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1.ハッピーバースデー ※
しおりを挟むその日は曇天だった。次第にポツポツと雨が降り始め、アスファルトを黒に変えていく。
「うわ、まじか」
オレは歩道橋の上で止まり傘を広げた。家を出る時に父さんに持たされた傘は少し鉄部分が錆びていた。オレはんー、と目を細める。少しいやだった。
だって今日は恋人に会うのだから。
階段を降りていくと傘を差した見覚えのある人がいた。
オレの恋人、朝陽だった。
彼の横を通る女性達は皆、ちらりと朝陽を見る。
整った顔に長い足。そして高身長だ。男のオレでさえも羨ましくなってしまうくらいだった。
「朝陽!」
名前を呼べば優しい笑顔でオレを見てくる。オレだけに見せる顔に胸が満足する。手を振り、朝陽に駆け寄れば優しい微笑みで返してくれる。2ヶ月ぶりの恋人にオレはそっと朝陽の指先に触れた。
「待った?」
「全然、俺も今来たとこだよ」
オレたちは広い歩道を横になって歩く。付き合って2年。
出会いはカフェでケーキを人目も憚らず男1人で大量に食べていた時だった。
オレの目の前にコーヒーとチーズケーキが置かれる。
「ねぇ、俺も一人なんだけど相席してもいい?」
変なやつが来た、とオレは思った。だが、話をしていくうちにどこか親近感が湧いて話が弾んでいった。
それがオレたちの出会いだった。今思うと懐かしい。
今日も朝陽の手にはホールケーキケーキ用の箱がある。
「なぁ、朝陽」
この2ヶ月、何してた?
オレはその言葉を飲み込む。
2年も付き合っているのに、苗字すら知らない。予定が合わなければ2ヶ月、3ヶ月なんて平気で会わない。連絡だけは取り合ってはいる。
それは本当に恋人なのか?
隠しきれない不安にオレは思わず俯いてしまった。
「どうした?」
「なんでもない」
朝陽は何も変わらない。優しくてかっこ良い。今だってオレの顔を心配そうに見てくる。
だが、こんなに近くにいるのに今もどこか遠い場所にいる気がする。
朝陽の家に着きケーキを冷蔵庫に入れた後は、オレ達はベッドにもつれるようになだれ込んだ。
朝陽の爽やかな香水の香りがベッドからふわり、と鼻を掠める。オレの大好きな匂いだ。
「ふっ…んんっ、あさ、ひっ」
「暖、腕上げて」
上の服を脱がされ腰のラインに指が這わされる。
朝陽の指先がそのまま上がって行き、オレの胸に触れる。
「んぁっ…んんっ」
深く口付けをされ、ベッドに押し倒される。口内を蹂躙する舌は熱く、2ヶ月という短くて長い期間を埋めていくようだった。
下に履いているジーンズの股ぐりを撫でられる。
形を辿るように撫でられ、ジーンズと下着を脱がされていく。
そのまま朝陽はオレから離れると股の間に入り鼠径部にキスを落とす。
朝陽の熱い手がオレの太ももを撫で、主張したそれにそっと触れる。ぞくぞくと背中に甘い刺激が走り、これから来るであろう快楽に耐えられそうになかった。
「朝陽っ、待って」
「待たないよ」
オレのそれは朝陽の熱い舌に弄ばれ、口に含まれる。内ももが震え、足の間にいる朝陽の頭に指を這わす。
「んんんっ、ああっ、あさ、ひっ」
何か冷たい液体が塗られ体内に指が入っていく。
「……ここ解してきたのか?」
オレは朝陽から顔を背けた。
「ごめん、もう俺も我慢できない」
「きて、あさひっ」
朝陽が下を脱ぐと主張したそれにオレは生唾を飲み込む。
「暖はかわいいな。俺のこと思って準備してくれたのか?」
当てられたそれはオレの中にゆっくり入っていく。中を広げ入ってくるそれはとても熱かった。
「暖、好きだよ」
熱い吐息がオレの耳にかかる。ゆっくりと律動されると朝陽はオレの中を蹂躙していった。心も体も満たされていく時間はとても幸せだった。
ベッドの中でオレたちは小さく抱き合って口付けをしていた。
朝陽の触れる場所が全て熱く刻まれていく。
朝陽のスマホのアラームが鳴る。時刻を見ると23時を過ぎていた。もう少しでオレの20歳の誕生日だ。
「やっべ。暖の誕生日になっちゃうな」
朝陽はズボンだけを履いて冷蔵庫に向かう。テーブルの上に苺が沢山乗ったタルトが置かれる。乗っているチョコプレートには《暖 お誕生日おめでとう》と書かれていた。
「めっちゃうまそう!」
俺もベッドから出て、下着とズボンだけ履く。
「まだ、食べるなよー」
「わかってるって」
窓ガラスに雨が当たる音がする。外を見てみると風も吹いて来ていた。
「明日は晴れるかなー?」
朝から大学の授業がある。雨だったら行くのが億劫になってしまう。
「さぁなー」
台所の方から朝陽の声が聞こえた。
オレはカーテンを閉め、朝陽の様子を見に行く。
「何してんの?」
「んー、飲み物とかさ」
「わー!シャンパンじゃん」
朝陽はオレの顔を見て笑う。
「一緒に飲もうな」
カチ、カチ、と近くにあった時計の針の音が聞こえた。
とてつもなく嫌な音だ。オレたちの会話に水を刺された気分だった。
時刻は23時50分と55分の間を指している。
「ほら、オレの誕生日になっちゃうって早く早く」
「わかったって」
朝陽の腕を掴み、テーブルの前に座る。横に朝陽の温かい体温を求めて近くに寄ってみる。お互い上に服を着ていないせいか肌の温もりを直に感じる。先程までくっついていたはずなのにまた朝陽を求めてしまっていた。
「オレ、またこうやって朝陽と誕生日祝えて嬉しいよ」
「俺もだよ。毎年やろう」
朝陽は優しく笑いオレの頭にキスを落とす。
オレは嬉しかった。ずっと一緒にいたい、そう思った。
そしてもっと朝陽のことを知りたかった。
「お誕生日おめでとう」
時計の針は00時00分を指していた。
「ありがとう、朝陽」
オレたちはキスをした。
じわっ、と背中が熱くなった。
「いった……」
「どうした?」
オレは朝陽から離れる。肩甲骨の間がじわじわ、と痛くなる。何かがゆっくりと描かれている様だった。
朝陽が心配そうな顔をしてオレの背中を見てくれる。
オレはこの痛みの正体を知っている。
「お前、それ……」
何かを見て驚いたような声が聞こえた。
オレは少し違和感を覚える。この痣は印が発現した者にしか見えない。朝陽には見えないはずの痣。
「う、そだろ?」
どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのだろう。今にも泣きそうな顔して現実を拒絶するように首を左右にゆっくり動かしていた。まるでそれが見えているようだった。
「どうして」
ゆらり、と立ち上がった朝陽がオレを足で押し倒す。見下ろす朝陽の顔は悲しみと怒りに満ち溢れていた。
「...分かっていて近付いたのか?」
朝陽の顔からゆっくりと感情が抜け落ちていく。まるでオレとの間に線を引き、仮面を付けたように。初めて見る、その顔にオレは恐怖を覚えた。
オレは朝陽の足から逃げ、距離を開ける。
ふと横に合った姿見を見るとオレの背中には白い椿の花が咲いていた。それはとても美しいものだった。
「花吹、だよな?」
朝陽の声は震えていた。花吹、それはオレの苗字だった。
「なんで、それをーー」
先程まで朝陽の脇腹を見てオレは固まってしまった。
椿の葉が描かれていた。それは何かを支えるような模様だった。
「朝陽、お前……葉山だった、のか」
朝陽の苗字をこんな形で知るとは思わなかった。
まさか朝陽は、知っていたのだろうか。
だが、朝陽のあの驚きよう。きっと朝陽も知らなかったのだろう。
「なんだ、気づいていなかったのか。そうか、そういえば印が出ないと見えなかったな」
朝陽はオレに初めて冷たい笑顔を向ける。優しい笑顔はもうそこにはもうなかった。
向かって来たのは朝陽からだった。 首を捕まれ、テーブルの上に倒される。
食器がぶつかり合ってボトボトとカーペットの上に落ちていく。苺のタルトも音を立てずに落ちた。
シャンパンはカーペットの上に転がって中身がしゅわしゅわと音を立てて溢れていく音が聞こえる。
先程まで優しくオレに触れていた手は、全く別物になっていた。
まるでオレを無理矢理に屈服させるようなそれだった。
「待てよ、朝陽。オレは嫌だよ、こんな……」
「この印が出たってことはなぁ、俺たちは敵同士になったんだよ」
「……っ」
朝陽の言う通りだった。
オレたちは相手を降参や認めさせ、印を1つにしなければ終わらない戦い。それは先祖代々から受け継がれてきたことだ。
抗うことが出来ないのは分かっている。だが、こんなのはあんまりだ。
オレはこの関係が変わってしまったことを無理矢理、理解させられているように思えた。
朝陽が向けてくるのは敵意だ。本当に愛はそこにはもうないのか。
目元が熱くなる。目尻から涙が流れたのが分かった。
首元を抑えていた手が緩む。
「戦う気がない奴は出ていけ」
手を離され、オレは咳き込みながら起き上がる。床に落ちた苺タルトは無惨な姿になっていた。
バラバラになった苺。今のオレたちのようだった。
オレは涙を拭いて服を着る。玄関で振り返って朝陽を見た。
背を向けた朝陽は俯いていた。
ドアノブに手をかける。
「オレたちもう終わりなのか?」
最後に聞いてみた。
朝陽は拳を握りしめ何も答えなかった。
「...出てけ」
小さく弱々しい声だった。
オレは唇を噛み締めて扉を開ける。
外は豪雨だった。何もかもが嫌になる。朝陽はまだ俯いたままだ。
今、何を思っている?
それすら聞けない関係。
それでも朝陽のことが大好きだ。オレは一歩を踏み出せずにいた。
「うぜぇ」
朝陽の声が背後から聞こえ、背中を押された。閉まっていく扉をオレは見ていることしか出来なかった。朝陽はオレのことを見ていなかった。けれど、噛み締められた唇は白かった。
人のことを傷つけているくせに、まるで自分が傷付いているかのようだった。
「朝陽!」
閉められた扉に触れる。
「朝陽、やっぱりこんなのおかしい!」
扉が内側から強く殴られる。
「朝陽、いやだよ」
『かえ、れ…たの、むから』
声が震えていた。
本当にもう無理なのだろうか。
きっと、もう無理なのだろう。だって、印の取り合いは始まってしまったのだから。
オレはそっと未練を残すように指先で扉を押しながらそっと離れた。
傘を差しているのにオレの顔や服は濡れていた。
どうして。
オレたちが何をしたっていうんだ。
印だけで幸せが崩れてしまうなんて。あんまりだ。
オレは足を止め、後ろを振り返る。朝陽の姿はなかった。
「本当に……終わったんだな」
オレたちは互いに名字を名乗らなかった。愛があればそれでいい、と思っていた。もし、最初に名乗っていたら変わっていたのだろうか。
「はっぴばーすでー、とゅーゆー……」
オレは口ずさみながらもう来ることがないだろう歩道橋の階段を上がって行った。
幸せだったはずの誕生日は、最悪の誕生日になった。
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