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六、猪隈殿
(十七)
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駿河守は嘆息を漏らして続けた。
「近衛大将を望まれたか…確か、保元の時は武蔵守だったな、それが今は正三位権中納言。摂籙の家でもなく清華の家でもない御出自で、たった四年で中納言だからな。驚きの御出世だ。」
そう言って、駿河守は、羨望と嫉妬の混じった苦笑を浮かべた。
簾の奥の女性が不安そうに尋ねてきた。
「また、保元の時のようなことがあるのでしょうか?」
「それはないだろう。右衛門督様と入道殿の間での私闘だ。公に向かって弓引くわけではない。」
抱いていた懸念を思い切って口に出してみたが、言下に否定され、しかし全く納得が行っていないのか、更に続けた。
「ですが左馬頭様をお味方に引き入れたとあれば事穏やかに治まるとは。」
そう言われて駿河守は渋い顔をして、ううんと唸ったまま、しばし黙った。
「再び都の内で火がかけられて矢を合わせることもあるのでは。少納言入道様の御身が心配になります。」
少し考える間を作ってから、徐に喋り出した。
「もし入道殿が気づかれて先手を打てればよいが、そうでなければ…。左馬頭殿がお相手となれば、入道殿だけではどうにもならんだろう。近頃の入道殿の御活躍は、院の一の寵臣である右衛門督様を蔑ろにするのを見ても危なげであるし、院の御気色の不快なることも想像に難くない。また、帝に近しい方々にも、入道殿に意を含む方々もおられると聞く。入道殿は、ちょっと調子に乗り過ぎたのかもしれない。末葉の微臣の身で天気を量るなど畏れ多いことだが、入道殿の近頃の振る舞いを院はいかが思召されておられるか。入道殿を討ったとしても罪に問われないことも強ちありえないことでもないぞ。」
「まあ…、では入道様はどうなるのでございましょう。」
次第にしつこく感じてきたのか、投げ遣りな口調で、
「さっきの近江守殿の郎等が入道殿に伝えてくれるだろうから、入道殿もみすみす討たれることはあるまい。」と言ったが、簾の奥の女性は、猶も、この話題を続けた。
「法住寺の清浄光院のお屋敷にはご不在とのことでした。姉小路のお屋敷にいらっしゃられるかどうか。普段は三条烏丸の御所に詰めておられると耳にしております。」
「あまり深く考えるな。右衛門督様は目下、院の第一の寵を蒙っておられる臣だぞ。あまり入道殿に肩入れしすぎると我らにも不測の災禍が降ってくるかもしれない。控えた方がいい。そもそも、今の話だって、どこまで本当かわからないんだぞ。少納言入道殿は、鳥羽の院の御寵臣で学識深い当世第一の学生、お上の御譲位の儀は美福門院様と入道殿でお決めになられたとの専らの噂だし、この度の新制の御起草にも深く関わったと聞く。それに、今、入道殿は、大内造営を先頭に立って進めておられる。功程を量って七道諸国に煩いないよう沙汰して、二年のうちに形になした、全く以て世に双ぶ者なき弁えの御仁だ。そのような入道殿を、私怨に因ってお討ちになるなど、天が許すわけもないし、たとえ、末法の世とは言え、神仏が許すわけがない。それに、右衛門督様は権中納言であろう。そのような廟堂の要職にありながら、兵の真似事をするなど、一体、どういうおつもりなのか。受領の郎等でもあるまいし、公卿のなさることではない。」
あまりにしつこく聞かれたので、つい気が立ってしまったのか、少々言い過ぎたことに気づき、駿河守は次の言葉をすんでのところで飲み込んだ。一方、少々、興奮気味になった駿河守を見て、簾の奥の女性は、これ以上しつこく、この話題で会話を続けても、よい話は出てこないし、場の空気を悪くするだけと思い、話を切り上げることにした。
「恐ろしいこと。もう、このお話はやめにいたしましょう。」
駿河守もほっとしたように同調した。
「そうだな。」
会話は途切れた。
「近衛大将を望まれたか…確か、保元の時は武蔵守だったな、それが今は正三位権中納言。摂籙の家でもなく清華の家でもない御出自で、たった四年で中納言だからな。驚きの御出世だ。」
そう言って、駿河守は、羨望と嫉妬の混じった苦笑を浮かべた。
簾の奥の女性が不安そうに尋ねてきた。
「また、保元の時のようなことがあるのでしょうか?」
「それはないだろう。右衛門督様と入道殿の間での私闘だ。公に向かって弓引くわけではない。」
抱いていた懸念を思い切って口に出してみたが、言下に否定され、しかし全く納得が行っていないのか、更に続けた。
「ですが左馬頭様をお味方に引き入れたとあれば事穏やかに治まるとは。」
そう言われて駿河守は渋い顔をして、ううんと唸ったまま、しばし黙った。
「再び都の内で火がかけられて矢を合わせることもあるのでは。少納言入道様の御身が心配になります。」
少し考える間を作ってから、徐に喋り出した。
「もし入道殿が気づかれて先手を打てればよいが、そうでなければ…。左馬頭殿がお相手となれば、入道殿だけではどうにもならんだろう。近頃の入道殿の御活躍は、院の一の寵臣である右衛門督様を蔑ろにするのを見ても危なげであるし、院の御気色の不快なることも想像に難くない。また、帝に近しい方々にも、入道殿に意を含む方々もおられると聞く。入道殿は、ちょっと調子に乗り過ぎたのかもしれない。末葉の微臣の身で天気を量るなど畏れ多いことだが、入道殿の近頃の振る舞いを院はいかが思召されておられるか。入道殿を討ったとしても罪に問われないことも強ちありえないことでもないぞ。」
「まあ…、では入道様はどうなるのでございましょう。」
次第にしつこく感じてきたのか、投げ遣りな口調で、
「さっきの近江守殿の郎等が入道殿に伝えてくれるだろうから、入道殿もみすみす討たれることはあるまい。」と言ったが、簾の奥の女性は、猶も、この話題を続けた。
「法住寺の清浄光院のお屋敷にはご不在とのことでした。姉小路のお屋敷にいらっしゃられるかどうか。普段は三条烏丸の御所に詰めておられると耳にしております。」
「あまり深く考えるな。右衛門督様は目下、院の第一の寵を蒙っておられる臣だぞ。あまり入道殿に肩入れしすぎると我らにも不測の災禍が降ってくるかもしれない。控えた方がいい。そもそも、今の話だって、どこまで本当かわからないんだぞ。少納言入道殿は、鳥羽の院の御寵臣で学識深い当世第一の学生、お上の御譲位の儀は美福門院様と入道殿でお決めになられたとの専らの噂だし、この度の新制の御起草にも深く関わったと聞く。それに、今、入道殿は、大内造営を先頭に立って進めておられる。功程を量って七道諸国に煩いないよう沙汰して、二年のうちに形になした、全く以て世に双ぶ者なき弁えの御仁だ。そのような入道殿を、私怨に因ってお討ちになるなど、天が許すわけもないし、たとえ、末法の世とは言え、神仏が許すわけがない。それに、右衛門督様は権中納言であろう。そのような廟堂の要職にありながら、兵の真似事をするなど、一体、どういうおつもりなのか。受領の郎等でもあるまいし、公卿のなさることではない。」
あまりにしつこく聞かれたので、つい気が立ってしまったのか、少々言い過ぎたことに気づき、駿河守は次の言葉をすんでのところで飲み込んだ。一方、少々、興奮気味になった駿河守を見て、簾の奥の女性は、これ以上しつこく、この話題で会話を続けても、よい話は出てこないし、場の空気を悪くするだけと思い、話を切り上げることにした。
「恐ろしいこと。もう、このお話はやめにいたしましょう。」
駿河守もほっとしたように同調した。
「そうだな。」
会話は途切れた。
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