12 / 22
第11話「泥色の男、影山」
しおりを挟む
蓮の新作は、発表されるや否や大きな話題を呼んだ。批評家からは「作家・海道蓮の最高傑作」「魂の叫びが聞こえる」と絶賛され、売上も過去最高のペースで伸びていた。
その成功を祝し、出版社主催の受賞記念パーティーが開かれることになった。蓮は「ああいう場所は苦手なんだが」と気乗りしない様子だったが、断り切れなかったらしい。そして、彼は私に「一緒に来てくれないか」と、少し照れたように言った。もちろん、その声は無色透明だった。彼の純粋な願いを、私が断れるはずもなかった。
パーティー当日、私は慣れないドレスに身を包み、蓮にエスコートされて華やかな会場へと足を踏み入れた。きらびやかなシャンデリアの下、業界関係者たちが談笑している。あちこちで交わされる会話は、お世辞や社交辞令、自慢話といった様々な色の嘘で満ちており、私は軽いめまいを覚えた。しかし、隣に立つ蓮の存在が、私をその色の洪水から守ってくれる盾のようだった。
次々と挨拶に訪れる人々に、蓮は実直に対応していた。その時、一人の男が人混みをかき分けるようにして、親しげに私たちの方へ近づいてきた。
「蓮! 受賞おめでとう! さすが俺が見込んだだけのことはあるな!」
男はそう言って、馴れ馴れしく蓮の肩を抱いた。年の頃は蓮と同じくらい。高そうなスーツを着こなし、いかにもやり手といった雰囲気だった。
その男が声を発した瞬間、私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
彼の声は、今まで私が聞いたどんな声とも違っていた。それは、深く、濁りきった泥のような色をしていた。腐臭を放つタールのような、粘つく暗褐色。悪意、嫉妬、虚栄心、偽り、あらゆる負の感情が混ざり合い、ぐちゃぐちゃになって渦を巻いている。その声を聞くだけで、魂が汚されるような感覚に襲われた。
「影山……」
蓮が、苦々しげにその男の名前をつぶやいた。男は影山彰と名乗り、蓮の担当編集者だと自己紹介した。
「こいつとは昔からの親友でね。学生の頃から、こいつの才能だけは俺が一番わかってたんだ」
影山は、にこやかにそう笑いながら言った。その「親友」という言葉は、どす黒い嘘の色をしていた。まるで、その言葉自体が腐敗しているかのように。
私は直感した。この男が、蓮の小説に登場した「親友」なのだと。蓮の人生を破壊した元凶なのだと。
影山は、私に気づくと値踏みするような視線を向けた。
「おや、こちらは?蓮、おまえらしくなく綺麗な彼女じゃないか。どこで口説いたんだ?」
その声もまた、下品な好奇心に満ちた泥色だった。私は咄嗟に蓮の後ろに隠れるように一歩下がる。そんな私を見て、影山はつまらなそうに鼻を鳴らした。
蓮は、肩に置かれた影山の手を、静かに、しかし有無を言わせぬ力で振り払った。
「彼女は、俺の大切な人だ。失礼なことを言うな」
蓮の声は、怒りを帯びているはずなのに、やはり透明だった。その純粋な響きが、影山の泥色の声と対峙した時、その異質さが際立って見えた。光と闇が、すぐ目の前でせめぎ合っているかのようだった。
「はは、怖い怖い。まあ、今日の主役はおまえだ。楽しめよ、親友」
影山はそう言い残し、肩をすくめながら人混みの中へと消えていった。しかし、彼の残した泥色の残響は、その場にいつまでも漂い続けているようだった。
私は、蓮の隣で小さく震えていた。あれほどの悪意の色を、一度に浴びたのは初めてだった。気分が悪い。立っているのがやっとだった。
蓮はそんな私の様子に気づき、「大丈夫か?」と心配そうに顔をのぞき込んだ。彼の声だけが、私の正気を保つ唯一の綱だった。
「少し、外の空気を吸いましょう」
私はうなずくことしかできなかった。
パーティーの華やかな喧騒を後にし、夜風が吹き抜けるテラスへ出る。蓮は何も聞かずに、ただ私の隣に立ち、静かに夜景を眺めていた。私は、先ほどの泥色の男、影山と、蓮の小説の物語を頭の中で繋ぎ合わせていた。そして、これから蓮の身に、あの小説と同じような、あるいはそれ以上の悲劇が起ころうとしているのではないかという、強い予感に襲われていた。
その成功を祝し、出版社主催の受賞記念パーティーが開かれることになった。蓮は「ああいう場所は苦手なんだが」と気乗りしない様子だったが、断り切れなかったらしい。そして、彼は私に「一緒に来てくれないか」と、少し照れたように言った。もちろん、その声は無色透明だった。彼の純粋な願いを、私が断れるはずもなかった。
パーティー当日、私は慣れないドレスに身を包み、蓮にエスコートされて華やかな会場へと足を踏み入れた。きらびやかなシャンデリアの下、業界関係者たちが談笑している。あちこちで交わされる会話は、お世辞や社交辞令、自慢話といった様々な色の嘘で満ちており、私は軽いめまいを覚えた。しかし、隣に立つ蓮の存在が、私をその色の洪水から守ってくれる盾のようだった。
次々と挨拶に訪れる人々に、蓮は実直に対応していた。その時、一人の男が人混みをかき分けるようにして、親しげに私たちの方へ近づいてきた。
「蓮! 受賞おめでとう! さすが俺が見込んだだけのことはあるな!」
男はそう言って、馴れ馴れしく蓮の肩を抱いた。年の頃は蓮と同じくらい。高そうなスーツを着こなし、いかにもやり手といった雰囲気だった。
その男が声を発した瞬間、私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
彼の声は、今まで私が聞いたどんな声とも違っていた。それは、深く、濁りきった泥のような色をしていた。腐臭を放つタールのような、粘つく暗褐色。悪意、嫉妬、虚栄心、偽り、あらゆる負の感情が混ざり合い、ぐちゃぐちゃになって渦を巻いている。その声を聞くだけで、魂が汚されるような感覚に襲われた。
「影山……」
蓮が、苦々しげにその男の名前をつぶやいた。男は影山彰と名乗り、蓮の担当編集者だと自己紹介した。
「こいつとは昔からの親友でね。学生の頃から、こいつの才能だけは俺が一番わかってたんだ」
影山は、にこやかにそう笑いながら言った。その「親友」という言葉は、どす黒い嘘の色をしていた。まるで、その言葉自体が腐敗しているかのように。
私は直感した。この男が、蓮の小説に登場した「親友」なのだと。蓮の人生を破壊した元凶なのだと。
影山は、私に気づくと値踏みするような視線を向けた。
「おや、こちらは?蓮、おまえらしくなく綺麗な彼女じゃないか。どこで口説いたんだ?」
その声もまた、下品な好奇心に満ちた泥色だった。私は咄嗟に蓮の後ろに隠れるように一歩下がる。そんな私を見て、影山はつまらなそうに鼻を鳴らした。
蓮は、肩に置かれた影山の手を、静かに、しかし有無を言わせぬ力で振り払った。
「彼女は、俺の大切な人だ。失礼なことを言うな」
蓮の声は、怒りを帯びているはずなのに、やはり透明だった。その純粋な響きが、影山の泥色の声と対峙した時、その異質さが際立って見えた。光と闇が、すぐ目の前でせめぎ合っているかのようだった。
「はは、怖い怖い。まあ、今日の主役はおまえだ。楽しめよ、親友」
影山はそう言い残し、肩をすくめながら人混みの中へと消えていった。しかし、彼の残した泥色の残響は、その場にいつまでも漂い続けているようだった。
私は、蓮の隣で小さく震えていた。あれほどの悪意の色を、一度に浴びたのは初めてだった。気分が悪い。立っているのがやっとだった。
蓮はそんな私の様子に気づき、「大丈夫か?」と心配そうに顔をのぞき込んだ。彼の声だけが、私の正気を保つ唯一の綱だった。
「少し、外の空気を吸いましょう」
私はうなずくことしかできなかった。
パーティーの華やかな喧騒を後にし、夜風が吹き抜けるテラスへ出る。蓮は何も聞かずに、ただ私の隣に立ち、静かに夜景を眺めていた。私は、先ほどの泥色の男、影山と、蓮の小説の物語を頭の中で繋ぎ合わせていた。そして、これから蓮の身に、あの小説と同じような、あるいはそれ以上の悲劇が起ころうとしているのではないかという、強い予感に襲われていた。
0
あなたにおすすめの小説
七人の美形守護者と毒りんご 「社畜から転生したら、世界一美しいと謳われる毒見の白雪姫でした」
紅葉山参
恋愛
過労死した社畜OL、橘花莉子が目覚めると、そこは異世界の王宮。彼女は絶世の美貌を持つ王女スノーリアに転生していた。しかし、その体は継母である邪悪な女王の毒によって蝕まれていた。
転生と同時に覚醒したのは、毒の魔力を見抜く特殊能力。このままでは死ぬ! 毒殺を回避するため、彼女は女王の追手から逃れ、禁断の地「七つの塔」が立つ魔物の森へと逃げ込む。
そこで彼女が出会ったのは、童話の小人なんかじゃない。
七つの塔に住まうのは、国の裏の顔を持つ最強の魔力騎士団。全員が規格外の力と美しさを持つ七人の美形守護者(ガーディアン)だった!
冷静沈着なリーダー、熱情的な魔術師、孤高の弓使い、知的な書庫番、武骨な壁役、ミステリアスな情報屋……。
彼らはスノーリアを女王の手から徹底的に守護し、やがて彼女の無垢な魅力に溺れ、熱烈な愛を捧げ始める。
「姫様を傷つける者など、この世界には存在させない」
七人のイケメンたちによる超絶的な溺愛と、命懸けの守護が始まった。
しかし、嫉妬に狂った女王は、王国の若き王子と手を組み、あの毒りんごの罠を仕掛けてくる。
最強の逆ハーレムと、毒を恐れぬ白雪姫が、この世界をひっくり返す!
「ご安心を、姫。私たちは七人います。誰もあなたを、奪うことなどできはしない」
メイド令嬢は毎日磨いていた石像(救国の英雄)に求婚されていますが、粗大ゴミの回収は明日です
有沢楓花
恋愛
エセル・エヴァット男爵令嬢は、二つの意味で名が知られている。
ひとつめは、金遣いの荒い実家から追い出された可哀想な令嬢として。ふたつめは、何でも綺麗にしてしまう凄腕メイドとして。
高給を求めるエセルの次の職場は、郊外にある老伯爵の汚屋敷。
モノに溢れる家の終活を手伝って欲しいとの依頼だが――彼の偉大な魔法使いのご先祖様が残した、屋敷のガラクタは一筋縄ではいかないものばかり。
高価な絵画は勝手に話し出し、鎧はくすぐったがって身よじるし……ご先祖様の石像は、エセルに求婚までしてくるのだ。
「毎日磨いてくれてありがとう。結婚してほしい」
「石像と結婚できません。それに伯爵は、あなたを魔法資源局の粗大ゴミに申し込み済みです」
そんな時、エセルを後妻に貰いにきた、という男たちが現れて連れ去ろうとし……。
――かつての救国の英雄は、埃まみれでひとりぼっちなのでした。
この作品は他サイトにも掲載しています。
銀狼の花嫁~動物の言葉がわかる獣医ですが、追放先の森で銀狼さんを介抱したら森の聖女と呼ばれるようになりました~
川上とむ
恋愛
森に囲まれた村で獣医として働くコルネリアは動物の言葉がわかる一方、その能力を気味悪がられていた。
そんなある日、コルネリアは村の習わしによって森の主である銀狼の花嫁に選ばれてしまう。
それは村からの追放を意味しており、彼女は絶望する。
村に助けてくれる者はおらず、銀狼の元へと送り込まれてしまう。
ところが出会った銀狼は怪我をしており、それを見たコルネリアは彼の傷の手当をする。
すると銀狼は彼女に一目惚れしたらしく、その場で結婚を申し込んでくる。
村に戻ることもできないコルネリアはそれを承諾。晴れて本当の銀狼の花嫁となる。
そのまま森で暮らすことになった彼女だが、動物と会話ができるという能力を活かし、第二の人生を謳歌していく。
社長に拾われた貧困女子、契約なのに溺愛されてます―現代シンデレラの逆転劇―
砂原紗藍
恋愛
――これは、CEOに愛された貧困女子、現代版シンデレラのラブストーリー。
両親を亡くし、継母と義姉の冷遇から逃れて家を出た深月カヤは、メイドカフェとお弁当屋のダブルワークで必死に生きる二十一歳。
日々を支えるのは、愛するペットのシマリス・シンちゃんだけだった。
ある深夜、酔客に絡まれたカヤを救ったのは、名前も知らないのに不思議と安心できる男性。
数日後、偶然バイト先のお弁当屋で再会したその男性は、若くして大企業を率いる社長・桐島柊也だった。
生活も心もぎりぎりまで追い詰められたカヤに、柊也からの突然の提案は――
「期間限定で、俺の恋人にならないか」
逃げ場を求めるカヤと、何かを抱える柊也。思惑の違う二人は、契約という形で同じ屋根の下で暮らし始める。
過保護な優しさ、困ったときに現れる温もりに、カヤの胸には小さな灯がともりはじめる。
だが、契約の先にある“本当の理由”はまだ霧の中。
落とした小さなガラスのヘアピンが導くのは——灰かぶり姫だった彼女の、新しい運命。
【完結】異世界転移した私、なぜか全員に溺愛されています!?
きゅちゃん
恋愛
残業続きのOL・佐藤美月(22歳)が突然異世界アルカディア王国に転移。彼女が持つ稀少な「癒しの魔力」により「聖女」として迎えられる。優しく知的な宮廷魔術師アルト、粗野だが誠実な護衛騎士カイル、クールな王子レオン、最初は敵視する女騎士エリアらが、美月の純粋さと癒しの力に次々と心を奪われていく。王国の危機を救いながら、美月は想像を絶する溺愛を受けることに。果たして美月は元の世界に帰るのか、それとも新たな愛を見つけるのか――。
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
愛してやまないこの想いを
さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。
「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」
その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。
ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる