卯の花の門に

まーくん

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 七年後。

 舗装路が失われ、もう三十分は硬い土道が続いている。
 大きなエンジン音を鳴らして一台のオートバイが走っていた。
 誘導ビーコンが存在しない上に、マグレブ発生装置もない。
 このような砂漠は“タイヤ付き”で移動することも選択肢のひとつだ。

 誘導ビーコンがないということは、生体スキャンの精度が“若干”甘くなることを意味し、政府の保護が弱まる結果につながる。

 笑わせる物言いである。
 アオイ政府、すなわち三つのみやは、国家国民の利益のためにすべてをかけている。
 それは疑いようがない。彼らの生きる意味こそアオイの繁栄と継続であるからだ。

 彼らの代表は、霊子コンピューターを通じ、地球の表面にあるすべての霊的レイヤーと自らを接続している。
 通常、国民が通信に使用している無意識層もこのひとつだ。

 つまり、誘導ビーコンがないということは、大海のうちスポイトで吸い出した一滴だけのサイズとはいえ、彼らの監視から遠ざかったということである。
 焼け石に水と言えばそれまでだが、それでもよかった。

 それにしてもガソリンエンジンはけたたましい。
 路面からのエネルギー供給がなくても、この程度の距離であれば、一般的なカーゴに搭載されている反物質コンテナでも十分に稼働可能な範囲だ。

 また、この時代のガソリンエンジン車両は、趣味の範囲として広く認識されているものであり、移動を目的としたものとして扱われてはいない。このような荒野を走るのは不適切だ。
 しかし、その適切ではないものを敢えて楽しむのが趣味というものかもしれない。

 やがて、待ち合わせの場所に到着したバイクは、砂埃を上げて減速した。
 ライダーがバイクのエンジンをストップさせ、跨がりを解く。
 地面に降り立ったライダーは、成長したきりさめクロガネであった。
 ヘルメットを脱ぐと、肩まで伸ばした髪が砂埃に舞う。
 ピカピカだったバイクも、この三十分あまりで泥だらけになっていた。
 テクティル製のヘルメットはすぐに形を変化させ、バイクの一部に吸収された。
 黒い革ジャンにジーンズ、エンジニアブーツ姿だ。

「遅くなりました」

 彼が頭を下げると、目の前には三人の男たちが立っていた。
 こちらもタイヤ付きの四輪車で移動してきたようだ。
 全長十メートルの車体の前に男たちは立っている。

「いや、こんなところまで悪いな」
「とんでもないです。兄貴」

 クロは姿勢を正して兄貴の前に立った。
 クロが兄貴と呼ぶのは、クロが所属する世代のリーダーである。
 クロよりも七歳年上の彼は、きりさめ家から見れば本家筋の人間となる。
 それでもみず全体から見れば、ただの弱小一派の一つにすぎない。
 後ろの二人は、彼の秘書にあたる。
 強面大男の二人組だが、この時代に護衛という言葉を使うことには抵抗がある。
 いったい誰から何から守るというのか。

「まずは結婚おめでとうと言うべきだな」

 回りくどい言い方に聞こえるが、普段の彼は細かなことは気にしないおおらかな人間だ。弟や妹からは信頼されている。

「ありがとうございます」

 クロはもう一度頭を下げる。

「まあ家族の話だからな。わざわざこんなところにまで出向いてもらったってことだ。上から見られてるとはいえ、多少は言いたいことが言えるだろう」
「はい」
「それにしても」

 兄貴はそう言って小さく吹き出した。

「老人たちのはしゃぎようを見せてやりたかったぜ」

 メモリー再生不可領域であったことから、そのときの様子をクロに共有できないのだ。
 パンツのポケットに両手を突っ込んで、兄貴は笑う。
 紺のブレザーに白いロンT、ベージュのチノパン。茶色のスリッポン。いかにもなビジネスカジュアルである。
 クロと同様に、砂埃で真っ白になっている。
 後ろの二人組は、腕を背中で組んで仁王立ち。ノータイのスーツ姿だ。
 こちらも、いかにもな姿だと感じる。

「いずれにせよ認めていただいて嬉しい限りです。兄貴の口利きがあったおかげです」
「俺はなにもしてないよ」

 大げさに腕を広げて兄貴はそう言う。
 元来の陽気な性格が表れている。

「本家に話を持ってったときには、もうお祭り騒ぎがはじまってたってもんよ」

 がははと笑う。

「奥座敷じゃ、ご老人たちが昼間っから雁首そろえて酒盛りだ。ありゃ笑っちまったぜ」
「……」

 クロは黙ってしまう。
 ここは何も言わないタイミングだ。
 長老たちに対して肯定的な意見も否定的な意見も言わない。

「なんといっても百年ぶりの完全な外からの血だ。爺さんたちの気持ちもわかるってもんさ」

 兄貴は心から愉快なようで、思い出し笑いをしていた。

「これでお前に子供が産まれようものなら、みずのどの家からも求められる存在になるな」
「はい」
「挙式も新婚旅行も、本家が準備してくれるって言ってるから、好きに考えておけよ」
「ありがとうございます」
「ハネムーンベイビー、期待しているぞ」
「いえ、落ち着くまでは……と思っています」
「ん? そうか。まあクロは昔から女には潔癖すぎると思っていたんだが、最高の結果を残してくれてうれしいよ」

 兄貴は左右の男たちに視線を送り、同意を促す。
 スーツ姿の男たちは、背中で手を組んだ姿勢のままうなずく。

「最高の式になるだろうな。ご先祖にも自慢できる清らかな花嫁たちだ」
「恐縮です」

 そう言ってから、クロはちょっと複雑な顔をする。

「もう関係は持ってしまっているのですが……」

 兄貴がクロの背中を叩く。ライダージャケットの砂埃が大きく空中に広がる。
 男子平均からすれば、かなり低い身長のクロである。
 平均身長の兄貴が上からクロの背中を叩く。

「ばっか、そんなこと想定済みだよ。挙式の間だけ貞淑な顔をしていればいいんだ」

 そう言って兄貴は、何らかの疑問が浮かんだのか、クロの情報にアクセスした。
 上位者権限で、彼の情報を通じて花嫁の設定を確認したのだ。
 上位者とはいっても、彼の身分では設定のあるなし確認くらいで、詳細を閲覧することまではできない。

「なんだ~?」

 兄貴が大きな驚きの声を上げる。
 それを聞いて、クロはやれやれという表情を浮かべた。

「ここまでのオープン設定見たことないぞ」
「はい……」

 申し訳なさそうにクロが同意する。

「一人の花嫁は完全におまえに対してノーガードじゃないか。いくらなんでもこれはやりすぎじゃないか?」
「はい。やめておけとは言っているのですが…… これじゃ俺がグルーミングしたみたいじゃないですか」
「そうだな。俺たち世代の中では、お前ほど平等な態度で異性に接する奴はいないってのにな」

 兄貴はちょっと呆れ気味ではあったもののの、気を取り直して、

「いずれにせよ、お前次第でいつでも妊娠する覚悟があるなんて、すごい決意を感じるじゃないか。本当に。家にとってお前は最高のパートナーを見つけてくれたな」
「はい。恋愛感情なんて気持ちの悪いもので配偶者を決めたりはしません。すべては家門のためです」
「そうかそうか」

 兄貴の中では、近いうちに産まれるであろう新しい家族のことについてあれこれと考え始めていることだろう。
 年々二人ずつ増えるだけで、彼らの家は強大な権力を得る機会が与えられるのだ。

「そういえば、相手方の親御さんから本家に結婚願いが届いた際に、黒いチューリップが添えられていたそうだ」
「黒いチューリップですか?」

 初耳のことである。

「ずいぶんと地味ですね」
「ただでさえ乗り気だった爺さん達が、『これが今時のモダンスタイルか!』って、それでまた一段と盛り上がっちまって。大絶賛だったぜ」
「そうですか」

 アオイにおいて、花を贈る行為が持つ意味は重い。
 それは単なる贈物ではなく、花の種類や色、数などに想いを託す、言葉以上の対話だからだ。
 贈り手は暗号のように意味を込め、受け手はその意図を汲み取り、センスを評価する。
 たとえば赤いバラ一本であれば、それを『あなたしかいない』という一途な愛と取るか、あるいは『ひとりで待つ寂しさ』と捉えるか。
 正解のない問いを投げかけ、その解釈の余地を楽しむやり取りこそが、この国でいうみやびという価値観なのだ。

 そういう意味では、地味で愛想なしとされる黒色を、あえてこのタイミングでチョイスすることこそが前衛的であり、都会的なセンス――彼らの好む言葉で言うところの“モダン・スタイル”なのだろう。

 だが……

「クロがこんなにいい娘さんを連れてくるなんてな。ホント、生きていてよかったと思えるくらいだぜ。これからもお家のためにがんばってくれよな」

 兄貴はそういって、クロの肩まで伸ばした髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、背中を見せた。

「そういえば」

 兄貴が体半分だけ振り返る。

「その黒いチューリップだがな。栽培瓶に収まりきらなかったらしくて、今じゃ本家の庭に強く根付いちまったって話だぜ」

 手を振りながら、兄貴は四輪カーゴに乗り込んだ。
 二人組が続いて乗り込む。一人は運転手も兼ねているようだ。
 運転手が起動スイッチを押すと駆動モーターが動作を開始する。わざわざこんな場所で待ち合わせをしたばかりに、オートナビではなく手動運転だったのだろう。

 全長十メートル程度の超小型カーゴが遠ざかり、見えなくなるまで、クロはその場で礼の姿勢を崩さない。
 深く頭を下げて、表情は見えないままだ。

 黒いチューリップ……

 ……ふっ。  影の中で、クロは吹き出してしまった。

「くくく……」

 とうとう声に出して笑い出す。

「モダンスタイルだぁ?」

 それはクロの指示したものではない。あずかり知らぬことである。
 本家の長老たちには、せいぜい婚姻願いと合わせた長寿祈願などの平伏の態度に見えたのだろう。
 しかし、クロには分かっていた。それが、この国の地図を黒く塗りつぶすための、最初の一滴なのだと。

「それに気付けないのだから、兄貴……」

 冷たく笑う。

「……だから、あんたは間抜けなんだよ」

 ひとしきり乾いた笑いを漏らしたあと、クロの頬を一筋の涙がつたった。

「だからこそ、兄貴……。俺は本気で、あんたを尊敬していたんだ……」

 頭に浮かんだ、幼い頃、一緒にバスケで遊んでくれた兄貴の姿を振り払って、クロはバイクからヘルメットを生成してかぶり、跨がる。

 イグニッションを回すとシリンダー内で爆発が発生し、息を吹き返したエンジンが猛々しいほうこうを上げた。
 ギアを蹴り込み、アクセルをふかす。乱暴にクラッチを繋ぐと、前輪が高々と持ち上がった。まるでロケットだ。
 轟音と砂埃を巻き上げながら、クロを乗せた鉄塊は、婚約者たちの待つ家へとひた走る。
 もはや、平和な日常へ振り返ることはなかった。




 新世紀412年

 クロが成人を迎えて程なくして、元祖の日と呼ばれる祝日に、みず領では異例の盛大な挙式が執り行われた。

 みずの有力な当主たちだけではなく、にいじまからも多くの権力者が列席し、まるで国家の重要案件を決定する場の様相を呈していた。

 元祖の日は、偉大なる開祖が地球再建を志した記念すべき日と称えられる一方、文明の終わりの始まり――つまり大崩壊の開始日として、血塗られた日であるとも囁かれている。

 その運命をなぞるように、クロガネを家長としたきりさめ家は、異様な速度で勢力を拡大させ、二十年後には一族内の粛清を開始。やがてみずはおろか、新島にいじまさえ飲み込んでいくこととなる。

 アオイの歴史の中で、名門氏族うじぞくの断絶など前代未聞の事態ではあるが、新島にいじまの座を、きりさめが継承することで決着を見た。
 本来、“風”が“山”のくらいに就くなど、あってはならぬこと。だが、きりさめの権勢は不可侵であるはずの三みやにまで深く浸透しており、もはやアオイ国内に、きりさめに……、きりさめクロガネに逆らうことのできる者は存在しなかった。
 それはすなわち、彼がこの地球で最高の権力を手にしたことを意味していた。

 こうして権力の頂点を極めたきりさめクロガネは、その威光を国内に知らしめるかのように、代々続いた九曜紋を廃し、家紋を『二輪の黒いチューリップ』へと改めた。

 これが、人類最古の歴史を持つ国に、新たなうじが誕生したてんまつである。
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