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七、三条烏丸の御所
(二十一)
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次に、中御門右大臣宗忠の日記(中右記)から祇園御霊会についての記事を拾ってみよう。白河院、鳥羽院の頃の祇園御霊会である。
・永長元年(一〇九六)六月十四日、
巳の刻頃に参内して、終日、祗候した。今日は祇園御霊会が開催されていたので、禁中は無人であった。そのため、終日、御前に控えていた。後で聞いた話だが、院が召し使う男ども四百人ばかりが供奉し、また、院蔵人町の童が七十余人、内蔵人町の童部が三十余人、そして、田楽は五十村ばかりが参加していた。最近では随一の見ものであったと言う。
この記事での『院』とは、白河院のことである
・大治二年(一一二七)六月十四日、
晴れたり曇ったりで時々小雨も降った。
祇園御霊会である。四方殿上人、馬長、童、巫女、種女、田楽、それぞれ数百人、この他、祇園所司、僧、随身数十人、兵が供奉している。舞人十人、検非違使は唐鞍に乗っている。度を越して華美なところは数えきれないくらいあった。金銀錦繍、風流美麗なことは筆舌に尽くし難いほどだ。両院は按察使中納言の三条室町の桟敷で御見物されたと言う。
馬長とは、乗馬して御霊会の祭列に参加している者のことを言う。
両院とは、白河院と鳥羽院のことを指し、按察使中納言は藤原顕隆のことである。
また、祇園御霊会のように大勢の人が集まる催し事では往々にしてトラブルは発生する。その例も中右記の記述から拾ってみよう。
・長治二年(一一〇五)六月十四日、
出仕せず。
後で聞いた話だが、前斎院の御所(三条町尻)の北方の門で女房達が祇園御霊会を見物していたところ、検非違使範政が御門の辺りに祗候していたのだが、下人の乱行を制止しているときに、田楽と馬長の童との間で言い争いが始まり、下人の一人が刀を抜いたので、範政の郎等が捕縛しようとしたところ、件の田楽は祇園社の神人であるので、神人、四、五十人ほどが範政の郎等を斬り、更に範政にも襲い掛かろうとしたので、範政は走って隠れた。<途中略>夜になって、神人二百人ほどが陽明門前に集まり、範政に重い罰を科すよう朝廷に訴えてきたと言う。あるいは、また、矢が神輿に刺さったとも訴えているそうだ。これは乱行の間に帰った神人が、範政を訴えるために作ったでっちあげだと言う。夜明けになって神人は祇園社に帰って行った。沙汰を下すからと言われたので帰ったらしい。
神輿を弓で射たと嘘の訴えをしたと書かれているが、当時、神がまします神輿に矢を射かける行為は極めて重い罪で、流罪、下手をすると斬首もあり得た罪である。延暦寺の大衆は、事を大きくするために、神輿に矢を射かけられたことにしようとしたと思われる
。
この件は、翌日、公卿僉議にかかって対応策が協議された。次は翌日の記事である。
・長治二年六月十五日
早朝に参内。昨夜の神人の件のためである。夕方、左大臣源俊房、右大臣藤原忠実、内大臣源雅実、治部卿中納言源俊実等が昼御座にて、神人の訴えについて決定を下した。双方の証人から事情を聞いて真偽のほどを確かめるということに決まったか。僉議に参加しなかったので、詳しいことはわからない。夜になって退出した。
このように、公卿僉議にかかって当面の対応策を出したものの、結局、この件は、これでは終息しなかった。
四か月後の十月三十日、延暦寺の大衆数千人が祇園社の神輿を担いで陽明門前に押し掛け、太宰権帥権中納言藤原季仲、石清水八幡宮別当光清、検非違使左衛門尉範政らの流罪を求めて、大音声で訴えると言う事態が出来した。すると、これを見て、石清水八幡宮の神民や俗別当らが待賢門前に群参して、別当光清を処罰しないよう訴えた。すると、これを見た延暦寺の僧侶らが、神民三、四人に斬りかかった。
陽明門、待賢門は、いずれも大内裏東側にある門である。この二つは南北に隣接していた。また、大衆とは、大勢の僧侶と言う意味で、延暦寺が山門の僧侶に大規模な動員をかけて、大内裏の門前に大挙して押しかけたということだ。
要するに、大内裏の門前で大騒ぎして刃傷沙汰まで起こしたと言うことである。当時の延暦寺や興福寺などの大寺院は、僧兵という独自の軍事組織を持っていて、僧侶と言えども、血の気の多い連中は多かったのである。
ちなみに延暦寺の大衆が祇園社の神輿を担いでいたのは、祇園社が延暦寺別院であったからである。延暦寺直属の寺院である祇園社の神人が、御霊会の最中に喧嘩を始めて刀を抜いたので、検非違使範政の郎等が捕縛しようとしたのだが、それが、本寺である延暦寺の大衆を激怒させ、範政の流罪を要求したという経緯である。(範政の他に太宰権帥季仲と石清水八幡宮別当光清が訴えられているが、この両人は範政の件とは関係ない。)
無茶苦茶な話だが、当時の南都北嶺は少しでも気に入らないことがあると、大挙して押しかけ、要求をごり押しすることをよくしていた。これも、その一つである。
・永長元年(一〇九六)六月十四日、
巳の刻頃に参内して、終日、祗候した。今日は祇園御霊会が開催されていたので、禁中は無人であった。そのため、終日、御前に控えていた。後で聞いた話だが、院が召し使う男ども四百人ばかりが供奉し、また、院蔵人町の童が七十余人、内蔵人町の童部が三十余人、そして、田楽は五十村ばかりが参加していた。最近では随一の見ものであったと言う。
この記事での『院』とは、白河院のことである
・大治二年(一一二七)六月十四日、
晴れたり曇ったりで時々小雨も降った。
祇園御霊会である。四方殿上人、馬長、童、巫女、種女、田楽、それぞれ数百人、この他、祇園所司、僧、随身数十人、兵が供奉している。舞人十人、検非違使は唐鞍に乗っている。度を越して華美なところは数えきれないくらいあった。金銀錦繍、風流美麗なことは筆舌に尽くし難いほどだ。両院は按察使中納言の三条室町の桟敷で御見物されたと言う。
馬長とは、乗馬して御霊会の祭列に参加している者のことを言う。
両院とは、白河院と鳥羽院のことを指し、按察使中納言は藤原顕隆のことである。
また、祇園御霊会のように大勢の人が集まる催し事では往々にしてトラブルは発生する。その例も中右記の記述から拾ってみよう。
・長治二年(一一〇五)六月十四日、
出仕せず。
後で聞いた話だが、前斎院の御所(三条町尻)の北方の門で女房達が祇園御霊会を見物していたところ、検非違使範政が御門の辺りに祗候していたのだが、下人の乱行を制止しているときに、田楽と馬長の童との間で言い争いが始まり、下人の一人が刀を抜いたので、範政の郎等が捕縛しようとしたところ、件の田楽は祇園社の神人であるので、神人、四、五十人ほどが範政の郎等を斬り、更に範政にも襲い掛かろうとしたので、範政は走って隠れた。<途中略>夜になって、神人二百人ほどが陽明門前に集まり、範政に重い罰を科すよう朝廷に訴えてきたと言う。あるいは、また、矢が神輿に刺さったとも訴えているそうだ。これは乱行の間に帰った神人が、範政を訴えるために作ったでっちあげだと言う。夜明けになって神人は祇園社に帰って行った。沙汰を下すからと言われたので帰ったらしい。
神輿を弓で射たと嘘の訴えをしたと書かれているが、当時、神がまします神輿に矢を射かける行為は極めて重い罪で、流罪、下手をすると斬首もあり得た罪である。延暦寺の大衆は、事を大きくするために、神輿に矢を射かけられたことにしようとしたと思われる
。
この件は、翌日、公卿僉議にかかって対応策が協議された。次は翌日の記事である。
・長治二年六月十五日
早朝に参内。昨夜の神人の件のためである。夕方、左大臣源俊房、右大臣藤原忠実、内大臣源雅実、治部卿中納言源俊実等が昼御座にて、神人の訴えについて決定を下した。双方の証人から事情を聞いて真偽のほどを確かめるということに決まったか。僉議に参加しなかったので、詳しいことはわからない。夜になって退出した。
このように、公卿僉議にかかって当面の対応策を出したものの、結局、この件は、これでは終息しなかった。
四か月後の十月三十日、延暦寺の大衆数千人が祇園社の神輿を担いで陽明門前に押し掛け、太宰権帥権中納言藤原季仲、石清水八幡宮別当光清、検非違使左衛門尉範政らの流罪を求めて、大音声で訴えると言う事態が出来した。すると、これを見て、石清水八幡宮の神民や俗別当らが待賢門前に群参して、別当光清を処罰しないよう訴えた。すると、これを見た延暦寺の僧侶らが、神民三、四人に斬りかかった。
陽明門、待賢門は、いずれも大内裏東側にある門である。この二つは南北に隣接していた。また、大衆とは、大勢の僧侶と言う意味で、延暦寺が山門の僧侶に大規模な動員をかけて、大内裏の門前に大挙して押しかけたということだ。
要するに、大内裏の門前で大騒ぎして刃傷沙汰まで起こしたと言うことである。当時の延暦寺や興福寺などの大寺院は、僧兵という独自の軍事組織を持っていて、僧侶と言えども、血の気の多い連中は多かったのである。
ちなみに延暦寺の大衆が祇園社の神輿を担いでいたのは、祇園社が延暦寺別院であったからである。延暦寺直属の寺院である祇園社の神人が、御霊会の最中に喧嘩を始めて刀を抜いたので、検非違使範政の郎等が捕縛しようとしたのだが、それが、本寺である延暦寺の大衆を激怒させ、範政の流罪を要求したという経緯である。(範政の他に太宰権帥季仲と石清水八幡宮別当光清が訴えられているが、この両人は範政の件とは関係ない。)
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