卯の花の門に

まーくん

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 十年前(新世紀395年)

 不思議な柔らかみのある金属で作られた、シンプルなデザインのベンチ。
 そこに小さく、お行儀良く座りながらも、少女は不安な表情を抑えられずにいた。
 
 そのような表情でありながらも、伸びた背筋からは、彼女の育ちの良さが窺われた。

 この国では、ほぼ見ることのなくなった“自然素材”で仕立てられたワンピース姿だ。
 既製品ではない。彼女のためだけにあつらえられた一点物。

 白く輝くブロンドには、小さな花を模したヘアピンが留められており、それが幼い少女の可憐さを、嫌味にならない程度に引き立てている。
 揃えられた小さな足のストラップシューズもまた、天然の革を用いたものだ。

 小さいながらもすらりと長い手足。ぱっちりと開いた青い瞳。
 その全身が、贅沢品そのものと言えるコーディネイトであり、誰もが「愛らしい」と形容する美少女であることに疑う余地はない。

 しかし、その表情は物憂げであった。
 幼子でありながら、どこか大人びており、すでに女性としての陰りすら感じさせる。

 空は高く晴れやかだ。
 流れる風は穏やかで、足下の道には塵ひとつない。
 周りの花壇には色とりどりの花が、乱れなく整列して咲いている。
 まるで、そこに咲くことに、あらかじめさだめられていたかのように。

 ここは、“氏族うじぞく”と呼ばれる特権的なグループが管理する、教育行政機関の敷地内だ。

 氏族うじぞく――。
 それは、この国独自の社会構造であり、血縁や役割によって結ばれた強固な家族制度を指す。
 彼らは国政に深く関与し、この土地の秩序と安寧を支配している。
 一般的な国際社会とは異なる、この国の特殊な統治システムだ。

 少女たち一家は、この国への移住者である。
 入国時に、法務的な手続きは済んでいるものの、彼女の出身国と、この国の“生体フォーマット”の違いから、教育に必要なベース情報の遠隔転送ができないらしい。
 そのため、こうして氏族うじぞくの管理する施設に直接出向く必要があったのだ。

 広くとられた道幅。周囲の建物は、不思議なデザインながらも洗練された機能美を感じさせる。
 子供が一人でいても犯罪に巻き込まれる可能性はない。と、母は言っていた。
 治安の良さは、母国以上であるらしい。

 だが、幼い彼女にとって、そんな理屈は何の意味も持たない。
 どれほど安全で、どれほど優れていようとも、ここは彼女の知る大地ではないのだから。

 故郷を遠く離れた極東の地。行き交うのは、肌の色が違う人々ばかり。
 これからの人生を、この異国のシステムに組み込まれて生きるという実感がわかない。

 そもそも、なぜこのような境遇になってしまったのか。
 幼い彼女に納得しろというほうが無理な話であろう。

 母についていった好奇心旺盛な姉とは違う。
 彼女は自分事が理解できず――いや、理解できていたからこそ、手続きをしてしまえば、もはやここを祖国と呼ばなければならない現実に拒絶を覚えた。
 だからこそ、『ここで待つ』と母に駄々をこねてしまったのだ。

 一緒に行こうと説得する母だったが、新しい環境にはしゃぐ姉を抑えきれなかったのだろう。
 とうとう彼女に『このベンチから動かないように』と言い聞かせ、姉の手を引いて役所の中へと消えていった。

 今は独りでいた方がよい。

 幼い心はそう考える。
 父の仕事の都合ということは理解しているし、こんな不安な顔をしていると、母に伝染してしまうこともわかっている。

 だから今は独りを選んだ。

 やさしく清潔で暖かい風が彼女の頬を撫でていく。
 この国のすべてが彼女を歓迎しているようだ。

 わかっている。

 空気までもが、大丈夫だよと彼女をやさしく抱いてくれるようだ。

 わかっている。
 でも、割り切れない。

 やがては、同じ先祖の血が流れる同族と、同じ地に眠るのだと幼い心は受け入れたばかりだというのに、大人の、社会の、人間の、システムが、ルールが、突然彼女と故郷を、もはや歩いては帰れぬほど遠くに引き裂いた。

 その気になれば星の裏側にも飛んでいける時代だというのに、彼女にはそれが許されない。手段があっても実行できない。
 つまり、“ない”のである。

 音速を超えるエアポーターも、大気を突破して他国に移動するオービターも、使えなければ自分の世界にはないのも同然だ。

 なぜこんなことに……

 父親の仕事のため。それは人類のため。それは大人の事情。

 そんなことはわかっている。
 でも理屈では理解できても、心では納得できないのだ。

 どこにいても、一秒間に百二十回の肉体スキャンを受ける。
 この国では、病気になることすら許されない。

 脳波チェックにより、精神の安定をも監視される。
 嫌だと大声で泣くこともできない。

 誰かと一緒なら、『嫌です嫌です』とわがままを言うことができるのかな?
 そんな夢みたいなことを考える。現実逃避かも。
 まだ自分の色すら知らない私は、ただの球根だ。
 この国からすれば、異質な自分は、まるで観賞用に輸入された花のようだと感じた。

「どうしたの?」

 突然声をかけられる。
 少しだけ顔を上げると、母と同じくらいの年齢であろうご婦人であった。
 二十代後半から三十代前半くらいであろうか。

 ご婦人は、少女の髪や肌の色から外国人であるとすぐに理解できたようで、流暢な通商用語を使用して話しかけてきた。

 少女の母国語は通商用語とはかけ離れた難解なものとされているが、第二言語として教育されているため、幼い彼女でも婦人の言葉は聞き取れる。

「一人でどうしたの? お母様は役所で手続き中かしら?」
「……はい」

 かろうじて答えて彼女が顔を上げると、まず目に入ったのは、ご婦人の持つ、その黒い髪だった。
 『おねえさん』と呼びたくなる若い容姿。でも私と同じ年齢の子供を連れているお母さんだ。
 ご婦人も子供の教育手続きに来たのであろうか。
 外国出身者以外でも、まれに直接訪問する人はいるらしい。
 ただの思いつきではあったのだが、少女の推測は正解であった。
 ご婦人の横にたたずむ少年は、寡黙ゆえに通信でのやり取りを嫌い、直接の対面を望んだのだ。
 しかし、そんなことよりも、少女の関心はすぐにご婦人の髪に戻った。

 黒い髪。
 癖がなく、まっすぐで、まるでふたつの月の光が届かない夜の川のようだ。

 夜の川だ。

 つややかで、綺麗……

 一瞬で虜になった。
 美しく流れる黒い川。
 輝いて見える。

 ご婦人の瞳はやさしい。
 まるでこの国に来たことを歓迎してくれているように。

 この国に於いて、白人は少数であるものの、けっして珍しい人種ではない。
 ただ、ご婦人は、この時期にこの場所にいる彼女を見て、アイアール法によって移動してきた移住国民であると察したのだ。
 ご婦人に閲覧が許可されているライブラリに、彼女の情報が存在しなかったこともその理由である。

「今日の手続きは簡単に終わるものだから、きっとお母様はすぐに帰ってこられるわ」

 ご婦人はそのように言った。少女の心細さを少しでも解いてあげたかったのだろう。

 少女はご婦人の発音に、自分と同じく第二言語として通商用語を習得した者の癖を見つけて、なんだか身近に感じた。
 だけど、そんなことよりも、この美しい髪に心奪われている。

 父親の友人である偉い人たちは、皆、彼女の髪を、
 『小麦のように美しく太陽の化身だ』
 『豊穣の女神だ』と褒めてくれる。
 でも、少女の中で、そんな美辞は一瞬で過去のものとなっていた。
 この国で生きていく。この国の人間になるのであれば、この黒い髪を得ることができるのだろうかと儚く願った。
 生まれて初めて自分の意思でほしいと思ったものだった。

 かわいいお洋服も、美しいアクセサリーも、思いのまま手に入れることのできる環境で育てられたが、それを望んだのは大人が喜んでくれるから。
 贅沢な環境を提供してくれる大人に応えなければという思いからだ。

 でも、はじめて欲しいと思ったものは手に入れることのできないものだった。
 どうしてこうも上手に咲けない人生なのだろうか。

 童女めのわらわが人生を悟るとはなんと早熟で生意気なことだろう。
 しかし、そんな思いが彼女の心を支えたのだと思われる。
 彼女の中の迷いは解消されつつあった。
 ご婦人のように、この国の人間として生きていかなければならない。
 ならば、この国を自分の花壇にしてしまおう。
 そんな決意があったのに、彼女の青い瞳から一筋の涙が流れた。
 これは悲しさではない。昨日までの自分との決別、そして決意の表れだ。

「グレーテ」

 役所の入り口から、自分を呼ぶ母の声が聞こえた。

「お母さん」

 彼女が振り返ると、ご婦人は安心したように、自分と視線を合わせるように折っていた膝を伸ばして立ち上がった。

「もう大丈夫ね」

 変わらず優しい笑顔でそう言って手を振った。

「またね」

 そう言うと、ご婦人は母に会釈をして、まるで母と交代のように役所の入口に向かう。

「これ」

 少女に違う声がかけられる。
 見ると、ご婦人の横に立っていた自分と同じ歳の男の子が、ハンカチを差し出していた。
 黒い髪。茶色の瞳。
 自分に差し出されたハンカチを受け取る。
 あんまりおしゃべり上手な感じのしない男の子だった。
 みんなに隠している本当の自分の姿が重なる。
 勝手な仲間意識が芽生えた。
 細くて長い指。綺麗に整えられた爪。まるで女の子の手のようだと思った。

「使って、綺麗だよ」

 ご婦人とは対照的に、むすっとした顔だ。
 男の子ってこんな感じだよねとは思うから、悪い印象はない。

「あ、綺麗って」

 男の子は急に恥ずかしそうにもじもじし始めた。

「ハンカチのことだけど、きみの目も」

 そう言いたいことだけ言って、男の子は回れ右して母親の後を小走りで追いかけて行ってしまった。

 そのとき、幼い少女は自分の瞳の色が褒められたことに気付かなかった。
 そんなキザな台詞がさらっと出てくる少年に恋したりしない。
 きっと将来女の子泣かせになるはずだ。
 だから恋したりしない。誰にも、彼以外には、私に好きだって言わせない。
 幼い少女の体の中に複雑な感情が生み出された。

 受け取ったハンカチを見れば、九曜紋が縫い込まれている。
 それからしばらくして、それがみずの中の弱小家門、きりさめ家の家紋であることを知った。
 それは、しばらくしたあとのこと。
 恋に落ちたと気付いてしまったあとのこと。




卯の花の門に

-おしまい-
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