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五、深草別業
(八)
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正面には板敷の床の上に一畳の畳が横並びに二つ置かれていて、向かって右の畳の上には色白で肥満気味の青年が脇息に寄り掛かかってだるそうに座っていた。文様が織り込まれた光沢のある浅黄の狩衣を着て立烏帽子であった。一方、左の畳の上には温和な雰囲気の中年の男が脇息に右肘を置いて右手で持った扇を口にあてて座っていて、左手は胡坐をかいた膝の上に置いている。丸型紋の目立つ橡の狩衣を着て立烏帽子であった。
更に、この二人の右には几帳が置いてあって、左には、六十代と思しき恰幅のいい男が座っていた。この男も狩衣に立烏帽子である。そして、几帳の脇からは、扇のように広がった華やかな衣の先が見えていた。左の恰幅のいい男の方は、終始、にこやかにしているものの、目つきは、それに反して鋭かった。
「こちらが、あさつゆを稲荷山にご案内した者だそうです。」と、左に控えていた恰幅のいい男が正面の二人に話しかけた。
すると正面左側の温和そうな中年男が「そうか。」とだけ答えた。あまり芳野には興味がなさそうであった。右側の肥満気味の青年は脇息に寄り掛かりながら、あらぬ方を見ている。芳野は、あまり歓迎されていないなと感じた。
正面左側の中年男は、今度は几帳の方に向かって声をかけた。
「駿河よ。どうであった、稲荷詣では?」
芳野は、男が「駿河」と呼びかけたのに気付いて、几帳の向こうにいるのは、あさつゆか?と思った。果たして、次に返って来た声は稲荷山で聞いたあさつゆの声だった。
「大変、よろしゅうございました。稲荷の大神の神々しいさまがお山のすみずみより感得されて、それはありがたきものでありました。」
「そうか。予も去年の如月、初午に詣でたことがある。大変な人であった。山を登るのは難儀であったろう?」
「神のあらせられるお山でございますので、たやすくは人の行き着くところではございません。」
「大変であったと見える。古、堀河の中宮は、困じて、一日のうちに還向ならずと聞く。女の足では苦しかろう。」と笑いながら、隣の肥満気味の青年に向かって、
「右衛門督殿は、どうであろう、詣でたことはございますかな?」
これを聞いて、芳野は、正面右側の男は右衛門督と呼ばれている男であることが分かった。
「否、いまだ、稲荷詣では果たせず。いずれ、初午には詣でたいとは存ずるが。」
「稲荷の三峰を登り巡るのはなかなかの苦行ですぞ。」
とまた笑った。笑いがおさまったあと、少し、間が空いた。すると、几帳の向こうから、
「神さびて」と詠いかけるのが聞こえた。そして、一息置いて、「高嶺は雲の奥ながら稲荷の神のしるしをぞ見る。」と続けた。
ほう…と、左側の中年男は感心したようだった。芳野には歌の巧拙はわからないので、何に感心したのかは判然としなかった。
すると、「伏見の源中納言様、こちらを。」と言って、几帳の裏から、若い女性が出て来て、杉の小枝に料紙を刺したものを開いた扇に乗せて、左側の中年男の元に差し出した。これで、芳野は、正面左側の男は伏見源中納言と呼ばれている男であることがわかった。また、几帳の裏から出てきた若い女性をよく見ると、あきおぎだった。几帳の向こうにはあきおぎもいたようだ。
「稲荷の験の杉でございます。」
そして、右側の太った青年、右衛門督と呼ばれた男にも杉の小枝が手渡された。こちらには料紙は刺さっていなかった。
「右衛門督殿、これはいい『験』かもしれませんぞ。」
右衛門督は左側の中年男、伏見の源中納言と呼ばれた男の顔を不審そうに見やると、すぐに言っている意味を理解したのか、頷いて、「確かに。いい『験』かもしれん。」と喜色満面になった。そして、両人とも杉の小枝を襟元に差した。伏見源中納言は、差す前に料紙を開いて中を見ると、「神さびて…」と読み始めたが、すぐに懐にしまった。
そして伏見源中納言は料紙と墨、筆を持ってこさせると、さらさらと書いて、詠みあげた。
「しるしとて襟にさしたる杉の枝の今日明日にも神の宿るらむ。」
そして、歌を書いた料紙をあきおぎに渡して几帳の向こうのあさつゆに渡させた。
「よいお歌でございまするな。」と左に控えていた六十代と思しき男が追従した。
男の追従を聞いた右衛門督は、落ち着いた口調で静かにしゃべり始めた。
「近頃の仏の憎慢、目に余るものがあるな。君を軽んじて、傍若無人の所業、神罰の下ることも、そう遠くはあるまい。」
『仏』が指す人物が誰かを察した伏見源中納言は、「そうですな。」と笑みを浮かべながら相槌を打った。
「君のためにも除かねばならない。」
右衛門督は、そう囁くように呟くと、沈黙した。
更に、この二人の右には几帳が置いてあって、左には、六十代と思しき恰幅のいい男が座っていた。この男も狩衣に立烏帽子である。そして、几帳の脇からは、扇のように広がった華やかな衣の先が見えていた。左の恰幅のいい男の方は、終始、にこやかにしているものの、目つきは、それに反して鋭かった。
「こちらが、あさつゆを稲荷山にご案内した者だそうです。」と、左に控えていた恰幅のいい男が正面の二人に話しかけた。
すると正面左側の温和そうな中年男が「そうか。」とだけ答えた。あまり芳野には興味がなさそうであった。右側の肥満気味の青年は脇息に寄り掛かりながら、あらぬ方を見ている。芳野は、あまり歓迎されていないなと感じた。
正面左側の中年男は、今度は几帳の方に向かって声をかけた。
「駿河よ。どうであった、稲荷詣では?」
芳野は、男が「駿河」と呼びかけたのに気付いて、几帳の向こうにいるのは、あさつゆか?と思った。果たして、次に返って来た声は稲荷山で聞いたあさつゆの声だった。
「大変、よろしゅうございました。稲荷の大神の神々しいさまがお山のすみずみより感得されて、それはありがたきものでありました。」
「そうか。予も去年の如月、初午に詣でたことがある。大変な人であった。山を登るのは難儀であったろう?」
「神のあらせられるお山でございますので、たやすくは人の行き着くところではございません。」
「大変であったと見える。古、堀河の中宮は、困じて、一日のうちに還向ならずと聞く。女の足では苦しかろう。」と笑いながら、隣の肥満気味の青年に向かって、
「右衛門督殿は、どうであろう、詣でたことはございますかな?」
これを聞いて、芳野は、正面右側の男は右衛門督と呼ばれている男であることが分かった。
「否、いまだ、稲荷詣では果たせず。いずれ、初午には詣でたいとは存ずるが。」
「稲荷の三峰を登り巡るのはなかなかの苦行ですぞ。」
とまた笑った。笑いがおさまったあと、少し、間が空いた。すると、几帳の向こうから、
「神さびて」と詠いかけるのが聞こえた。そして、一息置いて、「高嶺は雲の奥ながら稲荷の神のしるしをぞ見る。」と続けた。
ほう…と、左側の中年男は感心したようだった。芳野には歌の巧拙はわからないので、何に感心したのかは判然としなかった。
すると、「伏見の源中納言様、こちらを。」と言って、几帳の裏から、若い女性が出て来て、杉の小枝に料紙を刺したものを開いた扇に乗せて、左側の中年男の元に差し出した。これで、芳野は、正面左側の男は伏見源中納言と呼ばれている男であることがわかった。また、几帳の裏から出てきた若い女性をよく見ると、あきおぎだった。几帳の向こうにはあきおぎもいたようだ。
「稲荷の験の杉でございます。」
そして、右側の太った青年、右衛門督と呼ばれた男にも杉の小枝が手渡された。こちらには料紙は刺さっていなかった。
「右衛門督殿、これはいい『験』かもしれませんぞ。」
右衛門督は左側の中年男、伏見の源中納言と呼ばれた男の顔を不審そうに見やると、すぐに言っている意味を理解したのか、頷いて、「確かに。いい『験』かもしれん。」と喜色満面になった。そして、両人とも杉の小枝を襟元に差した。伏見源中納言は、差す前に料紙を開いて中を見ると、「神さびて…」と読み始めたが、すぐに懐にしまった。
そして伏見源中納言は料紙と墨、筆を持ってこさせると、さらさらと書いて、詠みあげた。
「しるしとて襟にさしたる杉の枝の今日明日にも神の宿るらむ。」
そして、歌を書いた料紙をあきおぎに渡して几帳の向こうのあさつゆに渡させた。
「よいお歌でございまするな。」と左に控えていた六十代と思しき男が追従した。
男の追従を聞いた右衛門督は、落ち着いた口調で静かにしゃべり始めた。
「近頃の仏の憎慢、目に余るものがあるな。君を軽んじて、傍若無人の所業、神罰の下ることも、そう遠くはあるまい。」
『仏』が指す人物が誰かを察した伏見源中納言は、「そうですな。」と笑みを浮かべながら相槌を打った。
「君のためにも除かねばならない。」
右衛門督は、そう囁くように呟くと、沈黙した。
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