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第06話「交差する想い」
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喫茶店「海猫」は、町の新しいシンボルとして、瞬く間に人々の日常に溶け込んでいった。朝は、漁に出る前の漁師たちがコーヒーをすすり、昼は、主婦や観光客で賑わい、夕方になれば、学校帰りの高校生たちの笑い声が響く。翔太の淹れるコーヒーと、美月が作る地元の食材を活かした料理は評判を呼び、週末には隣町から車で訪れる客もいるほどだった。町に、目に見えて人の流れが生まれていた。
しかし、その穏やかな日常の裏側で、リゾート開発を巡る対立の溝は、日増しに深まっていた。そしてついに、岩城議員が主導する町議会で、リゾート誘致の是非を問う住民投票の実施が、圧倒的多数で可決されたのだ。投票日は、一か月後。その決定を境に、町の空気は一変した。
これまで水面下で燻っていた対立が、公然たるものになった。推進派と反対派、それぞれの陣営がポスターを貼り、ビラを配り、辻立ちで演説を行う。長年、隣人として暮らしてきた者同士が、「推進派」「反対派」というレッテルを貼り合い、互いにいがみ合うようになった。挨拶を交わさなくなり、子供たちの間にも、親たちの対立が影を落とし始めた。
その不穏な空気は、当然のように「海猫」にも流れ込んできた。ある日の午後、推進派の商店主と、反対派の漁師が、カウンターを挟んで口論を始めたのだ。
「このままじゃ町は干上がるだけだ! リゾートができれば、仕事も増えて若者も帰ってくる!」
「海のことを何も知らねえ奴が偉そうに言うな! 金のために、先祖代々の海を汚す気か!」
ヒートアップする二人を、翔太はなだめることしかできない。店内にいた他の客たちは、気まずそうに俯き、重い沈黙が流れた。かつて、誰もが笑い合っていたこの場所が、今は町の縮図のように、その分断を映し出していた。
翔太は悩んでいた。祖母なら、こんな時、どうしただろうか。日記を読み返しても、答えは見つからない。彼は、どちらかの立場を支持する気にはなれなかった。リゾートに期待する人々の切実な思いも、海を守りたいと願う人々の誇りも、どちらも理解できる気がしたからだ。翔太はただ、この店が、どんな立場の人にとっても心安らげる場所であり続けることだけを願っていた。
そんなある日、店のドアベルが鳴り、岩城議員が一人で入ってきた。彼がこの店を訪れるのは、再オープン以来、初めてのことだった。翔太は緊張しながらも、カウンター席を勧める。岩城は、店内をぐるりと見回すと、鼻で笑った。
「ほう、なかなか流行っているじゃないか。学生時代の文化祭のようで、楽しそうだな」
その言葉には、明らかに棘があった。岩城は、翔太が淹れたコーヒーを一口飲むと、挑戦的な目で言った。
「湊くん、君のやっていることは、しょせん感傷的なままごとに過ぎん。一軒の喫茶店が流行ったところで、町の財政が潤うわけでも、消えゆく運命が変わるわけでもない。現実を見たまえ」
厳しい言葉だった。翔太は、何も言い返すことができない。町の未来を本気で憂い、悪役になることさえ覚悟の上で行動しているこの男の前で、自分のやっていることは、あまりにも小さく、無力に思えた。
岩城が帰った後、入れ替わるようにやって来たのは、潮田組合長だった。彼はカウンターにどかりと座ると、不機嫌な声で言った。
「翔太、お前はどっちの味方なんだ。岩城の言いなりになるつもりじゃねえだろうな。この店は、巴さんが命懸けで守ってきた、町の魂みてえな場所だ。それを、金儲けの道具にされてたまるか」
板挟みだった。どちらにもつけない自分の態度は、どちらからも不信感を持たれている。自分の無力さに、翔太は唇を噛んだ。
その夜、店の片付けをしながら落ち込んでいる翔太に、沙織が声をかけた。
「翔太は、翔太のままでいいんだよ。無理にどちらかの味方をする必要なんてない」
彼女は、観光協会の仕事で集めた資料をテーブルに広げた。そこには、リゾート開発に頼らない、町独自の魅力を活かした地域振興の事例がいくつもまとめられていた。
「大きなハコモノを造るだけが、町の生きる道じゃないはず。私たちには、この海があって、美味しい魚があって、そして、『海猫』みたいな人の集まる場所がある。ここから、何か新しいことを始められるかもしれないじゃない」
沙織の言葉は、暗闇の中に差し込む一筋の光のように思えた。そうだ、自分は無力ではない。自分には、この場所がある。
店を閉めた後、翔太は一人、再び祖母の日記を開いた。その日、彼の目に留まったのは、何気ない一節だった。
『今日は、町長さんと漁師の権助さんが、難しい顔で店に入ってきた。どうやら、港のことで何か揉めているらしい。でも、私の出したコーヒーを飲んで、ナポリタンを一緒に食べているうちに、二人ともいつの間にか昔話に花を咲かせて笑っていた。どんなに意見が違っても、腹が減るのは同じ。美味しいものを食べたい気持ちも、同じなのさ。』
その言葉が、翔太の心にすとんと落ちた。自分にできることは、難しい政策を語ることではない。ただ、最高のコーヒーを淹れ、温かい食事を出し、人々が集える場所を守り続けること。今は、それでいいのかもしれない。翔太は、顔を上げた。揺れていた瞳に、確かな光が戻っていた。
しかし、その穏やかな日常の裏側で、リゾート開発を巡る対立の溝は、日増しに深まっていた。そしてついに、岩城議員が主導する町議会で、リゾート誘致の是非を問う住民投票の実施が、圧倒的多数で可決されたのだ。投票日は、一か月後。その決定を境に、町の空気は一変した。
これまで水面下で燻っていた対立が、公然たるものになった。推進派と反対派、それぞれの陣営がポスターを貼り、ビラを配り、辻立ちで演説を行う。長年、隣人として暮らしてきた者同士が、「推進派」「反対派」というレッテルを貼り合い、互いにいがみ合うようになった。挨拶を交わさなくなり、子供たちの間にも、親たちの対立が影を落とし始めた。
その不穏な空気は、当然のように「海猫」にも流れ込んできた。ある日の午後、推進派の商店主と、反対派の漁師が、カウンターを挟んで口論を始めたのだ。
「このままじゃ町は干上がるだけだ! リゾートができれば、仕事も増えて若者も帰ってくる!」
「海のことを何も知らねえ奴が偉そうに言うな! 金のために、先祖代々の海を汚す気か!」
ヒートアップする二人を、翔太はなだめることしかできない。店内にいた他の客たちは、気まずそうに俯き、重い沈黙が流れた。かつて、誰もが笑い合っていたこの場所が、今は町の縮図のように、その分断を映し出していた。
翔太は悩んでいた。祖母なら、こんな時、どうしただろうか。日記を読み返しても、答えは見つからない。彼は、どちらかの立場を支持する気にはなれなかった。リゾートに期待する人々の切実な思いも、海を守りたいと願う人々の誇りも、どちらも理解できる気がしたからだ。翔太はただ、この店が、どんな立場の人にとっても心安らげる場所であり続けることだけを願っていた。
そんなある日、店のドアベルが鳴り、岩城議員が一人で入ってきた。彼がこの店を訪れるのは、再オープン以来、初めてのことだった。翔太は緊張しながらも、カウンター席を勧める。岩城は、店内をぐるりと見回すと、鼻で笑った。
「ほう、なかなか流行っているじゃないか。学生時代の文化祭のようで、楽しそうだな」
その言葉には、明らかに棘があった。岩城は、翔太が淹れたコーヒーを一口飲むと、挑戦的な目で言った。
「湊くん、君のやっていることは、しょせん感傷的なままごとに過ぎん。一軒の喫茶店が流行ったところで、町の財政が潤うわけでも、消えゆく運命が変わるわけでもない。現実を見たまえ」
厳しい言葉だった。翔太は、何も言い返すことができない。町の未来を本気で憂い、悪役になることさえ覚悟の上で行動しているこの男の前で、自分のやっていることは、あまりにも小さく、無力に思えた。
岩城が帰った後、入れ替わるようにやって来たのは、潮田組合長だった。彼はカウンターにどかりと座ると、不機嫌な声で言った。
「翔太、お前はどっちの味方なんだ。岩城の言いなりになるつもりじゃねえだろうな。この店は、巴さんが命懸けで守ってきた、町の魂みてえな場所だ。それを、金儲けの道具にされてたまるか」
板挟みだった。どちらにもつけない自分の態度は、どちらからも不信感を持たれている。自分の無力さに、翔太は唇を噛んだ。
その夜、店の片付けをしながら落ち込んでいる翔太に、沙織が声をかけた。
「翔太は、翔太のままでいいんだよ。無理にどちらかの味方をする必要なんてない」
彼女は、観光協会の仕事で集めた資料をテーブルに広げた。そこには、リゾート開発に頼らない、町独自の魅力を活かした地域振興の事例がいくつもまとめられていた。
「大きなハコモノを造るだけが、町の生きる道じゃないはず。私たちには、この海があって、美味しい魚があって、そして、『海猫』みたいな人の集まる場所がある。ここから、何か新しいことを始められるかもしれないじゃない」
沙織の言葉は、暗闇の中に差し込む一筋の光のように思えた。そうだ、自分は無力ではない。自分には、この場所がある。
店を閉めた後、翔太は一人、再び祖母の日記を開いた。その日、彼の目に留まったのは、何気ない一節だった。
『今日は、町長さんと漁師の権助さんが、難しい顔で店に入ってきた。どうやら、港のことで何か揉めているらしい。でも、私の出したコーヒーを飲んで、ナポリタンを一緒に食べているうちに、二人ともいつの間にか昔話に花を咲かせて笑っていた。どんなに意見が違っても、腹が減るのは同じ。美味しいものを食べたい気持ちも、同じなのさ。』
その言葉が、翔太の心にすとんと落ちた。自分にできることは、難しい政策を語ることではない。ただ、最高のコーヒーを淹れ、温かい食事を出し、人々が集える場所を守り続けること。今は、それでいいのかもしれない。翔太は、顔を上げた。揺れていた瞳に、確かな光が戻っていた。
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