稲荷詣で

斐川 帙

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六、猪隈殿

(二十七)

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 入っては見たものの、芳野は言葉を交わす話題も思い浮かばず、しばらく沈黙が続いた。あきおぎも檜扇で顔を隠してうつ伏したまま、一言もしゃべらない。
 とうとう、沈黙に耐えられなくなって、一旦、芳野は局の外に出た。すると外に控えていた八重が驚いて何事かという顔をして、芳野を彼の部屋へ誘導して、「いかがなされたのでございますか?」と尋ねた。芳野は「特に話す話題もないので、耐えきれなくなって。」と苦笑いしながら答えた。
「何をなさっていらっしゃるのですか?まずはお歌などを差しあげてはいかがですか?」
「歌?いや、詠めないよ。」
「ちょっとこちらへ。」と、更に小声になって、聞かれてはまずいと言わんばかりに吉野を手招いて、
「あの姫君は、もとはといえば目代の娘、駿河守様も、みなさま、お通いのことはご承知のことですから、何も遠慮なさることはございません。」と言って責めるような目つきで睨んだ。
「歌なら代わりに詠める者がおりますから。」
 そう言って、八重は意味ありげに黙って、少し間を置いて続けた。
「姫君の父は幼いころから文の才は評判だったそうですが、所詮、侍の出。どこぞの大夫が家に養い子に取ったそうですが、いろいろとご不幸がおありで…だからか、娘には幼いころから古今だの和琴だのと習わせて、…それでいいところから婿を迎えようとでも思われたんですかねえ…。そのせいか、姫君はなかなかの歌詠みと伺っておりますが、真名まなもお読みになられるそうですよ。からの詩も少々はおわかりになるとか。まあ、女の身で真名が読めたところで…。それで、父を亡くして身寄りがなくなったところを、姫君を養い子として預かられたそうで、姫君の父は、長年、目代として、よくお仕えになられていて、姫君ご自身も、歌詠みの上手で真名も読める才媛ですから、駿河守様も憐れに思われたのでしょう、いいところから婿を取ろうと思われたそうなんですが…やはり出が出なので、思ったところからは婿を迎えられなかったそうで…。」
 八重は、少々侮蔑の色を滲ませながら話したため、芳野は聞いててあまりいい気持ちはしなかった。しかし、その口調から、もしかしたら、この八重という女性も、同じ侍階級の家の出なのかもしれないと思えてきた。同じ境遇の家から、一方は主家の養女として婿探しをしてもらって、一方の自分は半者はしたものとして仕えている。その差に含むところがあるから、このような嫌味な言い方になっているのかもしれない感じがしたのだ。ただ、このような卑屈さを感じさせる人間とは、長年の経験から、距離を取った方がいいと直感が教えていた。
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