5 / 15
第4話「悪役令嬢、ヒロインの殺意に気づかないふりをする」
しおりを挟む
婚約者の蓮から完全に無視されるようになって、私の学園生活は驚くほど平穏になった。ひかりも、パーティーの一件以来、表立った嫌がらせはしてこない。彼女は今、蓮をはじめとする攻略対象たちからの好感度回復に必死なようだ。良いことだ。ぜひそちらに集中して、私のことは綺麗さっぱり忘れてほしい。
『空気のように過ごす、という当初の目標が、ようやく達成されつつある……?』
まあ、取り巻き令嬢たちに「玲奈様、次はいつ桜井さんを懲らしめてくださるのですか?」とキラキラした目で見られるのは相変わらずだが、それも適当に受け流せるようになってきた。
そんなある日の昼休み。私は中庭のベンチで、隼人が淹れてくれたカモミールティーを飲みながら読書をしていた。穏やかな日差しと、花の香り。完璧な午後のひとときだ。
しかし、その平穏は、一人の人物の登場によってあっけなく破られた。
「公条院様、少しよろしいでしょうか」
声の主は、桜井ひかりだった。彼女は一人で、いつものようなか弱さはどこへやら、妙に落ち着いた表情で私の前に立っていた。
『うわ、来たよ……。面倒くさいのが』
私は内心で舌打ちしつつも、優雅に本を閉じた。
「何かしら、桜井さん。私に何か用?」
「はい。少し、二人きりでお話がしたくて」
彼女はそう言うと、私の隣に控えていた隼人にちらりと視線を送った。
「その方も、席を外していただけると嬉しいのですが」
隼人はぴくりとも動かない。彼の視線はひかりを通り越し、何かを探るように周囲の茂みに向けられている。
私はため息をついた。
「隼人は私の護衛ですわ。私から離れることはありません」
「……そうですか。では、仕方ありませんね」
ひかりはあっさりと引き下がると、私の隣に腰を下ろした。近すぎる。なんなんだ、この女は。
「公条院様は、どうして私の邪魔ばかりするんですか?」
開口一番、彼女は単刀直入に切り込んできた。
「邪魔? 心当たりがありませんわね」
「とぼけないでください! 蓮様は私のものになるはずだったのに! あなたが余計なことをするから……!」
彼女の瞳に、嫉妬と憎悪の炎が燃え盛っているのが見えた。
『いや、だから私は何もしてないんだって! むしろ蓮くんは君にぞっこんだから、安心しなさいよ!』
そう叫びたいのをぐっとこらえる。
「あなたが何を言っているのか、さっぱりわかりませんわ。それに、一条院家の跡取りである蓮様が、あなたのような平民を選ぶとでもお思い?」
これはゲームの玲奈なら絶対に言うセリフだ。悪役令嬢としての役目は、きっちり果たしておかないと。
私の言葉に、ひかりの顔が怒りで歪んだ。
「……っ! 絶対に、絶対にあなたから蓮様を奪ってみせますから! 覚えてなさい!」
捨て台詞を残して、彼女は足早に去っていった。
ふう、と息を吐く。嵐のような女だ。
私が再び本に目を落とそうとした、その時。
「お嬢様、お下がりください」
隼人の鋭い声が響いた。彼が私の腕を掴み、強く引く。ほとんど同時に、私の座っていたベンチのすぐ後ろの植え込みから、数人の男たちが飛び出してきた。手には金属バットのようなものを持っている。
『え、え、何事!?』
突然の出来事に、頭が真っ白になる。男たちは、明らかに私を狙っていた。
隼人は私を背後にかばい、男たちと対峙する。彼は武器を持っていない。なのに、その体からは、まるで鞘から抜かれた刃のような、鋭い殺気が放たれていた。
「……誰の差し金だ」
隼人の地をはうような低い声に、男たちが一瞬ひるむ。
「うるせえ! そこの女を痛い目にあわせりゃいいんだろ!」
リーダー格の男が叫び、仲間と共に襲いかかってきた。
しかし、次の瞬間、信じられない光景が私の目の前で繰り広げられた。
隼人は、まるで舞うように男たちの攻撃をかわし、的確に関節を捉え、急所を打ち抜いていく。悲鳴を上げる暇もなく、屈強な男たちが次々と地面に倒れ伏していく。それはもはや、戦闘というより、一方的な蹂躙と呼ぶべき光景だった。
わずか数十秒。全ての男たちが、地面にうずくまって動けなくなっていた。
隼人は乱れた服装を直し、何事もなかったかのように私の元へ戻ってきた。
「お怪我はございませんか、お嬢様」
「え、ええ……。大丈夫……」
私は呆然としながら、うなずくことしかできなかった。強すぎる。私の護衛、強すぎる。
隼人は倒れている男たちを一瞥すると、冷たく言い放った。
「桜井ひかりに伝えろ。次はない、と」
『……え?』
今、なんて言った?
桜井ひかり? つまり、この男たちは彼女が差し向けたということ?
確かに、さっきの彼女の様子は妙だった。二人きりで話がしたいと言ったのも、隼人を私から引き離すため。そして、あの捨て台詞は、この襲撃の合図だったのか。
ヒロインが、悪役令嬢を物理的に排除しようとするなんて、そんな展開、ゲームにはなかった!
『殺意高すぎでしょ、あのヒロイン!』
背筋がぞっとする。もし隼人がいなかったら、私は今頃……。
「隼人、あなた、どうしてわかったの?」
「あの女が近づいてきた時から、周囲に複数の気配がありました。おそらく、お嬢様を傷つけ、その罪を俺になすりつけるつもりだったのでしょう」
淡々と語る彼の言葉に、私はさらに恐怖を覚えた。ひかりの計画は、私が思っていたよりもずっと悪質で、巧妙だったのだ。
「……ありがとう。また、助けてもらったわね」
「当然のことをしたまでです」
彼はそう言うと、私の肩にそっと自分の上着をかけた。恐怖で震えていることに、自分でも気づいていなかった。
彼の体温が残る上着が、じんわりと私を温める。その温かさに、少しだけ強張っていた体がほぐれていくのを感じた。
ふと彼を見上げると、その黒い瞳が、獲物を見据える獣のように、鋭く光っていた。
その瞳は、私を傷つけようとした者たちへの、容赦のない怒りに満ちていた。そして、その奥には、私に対する、何かどろりとした、暗い独占欲のようなものが渦巻いているように見えた。
私はその視線から、なぜか目を離すことができなかった。
『空気のように過ごす、という当初の目標が、ようやく達成されつつある……?』
まあ、取り巻き令嬢たちに「玲奈様、次はいつ桜井さんを懲らしめてくださるのですか?」とキラキラした目で見られるのは相変わらずだが、それも適当に受け流せるようになってきた。
そんなある日の昼休み。私は中庭のベンチで、隼人が淹れてくれたカモミールティーを飲みながら読書をしていた。穏やかな日差しと、花の香り。完璧な午後のひとときだ。
しかし、その平穏は、一人の人物の登場によってあっけなく破られた。
「公条院様、少しよろしいでしょうか」
声の主は、桜井ひかりだった。彼女は一人で、いつものようなか弱さはどこへやら、妙に落ち着いた表情で私の前に立っていた。
『うわ、来たよ……。面倒くさいのが』
私は内心で舌打ちしつつも、優雅に本を閉じた。
「何かしら、桜井さん。私に何か用?」
「はい。少し、二人きりでお話がしたくて」
彼女はそう言うと、私の隣に控えていた隼人にちらりと視線を送った。
「その方も、席を外していただけると嬉しいのですが」
隼人はぴくりとも動かない。彼の視線はひかりを通り越し、何かを探るように周囲の茂みに向けられている。
私はため息をついた。
「隼人は私の護衛ですわ。私から離れることはありません」
「……そうですか。では、仕方ありませんね」
ひかりはあっさりと引き下がると、私の隣に腰を下ろした。近すぎる。なんなんだ、この女は。
「公条院様は、どうして私の邪魔ばかりするんですか?」
開口一番、彼女は単刀直入に切り込んできた。
「邪魔? 心当たりがありませんわね」
「とぼけないでください! 蓮様は私のものになるはずだったのに! あなたが余計なことをするから……!」
彼女の瞳に、嫉妬と憎悪の炎が燃え盛っているのが見えた。
『いや、だから私は何もしてないんだって! むしろ蓮くんは君にぞっこんだから、安心しなさいよ!』
そう叫びたいのをぐっとこらえる。
「あなたが何を言っているのか、さっぱりわかりませんわ。それに、一条院家の跡取りである蓮様が、あなたのような平民を選ぶとでもお思い?」
これはゲームの玲奈なら絶対に言うセリフだ。悪役令嬢としての役目は、きっちり果たしておかないと。
私の言葉に、ひかりの顔が怒りで歪んだ。
「……っ! 絶対に、絶対にあなたから蓮様を奪ってみせますから! 覚えてなさい!」
捨て台詞を残して、彼女は足早に去っていった。
ふう、と息を吐く。嵐のような女だ。
私が再び本に目を落とそうとした、その時。
「お嬢様、お下がりください」
隼人の鋭い声が響いた。彼が私の腕を掴み、強く引く。ほとんど同時に、私の座っていたベンチのすぐ後ろの植え込みから、数人の男たちが飛び出してきた。手には金属バットのようなものを持っている。
『え、え、何事!?』
突然の出来事に、頭が真っ白になる。男たちは、明らかに私を狙っていた。
隼人は私を背後にかばい、男たちと対峙する。彼は武器を持っていない。なのに、その体からは、まるで鞘から抜かれた刃のような、鋭い殺気が放たれていた。
「……誰の差し金だ」
隼人の地をはうような低い声に、男たちが一瞬ひるむ。
「うるせえ! そこの女を痛い目にあわせりゃいいんだろ!」
リーダー格の男が叫び、仲間と共に襲いかかってきた。
しかし、次の瞬間、信じられない光景が私の目の前で繰り広げられた。
隼人は、まるで舞うように男たちの攻撃をかわし、的確に関節を捉え、急所を打ち抜いていく。悲鳴を上げる暇もなく、屈強な男たちが次々と地面に倒れ伏していく。それはもはや、戦闘というより、一方的な蹂躙と呼ぶべき光景だった。
わずか数十秒。全ての男たちが、地面にうずくまって動けなくなっていた。
隼人は乱れた服装を直し、何事もなかったかのように私の元へ戻ってきた。
「お怪我はございませんか、お嬢様」
「え、ええ……。大丈夫……」
私は呆然としながら、うなずくことしかできなかった。強すぎる。私の護衛、強すぎる。
隼人は倒れている男たちを一瞥すると、冷たく言い放った。
「桜井ひかりに伝えろ。次はない、と」
『……え?』
今、なんて言った?
桜井ひかり? つまり、この男たちは彼女が差し向けたということ?
確かに、さっきの彼女の様子は妙だった。二人きりで話がしたいと言ったのも、隼人を私から引き離すため。そして、あの捨て台詞は、この襲撃の合図だったのか。
ヒロインが、悪役令嬢を物理的に排除しようとするなんて、そんな展開、ゲームにはなかった!
『殺意高すぎでしょ、あのヒロイン!』
背筋がぞっとする。もし隼人がいなかったら、私は今頃……。
「隼人、あなた、どうしてわかったの?」
「あの女が近づいてきた時から、周囲に複数の気配がありました。おそらく、お嬢様を傷つけ、その罪を俺になすりつけるつもりだったのでしょう」
淡々と語る彼の言葉に、私はさらに恐怖を覚えた。ひかりの計画は、私が思っていたよりもずっと悪質で、巧妙だったのだ。
「……ありがとう。また、助けてもらったわね」
「当然のことをしたまでです」
彼はそう言うと、私の肩にそっと自分の上着をかけた。恐怖で震えていることに、自分でも気づいていなかった。
彼の体温が残る上着が、じんわりと私を温める。その温かさに、少しだけ強張っていた体がほぐれていくのを感じた。
ふと彼を見上げると、その黒い瞳が、獲物を見据える獣のように、鋭く光っていた。
その瞳は、私を傷つけようとした者たちへの、容赦のない怒りに満ちていた。そして、その奥には、私に対する、何かどろりとした、暗い独占欲のようなものが渦巻いているように見えた。
私はその視線から、なぜか目を離すことができなかった。
18
あなたにおすすめの小説
彼氏がヤンデレてることに気付いたのでデッドエンド回避します
八
恋愛
ヤンデレ乙女ゲー主人公に転生した女の子が好かれたいやら殺されたくないやらでわたわたする話。基本ほのぼのしてます。食べてばっかり。
なろうに別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたものなので今と芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただけると嬉しいです。
一部加筆修正しています。
2025/9/9完結しました。ありがとうございました。
王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない
エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい
最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。
でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた
夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。
そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。
婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。
婚約者を奪い返そうとしたらいきなり溺愛されました
宵闇 月
恋愛
異世界に転生したらスマホゲームの悪役令嬢でした。
しかも前世の推し且つ今世の婚約者は既にヒロインに攻略された後でした。
断罪まであと一年と少し。
だったら断罪回避より今から全力で奪い返してみせますわ。
と意気込んだはいいけど
あれ?
婚約者様の様子がおかしいのだけど…
※ 4/26
内容とタイトルが合ってないない気がするのでタイトル変更しました。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
冷遇されている令嬢に転生したけど図太く生きていたら聖女に成り上がりました
富士山のぼり
恋愛
何処にでもいる普通のOLである私は事故にあって異世界に転生した。
転生先は入り婿の駄目な父親と後妻である母とその娘にいびられている令嬢だった。
でも現代日本育ちの図太い神経で平然と生きていたらいつの間にか聖女と呼ばれるようになっていた。
別にそんな事望んでなかったんだけど……。
「そんな口の利き方を私にしていいと思っている訳? 後悔するわよ。」
「下らない事はいい加減にしなさい。後悔する事になるのはあなたよ。」
強気で物事にあまり動じない系女子の異世界転生話。
※小説家になろうの方にも掲載しています。あちらが修正版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる