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第7章 ハッピーピープル
第34話:ハッピーピープル・5
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「死ねっ!」
叫びながら鍬を振り下ろす。鋭い切っ先が地面を抉り、長い地下茎を切断する。
切ると同時に手首を返すと、刃先が跳ね上がってコロコロした芋がいくつも宙に舞った。彼方の頭上を越えて背後の山に着地する。芋の山が手押し車の荷台を満たす。これでちょうど百個。
巨大な荷台を転がして畑から戻り、村の片隅にあるスペースで荷台をひっくり返した。緩く掘られて凹んだ地面の一角に芋の山が転がっていく。
浅い穴の中には人参にゴボウに大根にレタスにトマト、彼方が手当たり次第に育てた野菜が無秩序に積み上がっている。
彼方が新しい野菜を持ってきたのを見て、エルフたちが群がってきて上から食べる分だけ芋を回収していく。
「お疲れさん」
「今日もありがとうねえ」
感謝の言葉を全て無視して荷台を片付ける。この村に来て一か月経ってはっきりしたことがある。
彼方はエルフが嫌いだった。彼らとの関係に不和が生じたとか、亀裂が入るようなエピソードがあったわけではない。彼方はエルフの性質そのものがどうしようもなく受け入れがたかった。エルフたちは温和で彼方にも優しいが、そんなことは好意を返す理由にはならない。
エルフたちの暮らしは毎日同じことの繰り返しだ。基本的には日向ぼっこ、気が向いたときに畑を耕し、飢えない程度に食って寝る。それだけだ。仕事の概念もない。機織りのようなことをしているものがいるが、ただ手慰みに織っているだけだ。目的があって労働するのではなく、たまたま思い立ってたまたまそれが活用されるという手順なのだ。
どこまでも漫然としているのはエルフだけではない。作物や自然現象ですらもそうだ。
種を植えれば一日で芽が出て、三日で根を張り、一週間も経つ頃には収穫できる。土壌が痩せるとか、うまく育たないとかいうイレギュラーは起こらない。
気候に至っては晴天以外の天気が存在しない。この世界には雨が降らない。常に過ごしやすい温暖な気候が続く。それで畑が干上がることもなく、ただただ同じように全ての現象が繰り替えされる。
この世界とエルフたちには変化への意志が根本的に欠如していた。「明日は今日より収穫を増やそう」とか、「明日は今日より暑くなるだろう」とか、とにかく「明日は今日より」という発想がない。ずっと同じ、完全なる停滞。
きっとここは限りなく適当に創造された世界だ。向上意欲の全く無いプログラマがまともに企画を定義せずなんとなくコードを書いて作った世界がこんなワールドになるに違いない。
計画性が無いからといってアトランダムで狂った世界が生まれるわけではない。設定していないことは単に起こらないのであって、こういう退屈で平凡な世界に行き着くのが無能の果てだ。発狂も一つのクリエイティビティなのだから。
彼方はこの世界に呑まれないよう、とにかく改善に改善を推し進めた。芋にしても一度に効率よく収穫できる配置や道具を考えて効率を上げ続けている。
だが、それに何か意味があるわけではない。余剰の芋は全て余って土に還るだけ。それどころか自分の活動が却ってエルフたちの行動力を奪っていることに彼方は気づいている。
彼方が来てからは僅かばかりの収穫作業もなくなり、エルフはいよいよ食って寝るだけになった。それで肥満になるならまだしも誰もが美しいままの姿を保っているというのも気に食わない。彼らは何をどうしていても同じ身体を保ててしまう。この世界と同じように。
スマートフォンのカレンダーを見る。この世界に来てから一ヶ月が経過している。一応暦の上では今は十一月だが、気候が固定されたこの世界では日付のカウント以上の意味はない。
そしてカレンダーの日付にはちょうど三日ごとに星マークが付いている。今日もその日だ。
村の隅でぼーっと座っているイツキを見つけて声をかける。
「イツキ、今日も付き合ってくれないか」
「はい、同行するのであります」
イツキはシャキッとした動作で立ち上がる。
イツキが他のエルフと異なるのは、声をかければ一応返事をして彼方の後ろについてくることだ。他のエルフはこうはいかない。
大半はそもそも村の外に出るのを嫌がるし、極一部の者が一度は付いてきてもそれ以降は断る。このイツキは元の樹と比べれば怠惰の化身だが、それでもエルフの中では群を抜いて活発な個体だ。
しばらく歩いて村から一キロほど離れた広場に着く。彼方は適当に目に付いた豚に向けて弓を引いた。
「そっちに行ったぞ!」
「はい!」
矢が尻に突き刺さって慌てて逃げる豚をイツキに追わせる。彼方が本気で射れば一撃で豚の頭を貫いて仕留められるが、ちょっかいに留めているのはイツキに追わせるためだ。
イツキは弓矢を構えたままで木々の間を縫うように飛んでいく。エルフたちは基礎身体能力が極めて高く、筋肉が柔軟で運動感覚も優れている。やったことがなくてもやろうと思えばバク宙くらいは誰でもできて、それが特別な技術だとは思いもしない。これは種族的特長なのだろうが、それだけの才能を腐らせていることがまたエルフへの苛立ちの種になる。
哀れな豚をイツキが仕留めるまでには十分もかからなかった。彼方は豚の身体を適当に引き裂いて地面に転がした。赤インクを零したように草の生えた地面が血に染まっていく。この小さな豚の身体から血抜きが終わるまでの数時間でやることは決まっている。
彼方は持ってきた木刀をイツキに投げてよこした。中身が詰まった木材を彼方が削り出したもので、それなりの重量があるがイツキは片手で軽くキャッチする。
彼方が自身の木刀を構えると、イツキもそれを真似て前に立てた。
「まだよくわかっていないのですが、この儀式には何の意味があるのでしょう? 動物を狩るのは肉を食うためというのはわかりますが、私たちが打ち合ってもお互いに食い合うわけではないのです」
「君らが昼寝をするのと同じだ。私にとっては木刀で打ち合うことが気晴らしなんだ」
「立夏がこれをしているところは見ませんが」
「人によって趣味の違いはある」
喋りながら適当に打ち込む。
もちろん本気ではない。全力の百分の一も出していないし出すつもりもない。これでイツキが怪我でもして彼方の余興に付き合うのを嫌がるようになったら困るからだ。
つまり狩りは口実で、血を抜くまでの暇潰しと称して軽い打ち合いに付き合ってもらうのが本当の目的だ。誰も殺さないという立夏との約束には反しない範囲で、戦闘欲求とストレスを発散する方法。スポーツというものもこういう需要があって生まれたのかもしれない。
少し速度を速めて横から切り込むと、イツキは木刀を立ててそれを防いだ。この基本的な攻防技術は彼方が教えた。ただ木刀をカンカン鳴らしているだけだとあまりにも張り合いがないので、演舞はできる程度の型をいくつか教えている。
教えたことをイツキはすぐに吸収し、全てを正確に再生できるようになる。この運動センスは元の樹と比べても遜色がなく、才能のない者なら一生ファンタジスタをプレイしても到達できない領域に届くまで二週間程度しかかからなかった。
「やはり筋がいいな。今度はそっちから打ってきてくれ」
「はい!」
イツキが木刀を下から振り上げる。
イツキの踏み込みは十分に深く、剣先は鋭い。この逆袈裟だって下手が受けたら骨折するくらいの威力はある。
しかしそれだけだ。彼方は軌道の上に置いた柄で木刀を叩き落とした。
イツキの攻撃は全く脅威ではない。彼方が教えた動きのコピーしかしないからだ。彼方の防御を出し抜いて一撃を加えてやろうという闘争心がまるでない。本当は軽い試合をやりたいのだが、いつまで経っても固定動作をインプットしたトレーニングダミーにしかならない。
彼方のがっかりした雰囲気をイツキが察知して眉を下げる。
「私は何か失敗してしまったのでしょうか?」
「いや、そんなことはないさ。君は上手くやってくれている、少なくともこの世界では比べる者がいないほど。勝利を目指す意志は他の誰かから教えられるようなものではないしな」
「勝利とは敵を動けなくなるまで攻撃することでしょうか? 剣を打ち合わせると気持ちいいということは少しわかってきましたが、勝利を目指す必要はよくわからないのです」
「究極的にはそれも趣味だ。が、それをやった結果として勝ちと負けがはっきりするような遊びくらいは大抵の文化に存在しているだろう。別にこういうエキサイティングなものでなくてもいいが、エルフは普段何かで戦ってみたりすることは無いのか?」
「いえ、特には」
「何かを誰かより上手くなろうとか、点数を付けたりすることも?」
「ありません」
「勝負に貢献するような道具とか能力の類は無いか? 武器とは言わないまでも、使いようによっては人を倒せなくもない何かとか。特に私が見せたことがないものならありがたい」
「うーむ……考えたこともありませんでしたが、これとかでしょうか」
イツキが剣を持っていない左手を開いて前に掲げた。ゆっくりドアノブを捻るような動作で手首の角度を調整して首を傾げる。何かが上手くいなかったようでもう一度、位置を確かめるように逆向きに回す。
何度かそんなような微調整を繰り返し、痺れを切らした彼方が何をしているのか聞こうとしたときにそれは起きた。
イツキの手の甲に青く輝く紋章が浮かぶ。正確には皮膚より数ミリ上に、レーザーで照射したようにシャープな輝線が浮かび上がる。
複雑な模様を描く円形の魔法陣。それは彼方が召喚されたときに見たものと少し似ていた。
「おいおいおいおいおい、なんだそれ」
「何って……特に名前は付いていないのであります。水を出すやつ?」
パキンと鳴らした人差し指をピンと伸ばす。紋章が一層強く輝き、指先からは水しぶきが上がった。
立てる指先を二本にしたり一本に戻したり調整するうちに、水流が徐々に収束して前方に一直線に飛ぶようになってくる。
「これはエルフなら誰でも使えるのか?」
「恐らく。確かめたことはありませんが」
イツキの指先から流れる水流は武器になるほどの威力ではない。ホースから勢いよく出る水くらいだ。
とはいえ、実戦において無から物質を生めるアドバンテージは限りなく大きい。高所を取るだけで地味な嫌がらせがいくらでもできそうだし、手元が塞がっていたり動けなかったりするときも咄嗟の選択肢になる。
彼方はとりあえず水鉄砲に向けて軽く木刀を構えた。
「木刀に当ててみてくれないか。全力で」
「冷たいのですよ」
「構わないさ」
木刀で受けた水流は見た目通りの威力だ。ちょっと押されている程度、特に魔法の力が乗っているという感じでもない。
武器として重要なのはここから威力がどうやってどれだけ増せるか。この程度が最大出力なのか、それともイツキの意志次第でウォーターカッターのように殺傷力を持てるのか。
しかし、数秒も浴びせるとイツキは水を出すのをやめてしまった。
「やっぱりこれをやる意味がわからないのであります。木刀同士ならともかく、木刀と水では一緒に遊べません」
「いや、むしろそれで正しい。本当は私が意図しているゲームというのは、必ずしも同じ条件で戦うものではない。何をしても構わないから相手が倒すという目的が先に来ていて、それを達成するための武器の選択は手段に過ぎない。君はきっとどうしてと思うだろうが、ゲームとは自己目的化したものであって、それをやるから何とかいうものではない。文化とはそういうものだ」
「それは破綻しているのではないでしょうか? そういうゲームは文化で有り得ません」
「と言うと」
「ゲームを終えたときに勝つ者と負ける者がいるのはわかるのであります。しかし、それは毎回綺麗に入れ替わるわけではないはずです。二人とも何をしてもいいのなら、向き不向きがあってどちらかが勝ちやすいに決まっています。ゲームがただ勝ちを目指すものだと言うのなら、負けやすい方はすぐにゲームから距離を置くようになるでしょう。だから勝った方だけが残って、その人は他で勝った人と戦うのでしょう。そしてまた勝った人だけが残っていくのです。これを繰り返すたびに参加者は半分ずつ減っていって、最後にはずっと勝ってきた一人しか残りません。一人しか残らないものは文化では有り得ないのであります」
「鋭いじゃないか。ゲームは常に進行すると同時に崩壊しており、決着が着いた時点で完全に破綻する。その非対称性がゲームの本質だ。安定して持続することが有り得ず、二度と再現されない一回性の営みでなければゲームではない。だからこそ、終わったゲームはすぐに畳んで次のゲームに向かわなければならないと私は思っている。いずれにせよ、私はゲーム文化の宣教者でも擁護者でもなく、単なるゲームのプレイヤーに過ぎない。君と戦おうとしているのも、ゲーム文化を広めたいからではなく私がゲームをプレイしたいからだ。仮にゲームに勝つことがいずれゲームを破壊するとしても。君の言うように最後の一人が私だったなら、私の知らないニューカマーが私を殺しに来てくれるまでゆっくり待つさ」
結局、その日も何度か型通りの打ち合いをしているうちに豚の血抜きが終わった。もちろん、イツキが水流を組み合わせた剣術を披露することなどあるはずもなかった。
叫びながら鍬を振り下ろす。鋭い切っ先が地面を抉り、長い地下茎を切断する。
切ると同時に手首を返すと、刃先が跳ね上がってコロコロした芋がいくつも宙に舞った。彼方の頭上を越えて背後の山に着地する。芋の山が手押し車の荷台を満たす。これでちょうど百個。
巨大な荷台を転がして畑から戻り、村の片隅にあるスペースで荷台をひっくり返した。緩く掘られて凹んだ地面の一角に芋の山が転がっていく。
浅い穴の中には人参にゴボウに大根にレタスにトマト、彼方が手当たり次第に育てた野菜が無秩序に積み上がっている。
彼方が新しい野菜を持ってきたのを見て、エルフたちが群がってきて上から食べる分だけ芋を回収していく。
「お疲れさん」
「今日もありがとうねえ」
感謝の言葉を全て無視して荷台を片付ける。この村に来て一か月経ってはっきりしたことがある。
彼方はエルフが嫌いだった。彼らとの関係に不和が生じたとか、亀裂が入るようなエピソードがあったわけではない。彼方はエルフの性質そのものがどうしようもなく受け入れがたかった。エルフたちは温和で彼方にも優しいが、そんなことは好意を返す理由にはならない。
エルフたちの暮らしは毎日同じことの繰り返しだ。基本的には日向ぼっこ、気が向いたときに畑を耕し、飢えない程度に食って寝る。それだけだ。仕事の概念もない。機織りのようなことをしているものがいるが、ただ手慰みに織っているだけだ。目的があって労働するのではなく、たまたま思い立ってたまたまそれが活用されるという手順なのだ。
どこまでも漫然としているのはエルフだけではない。作物や自然現象ですらもそうだ。
種を植えれば一日で芽が出て、三日で根を張り、一週間も経つ頃には収穫できる。土壌が痩せるとか、うまく育たないとかいうイレギュラーは起こらない。
気候に至っては晴天以外の天気が存在しない。この世界には雨が降らない。常に過ごしやすい温暖な気候が続く。それで畑が干上がることもなく、ただただ同じように全ての現象が繰り替えされる。
この世界とエルフたちには変化への意志が根本的に欠如していた。「明日は今日より収穫を増やそう」とか、「明日は今日より暑くなるだろう」とか、とにかく「明日は今日より」という発想がない。ずっと同じ、完全なる停滞。
きっとここは限りなく適当に創造された世界だ。向上意欲の全く無いプログラマがまともに企画を定義せずなんとなくコードを書いて作った世界がこんなワールドになるに違いない。
計画性が無いからといってアトランダムで狂った世界が生まれるわけではない。設定していないことは単に起こらないのであって、こういう退屈で平凡な世界に行き着くのが無能の果てだ。発狂も一つのクリエイティビティなのだから。
彼方はこの世界に呑まれないよう、とにかく改善に改善を推し進めた。芋にしても一度に効率よく収穫できる配置や道具を考えて効率を上げ続けている。
だが、それに何か意味があるわけではない。余剰の芋は全て余って土に還るだけ。それどころか自分の活動が却ってエルフたちの行動力を奪っていることに彼方は気づいている。
彼方が来てからは僅かばかりの収穫作業もなくなり、エルフはいよいよ食って寝るだけになった。それで肥満になるならまだしも誰もが美しいままの姿を保っているというのも気に食わない。彼らは何をどうしていても同じ身体を保ててしまう。この世界と同じように。
スマートフォンのカレンダーを見る。この世界に来てから一ヶ月が経過している。一応暦の上では今は十一月だが、気候が固定されたこの世界では日付のカウント以上の意味はない。
そしてカレンダーの日付にはちょうど三日ごとに星マークが付いている。今日もその日だ。
村の隅でぼーっと座っているイツキを見つけて声をかける。
「イツキ、今日も付き合ってくれないか」
「はい、同行するのであります」
イツキはシャキッとした動作で立ち上がる。
イツキが他のエルフと異なるのは、声をかければ一応返事をして彼方の後ろについてくることだ。他のエルフはこうはいかない。
大半はそもそも村の外に出るのを嫌がるし、極一部の者が一度は付いてきてもそれ以降は断る。このイツキは元の樹と比べれば怠惰の化身だが、それでもエルフの中では群を抜いて活発な個体だ。
しばらく歩いて村から一キロほど離れた広場に着く。彼方は適当に目に付いた豚に向けて弓を引いた。
「そっちに行ったぞ!」
「はい!」
矢が尻に突き刺さって慌てて逃げる豚をイツキに追わせる。彼方が本気で射れば一撃で豚の頭を貫いて仕留められるが、ちょっかいに留めているのはイツキに追わせるためだ。
イツキは弓矢を構えたままで木々の間を縫うように飛んでいく。エルフたちは基礎身体能力が極めて高く、筋肉が柔軟で運動感覚も優れている。やったことがなくてもやろうと思えばバク宙くらいは誰でもできて、それが特別な技術だとは思いもしない。これは種族的特長なのだろうが、それだけの才能を腐らせていることがまたエルフへの苛立ちの種になる。
哀れな豚をイツキが仕留めるまでには十分もかからなかった。彼方は豚の身体を適当に引き裂いて地面に転がした。赤インクを零したように草の生えた地面が血に染まっていく。この小さな豚の身体から血抜きが終わるまでの数時間でやることは決まっている。
彼方は持ってきた木刀をイツキに投げてよこした。中身が詰まった木材を彼方が削り出したもので、それなりの重量があるがイツキは片手で軽くキャッチする。
彼方が自身の木刀を構えると、イツキもそれを真似て前に立てた。
「まだよくわかっていないのですが、この儀式には何の意味があるのでしょう? 動物を狩るのは肉を食うためというのはわかりますが、私たちが打ち合ってもお互いに食い合うわけではないのです」
「君らが昼寝をするのと同じだ。私にとっては木刀で打ち合うことが気晴らしなんだ」
「立夏がこれをしているところは見ませんが」
「人によって趣味の違いはある」
喋りながら適当に打ち込む。
もちろん本気ではない。全力の百分の一も出していないし出すつもりもない。これでイツキが怪我でもして彼方の余興に付き合うのを嫌がるようになったら困るからだ。
つまり狩りは口実で、血を抜くまでの暇潰しと称して軽い打ち合いに付き合ってもらうのが本当の目的だ。誰も殺さないという立夏との約束には反しない範囲で、戦闘欲求とストレスを発散する方法。スポーツというものもこういう需要があって生まれたのかもしれない。
少し速度を速めて横から切り込むと、イツキは木刀を立ててそれを防いだ。この基本的な攻防技術は彼方が教えた。ただ木刀をカンカン鳴らしているだけだとあまりにも張り合いがないので、演舞はできる程度の型をいくつか教えている。
教えたことをイツキはすぐに吸収し、全てを正確に再生できるようになる。この運動センスは元の樹と比べても遜色がなく、才能のない者なら一生ファンタジスタをプレイしても到達できない領域に届くまで二週間程度しかかからなかった。
「やはり筋がいいな。今度はそっちから打ってきてくれ」
「はい!」
イツキが木刀を下から振り上げる。
イツキの踏み込みは十分に深く、剣先は鋭い。この逆袈裟だって下手が受けたら骨折するくらいの威力はある。
しかしそれだけだ。彼方は軌道の上に置いた柄で木刀を叩き落とした。
イツキの攻撃は全く脅威ではない。彼方が教えた動きのコピーしかしないからだ。彼方の防御を出し抜いて一撃を加えてやろうという闘争心がまるでない。本当は軽い試合をやりたいのだが、いつまで経っても固定動作をインプットしたトレーニングダミーにしかならない。
彼方のがっかりした雰囲気をイツキが察知して眉を下げる。
「私は何か失敗してしまったのでしょうか?」
「いや、そんなことはないさ。君は上手くやってくれている、少なくともこの世界では比べる者がいないほど。勝利を目指す意志は他の誰かから教えられるようなものではないしな」
「勝利とは敵を動けなくなるまで攻撃することでしょうか? 剣を打ち合わせると気持ちいいということは少しわかってきましたが、勝利を目指す必要はよくわからないのです」
「究極的にはそれも趣味だ。が、それをやった結果として勝ちと負けがはっきりするような遊びくらいは大抵の文化に存在しているだろう。別にこういうエキサイティングなものでなくてもいいが、エルフは普段何かで戦ってみたりすることは無いのか?」
「いえ、特には」
「何かを誰かより上手くなろうとか、点数を付けたりすることも?」
「ありません」
「勝負に貢献するような道具とか能力の類は無いか? 武器とは言わないまでも、使いようによっては人を倒せなくもない何かとか。特に私が見せたことがないものならありがたい」
「うーむ……考えたこともありませんでしたが、これとかでしょうか」
イツキが剣を持っていない左手を開いて前に掲げた。ゆっくりドアノブを捻るような動作で手首の角度を調整して首を傾げる。何かが上手くいなかったようでもう一度、位置を確かめるように逆向きに回す。
何度かそんなような微調整を繰り返し、痺れを切らした彼方が何をしているのか聞こうとしたときにそれは起きた。
イツキの手の甲に青く輝く紋章が浮かぶ。正確には皮膚より数ミリ上に、レーザーで照射したようにシャープな輝線が浮かび上がる。
複雑な模様を描く円形の魔法陣。それは彼方が召喚されたときに見たものと少し似ていた。
「おいおいおいおいおい、なんだそれ」
「何って……特に名前は付いていないのであります。水を出すやつ?」
パキンと鳴らした人差し指をピンと伸ばす。紋章が一層強く輝き、指先からは水しぶきが上がった。
立てる指先を二本にしたり一本に戻したり調整するうちに、水流が徐々に収束して前方に一直線に飛ぶようになってくる。
「これはエルフなら誰でも使えるのか?」
「恐らく。確かめたことはありませんが」
イツキの指先から流れる水流は武器になるほどの威力ではない。ホースから勢いよく出る水くらいだ。
とはいえ、実戦において無から物質を生めるアドバンテージは限りなく大きい。高所を取るだけで地味な嫌がらせがいくらでもできそうだし、手元が塞がっていたり動けなかったりするときも咄嗟の選択肢になる。
彼方はとりあえず水鉄砲に向けて軽く木刀を構えた。
「木刀に当ててみてくれないか。全力で」
「冷たいのですよ」
「構わないさ」
木刀で受けた水流は見た目通りの威力だ。ちょっと押されている程度、特に魔法の力が乗っているという感じでもない。
武器として重要なのはここから威力がどうやってどれだけ増せるか。この程度が最大出力なのか、それともイツキの意志次第でウォーターカッターのように殺傷力を持てるのか。
しかし、数秒も浴びせるとイツキは水を出すのをやめてしまった。
「やっぱりこれをやる意味がわからないのであります。木刀同士ならともかく、木刀と水では一緒に遊べません」
「いや、むしろそれで正しい。本当は私が意図しているゲームというのは、必ずしも同じ条件で戦うものではない。何をしても構わないから相手が倒すという目的が先に来ていて、それを達成するための武器の選択は手段に過ぎない。君はきっとどうしてと思うだろうが、ゲームとは自己目的化したものであって、それをやるから何とかいうものではない。文化とはそういうものだ」
「それは破綻しているのではないでしょうか? そういうゲームは文化で有り得ません」
「と言うと」
「ゲームを終えたときに勝つ者と負ける者がいるのはわかるのであります。しかし、それは毎回綺麗に入れ替わるわけではないはずです。二人とも何をしてもいいのなら、向き不向きがあってどちらかが勝ちやすいに決まっています。ゲームがただ勝ちを目指すものだと言うのなら、負けやすい方はすぐにゲームから距離を置くようになるでしょう。だから勝った方だけが残って、その人は他で勝った人と戦うのでしょう。そしてまた勝った人だけが残っていくのです。これを繰り返すたびに参加者は半分ずつ減っていって、最後にはずっと勝ってきた一人しか残りません。一人しか残らないものは文化では有り得ないのであります」
「鋭いじゃないか。ゲームは常に進行すると同時に崩壊しており、決着が着いた時点で完全に破綻する。その非対称性がゲームの本質だ。安定して持続することが有り得ず、二度と再現されない一回性の営みでなければゲームではない。だからこそ、終わったゲームはすぐに畳んで次のゲームに向かわなければならないと私は思っている。いずれにせよ、私はゲーム文化の宣教者でも擁護者でもなく、単なるゲームのプレイヤーに過ぎない。君と戦おうとしているのも、ゲーム文化を広めたいからではなく私がゲームをプレイしたいからだ。仮にゲームに勝つことがいずれゲームを破壊するとしても。君の言うように最後の一人が私だったなら、私の知らないニューカマーが私を殺しに来てくれるまでゆっくり待つさ」
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