4 / 13
第03話「潮風のクラウドファンディング」
しおりを挟む
沙織が口にした「クラウドファンディング」という言葉は、翔太にとって遠い世界の響きを持っていた。東京にいた頃、仕事で関わったことはあったが、それはあくまで巨大な資本が動くプロジェクトの話だ。こんな海辺の町の、古びた喫茶店を再生するために、どれだけの人が心を寄せてくれるというのだろうか。翔太の胸を、拭いがたい不安がよぎった。
「本当に、うまくいくと思うか?」
「やってみなくちゃ分からないよ! でも、何もしなければ、何も始まらない」
沙織の瞳には、迷いの色がなかった。彼女のその真っ直ぐな強さが、翔太の背中を押した。二人だけのプロジェクトが、その日の午後、埃っぽい喫茶店のテーブルで始まった。
沙織は観光協会の仕事の合間を縫って、ノートパソコンを巧みに操り、プロジェクトページの骨子を組み立てていく。翔太は、祖母の日記を何度も読み返し、人々の心を動かす言葉を探した。ただ「お金が必要です」と訴えるだけではダメだ。このプロジェクトが、単なる喫茶店の再建ではなく、この町の未来に繋がる一歩なのだと、伝えなければならない。
プロジェクトのタイトルは、沙織の提案で『汐見町の灯りをもう一度。おばあちゃんの喫茶店「海猫」再生プロジェクト』に決まった。そして、翔太は日記の中から、町の誰もが知る出来事や、今は町を離れた人々が懐かしむであろうエピソードを慎重に選び出し、文章に織り込んでいった。
『昭和六十年、夏。記録的な不漁で町全体が沈んでいた日。私の店では、有り金全部をはたいて仕入れた豆で、一番うまいコーヒーを淹れた。漁師の男たちが『こんな時だからこそだ』と笑って飲んでくれた顔を、私は忘れない。』
『平成十年、春。この町から東京の大学へ旅立つ青年が、出発の朝、最後に私の店に寄ってくれた。『必ず、でっかくなって帰ってくる』と、彼はナポリタンを頬張りながら言った。その頬を、涙が伝っていた。』
日記の言葉は、不思議な力を持っていた。それは、翔太が東京で必死にひねり出していた広告コピーとは全く違う、人の体温が感じられる生きた言葉だった。この言葉たちなら、きっと届く。翔太は、そう信じ始めていた。
プロジェクトの準備を進める噂は、小さな町をすぐに駆け巡った。ある日、店の前を通りかかった漁協組合長の潮田が、心配そうな顔で中を覗き込んできた。
「翔太、なんだか大変なことを始めたらしいじゃねえか」
翔太が事情を説明すると、潮田は腕を組み、深く頷いた。
「巴さんの店がなくなるのは、わしらも寂しい。だがな、若造が思いつきでやれるほど、甘いもんじゃねえぞ」
厳しい口調だったが、その目には心配の色が浮かんでいた。そして、彼はポケットからくしゃくしゃの一万円札を数枚取り出し、カウンターに置いた。
「クラウドファンディングってのはよく分からんが、足しにしな。これは、巴さんに世話になった皆からの気持ちだ」
ぶっきらぼうな優しさが、翔太の胸を熱くした。
一方で、冷ややかな視線も感じていた。町議会議員の岩城が、車の中から値踏みするようにこちらを見ていることがあった。彼の周りにいる推進派の商店主たちからは、「どうせ道楽だろう」「一軒の喫茶店で、町の何が変わるんだ」という囁き声が聞こえてきた。そのたびに、翔太の心は揺らいだ。しかし、隣で沙織が「気にしない! 私たちは、私たちの信じることをやろう」と励ましてくれるのが、何よりの支えだった。
数週間の準備を経て、ついにプロジェクトページを公開する日が来た。公開ボタンをクリックする翔太の指は、わずかに震えていた。沙織と二人、固唾をのんでパソコンの画面を見つめる。一時間、二時間……。支援額の数字は、ほとんど動かなかった。
「やっぱり、無理だったのか……」
翔太が弱音を吐いたその時、沙織が叫んだ。
「見て! メッセージが来てる!」
画面には、最初の支援者からのコメントが表示されていた。『東京在住、汐見町出身です。高校時代、進路のことで悩んでいた時、巴おばあちゃんのコーヒーを飲みながら話を聞いてもらいました。あの味が、僕の原点です。ささやかですが、応援しています。』
それを皮切りに、ぽつり、ぽつりと、しかし途切れることなく支援とメッセージが届き始めた。大阪の主婦から、福岡のサラリーマンから、遠くは海外に住む元町民から。誰もが「海猫」と巴にまつわる、それぞれの温かい思い出を綴っていた。
『子供の頃、この店で食べたプリンアラモードが、世界で一番のごちそうでした。』
『父の葬式の日、店を閉めた後なのに、黙ってコーヒーを淹れてくれたおばあちゃんの優しさが忘れられません。』
画面に次々と表示される言葉を追いながら、翔太の視界は滲んでいた。祖母は、こんなにも多くの人々の心の中に生き続けていたのだ。そして、この喫茶店は、ただの建物ではない。人々の記憶と感情が染み込んだ、かけがえのない場所なのだ。
その夜、目標金額の三分の一が、あっという間に集まった。それは、単なる資金ではなかった。遠く離れた場所から寄せられた、たくさんの温かい「灯り」だった。翔太は、窓の外の静かな夜の海を見つめながら、この灯りを、絶対に絶やしてはいけないと、強く心に誓った。
「本当に、うまくいくと思うか?」
「やってみなくちゃ分からないよ! でも、何もしなければ、何も始まらない」
沙織の瞳には、迷いの色がなかった。彼女のその真っ直ぐな強さが、翔太の背中を押した。二人だけのプロジェクトが、その日の午後、埃っぽい喫茶店のテーブルで始まった。
沙織は観光協会の仕事の合間を縫って、ノートパソコンを巧みに操り、プロジェクトページの骨子を組み立てていく。翔太は、祖母の日記を何度も読み返し、人々の心を動かす言葉を探した。ただ「お金が必要です」と訴えるだけではダメだ。このプロジェクトが、単なる喫茶店の再建ではなく、この町の未来に繋がる一歩なのだと、伝えなければならない。
プロジェクトのタイトルは、沙織の提案で『汐見町の灯りをもう一度。おばあちゃんの喫茶店「海猫」再生プロジェクト』に決まった。そして、翔太は日記の中から、町の誰もが知る出来事や、今は町を離れた人々が懐かしむであろうエピソードを慎重に選び出し、文章に織り込んでいった。
『昭和六十年、夏。記録的な不漁で町全体が沈んでいた日。私の店では、有り金全部をはたいて仕入れた豆で、一番うまいコーヒーを淹れた。漁師の男たちが『こんな時だからこそだ』と笑って飲んでくれた顔を、私は忘れない。』
『平成十年、春。この町から東京の大学へ旅立つ青年が、出発の朝、最後に私の店に寄ってくれた。『必ず、でっかくなって帰ってくる』と、彼はナポリタンを頬張りながら言った。その頬を、涙が伝っていた。』
日記の言葉は、不思議な力を持っていた。それは、翔太が東京で必死にひねり出していた広告コピーとは全く違う、人の体温が感じられる生きた言葉だった。この言葉たちなら、きっと届く。翔太は、そう信じ始めていた。
プロジェクトの準備を進める噂は、小さな町をすぐに駆け巡った。ある日、店の前を通りかかった漁協組合長の潮田が、心配そうな顔で中を覗き込んできた。
「翔太、なんだか大変なことを始めたらしいじゃねえか」
翔太が事情を説明すると、潮田は腕を組み、深く頷いた。
「巴さんの店がなくなるのは、わしらも寂しい。だがな、若造が思いつきでやれるほど、甘いもんじゃねえぞ」
厳しい口調だったが、その目には心配の色が浮かんでいた。そして、彼はポケットからくしゃくしゃの一万円札を数枚取り出し、カウンターに置いた。
「クラウドファンディングってのはよく分からんが、足しにしな。これは、巴さんに世話になった皆からの気持ちだ」
ぶっきらぼうな優しさが、翔太の胸を熱くした。
一方で、冷ややかな視線も感じていた。町議会議員の岩城が、車の中から値踏みするようにこちらを見ていることがあった。彼の周りにいる推進派の商店主たちからは、「どうせ道楽だろう」「一軒の喫茶店で、町の何が変わるんだ」という囁き声が聞こえてきた。そのたびに、翔太の心は揺らいだ。しかし、隣で沙織が「気にしない! 私たちは、私たちの信じることをやろう」と励ましてくれるのが、何よりの支えだった。
数週間の準備を経て、ついにプロジェクトページを公開する日が来た。公開ボタンをクリックする翔太の指は、わずかに震えていた。沙織と二人、固唾をのんでパソコンの画面を見つめる。一時間、二時間……。支援額の数字は、ほとんど動かなかった。
「やっぱり、無理だったのか……」
翔太が弱音を吐いたその時、沙織が叫んだ。
「見て! メッセージが来てる!」
画面には、最初の支援者からのコメントが表示されていた。『東京在住、汐見町出身です。高校時代、進路のことで悩んでいた時、巴おばあちゃんのコーヒーを飲みながら話を聞いてもらいました。あの味が、僕の原点です。ささやかですが、応援しています。』
それを皮切りに、ぽつり、ぽつりと、しかし途切れることなく支援とメッセージが届き始めた。大阪の主婦から、福岡のサラリーマンから、遠くは海外に住む元町民から。誰もが「海猫」と巴にまつわる、それぞれの温かい思い出を綴っていた。
『子供の頃、この店で食べたプリンアラモードが、世界で一番のごちそうでした。』
『父の葬式の日、店を閉めた後なのに、黙ってコーヒーを淹れてくれたおばあちゃんの優しさが忘れられません。』
画面に次々と表示される言葉を追いながら、翔太の視界は滲んでいた。祖母は、こんなにも多くの人々の心の中に生き続けていたのだ。そして、この喫茶店は、ただの建物ではない。人々の記憶と感情が染み込んだ、かけがえのない場所なのだ。
その夜、目標金額の三分の一が、あっという間に集まった。それは、単なる資金ではなかった。遠く離れた場所から寄せられた、たくさんの温かい「灯り」だった。翔太は、窓の外の静かな夜の海を見つめながら、この灯りを、絶対に絶やしてはいけないと、強く心に誓った。
10
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる