獅子たちの夏➖会津戦争で賊軍となり、社会的に葬られた若者の逆転人生

本岡漣

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第8章 明治14年の政変

3 祭り囃子

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 ひとり三浦屋に残った私は、次の日から演説に向けての準備を始めた。
 まずは他の演者との顔合わせ。それから大まかな内容の摺合せをした。
 予定弁士は沼間社長と私の他四人。いずれも雄弁家として名を馳せていた人物だったので、気後れがした。

 一日で草稿を書き、沼間社長に見せた。

 新富座を下見しておくよう言われ、私は閉演後の場内へと足を踏み入れた。
 平土間に枡席、正面と両側に桟敷席が設けられている。
 天井からは二基のシャンデリアが吊り下げられ、舞台前に取り付けられたガス灯が、舞台に立つ者を足元から照らし出すようになっていた。

 試しに、台の中央へと上がった。
 箒片手に客が残した屑を集める茶屋の給仕たちが見える。
 ここが聴衆で埋め尽くされ、すべての目が私に向けられると想像すると、膝がガクガクしてきた。

「なあに、武者震いだっぺ」
 呟いたが、その自分の声が震えているのには慌てた。

「うおーっ!」
 会場の中ほどまでの掃除人は台上の私を振り返ったが、それより後ろは聞こえてないらしく無反応だった。

 声が通らないと文字通り話にならない。
 あくる日から草稿の手直しに加えて、発声練習も始めた。
 宿では迷惑がかかるので騒音のする場所へ出向いた。
 新橋ステーション、数寄屋橋を見下ろす土手……。
 腹筋を意識しながら声を張り上げる。
 声帯を鍛えるのに良いと勧められた生卵も、朝夕一個ずつ食べ続けた。

 演目は「月の弦と金星の矢が指し示すもの」と決め、開演広告の記事に掲載された。
 一方で入場券の準備など雑務を手伝った。

 演説内容をほぼ暗記すると、気持ちにゆとりが生まれた。
 練習を見た沼間社長からマシになって来たと言われると、益々やる気が湧いてきた。
 以前は、聴衆から「引っ込め!」と野次を飛ばされるのではないかと不安だった。
 だが今は、拍手喝采される姿すら脳裏に浮かぶ。
 この演説こそが、自分がこれまで積み上げてきたことの集大成のようにも思える。

 気持ちにゆとりが生まれると、全体を俯瞰する余裕が出てきた。
 私は辰蔵が弟子入りしていたという、植新の親方の元を訪ねてみることにした。

 道すがら祭の光景を目にした。
 八幡神社の例大祭だった。
 多くの幟が立ち、笛や太鼓の音が聞こえる。
 五日市を思い出した。
 本来ならこの時期は、獅子舞の練習に明け暮れる頃だ。
 次の瞬間、ふと気づいた。
 一人立ちの三匹獅子舞は関東一円の村々で、沢山の共通点を持ちながら舞い継がれている。
 しかも、辰蔵は踊ることができる。

 親方の柿沼新吉は、幸運にも在宅中だった。
 六十がらみの小柄な男である。
 前歯の抜けたところに器用に煙管をくわえながら話を聞いてくれた。
 やはり辰蔵の行方は知らないという。

 井上の邸宅も柿沼宅からそう離れてないはずだった。
 柿沼に尋ねると、邸宅内の庭木の剪定を頼まれたことがあるという。
 住所を聞いて井上邸を捜した。

 陸軍士官学校近くの井上邸前に立った時、かねてからの謎が解けた。
 何気なく見上げて目に入った鬼瓦に彫られた模様を、どこかで見たと思った。
 菊池さんが最期に握っていた根付に彫られていた模様である。
 私が見たのは一部分で、外枠は菱形と想像していたが実際は正方形の隅角を切り取った形だった。
 中に彫ってあったのは手斧に見えたが、実は杵を模していた。
 根付に彫られていたのは、井上家の家紋だった。

 私は警視総監の密旨を受けた者がやった可能性も考えていたが、辰蔵はあの時、井上が放った手下が菊池さんを刺したと確信したに違いない。そして捨て身の覚悟でいるなら、同じ日に開かれる演説会など気にかける余裕はないはずだ。

 矢も盾もたまらず、人力車を駆って銀座へと戻った。

 東京横浜毎日新聞社に着くと、はやる気持ちを抑えて社長室の扉を叩いた。

「三匹獅子舞をやる村といってもねえ……」
 各地で演説会を開いてきた沼間社長は、その後の懇親会にも多く出席しているため、祭事情に詳しい。
 しかし、該当する村が多く絞りきれないようだった。

「ここら辺りじゃあ見かけないなあ。あえて言えば西から南にかけて、かな。こんな大雑把な表現ですまないがね」

 確かに、大名屋敷が建ち並んでいた江戸にはなく、周辺の村で引き継がれているのは納得できる。

「有難うございます!」

 沼間社長が驚いた顔でこちらを見た。
 声が大きかったようだ。
 私はお辞儀もそこそこに新聞社を出た。

 あとは、お駒に頼るしかなかった。
 沼間社長の口利きで、紅葉館の座敷に顔を出したことがあるはずだ。
 お糸と二人で住んでいるという築地の長屋を探しあて、前でお駒を待った。

 帰ってきたお駒に、何とかして能楽堂での演芸会の出演者を知りたいと頼み込んだ。
 あと三日しかない。
 前日までにわかれば御の字という思いで切り出すと、お駒は予期せぬことを言った。
「ここで待っといとくれよ。わかるかもしれないから」

 お駒は近所のイギリス人宅で女中としても働いていた。
 その主が商法講習所の教官をしている関係で、演芸会に客として招待されていたことがわかったらしい。
 小走りに戻って行ったお駒の後姿を見送って、私は備前橋の袂に腰を下ろした。

 小石を拾って、目の前を流れる築地川に幾つも投げた。
 額に枝垂れた柳の葉が触れて見上げると、隣にそびえる築地本願寺の三角屋根が覆い被さってきそうに見える。
 再び小石を拾って川に投げ込むと、通りがかった渡し舟の船頭に「何しやがんだ! 危ねえじゃねえかっ!」と怒鳴られた。
 ペコペコ頭を下げて、舟が行き過ぎるのを待った。
 そうするうちに下駄をからげる音がして、お駒が戻って来た。だが浮かぬ顔をしている。

「奥様が書き写してくれたんだけどね。これなんだよ。あたしゃサッパリわかんない。あんた、読めるかい?」

 お駒が渡してくれた紙には、ローマ字がずらりと並んでいた。
 日本人が見るのを意識してか、大きめに区切って書いてある。
 数列にわたって書かれてあり、これが出演者の一覧表であろうと見当はついた。

「かたじけない。助かった。知り合いの牧師に聞けば、何が書いてあるかはわかる」
 不安そうな顔で見上げているお駒に、急いで礼を言った。

「お駒さん、あんた……辰蔵に惚れてんだろ? なのに理久さんに肩入れしてる。どうしてそんなことができんだ?」
 白い肌に急に赤味がさして、お駒の頬が緩んだ。

「な、何言ってんだい藪から棒に。あたしゃ今まで、あの理久さんほど嫌な女に会ったこたぁない。だから、あたしのほうがちょいとましだってことを見せつけてやりたいだけさ。さあ、早くその牧師とやらの所へお行きよ。悠長にしちゃいられないだろ?」

 軽く会釈してその場を離れた。あの牧師は今どこに……。

「あんた、学校の先生やってんだってね。あんたに教えてもらう子は幸せ者だ。いずれあたしが産む子もあんたの学校に入れるから、それまで教師やっといとくれよ」

 振り返ると、備前橋の袂でお駒が手を振っていた。
 私はお駒に向かって、大きく手を振り返した。
 
 久しぶりに目にするローマ字だったが、暫くすると、少しずつ意味を思い出した。

 kotoは琴。Japanese bamboo flut は篠笛だろう。
 Chinese lute は月琴だろうか……目線を下げて行くと、ある文字が目に飛び込んで来た。
 Japanese drum with Lion dance ……

「これだ、きっと!」

 紙を持つ手が震えて、カサカサと乾いた音がした。
 その文字の横に、Rokugou Shrine とある。
「ロクゴウ?……六郷……神社!」

 六郷は川崎に近い。それも筏流しの終着点だ。

 頭に血が上って来るのを感じた。ここだ! ここしかない!
 私は新橋ステーションへと走った。
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