一緒だから」

 レイモンドは安心させるようにエレノーラの手を握った。レイモンドに大丈夫だと言われると、大抵のことは安心できる。

(私を生かしてくれている陛下から直々に与えられた任務だもの。逃げる訳には、いかないわね)

 エレノーラは再び気合を入れた。レイモンドが先に入り、その後に続く。例にもれず、その先の部屋も明かりはなく、薄暗かった。

「ここも暗いな」

「持ち主がもう居ないもの。だれも明かりなんてつけないわ。……気が滅入る場所ね」

 窓がないため、外の光も届かない。エレノーラが魔法で明かりを灯すと、部屋の全容が見えるようになった。

 一見すると書斎のようで、大きな机とその向こうに革張りの椅子が二人に背を向けてある。エレノーラは似たような部屋がほかの隠れ家にもあったと思いながらそれに近づこうとしたが、レイモンドに手で制されて足を止めた。なにかと思いながらレイモンドの前をのぞき見て、異常に気づく。椅子に、だれかが座っていた。

(これは、たぶん……とても、嫌なやつだわ……)

 エレノーラは体がぶるぶると震えるのを止められなかった。前に立つレイモンドはエレノーラを庇うように位置取り、剣の柄に手をかけている。

「遅かったな、エレノーラ」

 くるりと椅子が回ってその人物の姿が二人の目に映った。短く切られたダークブロンドと切れ長で少し細めのブルーグレーの目をした、三十歳後半ほどの男、いや、男の幻だ。

「サミュエル……」

 悪名高き享楽の魔女、サミュエルの幻。エレノーラの記憶に残る、最後に見たあの男とまったく同じ姿をしていた。

 恐らくこの幻は記憶を読む魔法で組み込まれていて、二人の記憶から作り上げられているのだろう。中身も限りなく本物に近いはずだ。エレノーラは震える手でレイモンドの服をつかむ。

「本当に、陛下からの任務ではろくな目に合わないわね」

「エレノーラ、あれは……幻、だな?」

「そうね。でも、私たちの記憶から再現されているから……」

 エレノーラが本物並みに厄介だという気持ちを込めて言えば、レイモンドに伝わったようだ。魔女の視線からエレノーラを隠すように立つと、魔女は改めて彼に目を向ける。

「そっちは俺を殺した騎士じゃないか。いやあ、うれしいね。死んでからも会えるなんて」

 レイモンドは魔女の言葉に低くうなり、彼をにらみつけた。おお怖いとおどけたように笑いながら肩をすくめただけで、ずいぶんと余裕そうだ。

「はっ、そうだ。あなたは死んだんだ。私が、殺した。……だから、どうせあなたは幻だ」

「強気だな。俺を殺したと言っても初めは三人がかりだったじゃないか。……まあ、おまえ以外の二人はなんの役にも立たず、むだ死にしたがね」

 レイモンドは肩を震わせたが、剣の柄をきつく握りしめながらも怒りの感情だけで突撃はしなかった。

「あなたが幻だってことを、私たちは理解している。だから、怖くないわ」

 エレノーラはレイモンドの背から顔を出して、魔女をにらみつける。幻が幻であることを理解し、与えられるものはすべて虚構だと思うことができれば、幻は二人に影響を与えられない。逆に言えば、幻であっても干渉される側がそれを少しでも本物だと思い込んでしまえば影響されてしまう。二人がしなければならないことは、相手を幻だとしっかり認識することだ。

 しかし、魔女の目が自分に向けられた途端、エレノーラは体を震わせてしまうほどに恐怖した。おびえてはいけないとわかっていても、感情はままならない。

「虚勢だな、エレノーラ。幻であっても俺が怖いだろう? じゃなきゃ、俺は顕現しなかった」

「……っ」

 おそらくこの幻は、対象が恐れるものを記憶から読み上げて再現するものだ。エレノーラが一番恐れる享楽の魔女の記憶を読み取り、近くにいたレイモンドからも魔女の記憶を読み取って、この姿となったのだろう。

「しっかり教えこんでやったもの、なあ?」

「う……っ」

「幻だとわかっていても、おまえが俺に恐怖を感じている限りはないものにはできない。あーあ、残念だったなあ?」

 目を細めてにやにや笑う姿は、エレノーラの記憶にある男の醜悪な姿と完全に一致した。エレノーラが幻に恐怖を感じるから幻は彼女に影響を与えて存在し、さらにレイモンドが怒りを感じるから幻はレイモンドにも影響を与えて存在を確かなものにする。負の連鎖だ。

「そういうことだから、諦めて俺の相手をしてくれよな?」

 椅子から立ち上がった魔女から逃げるように、エレノーラはレイモンドの背中に隠れてしがみついた。
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