稲荷詣で

斐川 帙

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六、猪隈殿

(十六)

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 郎等の姿が見えなくなった頃合いを見て、駿河守は口を開いた。
「しかし、どうしてまた右衛門督様が入道殿を?御仲よろしからずとは噂に聞いていたが、そこまで悪いとは。…しかし、俄かには信じがたい。何か、悪い戯れでもされておられるのではないか。兄上は、それにまんまと弄ばれたか…」
 兄とは近江守のことである。駿河守は、近江守と同母兄弟であった。
 簀子に控えていた男が口を開いた。
「耳にした噂によりますと、右衛門督様が近衛大将をお望みになって、院が、そのことを少納言入道様に御相談なさったところ、入道様は、御めになったとか。しかし、御気色みけしきよろしからず、それをご覧になった入道様は、異朝の安禄山の謀反の話を絵巻にして献上し、猶も院をお諫めになられたと伺っております。それを耳にした右衛門督様はいたく気分を害されて、それ以来、入道様を憎んでおられると。」
 これを聞くと、初耳だったのか、駿河守は、驚き呆れて、
「入道殿も、絵巻まで献上してお諫めになるとは。それでは右衛門督様もご気分を害されるのは当然だ。余計なことをしたものよ。」
 そして、眉をひそめながら続けた。
「とは言え、この頃の右衛門督様の御出世、近代に例のない目覚ましさであったからな…。先年、賀茂の祭りで大殿に無礼を働いたときは、右衛門督様にはお咎めなく大殿の方が御閉門とされた。ここまでの御寵愛は近代に例がない。」

 保元三年(一一五八)四月二十日、賀茂祭の日、当時、関白であった忠通の桟敷の前を検非違使の行列が過ぎようとしていた時に、新宰相中将信頼の車が関白の桟敷前を下車せずに通過しようとしたため、摂関家の従者等が制止したが、猶も下車せず過ぎようとしたため、ついに車を殴打して停車させる事態となった。新宰相中将は直ちに天皇(後白河院)に訴え、その結果、関白には、東三条殿の閉門、家司けいし信範のぶのり(平信範)には解官の上、除籍、同じく家司邦綱くにつな(藤原邦綱)は除籍という沙汰が下った。一方、新宰相中将には何の沙汰もなかった。
 新宰相中将信頼とは今の右衛門督のことである。当時、藤原信頼は、参議(宰相)で近衛中将を兼職していた。
 また、家司とは、親王家や摂関家、大臣家などの家政を管掌するために設置された機関の職員のことで、摂関家の家司は、摂関家領荘園の管理や、院や内裏との対外交渉など、摂関家の家政一般の実務を担っていた。
 もともと家司は公的に設置された機関の職員であったが、平安時代の後半ともなると、その任免は、家の当主が私的に人選するようになっていたので、この場合の解官とは家司を解任されたということではなく、信範の官職が剥奪されたということである。一方、除籍とは、清涼殿にあった日給ひだまいふだから名を削られることを言い、要するに昇殿できなくなることを指す。
 つまり、摂関家相伝の邸宅である東三条殿の閉門処分を受けただけでなく、家政を取り仕切る信範や邦綱まで処分されたと言うことになる。しかも、実は、この両名の家司は殴打騒動に関しては全く関与していなかった。摂関家の従者たちが勝手に行ったことであった。そして、この閉門処分と邦綱の除籍は六日後に許されたのだが、信範の解官除籍は二か月後の六月二十六日まで許されなかった。
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