獅子たちの夏➖会津戦争で賊軍となり、社会的に葬られた若者の逆転人生

本岡漣

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第8章 明治14年の政変

2 紅葉館

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次の日、私達は沼間社長の元を訪ねた。
 今回、沼間社長に会うのは二度目である。
 三日前に訪ねた時は記事の確認や打ち合わせで忙しい沼間社長に、憲法草案の清書原稿を手渡しするのがやっとだった。
 しかし今回は応接室に招き入れられ、じっくりと話ができた。


「あなたが理久さんか……以前にもお目にかかったな」

 沼間社長は、深々とお辞儀をした理久の頭から足の先までじろりと見て言った。
 声は相変わらず大きく、人の心を鷲掴みにする深さがある。

「済みませんでした。唐突にお手紙を出してしまって」
「いや、返事が遅くなって申し訳ない。辰蔵君とは四月に紅葉館でぱったり会ったが、それ以降はお目にかかってない。紅葉館は知ってるかね?」
「いえ、何も」
「要人の接待施設でね、芝の紅葉山にできたばかりだ。調度品から給仕人の着物、料理、何から何まで紅葉づくし。会った時、辰蔵君は植新という植木屋の法被を着ていたよ。植新の親方は松田屋の庭園の世話もしているので顔見知りなんだ。本来の縄張りは市谷あたりらしいがね。井上の邸宅は市谷だから、何か縁があって弟子入りさせてもらってたのかもしれないな」

 植木屋に弟子入りしていたとは初耳だった。
 確かに、名立たる料亭は手入れの行き届いた庭園を備えていることが多い。
 そういった場所では重要人物の会合が多く開かれる。
 その場にいる機会を増やすために、植木屋に扮していたのかもしれない。

「こう言っちゃなんだが、私はてっきり辰蔵君はお駒といい仲なのかと。冷やかし半分に聞いたことがあったが、きっぱり否定するもんで照れてんだろうと思っていたよ。それが、こういうことだったとは……ハハハ。色男ってのは困るねえ。一人で複数のいい女を引きつけるんだから、男はあぶれっちまう」

「お駒さんをご存知なんですか?」

「松田屋で女給をしてたが店主に言い寄られて困ってたから、紅葉館で芸を売れるよう口利きしてやった。あそこは芸だけを売るところだから、安定してお呼びが掛かるかどうかは、本人の腕次第だがね」

 西日が当たり始めた部屋は、うだるように暑い。
 開け放たれた窓からは、風のかわりに蝉時雨が入ってきた。
 沼間社長は手に持った団扇をせわしなく動かしながら、三人に席を勧めた。

「岩倉大臣が内々に催すという演芸会だがね。芝の能楽堂の事じゃないかと思ったんだよ」
「能楽堂?」
「ああ。紅葉館と同じ敷地にあるんだが、経営母体が違う。岩倉さんが他の華族に働きかけて建てた。日本も西洋のオペラに見劣りしないような芸を育てていくことが必要だっていうんでね。四月に完成したばかりだが、月に一度演芸会をしてると聞いたことがある」
「これまでどういった者が出てたかわがらねえすか?」
「さあ……なんなら植新の親方にでも聞いてみたらどうかな? 庭続きだから能楽堂の管理人に知り合いがいるかもしれない。そう言えばこの度は、お見舞い申し上げるよ。ここら辺は頻繁に火事にやられるから、鎮火したあくる日に鼻歌まじりに再建に取りかかるのが江戸っ子だなんていうが、火事だけは御免こうむりたいもんだ。放火の下手人はつきとめられたのかい?」

 私達は揃って首を横に振った。

「あの日以来、辰蔵が姿を消したんです。きっと思い当たるところがあって一人で下手人を追ってるんでねえがと」
「辰蔵君は井上の密偵だったことを自分から打ち明けたそうだな。井上が五日市学芸講談会のような結社の活動を潰す命令を下したとして、井上個人を倒しても何も変わらん」
「私も同感です。でも辰蔵は、肺を病んでいるかもしれないんです。だから自分の余命を知って、捨て身の行動をとる気かもしれません」
「でも井上や取り巻きたちは辰蔵君の顔を知ってる。どうやって近づくんだ? 井上が能楽堂の演芸会に出席するとして、そこは厳重に警備されるだろう。かといって、その他の井上の予定を知るのは難しい」

 部屋の中に重い空気が漂った。
 私は以前から抱いていた疑問を、沼間社長にぶつけてみることにした。

「沼間さんは、去年の大会の時も、複数の政府の密偵をそうと知りながら泳がしていたと言われました。抵抗は無がったんですか? 相手はどんな手だって使おうと思えば使える。民権を唱える者は国賊だと言い、演説会に来ていただけで小学生を投獄する始末だ。そんな何でもありの相手にこちらの情報を握られるわけでしょう?」

「政府の中も一枚岩じゃあない。こっちの情報も伝わって、組めるところと組んだほうがいい。そうやって岩の亀裂を広げておく価値はある」
「辰蔵も同じ様に考えていたのかもしれません。でも政府は益々専制化していった。少なくとも辰蔵にはそう映ったようです」

 沼間社長は肩まで伸びた髪をかき上げながら、ゆっくりと答えた。

「特権階級に登りつめると、必ず人間はその特権を守ろうとする。だが、そうでない者のほうが圧倒的に多いから、長く実力者であり続けるには民衆に受け入れられる理想を説かざるを得ない。このせめぎ合いが政治を動かす。
 互いの落としどころに落ち着くまでには、時間がかかる。避けたいのは、こっちが一枚岩でなくなることだ。多少の考え方の違いはあっても、国会開設という同じ目標に向かっていることを、あらゆる機会を捉えて確認しなければいけない。必要なのは秩序だった行動だ」

「失礼します」という声がして社員の一人が部屋に入り、沼間社長に紙切れを差し出した。
 沼間社長は、団扇で喉元に風を送りながら一瞥したが、紙を卓台に置くとこちらを見た。

「今、開拓使払下げ反対の演説会場をあたってる最中でね。開催可能という返事が来た。場所は新富座。三千人は収容できる。開催日は、演芸会と同じ八月二十五日。本当は二十五日より前にしたかったが、先方にも都合があるようでね」
「新富座で演説会ができるんですか?」

 新富座は京橋近くに建てられた歌舞伎劇場で、1度火災に遭ったあと近代的な大劇場へと再建され、ガス灯の配備により夜でも興行できると話題になっていた。

「そうか、歌舞伎ができて演説ができないわげねえ。 でもなぜ25日より前がいいと?」
「今や開拓使払下げ問題は、国全体を巻き込む大問題だ。新富座での払下げ反対演説会は、各新聞で取り上げられるだろう。不服従行動は万人に共通する理想の下で、武力を伴わず組織立って粛々と行われた時、政治を最も望ましい方向へと動かす。たった一人でも捨て身の行動をとれば、相手方に強い拒否反応を生じさせるきっかけになる。記事を読んで辰蔵君がその片鱗でも感じれば、捨て身の行動は思い留まってくれるんじゃないかと期待してるんだが」

「同日開催でも、思い留まるでしょうか?」
「開演時間は演芸会よりかなり早めにできる。おそらく、かなりの数の聴衆が集まるはずだ。演説会の盛況を知れば、あるいはということも考えられる。先日、持って来てくれた憲法草案、読ませてもらったよ。なかなかの力作だ。
 ついては、新富座の演説会で演壇に立ってもらえないかと思うんだが、どうだね? 草案作成過程の苦労話だ。教員としての経験も踏まえて解りやすく語ってほしい」

「えっ! 三千人の前で……ですか……」
 私はごくっと唾を呑んで権八の肩を小突いた。
「お前がやれ!」
「何言ってんですか⁉ ここは、先生がやるとこでしょう! 掛図に自分で絵を描いて、大勢の前で説明して回ってたじゃないですか!」
「それとこれとじゃ、規模ってもんが……」
「そうよ! 演目は、金星と弦月でどうかしら」
「そう先々勝手に決めんでねえ!」
「新聞に広告も載せる。演者の中に千葉卓三郎の名があれば、辰蔵君の目に止まりやすい。君がかつて教員をしていた武原村や五日市あたりの人まで興味を持つだろう」
「はあ……」
 わさわさと頭を掻いてみたが、三人の視線は私に集まったままだった。

「なら、やらせて、いただきます」
「おっ! 有難い! やってくれるか! じゃあ、印刷担当の者に早速伝えておく」
 承諾してしまった……私は沼間社長を見送りながら、両手で頬をバシバシと叩いた。
 
 八月二十五日まで、残すところ一週間しかない。
 新聞社から出て宿へ戻ると、理久と権八は荷物を整えて東京を発った。
 それぞれの郷里に戻り、村人たちに沼間社長が主催する演説会の参加を呼びかけるためである。
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