ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン

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第7章 ハッピーピープル

第33話:ハッピーピープル・4

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 一糸纏わぬ彼方の裸体を月光が照らす。

 夕焼けを見ながら村を出たというのに、風呂場に着いた頃にはすっかり日が暮れていた。道中、立夏がいちいちしゃがんでそのあたりの土や花を見たり触ったりしていたからだ。
 立夏が地面と睨み合っている間、彼方は変わりゆく空の色を眺めていた。天空で変容する色彩は記憶にあるものと全く変わらない。
 よく考えてみれば、この世界でもきちんと太陽が出たり沈んだりすることは一つの発見かもしれない。ここが別世界であるならば、日没せずに白夜だったりしてもおかしくない。それどころか太陽が二つ三つあってもおかしくないし、空の代わりに大地が輝いていてもおかしくない。だとすると、ここは全可能性の中では極めて例外的に元現実世界に酷似した世界と言えるのかもしれない。
 風呂場では大きめの石が積み上げられ、川の近くに水を溜める窪みを囲んでいた。水路の一部が川と繋がっていて循環も確保されている。川に温水が流れているわけではなく、湧き出した熱湯が川と混ざってちょうどよい温度になっている。それだけ上手く出来た設備でありながら、まるで何百年も前からそうなっているかのように風景に馴染んでいる。
 シャワーこそ無いものの、なんと木製の桶や椅子が揃っている。更に驚くべきことに、桶の一つには石鹸らしき黄ばんだ白い塊がいくつも重なって入っていた。流石に泡立ちは無いに等しいが、塊が滑った肌がツルツルと光るのがわかる。
 身体を洗っている間、彼方は視線をどこにやればいいのか迷っていた。一つ屋根の下で暮らしていたからといって、一緒に風呂に入ったことなど一度も無い。
 決して安全とは言えない森の中だし、立夏から目を離したくは無い。かといって、立夏の裸をまじまじと見ながら身体を洗うのもおかしい。
 立夏が中途半端に身体をこちらに向けているのがなおさら彼方を迷わせた。枝のように細く膨らみのない肢体を見てもいいものか、悩んで目を逸らしたとき、突然立夏の手が背中に触れて彼方は飛び上がった。

「うあ!」
「うあ、って。背中でも流してあげようかなと思ったんだけど~」
「何か距離感がおかしくないか?」
「あれ、嫌だった?」
「私は全然構わないが……」
「じゃあもっと崩そう。恋バナでもしようか、彼方ちゃん」
「さっきからどうした。まさかリツカじゃないよな」
「立夏だよ~。耳は尖ってないし、元現実世界のことも覚えてるしね。彼方ちゃんは覚えてる? 中学の入学式で五年前に初めて会ったときのこと」

 いまや懐かしい、あの中途半端に仮想現実が普及した世界のことを思い出す。
 学校教育はほとんど仮想現実で行われるとはいえ、行事や式典はリアルで行うことも少なくなかった。彼方たちが進学した私立中学は完全オンラインで自前の敷地を持っていなかったため、行政が貸し出す寂れたホールが会場になっていた。生徒数は数百人に達していたが、郊外に使途を決めずに建てられた講堂はそれでもなお広すぎるくらいだった。

「忘れたことは一度も無い。誰かに一目惚れしたのは後にも先にもそのときだけだ」
「あは、私も入学者代表で挨拶読んでる人がいきなりこっちに突っ込んできて求婚されたのはそのときだけだよ~。少女漫画じゃないんだからさ」
「あのときは、今すぐ伝えないと二度と会えないと思ったんだ。何百人もいる中で、私の話を全く聞いていなかったのは立夏ただ一人だけだったから。そこだけ雰囲気が違ったのは今でもよく覚えている」
「私はその辺に飾ってある活け花しか見てなかったからな~。せっかく綺麗に咲いてるのに茎の切り方が悪くて吸水が偏ってたことを今でもよく覚えてるよ」
「そろそろ本題に入らないか? この話を立夏から切り出してくる理由を問う権利くらいはあるはずだ。私はあの日から立夏にアプローチし続けていて、反応があったのは今日が初めてなのだから」

 そのとき背中を暖かくてくすぐったいものが撫でてきて、それが立夏が頭を預けている髪の感触だと少し遅れて理解する。
 しばらく流れる沈黙は立夏が言葉を慎重に選んでいる時間である。立夏は間とか情緒を行使するタイプの人間ではなく、頭が回る彼女が長考している事実を受けて彼方にも緊張が感染する。
 立夏が再び口を開いたのは、森に微かに響く鳴き声の種類を彼方が十種類まで判別したときだった。

「私は結構花が好きなのは知ってるよね?」
「ああ」
「ここにはいい花があるから、私は本気でここに留まる気なんだよね。そう言ったら彼方ちゃんもそうするわけでしょ」
「それはそうだ。立夏を置いて他へは行かない」
「じゃ、彼方ちゃんとここに定住することになるよね。定住するっていうのは、定住するために定住するってことで、元現実世界でたまたま同棲してたのとは違うよ。あれはたまたま色々な条件が重なって、なりゆきで同じ家に住んでただけ。手段と目的が逆っていうのかな。他の何かのためにそうするんじゃなくて、そうするためにそれをするってこと」
「ふむ」
「で、それは結婚するってことじゃん」
「誰と誰が?」
「そりゃ私と彼方ちゃんがだよ」
「それは……私はもちろん構わない、が、やっぱり今の立夏はおかしいぞ。さっきもやたらテンションが高かったし、何かあてられているんじゃあないのか。その花からなんか変な脳内麻薬みたいなものが出ているとか」
「仮にそうだったとして、私がこの花を外すのは有り得ないから、これからはこれがデフォルトだと思っておいてよ。定住するっていうのは適応することでもあるんだ。生き急ぎも死に急ぎもせず、この世界に私も組み込まれるってこと」
「適応か。改めてそう言われると、ここも一つ皮を剥けばシミュレーションゲームが何かかもしれないという気持ちはないわけではないが」
「今更そういう不毛な懐疑論が何の意味もないっていうのは彼方ちゃんの方がよくわかってるでしょ。私は最初からどうでもいいしね。ただ一つ問題があるとすれば、私にとって最大の不穏因子は彼方ちゃんなんだ」
「私が? 一緒に住んでいて、立夏が嫌がるようなことを一度だってしただろうか」
「これからあるね、確実に」
「何故そう思う」

 立夏が岩で囲まれた湯舟に向けて彼方の背中をぐいっと押した。ずるずると押されて深い天然温泉の中にダイブする。
 泡が付いたまま湯舟に入るのは銭湯ならマナー違反だが、ここは自然の中だ。洗い流した泡は循環する水に巻き込まれて川へと戻っていく。立夏と二人で並んで月を見上げる。
 さっきまでよりも距離が離れたと思ったが、やはり立夏はわざわざ彼方の正面に移動してきた。彼方は気恥ずかしさで目を逸らしそうになるが、今それをしてはいけないタイミングだということはわかる。
 立夏を見据えると、立夏の目にはあの花がしっかりと根付いていた。これだけ湿度の高い空間でも花弁がピンと張っている。その端から月光が溶解した水滴が垂れた。

「ここには闘争がないから。虐殺はあっても戦争がないんだ」
「それが結婚と何の関係がある?」
「賭けてもいいけど、彼方ちゃんは闘争抜きで定住できないよ。というか戦争込みの定住なんて語義矛盾だから、結局のところ、彼方ちゃんは定住ができない人間なんだ。どんな花にも土と水が欠かせないのと同じくらい、彼方ちゃんには戦いが必要なわけ。だからこそ、もうこれ以上戦えないクリア済の世界を脱出して次のステージの幕を開く能力を持ってるんだと思う。終末器インデックスっていう強制エスケープキーをね」
「戦いが好きなことは否定しないが、目的のない人生は空虚だということには大抵の人が同意するだろうし、私もその例外ではないというだけだ。良い目的を追求するには人間と戦うのが一番良い。人間にはフィードバックがあるから、闘争相手が自分よりも強ければ自分もそれを超えるために持てる全てを振り絞って成長せざるをえない。それをお互いに繰り返して高め合っていけるのは人間との戦いだけだ」
「いいや、彼方ちゃんはただのフェティシストだよ。可能性を見たら踏んで潰して回らないと気が済まない、ポッシビリティ・デストロイ・マシーンってだけ。それは神威ちゃんもまだまだ過小評価してたくらいだけど、まあ、彼方ちゃんのイズムは私にはどうでもいいんだよ。彼方ちゃんの圧倒的成長欲求でも殲滅主義でも何でもいいけど、それがこの世界を破壊しないように、私は彼方ちゃんと結婚して定住しないといけないってこと」
「そこまで言うなら、立夏には私を排除するという選択肢もあるはずだ。私は全く本意ではないが、もし立夏が私に村から出ていってほしいと言ったとしたら私はそうするかもしれない。少なくとも立夏にとっては検討に値する行動のはずだ」
「まあ単純に、彼方ちゃんがどこか遠くに行ったとしても全然安全じゃないっていうのが一つあるね。彼方ちゃんがどこか遠い地の果てであの虹色のボタンを押したらやっぱりこの世界は崩壊するわけだし、そうじゃなくてもどこかで軍勢を集めて大衆を煽って戦争を起こして世界を滅ぼすかもしれない。そのくらいなら私の目の届く範囲にいてくれた方が安心だよね」
「一理ある。他には?」
「実は私にもよくわからないんだ。もし彼方ちゃんのラブがタナトスを上回るなら、彼方ちゃんも意外と普通にここで幸せに暮らせるのかもしれないって、私はそんな賭けに張ってるのかもしれないな~。もしそうなったら、私だって利害抜きで一緒に暮らすのも吝かじゃないんだ。そうだね、やってみないとわからないし、誓いでも立てようか。私たちの結婚の誓い」

 立夏が人差し指を立てて彼方の唇に当てた。

「聞こう。誓いの内容は?」
「誰も殺さないこと」
「生きとし生けるもの全てを?」
「森の動物とか植物は別にいいよ。狩りとかもした方がいいと思うし」
「人間を殺さないということか」
「って言うと亜人の扱いが微妙になるから、人型の生物」
「人型ではない知的生物がいた場合は?」
「原則不可だけど、状況に応じて考えようかな。臨機応変に」
「向こうから先に襲ってきた場合は?」
「正当防衛ならオッケー。ただし相手を殺さなければこっちが死ぬような事態に限る、彼方ちゃんにそんなことがあるのかわからないけどね」
「私ではなく立夏を防衛する場合は」
「確かに私だって無抵抗でむざむざ死にたくはないしな~。私か彼方ちゃんへの正当防衛ならセーフにしようか」
「それ以外の状況、例えば他のエルフを守るためは?」
「うーん、それセーフにすると今からオーク滅ぼしに行くのセーフになりそう。判定面倒だし、とりあえず無しで」
「わかった。つまり、私か立夏が殺されそうでもない限り、人型の生物を殺さないということ」
「そうなるね~。あと一応言っておくけど、約束を破ったときのペナルティはないよ。そうすると罰を受けることと引き換えに約束を破棄する選択が生まれちゃうからね。戦争ゲームってそういう駆け引き大好きだし、その手の退路は消しておきたいんだ。タダほど高いものは無いってね」
「誓おう。私は原則誰も殺さない」
「はい、じゃあ結婚成立ね」

 立夏が横から首を伸ばして彼方に口付けた。
 森の穏やかな時間が停止する。もちろん、それはお互いに生まれて初めてのことだった。
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