獅子たちの夏➖会津戦争で賊軍となり、社会的に葬られた若者の逆転人生

本岡漣

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第2章 五日市へ

3 鉄砲と女

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 しばらくの間、私は秋川にかかる佳月橋から川面を見つめた。

 窪みに流れ込む水が、川底の花崗岩に映えて美しい青竹色を放っている
 下に降りて草履を脱ぎ、足を浸した。水はまだかなり冷たい。
 顔を洗うと、鮎が私を避けて遡上していった。
 武原村では葉が目立つようになっていた桜は、ここではまだ満開だった。

 川沿いの道をさらに西へ進むと城山が見えてきた。
 山肌が鶯色と薄桃色の斑模様になっている。
 城山はかつて山城のあった地で、五日市を見渡すには恰好の場所だと道すがらの茶屋
 で聞いていた。

 麓からは半時もかけず登頂できる。
 途中、何度か根茎にひっかかったり道が崩れていたりで、登りきるまで難儀をした。
 それだけに山頂で見た景色は爽快だった。
 はるか先に見える東京湾が、陽炎のように揺らめいていた。

 武原村にいたころよりは、随分と日が短く感じる。
 県境の高い山々がすぐ西に控えているので、あらゆるものが早く日蔭に覆われてしまう。
 私は竹筒に入れておいた川の水を飲み干すと、下山を急いだ。

 半分ほど下った頃、斜め左前方で何か動いた。目が合ったのは猪だった。
 これまでも、山中で鹿や猪に出くわしたことはある。
 いずれも相手が警戒して先に逃げていくか、こちら側が無視すれば事なきを得ていた。

 今度は目論見が外れた。後ずさりすると、枯葉に足をとられて尻餅をついた。
 猪は、カツカツと牙を噛み合わせて音をたてている。と、私めがけて突進してきた。
 寸でのところで起き上がって避けたが、猪は巧みに斜面を使って向きをかえ何度も突進してくる。
 あちこち擦り傷ができたが気にしているどころではない。

 しばらく睨み合いになった。
 私は思わず両腕を突き上げ、「ぽっぽろぽー」と叫んだ。

 ズギューン!

 銃の発射音が聞こえ、猪のすぐ横の切り株に当たった。
 猪は驚いて跳ね上がると、山中に消えていった。
 背後からクックと笑い声が聞こえる。振り向くと、若い女が銃を携えて立っていた。

「なんでぽっぽろぽなの? 普通、わぁーっとか、うおーっとかでしょ?」
 長い髪を後頭部で一まとめにしている。
 両手に皮手袋をはめ、伊賀袴のようなものを穿いていた。
 私はいきなり本性を見られたようでバツが悪く、口ごもってしまった。

「お、俺の里じゃあ動物を脅す時、よう使うっちゃ」
「へえ、鳩の泣き声みたいだけど、面白いところもあるのね。いったいどこ?」
「仙台」
「嘘でしょ?」
 若い女の割には声が低かった。振り返って微笑むと左側に笑窪ができた。
 黒目がちな瞳に、私は心臓がとくんと波打つのを感じた。

「嘘じゃねえ。里を誤魔化してどうすんだ!」
「じゃなくて脅し言葉だってこと。ちっとも怖くないわ。仙台ってのは本当みたいね」
 女は見透かしたように言うと、さっさと山を下り始めた。

 私は面喰って後を追った。
 女は飛ぶように下っていく。足元が覚束ない私との間はどんどん開いた。

「おーい!」
 ふらついて脇の枝を掴むと、先を行っていた女が止まってこちらを振り返っていた。

「礼を言うのを忘れてたべ。おかげで助かった」
 ペコリと頭を下げると、女は何事も無かったかのように再びさっさと下り始めた。

「親父さんがマタギか? 獲物を市で売るんだっぺ? ウリ坊を抱えた母猪かもしんねど
 思ってワザと外れるように撃ったんだべなあ」
「ちがうわ。あんたが変なこと叫ぶから狙いがずれたの。それに父親はマタギじゃないわ。
 昔、知り合いが譲ってくれたの」

 女は時折振り向いて答えながらも下り続けた。
「どおりで。そりゃあ随分古い型だ。ゲベールだっぺ。そんなの使ってるといつか手元で爆発するど」
「そんなの、あんたの知ったことじゃないでしょ!」
「その、あんたってのは止めたほうがいい。嫁の貰い手が無くなっぺ」
「余計なお世話よ! ほっといて!」

 次から次へと言葉が出てくるのが自分でも不思議だった。
 でも女の笑窪を、何としても、もう一度見たいと思った。

「深沢さんて知らねが? このあたりの村の名主さんだって聞いたども……深沢名生さん……うおっ」
 また、枯草に足を滑らせて尻餅をついてしまった。

 辺りの蔓を掴むようにして態勢を立て直していると、いきなり銃口が目の前に見えて
 のけ反った。
 女がいつの間にか戻って、銃を私に向けている。

「あんた誰? どうして、深沢さんを知ってるの?」
「ここに来る前……武原村にいて、教師をしている同僚から紹介してもらった。深沢さんなら
  勧能学校に顔が効ぐって」
「同僚って誰よ?」
「し、篠山……平左衛門……さん」
 両手をあげながら答えると、女は構えていた銃を下ろした。

「嘘じゃなさそうね。心配しないで。もう弾は入ってないわ。旧式の銃でも、こういう時は役に立つのよ」

 女が手を差し出してきたが、私は払いのけた。馬鹿にされたようで腹が立つ。
   自力で立ち上がり、袴や上着についていた枯葉や砂をはらった。

「へえー学校の先生! そういう感じするわ。先生くさいもの」
「臭うか?」
 慌てて自分の肩から腕にかけてを嗅いだ。

「今日は市の日だから、深沢さんは、うちの神社にいると思うわ。秋留神社。私はそこで、
  巫女をしてるの」

 女は可笑しそうに笑うと、「ついて来れば?」とでも言うように顔をクイと左に向けて、
   また飛ぶように下り始めた。
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