乙女ゲームの悪役令嬢に転生!破滅回避のため空気を目指したのに、勘違いでモブキャラ護衛の重すぎる愛に捕まりました

久遠翠

文字の大きさ
6 / 15

第5話「悪役令嬢、護衛の瞳に映る熱に戸惑う」

しおりを挟む
 襲撃事件の後、桜井ひかりはしばらく学園を休んだ。表向きは体調不良ということになっているが、隼人が裏で何かしたのは明らかだった。あの男たちをどうしたのか、ひかりにどんな警告をしたのか、私は怖くて聞けなかった。
 ただ、学園に平穏が戻ったのは事実だ。ひかりの姿が見えないだけで、こんなにも空気が美味しいなんて。私は心置きなく「空気として過ごす」という目標にまい進できる。

『それにしても、隼人は一体何者なんだろう』

 ただの護衛にしては、戦闘能力が高すぎる。それに、情報収集能力も尋常じゃない。私が欲しいと思ったものは、口に出す前になぜか用意されているし、私の行動パターンも完璧に把握されている。
 先日も、私が無性に前世で好きだったB級グルメの焼きそばパンが食べたくなった。ため息をつきながら『あーあ、こっちの世界には、あんな庶民の食べ物はないんだろうな』と心の中でぼやいていたら、その日の夕食に「シェフが試作品を」と、完璧な焼きそばパンが食卓に並んだのだ。エスパーか。
 さすがに少し怖くなってきた。彼は私の心を読めるのだろうか。
 そんな疑問を抱えながら、私は公条院家の広大な図書室で、調べ物をしていた。もちろん、破滅フラグ回避のためだ。ゲームのシナリオを思い出し、これから起こりうるイベントをリストアップし、対策を練る。我ながら涙ぐましい努力である。
 集中して資料を読み込んでいると、ふと視線を感じた。顔を上げると、少し離れた場所に、隼人が彫像のように直立してこちらを見ていた。いつからそこにいたのだろう。まったく気づかなかった。

「……何か用、隼人?」
「いえ。お嬢様が熱心でいらっしゃいましたので」

 彼は静かに近づいてくると、私が読んでいた資料を覗き込んだ。それは一条院家が関わる事業のリストだった。

「一条院家に、何か?」
「別に。婚約者の家のことくらい、知っておくのは当然でしょう?」

 私は慌てて資料を閉じた。婚約破棄された時のために、蓮の弱みを握っておこうとしているなんて、口が裂けても言えない。

「さようでございますか」

 隼人はそれ以上何も聞かず、私の隣に立った。彼がそばにいると、不思議と集中できる。静かな彼の存在が、心地よいBGMのようだ。
 しばらく無言の時間が流れる。その沈黙を破ったのは、彼の方だった。

「お嬢様は、変わられましたね」
「え?」

 唐突な言葉に、私は彼を見上げた。

「以前のお嬢様は、このような場所にはほとんどお越しになりませんでした」

『以前のお嬢様』、つまり、本当の公条院玲奈のことだ。私の心臓が、どきりと跳ねる。

「……人は変わるものですわ」

 なんとか取り繕うように、私はそう答えた。

「はい。今のお嬢様は……」

 彼はそこで言葉を切ると、じっと私の目を見つめた。その黒い瞳の奥に、今まで見たことのないような、深い、深い感情が渦巻いているのが見えた。それはまるで、長年探し求めていた宝物を、ようやく見つけたかのような、そんな熱を帯びた色だった。

「……とても、お優しい」

 そう言って、彼は私の頬にそっと触れようと手を伸ばした。その指先が私の肌に触れる寸前、彼ははっとしたように手を引っ込めた。

「……失礼いたしました」

 彼は深く頭を下げ、私から数歩距離を取る。
 私は何も言えなかった。彼の指が触れそうになった頬が、燃えるように熱い。心臓が、早鐘のように鳴り響いている。
 今の、あれは、何だったのだろう。
 彼の瞳に映っていたのは、忠誠心だけではなかった。もっと個人的で、もっと切実な、何か。
 それ以来、私は隼人のことを、今まで以上に意識するようになってしまった。
 彼が近くにいるだけで緊張するし、ふとした瞬間に視線が合うと、心臓が飛び出しそうになる。彼が他の使用人と話しているのを見るだけで、なぜか胸がもやもやする。

『これって、もしかして……』

 いやいやいや、ありえない。彼はモブだ。私は悪役令嬢。恋愛フラグなんて立つはずがない。これはきっと、命を助けてもらったことによる、ただの吊り橋効果のようなものだ。そうに違いない。
 私は自分にそう言い聞かせ、隼人への気持ちに蓋をしようとした。
 だが、運命は、そんな私のささやかな抵抗をあざ笑うかのように、新たな試練を用意していた。
 数日後、父に呼ばれて書斎へ行くと、そこには厳しい顔をした父と、なぜか神妙な面持ちの隼人がいた。

「玲奈。お前に話がある」
「はい、お父様」
「近々、一条院家との会食がある。蓮くんも来る。……分かっているな?」

 父の言葉に、私はすべてを察した。パーティーでの一件や、その後の蓮の態度。両家の間でも、私たちの関係がうまくいっていないことは問題になっているのだろう。この会食は、関係修復のための最後のチャンス、というわけだ。

『まずい……! ここで関係修復なんかされたら、婚約破棄ルートが遠のいてしまう!』

 なんとかして、この会食を失敗させなければ。
 私がそんなことを考えていると、父は隼人に向き直った。

「隼人。会食の日も、玲奈のそばを離れるな。何があっても、玲奈を守るんだ」
「御意」

 隼人は深くうなずいた。その横顔を見ながら、私は決意を固めた。
 この会食は、私にとって大きな賭けになる。破滅を回避し、自由を手に入れるための、重要な一歩。
 そして、その重要な局面で、私の隣にいるのは、婚約者の蓮ではなく、この忠実な護衛なのだ。
 彼の瞳に宿る熱の意味を、私はまだ知らない。知りたくないような、知りたいような、複雑な気持ちを抱えたまま、私は運命の会食の日を迎えることになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼氏がヤンデレてることに気付いたのでデッドエンド回避します

恋愛
ヤンデレ乙女ゲー主人公に転生した女の子が好かれたいやら殺されたくないやらでわたわたする話。基本ほのぼのしてます。食べてばっかり。 なろうに別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたものなので今と芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただけると嬉しいです。 一部加筆修正しています。 2025/9/9完結しました。ありがとうございました。

王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない

エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい 最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。 でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

悪役令嬢は追放エンドを所望する~嫌がらせのつもりが国を救ってしまいました~

万里戸千波
恋愛
前世の記憶を取り戻した悪役令嬢が、追放されようとがんばりますがからまわってしまうお話です!

婚約者を奪い返そうとしたらいきなり溺愛されました

宵闇 月
恋愛
異世界に転生したらスマホゲームの悪役令嬢でした。 しかも前世の推し且つ今世の婚約者は既にヒロインに攻略された後でした。 断罪まであと一年と少し。 だったら断罪回避より今から全力で奪い返してみせますわ。 と意気込んだはいいけど あれ? 婚約者様の様子がおかしいのだけど… ※ 4/26 内容とタイトルが合ってないない気がするのでタイトル変更しました。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

冷遇されている令嬢に転生したけど図太く生きていたら聖女に成り上がりました

富士山のぼり
恋愛
何処にでもいる普通のOLである私は事故にあって異世界に転生した。 転生先は入り婿の駄目な父親と後妻である母とその娘にいびられている令嬢だった。 でも現代日本育ちの図太い神経で平然と生きていたらいつの間にか聖女と呼ばれるようになっていた。 別にそんな事望んでなかったんだけど……。 「そんな口の利き方を私にしていいと思っている訳? 後悔するわよ。」 「下らない事はいい加減にしなさい。後悔する事になるのはあなたよ。」 強気で物事にあまり動じない系女子の異世界転生話。 ※小説家になろうの方にも掲載しています。あちらが修正版です。

処理中です...