ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン

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第5章 聖なる知己殺し

第23話:聖なる知己殺し・4

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 この扉はKSDでは入ったことがない扉だ。
 テクスチャとして壁面に描いてあるだけで、プレイヤーが開けられるオブジェクトとしては作られていなかったのだ。だったらテクスチャに描くなよと言いたくなる、黎明期らしい考慮の足りない仕様ではある。

「おーい、桜井!」
「はいはい?」

 ローチカの呼びかけに応えて、壁面の影から桜井さんがひょこっと顔を出す。その首には大きな四角いカメラを一台下げている。
 立夏をおぶる彼方に向かって、舌なめずりしながらパシャリと一枚。カメラからはすぐに鮮やかな一枚が印刷されて出てくる。桜井さんはそれを小さなコルクボードにピンで留めると、机の上にコトリと立てた。

「うふふ、久しぶりに出してきちゃった。やっぱりいいわねー、写真」
「生体印刷が出来る時代に写真機が生きているのか? 私の感覚からしてもレトログッズだが」
「実利としては死んでるけど、趣味としては生きてるわね。私の夢だったのよねー、かっこいい戦闘美少女の写真を撮りまくるのは。ローチカってば、シミュレーターのスクショ撮るのも許してくれないし」
「シミュレーター?」
「あらローチカちゃん、まだ話してなかったのかしら? ローチカちゃんのことだから、十分もすれば丸め込まれて全部話す羽目になると思ってたけど」
「たった今から丸め込まれて話す羽目になんだよ!」

 立ち上がったローチカが壁の扉を蹴り開けた。途端に冷気が吹き出してくる。
 扉の中は超大型のサーバールームになっていた。暗い部屋の奥の奥にまで直方体のコンピュータが無数に敷き詰められ、黄色や緑のランプが無秩序に点いたり消えたりしている。外の空気を取り込んだ空調が音を立ててフル回転していた。風の強い日の夜景のようで少しロマンチックかもしれない。

「さむ~い」

 桜井さんが後ろから彼方に胸を押し付けてくる。黙ってずいずいと押されていくと、右手側にある四畳ほどの狭いスペースに押し込まれた。
 コンピュータに囲まれているというか、ここだけコンピュータを押しのけてなんとか捻出した空間だ。この一角を取り囲むように大小様々なモニターが数十枚以上も立体的に取り付けられ、雑然と置かれたキーボードやマウスがいくつか光っている。

 ドーム状に配置されたスクリーン群には、ビル街や電車や学校や民家や病院やスーパーなどなどなど、見覚えのある風景が大量に映し出されていた。様々な人工物の間をぽつぽつと人々が行き交うのも見える。定点カメラで様々な角度や位置から映している映像が一定間隔で切り替わる様は監視カメラそのもので、テロリストの地下組織にでも来たようだ。

「では早速説明してもらおうか。もうだいたい予想は付いているが」
「わかったよ。いいか、まず生体印刷っつってもな、元になる素材とデータは必ず要るんだよ。素材の方は原料のパッケージがあれば済むが、データの方はそうもいかねえ。何せ、今回は単なるコピーペーストじゃダメなんだからな」
「今まで人類が倒せなかった隣人を倒すためには、今までには有り得なかったほど強靭な人間のデータがいるということだ」
「そのとおり。それも単なる筋力だけじゃねえ、有り余るフィジカルを使いこなす運動神経だって要る」
「それであなたたちはシミュレーション技術を使うことにした」
「ああ。数百年前の世界をベースに少しずつ乱数が違う世界を無数に生成して、そこで大量の人生をシミュレートすんだよ。そして隣人を倒せそうなほど強い人間が発生したらそいつを印刷する。あたしたちの時間では一年近くかかったが、シミュレーション世界ではのべ一億年くらいは経過してるかもしれねえ。途方もない時間の世界を回し続けて、ようやく現れた一億年に一人の逸材があんただ」
「つまり私はマトリックスに暮らすネオだったというわけだ。あなたは仮想世界の真実を教えるモーフィアスといったところか」
「そんなろくなもんじゃねえ、その仮想世界自体があたしの自作自演なんだからよ。モーフィアス兼デウスエクスマキナなんて笑い話にもならねえよ」
「それならそれで私にとってあなたは神に近い存在と言えるのかもしれない。あなたは私の半生を監視してプロフィールを余さず知っているのだろう」
「いんや、あたしがあんたについて知ってることは、それこそ映画のパンフレットで登場人物紹介を読んだくらいのもんさ。なにせ、シミュレーション世界は星の数ほどあんだからな。全世界の全人類の全人生を記録してたらいくらなんでもメモリが足りねえ」
「だからあなた自身がシミュレーターの中に降りてきて様子を見ていたということか?」
「それも違うぜ。あんたが会ったローチカ博士は単なるNPCさ。人類を全員真面目にシミュレーションしてたらいくらなんでもリソースが足りなくなっちまうから、大部分は人類のデータベースを流用して作ったNPCで埋めてんだ」

 ローチカはラックの上に無造作に置かれているリモコンの一つを拾った。手の平大の黒いプラスチックには全く同じ形と大きさの四角いボタンが大量に配置されている。
 端の方にあるスイッチを切り替えると、モニターの一つには大量の人物リストが表示された。
 ローチカがレバーを傾けると目で追えないほどのスピードでリストがスクロールしていくが、スクロールバーの位置は微動だにしなかった。これが無数のシミュレーション世界を構成する全人類のリストだとすれば、そのレコード数は膨大どころではないのだろう。

「この中にあたしや桜井も含まれてたってだけの話だ。あんたが会ったのはあたし自身とは関係ねえ、あたしのデータを流用して作ったそれっぽいハリボテさ」
「私はてっきりあなたがアバターを使ってシミュレーション世界を巡回しているのかと思った」
「シミュレーションは数千個は並列で走ってんだ、一つ一つ見てたらキリがねえ。それに何より神様気取りで観光なんぞ悪趣味すぎんだろ」
「私は入浴から排泄まで見られていても別に気にしないがな」

 彼方もリモコンを一つ掴んで試しにポチポチと押してみると、監視画面の全てが一気に切り替わる。
 モニターの一つにはツバメとツグミが映っており、二人で仲睦まじくアイスを食べさせ合っている。彼方の世界では自殺した二人だが、別の世界では仲良く幸せに暮らしているようだ。
 リモコンの裏面にはレバーのようなものも付いており、適当に傾けると全てのカメラが一斉にそれに合わせて移動する。このカメラは世界の中に実在しているわけではなく、映像を切り取る視点としてシミュレーション世界内に仮想的に設置されているようだ。
 他のボタンと組み合わせれば色々と移動することもできるようだが、介入要素のない箱庭ゲームを探索しているのと変わらない。一分も見れば満足してリモコンを机に置いた彼方に、ローチカが呆れたように声をかける。

「落ち着いてんな、あんた」
「何か動揺すべき理由があるのか?」
「今までの世界が作り物だってわかってショックとかねえのかよ。これはKSDとやらの設定にも含まれてねんだろ? つまりあんたにとって単なる事実だ」
「それはそうだが、こんなものはどんでん返しのうちにも入らないさ。シミュレーテッドリアリティなんてKSDと同じくらい陳腐でありきたりな話だ。ゲームでも映画でもそんな作品を今までいくつ見たと思ってる? 『この世界はシミュレーションか?』なんて高尚な哲学的疑念なんかじゃない。一秒で掃いて捨てるナンセンス命題だ」
「けどよ、実際にあんたの世界は作り物だっただろ。まさかまだそれを信じてねえのか?」
「信じているからこそ考える意味が無いんだ。なるほど確かに、私が元いた世界はシミュレーションだったらしい。ではは一体どうやって同定する? 少なくともこの世界がそれであるという確証は何一つ無い。今あなたが私のいた世界の真実を明かしたように、次の瞬間に神が降臨して『実はこの世界はシミュレーションだったのじゃ』と言わない保証はどこにもないからだ。ただでさえ世界は一度ひっくり返ってしまったというのに、その教訓を忘れてもう二度とひっくり返らないと考える方が不合理だろう。いつでも真偽が反転しうる命題に対して真偽を問うのはナンセンスだ。この世界はシミュレーションかもしれないし、そうではないかもしれない。理由は不明。以上」
「それは合理的に考えていい問題じゃねえだろ。理屈はわからんでもねえが、だからこそ筋が通っちゃダメなんだ。絶対に信じないといけないもんをあんたは疑っちまってる。そんな脆い世界の上でどうやって生きていくつもりだよ」
「私がいれば十分だ。世界がどんなに揺らいでも私は絶対に揺るがない。私はいつでも私が私であると認識できる、そこから全てを始めればいい」
「『我思う故に我在り』ってやつか?」
「悪くないフレーズだが、私には前置きすら要らない。ただ『我在り』で事足れり。これ以上のくだらない話は適当な哲学者を生体プリンターで二人印刷して永遠に議論させておけばいい」
「こういう言い方はあまりしたくねえが、まあ、あんたがそういう性格してんのは、あたしにとっちゃ不幸中の幸いだったのかもしれねえな」
「私がシミュレーションの真実に絶望して暴れ回るとでも思っていたか? ああ、私を警戒した拳銃はそういうことか」
「それもある。だが、あたしが本当に気にしてるのは、いや、気にしてたのは、あんたをシミュレーターの中に戻すことは出来ねえってことだ。そりゃ、あんたみてえな人格をもう一度シミュレーターに書き込めば、あんたみてえなキャラクターをシミュレーション世界に作ることはできる。だが、それはあんたみてえな別人であってあんたじゃねえだろ? あたしがNPCのあたしとは別人なのと同じさ。だからここで印刷されてしまったあんたはもう二度と元いた世界に戻れない。印刷はできても逆はできねえ」
「そんなことは言われなくてもわかっている。これは不可逆な変化だ」
「外道なことしてるっつー自覚はあるんだよ。今まで生きてきた世界から引きはがされて、いきなり人類の宿敵と戦えって、そんな乱暴な話はねえよ。今までの人生が全部計算機の中に消えちまって、こんな氷と砂だらけの世界で見知らぬあたしたちを助けろって、こんなに理不尽なことはねえってわかってるんだ」
「気にするな。そんなことを私は気にしない。一度抜けた世界に戻るのは私の方から願い下げだ。もういいか? これで話の筋は全部通った」
「待った待った~。あは、いつツッコミが入るのかと思って聞いてたらずっとスルーしててビックリしちゃった。あのさー、

 その苦笑交じりの異論の声は立夏が発したものだ。
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