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008-揺れる絆と刻まれた傷跡
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私は理光に冷たい態度を取ったのに、彼はそれをただのわがままだと思っているらしい。何しろ、以前から私の身体を散々痛めつけてきたのだから、彼は私を抱き寄せて優しく宥めた。
私は元々耳が弱いので、表向きは彼に反抗しているふりをしても、坂本家に戻れば彼を困らせるようなことはしたくなかった。それに、坂本家の祖母に私たち若者のことで心配をかけたくもなかった。
「坂本さん、お戻りですね。渡辺さん、お待ちしておりましたよ。おばあさまも今日はずっとおっしゃってましたよ」
京菓子が用意され、祖母は私が来ると、召使いに椅子を持ってこさせた。
理光は私の傍らに立ち、無意識に後ろ髪の短い毛を撫でている。
他の婦人たちは私を見ると、笑いながら言った。
「坂本さんは場を和ませに来たんだわね」
祖母は理光を軽く叱り、「いたずらをするな、男らしくすべきことをしなさい」と注意した。
理光は皆に軽く挨拶をしてから、そっとその場を離れた。
京菓子の間ではいつも通り世間話と噂話が尽きず、皆は坂本さんの婚約話に触れた。
彼女たちは皆、祖母が私を気に入っていることを知っていて、私が彼の嫁になると決めていると信じていた。そして私に媚びを売りつつ、他の女たちの悪口を話した。記者が勝手に書き散らしているとか。
祖母は毅然とした態度で言った。
「ここ数か月のことはこのままでいいの。長引かせれば美恵が噂になってしまう。親戚に顔向けができなくなるし、坂本家の門が簡単に開くと思われてしまうわ」
私は横で少し居心地悪く感じ、言葉数も少なくなった。
解散後、寺町の家に帰ろうとしたが、出発前に祖母としばらくお茶をしながら話した。
祖母は私の手を握り、真剣な表情で言った。
「美恵、理光はただの愚か者よ。心が定まらず、あちこちに手を出しているけど、悪意はないのよ」
私は心の中で思った。
“悪意がない?そんなわけない、散々悪いことばかりしてるくせに……”
祖母は続けた。
「彼はいま商売の交渉で政府関係にも手を伸ばしている。そういう場では、女性が男性の腕を組むのは、親密さではなく礼儀作法なのよ」
私は静かに返事をした。
「わかっています」
「それに、あなたと彼の絆は幼いころからのもので、誰にも負けない深さよ。彼の額の傷を見てごらんなさい。理光の父上が亡くなる前のこと、彼はどんなに温厚だったか。誰かと怒鳴り合うようなことはなかったわ。でもあなたのために喧嘩して七、八針縫った。目を覚ましても怒りが収まらず、殺したいくらい騒いでいたのよ」
私はどうして忘れられようか。
あの頃、私は彼を待つことに迷いも苦しみもなく、ただその傷のために彼を愛したのだから。
理光は学生時代から風雲児だった。読書会を主催し、社会運動を組織した。周囲が実業で国を救おうと言う中で、彼は教育で国を救うと言い、学生の間でひときわ目立っていた。
当然、支持者もいれば嫉妬する者もいた。
彼に敵対した者は、彼が若くして婚約者がいることを嘲笑したが、彼は気にせず無視した。
無視すればするほど、敵意は募った。
その頃、私は彼に手紙を書いていた。字は上手くなかったので、一通書くのに何週間もかかることもあった。彼に送る手紙には、琵琶湖のほとりを一緒に歩きたいと書いた。
理光は家の運転手に私を学校まで迎えに来させた。
琵琶湖で、彼の敵と出くわし、相手は私を指差して嘲笑った。
最初は理光も穏やかに話そうとしていたが、私が怯えて彼の後ろに隠れるのを見ると、相手はからかうつもりで私の手首を引っ張り、電車に乗ってぐるっと回らないかと囁いた。
理光は低い声で言った。
「どうしようと構わないが、彼女に触れるな。そうしたら容赦しない」
相手は笑いながら挑発した。
「お前はどうやって容赦しないつもりだ?」
理光はその時はまだ穏やかだった。実際に手を出すことはほとんどなく、素の厳しさが本領を発揮するのは本気になった時だけだった。
彼は本当に厳しい人だった。それが骨の髄まで染みついていたからこそ、今の坂本理光があるのだ。
私は元々耳が弱いので、表向きは彼に反抗しているふりをしても、坂本家に戻れば彼を困らせるようなことはしたくなかった。それに、坂本家の祖母に私たち若者のことで心配をかけたくもなかった。
「坂本さん、お戻りですね。渡辺さん、お待ちしておりましたよ。おばあさまも今日はずっとおっしゃってましたよ」
京菓子が用意され、祖母は私が来ると、召使いに椅子を持ってこさせた。
理光は私の傍らに立ち、無意識に後ろ髪の短い毛を撫でている。
他の婦人たちは私を見ると、笑いながら言った。
「坂本さんは場を和ませに来たんだわね」
祖母は理光を軽く叱り、「いたずらをするな、男らしくすべきことをしなさい」と注意した。
理光は皆に軽く挨拶をしてから、そっとその場を離れた。
京菓子の間ではいつも通り世間話と噂話が尽きず、皆は坂本さんの婚約話に触れた。
彼女たちは皆、祖母が私を気に入っていることを知っていて、私が彼の嫁になると決めていると信じていた。そして私に媚びを売りつつ、他の女たちの悪口を話した。記者が勝手に書き散らしているとか。
祖母は毅然とした態度で言った。
「ここ数か月のことはこのままでいいの。長引かせれば美恵が噂になってしまう。親戚に顔向けができなくなるし、坂本家の門が簡単に開くと思われてしまうわ」
私は横で少し居心地悪く感じ、言葉数も少なくなった。
解散後、寺町の家に帰ろうとしたが、出発前に祖母としばらくお茶をしながら話した。
祖母は私の手を握り、真剣な表情で言った。
「美恵、理光はただの愚か者よ。心が定まらず、あちこちに手を出しているけど、悪意はないのよ」
私は心の中で思った。
“悪意がない?そんなわけない、散々悪いことばかりしてるくせに……”
祖母は続けた。
「彼はいま商売の交渉で政府関係にも手を伸ばしている。そういう場では、女性が男性の腕を組むのは、親密さではなく礼儀作法なのよ」
私は静かに返事をした。
「わかっています」
「それに、あなたと彼の絆は幼いころからのもので、誰にも負けない深さよ。彼の額の傷を見てごらんなさい。理光の父上が亡くなる前のこと、彼はどんなに温厚だったか。誰かと怒鳴り合うようなことはなかったわ。でもあなたのために喧嘩して七、八針縫った。目を覚ましても怒りが収まらず、殺したいくらい騒いでいたのよ」
私はどうして忘れられようか。
あの頃、私は彼を待つことに迷いも苦しみもなく、ただその傷のために彼を愛したのだから。
理光は学生時代から風雲児だった。読書会を主催し、社会運動を組織した。周囲が実業で国を救おうと言う中で、彼は教育で国を救うと言い、学生の間でひときわ目立っていた。
当然、支持者もいれば嫉妬する者もいた。
彼に敵対した者は、彼が若くして婚約者がいることを嘲笑したが、彼は気にせず無視した。
無視すればするほど、敵意は募った。
その頃、私は彼に手紙を書いていた。字は上手くなかったので、一通書くのに何週間もかかることもあった。彼に送る手紙には、琵琶湖のほとりを一緒に歩きたいと書いた。
理光は家の運転手に私を学校まで迎えに来させた。
琵琶湖で、彼の敵と出くわし、相手は私を指差して嘲笑った。
最初は理光も穏やかに話そうとしていたが、私が怯えて彼の後ろに隠れるのを見ると、相手はからかうつもりで私の手首を引っ張り、電車に乗ってぐるっと回らないかと囁いた。
理光は低い声で言った。
「どうしようと構わないが、彼女に触れるな。そうしたら容赦しない」
相手は笑いながら挑発した。
「お前はどうやって容赦しないつもりだ?」
理光はその時はまだ穏やかだった。実際に手を出すことはほとんどなく、素の厳しさが本領を発揮するのは本気になった時だけだった。
彼は本当に厳しい人だった。それが骨の髄まで染みついていたからこそ、今の坂本理光があるのだ。
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