目が合うたび、恋が始まっていた

perari

文字の大きさ
3 / 36

003

しおりを挟む
俊介は知っていた。弦生が西村の実の兄ではないことを。そして、西村と弦生がただの兄弟以上の、どこか親密な関係にあることも。
西村もまた、俊介の事情を知っていた。
彼が幼い頃から伯母の家に住んでいること。父親は早くにいなくなり、母親は遠くで再婚して、それ以来一度も帰ってこなかったこと。
俊介には自分の部屋がなかった。彼の寝床は居間のソファ。伯母の家は百平米ほどの三LDKで、一つは伯母夫婦、もう一つは妹の部屋。そして本来俊介が使うはずだった部屋は、弟が生まれてから祖母と弟のものになり、俊介は自らソファに移ったのだった。
夜になると布団を抱えてリビングに運び、皆が寝静まってから灯りを消して横になる。朝は誰よりも早く起き、洗面所を使う。そうしないと家族の順番に入れないからだ。
最近、祖母は実家の用事で戻っており、毎朝幼稚園へ弟を送るのは俊介の役目になっていた。弟は大人しく、あまり喋らない。その性格は俊介にどこか似ていた。
ある日の夕方、俊介は帰宅の前に制服をクリーニングに出した。鞄は自分で洗えるが、制服だけはどうにもできない。一着千円。俊介は迷わず支払い、クリーニング票を握りしめたまま校服姿で帰路についた。心の中で苦笑する。――転んだだけで千円が飛んでいった。
だが、去年のあの八千円に比べれば、大したことはないのかもしれない。
思い出すのは、あのとき渡せなかった八千円。そして、彼の二人の「債主」の顔。俊介は思わず顔を覆い、下を向いて足を速めた。
毎朝、弟の手を引いて幼稚園に送り届ける。早すぎると門は閉まっていて、開くのを待つ時間も惜しい。そのせいで俊介はいつもギリギリで学校に駆け込むことになった。
金曜日、その日は幼稚園の門が数分遅れて開き、さらにバスを一本逃した。結果、彼はまたもや遅刻を免れなかった。
校舎に入るにはサッカー場を横切らなければならない。俊介が駆け込んだとき、すでに始業のベルが鳴り響いていた。
表情は無で保ちながら、心の中では「あああ……」と叫ぶ。冷たい空気を吸い込みすぎて胸が痛い。それでも間に合わなかった。
人前に立つのが苦手な彼にとって、遅刻は罰よりも恐ろしい。
「また遅刻?」背後から声がかかった。
振り向くと、航平が雪かきをする大きな箒を持って歩いてくる。隣には見知らぬ男子生徒。航平はその話に耳を傾けつつ、俊介の方へ笑みを向けた。
絶望していた俊介は、普段より緊張せずに「……うん」とだけ答えた。
航平とその友人が歩き出す。俊介はついていかず、ただ俯いたままこれからの罰を思って暗い気持ちでいた。
航平が数歩進んでから振り返り、「来いよ」と声をかける。
俊介はきょとんとした顔で立ち尽くす。航平の手には箒だけ。バケツもない。自分がついていっても紛れ込めるはずがない。
航平は眉を上げ、からかうように笑って言った。
「弦生がいないと俺と一緒に来られないのか?」
俊介は反射的に首を振った。
航平の笑顔は格好よかった。目尻にかかる笑みは柔らかく、普段の少し不良めいた雰囲気をすっかり消してしまうほどに。
俊介は指先でそっと親指の横をいじりながら、慌てて歩みを早めて彼らに追いついた。
航平が友人と話す横で、俊介は影のように存在感なく後をついていく。
もうすぐ校舎に入るというところで、頭の中は「名前を聞かれたら」「クラスを聞かれたら」と想像でいっぱいになった。
「鞄、貸せ」航平が突然言った。
俊介が我に返ると、航平は友人に箒を預け、外套のファスナーを下ろして脱ぎ始めていた。制服の下は白いTシャツ一枚。氷点下二十度の寒気に晒され、彼は肩をすくめ、瞬時に鳥肌を浮かべる。
俊介は目を見開いた。なぜわざわざ外で服を脱ぐのか。
航平は白い息を吐きながら、俊介の鞄を前に抱え込むように持ち替え、震える声で言った。
「早く! いつまで見てんだよ、俺マジで凍え死ぬって!」
俊介はただ呆然と、航平が自分の鞄を肩にかけ直し、すぐに外套を羽織り直す様子を見つめていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

寡黙な剣道部の幼馴染

Gemini
BL
【完結】恩師の訃報に八年ぶりに帰郷した智(さとし)は幼馴染の有馬(ありま)と再会する。相変わらず寡黙て静かな有馬が智の勤める大学の学生だと知り、だんだんとその距離は縮まっていき……

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

恋愛対象

すずかけあおい
BL
俺は周助が好き。でも周助が好きなのは俺じゃない。 攻めに片想いする受けの話です。ハッピーエンドです。 〔攻め〕周助(しゅうすけ) 〔受け〕理津(りつ)

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

勘違いラブレター

ぽぽ
BL
穏やかな先輩×シスコン後輩 重度のシスコンである創は妹の想い人を知ってしまった。おまけに相手は部活の先輩。二人を引き離そうとしたが、何故か自分が先輩と付き合うことに? ━━━━━━━━━━━━━ 主人公ちょいヤバです。妹の事しか頭に無いですが、先輩も創の事しか頭に無いです。

百合の匂い

青埜澄
BL
大学生の佑は、同じバイト先で働く修と親しくなる。 強引で無邪気で、どこか危うい修に振り回されながらも、佑は次第に自分の世界が修で満たされていくのを感じていた。

【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。

ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。 幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。 逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。 見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。 何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。 しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。 お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。 主人公楓目線の、片思いBL。 プラトニックラブ。 いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。 2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。 最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。 (この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。) 番外編は、2人の高校時代のお話。

虎狩りと鴨撃ちの輪舞(ロンド) ~奈佐原高校チェス同好会~

奈倉柊
BL
 どうにかこうにか、26話ハッピーエンドにて無事完結です! 〈あらすじ〉  夏の終わり、チェス同好会の佐々木航太は、以前から気になっていた吹奏楽部の鷺沢に声を掛けられる。  チェスの対局を通して急速に距離を縮めていく二人だが、鷺沢の言動にはどこか不自然なところがあり…。チェス同好会のメンバーはお節介や好奇心から鷺沢の周辺を詮索し始めるが、それぞれが思いがけない事態に直面することになる。  チェス同好会による「鷺沢と航太を幸せにしようプロジェクト」は成功するのか?  そして彼ら自身、各々の幸せにたどり着くことができるのか? 〈登場人物〉  佐々木航太、チェス同好会二年。とりあえずチェスと鷺沢に夢中。好きな駒はナイト。  鷺沢悠、吹奏楽部二年。諸事情あって人生最悪の夏を過ごしている。好きな駒は(推定)ビショップ。  仁木未来、チェス同好会二年。鷺沢の不幸感が気になって探りを入れたら面倒な事態に。好きな駒は、安直にクイーン。  大宮哲生、チェス同好会二年。自他共に認める「目つき悪い奴」。頭の良さがたまに暴走する。好きな駒はルーク。  熊田将吾、チェス同好会一年。通称クマ、見た目もクマ。気は優しくて力持ち。好きな駒はキング。  鮎川凛久、帰宅部二年。鷺沢いわく「普通に性格悪い」。チェスに興味はない。  チェスなんかルールも知らない、という方、大歓迎です。色々ルビ振ったりもしてますが、何となく雰囲気で流してください。謎の記号や専門用語やいちいち細かい対局シーンなどは、まるっと読み飛ばしていただいてOKです。  ちなみに、チェス知ってる、やってる、好き、という方へ。  各話タイトル&ストーリー展開は、1851年のアンデルセンvsキーゼルツキーの「不滅の名局」をベースにしています(解釈は個人的なものです)。  作中の航太と鷺沢の対局シーンはすべて実在の棋譜を借用しています。一局目は前述のアンデルセンvsキーゼルツキー、二局目はペトロシアンvsパフマン、三曲目がレティvsアレキン(アリョーヒン)という無茶っぷりです。現代の高校生が19世紀のグランドマスターのチェスを指すわけないんですが、その辺はあまり突っ込まないでください。

処理中です...