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2 運命の朝
第10話 目に焼きついた惨劇
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リアナは、フィルと名乗る青年を案内しながら里への道を戻っていった。話からはイニと面識があるというのも嘘ではなさそうだったし、襲われかかったところを助けてもらったことからも信用できそうな青年にみえた。ただ、味方のふりをして信用させる手口についてはオンファレ女王の伝説の中にも出てきたので、注意しなければと思う。
祝祭の前後は出入りが増える。旅芸人たちや行商の一行が来ると里は華やぐが、その分、普段はない危険も起こるのだ。
思ったより奥に入ってしまっていたらしく、里山の入り口近くの大岩まで戻ってくるのに時間がかかったが、迷わずにたどり着いてほっとした。木立の合間から見慣れた石壁が透かし見える。さっきの出来事のせいで、半日も里から離れていたような気がした。襲われたときに暴れたせいで晴れ着には泥がついているし、きちんと結ってあった髪もぐちゃぐちゃだ。だが、状況を考えればリアナとレーデルルが無事で帰ってきただけでも幸運というものだろう。
木立の向こうに、うっすらと煙が上がっているのが見えた。松葉の新鮮でつんとくる匂いに混じって、かすかに焦げ臭さを感じた。煮炊きの時間には、まだ早いような気がしたが、安堵が勝って、気に留めなかった。
大岩の隣を通り過ぎようとしたとき、フィルが足を止め、リアナにも止まるよう促した。
「ここで待っていてください。そこのエニシダの茂みの中に隠れて、俺が帰ってくるまで隠れていて」
急に緊張をみなぎらせる青年を見て、リアナはたじろいだ。「どうしたの?」
「リアナ」抜き身の剣を下げ、すでに走りだしている。「あなたは来ないほうがいい」
ぴいいっ、と幼竜が警告するように鳴き、背中を逆立てた。リアナが叫んだ。
「待って、わたしも一緒に行く!」
青年の後について走った。フィルは振り向いて一瞬、表情を固くしたが、「俺の背中から離れないで、それと悲鳴を上げないように」と言い、そのまま走った。
何か得体のしれない恐怖に追い立てられるように、リアナは走った。けれど、どれほど急いで走っても結果は変わらなかったのだ。そして、「来ないほうがいい」といったフィルの言葉は正しかった。
「ああ、父なる竜よ、そんな!」リアナの口から悲鳴のような声が漏れた。「そんな、まさか……」
その光景を、どう言い表したらいいのだろう。
小屋や洞窟のあちこちから煙が上がり、驚いた鶏が狂ったように跳びまわっていた。しかし、それ以外に音を立てるものはなにもない。火事を知らせる者もおらず、里は真昼の静けさのなかにあった。焦げ臭い匂いに混じって、肉と血の焼ける匂いがした。日常的な匂いのはずなのに、胸が早鐘を打ち、生理的な吐き気に襲われる。
ツリーハウスへ続く縄ばしごが落ち、岩棚がべっとりと血にまみれていた。里長《さとおさ》が火をともすためのかがり火台が崩れ、焚きつけや藁があたりにまき散らされていた。祝祭のごちそうは、鍋ごと地面にぶちまけられ、色とりどりの飾り布も、見る影もなく踏み荒らされていた。
そしてそのすべての場所で、里人たちが死んでいた。赤黒く汚れ、それぞれの腸をさらして。
誰ひとり、息をしている者はいなかった。それでも、リアナはよろよろと歩いて里のすべてを見て回った。すべて見るまでは目の前の光景を到底信じられないというように。
若い男衆には飛竜乗りが多かったから、里を守って戦えるような男は少なかっただろう。緊急時の自警団が機能した様子はなく、男たちのほとんどは各自の家や持ち場で倒れていた。その中でなぜかロッタだけが、広場へ通じる細い通路の脇で動かぬ体になっていた。ほとんど判別ができなくなるほどめちゃめちゃに顔面を切りつけられていたが、銀の短髪と、見間違えようのない体格だった。息絶えたあとも怒りにまかせて刃を突き立てられたような、無残な遺体だったが、なにかが引っかかってリアナは目をそらすことができなかった。その一帯だけが、まるで落雷のあとのように黒く焦げついていて、死体の損傷が激しかった。里人か兵士かわからない、焼け焦げたいくつもの死体。
わずかな階段をかけ上がって広場に入ると、ロッタの行動の理由が明らかになった。彼とは違い、子どもたちが折り重なるようにして、ひとまとめの死体の山になっていた。家の手伝いを終え、朝食を食べて、さあ今から遊ぼうという時間だったのだろう。彼自身の子を含め、里の子どもの半分ほどがそこにいるらしかった。子どもを守ろうとしたのか、里長のウルカが剣を持ったまま仰向けに倒れていた。
竜舎は空であってほしいと願っていた。襲撃に驚いて目を覚まし、誰にも捕まらない大空へ逃げただろうと。
その予想は半分は当たっていたかもしれない。敷き藁は乱されていたが、竜舎には流血の跡は見当たらなかった。ただ一柱、里長の騎竜、誇り高い里の守り神であるイーダが冷たくなっていることをのぞいては。
逃げるように走って走って、岩棚を飛び降り、切れた縄ばしごを迂回して、ツリーハウスを抜けて……
顔にエプロンを被せられた女性の死体を前に、ついにリアナは一歩も進めなくなった。いつも見ている褐色の地味なワンピース。古いけれど、きちんと漂白されたエプロン。早朝に送り出されたそのときのままの格好。
「あ、あ……」
両手を顔にあて、いやいやをするように首をふって後ずさる。「ちがう、こんなの、こんなのって……」
自分でも何を言いかけているのかわからない。突然、悲鳴が止められなくなった。もはや言葉にならず、ただ、叫び続けた。
祝祭の前後は出入りが増える。旅芸人たちや行商の一行が来ると里は華やぐが、その分、普段はない危険も起こるのだ。
思ったより奥に入ってしまっていたらしく、里山の入り口近くの大岩まで戻ってくるのに時間がかかったが、迷わずにたどり着いてほっとした。木立の合間から見慣れた石壁が透かし見える。さっきの出来事のせいで、半日も里から離れていたような気がした。襲われたときに暴れたせいで晴れ着には泥がついているし、きちんと結ってあった髪もぐちゃぐちゃだ。だが、状況を考えればリアナとレーデルルが無事で帰ってきただけでも幸運というものだろう。
木立の向こうに、うっすらと煙が上がっているのが見えた。松葉の新鮮でつんとくる匂いに混じって、かすかに焦げ臭さを感じた。煮炊きの時間には、まだ早いような気がしたが、安堵が勝って、気に留めなかった。
大岩の隣を通り過ぎようとしたとき、フィルが足を止め、リアナにも止まるよう促した。
「ここで待っていてください。そこのエニシダの茂みの中に隠れて、俺が帰ってくるまで隠れていて」
急に緊張をみなぎらせる青年を見て、リアナはたじろいだ。「どうしたの?」
「リアナ」抜き身の剣を下げ、すでに走りだしている。「あなたは来ないほうがいい」
ぴいいっ、と幼竜が警告するように鳴き、背中を逆立てた。リアナが叫んだ。
「待って、わたしも一緒に行く!」
青年の後について走った。フィルは振り向いて一瞬、表情を固くしたが、「俺の背中から離れないで、それと悲鳴を上げないように」と言い、そのまま走った。
何か得体のしれない恐怖に追い立てられるように、リアナは走った。けれど、どれほど急いで走っても結果は変わらなかったのだ。そして、「来ないほうがいい」といったフィルの言葉は正しかった。
「ああ、父なる竜よ、そんな!」リアナの口から悲鳴のような声が漏れた。「そんな、まさか……」
その光景を、どう言い表したらいいのだろう。
小屋や洞窟のあちこちから煙が上がり、驚いた鶏が狂ったように跳びまわっていた。しかし、それ以外に音を立てるものはなにもない。火事を知らせる者もおらず、里は真昼の静けさのなかにあった。焦げ臭い匂いに混じって、肉と血の焼ける匂いがした。日常的な匂いのはずなのに、胸が早鐘を打ち、生理的な吐き気に襲われる。
ツリーハウスへ続く縄ばしごが落ち、岩棚がべっとりと血にまみれていた。里長《さとおさ》が火をともすためのかがり火台が崩れ、焚きつけや藁があたりにまき散らされていた。祝祭のごちそうは、鍋ごと地面にぶちまけられ、色とりどりの飾り布も、見る影もなく踏み荒らされていた。
そしてそのすべての場所で、里人たちが死んでいた。赤黒く汚れ、それぞれの腸をさらして。
誰ひとり、息をしている者はいなかった。それでも、リアナはよろよろと歩いて里のすべてを見て回った。すべて見るまでは目の前の光景を到底信じられないというように。
若い男衆には飛竜乗りが多かったから、里を守って戦えるような男は少なかっただろう。緊急時の自警団が機能した様子はなく、男たちのほとんどは各自の家や持ち場で倒れていた。その中でなぜかロッタだけが、広場へ通じる細い通路の脇で動かぬ体になっていた。ほとんど判別ができなくなるほどめちゃめちゃに顔面を切りつけられていたが、銀の短髪と、見間違えようのない体格だった。息絶えたあとも怒りにまかせて刃を突き立てられたような、無残な遺体だったが、なにかが引っかかってリアナは目をそらすことができなかった。その一帯だけが、まるで落雷のあとのように黒く焦げついていて、死体の損傷が激しかった。里人か兵士かわからない、焼け焦げたいくつもの死体。
わずかな階段をかけ上がって広場に入ると、ロッタの行動の理由が明らかになった。彼とは違い、子どもたちが折り重なるようにして、ひとまとめの死体の山になっていた。家の手伝いを終え、朝食を食べて、さあ今から遊ぼうという時間だったのだろう。彼自身の子を含め、里の子どもの半分ほどがそこにいるらしかった。子どもを守ろうとしたのか、里長のウルカが剣を持ったまま仰向けに倒れていた。
竜舎は空であってほしいと願っていた。襲撃に驚いて目を覚まし、誰にも捕まらない大空へ逃げただろうと。
その予想は半分は当たっていたかもしれない。敷き藁は乱されていたが、竜舎には流血の跡は見当たらなかった。ただ一柱、里長の騎竜、誇り高い里の守り神であるイーダが冷たくなっていることをのぞいては。
逃げるように走って走って、岩棚を飛び降り、切れた縄ばしごを迂回して、ツリーハウスを抜けて……
顔にエプロンを被せられた女性の死体を前に、ついにリアナは一歩も進めなくなった。いつも見ている褐色の地味なワンピース。古いけれど、きちんと漂白されたエプロン。早朝に送り出されたそのときのままの格好。
「あ、あ……」
両手を顔にあて、いやいやをするように首をふって後ずさる。「ちがう、こんなの、こんなのって……」
自分でも何を言いかけているのかわからない。突然、悲鳴が止められなくなった。もはや言葉にならず、ただ、叫び続けた。
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