ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン

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第10章 MOMOチャレンジ一年生

第53話:MOMOチャレンジ一年生・3

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 ヘリコプターは奇妙なバランスで天井に突き刺さっていた。
 機体は逆さまになり、縮尺を間違えたシーリングファンのように巨大な翼のブレードが廊下を寸断している。溢れたガソリンがところどころに火の池を作っているが、建物に燃え広がる気配はない。代わりにぶすぶすという消化不良な音が聞こえるばかりだ。
 五メートルほどの幅の広い廊下だが、向かって右の壁は次元鉄道の蹂躙によって既に跡形もなくなり、手すりなしのバルコニーと化している。開けた空からは天頂を少し過ぎた日差しが差し込んでくる。
 そして太陽の下には虹色に光る終末器が見える。もちろん終末器が光に照らされることはなく、逆光を受けることすらない。この世の理を超えた終末器に対しては太陽ですらも下位レイヤーのオブジェクトでしかない。
 ここから終末器までは直線距離でおよそ十メートル。かなり長い足場があれば届く距離だが、そんなものを架けている間は隙だらけになってしまう。終末器の押下を達成するには結局のところ敵を退けるしかないのだ。

「ああ、彼方様。ちょうどよいところにいらっしゃいました。こちらのゲームをプレイされた経験は御座いますか?」

 廊下の少し先の方、ジュリエットが壊れていない方の壁に寄りかかってスマートフォンと睨めっこしていた。彼方の姿を視界に認めると、手に持ったスマートフォンをこちらに見せて軽く振ってくる。

「何度かある。私がいた世界でも流行っていたデジタルカードゲームの一つだ」
「待っている間に昇格戦に突入してしまいました。恐縮ですが、ここからどう動けば良いか御教示頂けませんか?」
「いいだろう。待たせた私にも責任がある。……確かに難しい盤面だが、こちらが優勢だろう。相手は苦し紛れに手札を吐き出しているように見える。前のターンでの相手の動きは?」
「今戦場にいる三体を並べただけです」
「そのときの相手の思考時間は?」
「即決で御座います」
「ならAoEやカウンターは持っていない。もし持っているなら温存を考えて数秒は悩むはずだ。フルに展開して攻撃すればもう切り返せない」
「あら、それで良かったのですね」

 ジュリエットは彼方の指示通りに画面をスワイプし、次のターンには相手が投了した。勝利画面を見届けたあと、スマートフォンをメイド服のポケットへとしまい込んで向き直る。

「ありがとうございます。これで彼方様とも心置きなくゲームに興じることが出来るというものです」
「いきなり襲うのはもうやめたのか? そのスマートフォンで殴りかかってきても構わないぜ」
「既に身構えている相手に奇襲も騙し討ちも御座いません。それにルール無用の殺しとはルール有りのゲームの上位互換で御座います。ルールに従う者にルールに従わない選択肢はありませんが、ルールに従わない者にはルールに従う選択肢が御座います」
「一理ある。とはいえ、お前は殺し方にそれなりにこだわる方だ。自分の手で私を殺さなければ気が済まないし、空から百リットルのガソリンを撒いて私を燃やして終わりなんて勝ち方は選ばない。私はお前が必ずここで待っていると思っていた」
「仰る通りで御座います。才能ある美しい方との貴重な時間をあらゆる方法で楽しみたいというのはわたくしの本心です。一度くらいは彼方様の流儀で始めてみるのも吝かでは御座いません」

 ジュリエットは廊下の奥に向かって後ろ歩きで十歩下がった。そして両手でスカートを軽く摘まんで優雅にお辞儀をして見せる。

「御準備が出来ましたら、泉の前でセーブしてからわたくしに接触してくださいませ。戦闘が始まる前に装備品と手持ちアイテムをきちんと御確認くださいね。武器の類は所持しているだけでは装備扱いになりませんので、編成画面でキャラクターを選択すること。ポーションと傷薬と薬草は十分にありますか? 毒消しと麻痺対策は? パッシブの蘇生と回避はセット済みですか?」

「全て完璧だ」

 彼方は大股で踏み出した。通りの路肩でも歩くように廊下を進む。無造作に、ずかずかと。
 ローラーブレードとハイヒールがぶつかってカツンと固い音を立てた。風になびいて互いの髪が混じり合う。鼻先がぶつかる距離で比べると、彼方の方が僅かに身長が高い。この距離で見てもジュリエットの微笑は麗しいが、より一層ミステリアスでもあった。あまりにも完成された表情は展示された芸術品のようで、そこから心情は何一つ伺えない。
 彼方はハグをするように大きく手を広げた。

「どうした? この間合いでもシンボルエンカウントは成立しないか?」
「バージョンによりけりで御座いますね」

 天井のヘリコプターが大きな爆発音を立てる。それが合図だった。
 ジュリエットがだらりと下げた指先を弾いた。彼方の顎を抉る軌道で打ち出されるのは刃渡り五センチほどの短いナイフだ。間近で見るとナイフの扱いは指弾に似ていた。フォークを打ち出したときと同じ、僅かな指先の動きだけで小さな武器を振り出す暗殺技術。
 軌道を見てからの対応は間に合わないが、指先に注意していれば十分間に合う。銃器類を相手取る際に弾ではなく銃口を見るのと同じだ。
 彼方はコートに隠した武器を振り出し、ナイフを手元で撃ち落とした。

「両手の武器はそちらで宜しいですか? 装備ミスでは御座いませんね?」
「これが私のマスターソードだよ」

 彼方は一対のトンファーを両手で構え直した。
 右手は前に置いたまま、左手を振りかぶる。脳天目がけた渾身の一撃をジュリエットは手の平を広げて受けた。その手掌には短いナイフが水平に仕込まれている。接触の瞬間、彼方は持ち手を返して横に薙いだ。ナイフが弾かれて宙を舞う。
 一撃触れて想定が正しかったことを確信する。スピードと精度ではジュリエットが勝るが、純粋な腕力は彼方が上だ。だから膂力がロスなく伝わる撲殺武器としてトンファーを選択した。
 メイド服とトレンチコートが触れ合うこの超至近距離、攻防一体の間合いで殴り合いの土俵に持ち込む。

「これが攻略の最適解だ」
「なるほどよくお考えで御座います。この間合いでは殺人というよりは戦闘にならざるを得ません。それはあなたのテリトリーに近いのでしょう」
「実際、お前は戦闘にかけては殺人ほどの巧者ではない。根本的にお前のレスポンスは殺意ベースだ。殺す気で仕掛けられた攻撃には敏感に反応するが、単なる崩しへの対応はそこまで鋭くない」
「勉強になります。そこは殺し屋の弱点と言えば弱点かもしれませんね」

 ジュリエットが感心するように後ろに手を回した瞬間、天井からナイフが降ってくる。背中側で弾いたナイフの跳弾だ。
 だが、その程度の不意打ちは臨戦態勢に入った彼方を驚かせるものではない。振り上げたトンファーがナイフを弾き、潜り込んでくるジュリエットを肘で牽制する。相変わらずジュリエットの動きは攻防の境がわかりにくいが、連続的に変化するというだけで攻撃と防御の概念を与えることはできる。
 何度も武器を打ち合うジュリエットの背後で、先ほどから小さな爆発音が連続して起き続けていた。そのたびに建物が僅かに揺れ、屋根に積もった砂埃や赤い瓦の欠片が廊下に舞う。ジュリエットが爆薬か何かをヘリコプターに仕込んでいたのかもしれないが、この頑丈な建物の中なら大勢に影響はない。
 辛うじて影響があるとすれば、ほんの小さなゴミ程度のものだ。例えば崩落する天井から剥がれ落ちる壁紙。僅か数ミリの断片が目に入りそうになり彼方は僅かに身を引いた。小さなプラスチック片が耳に当たる、ヘリコプターの破片か何かだろうか。それを攻撃と誤認した意識が一瞬だけ分散し、トンファーを振るタイミングが微妙にズレた。
 この空間には極めて微小な不確定要素、乱数のブレのような物理的な障害が多くあることに彼方は気付いた。これはゲーム内では意識したことのないものだ。いくらファンタジスタが物理演算ベースのエンジンだからといって、こんなミリ単位の素材までは作り込まれてはいない。それが極限まで集中を研ぎ澄ました超近接戦闘で初めて気付く極々僅かなノイズを生んでいる。
 とはいえ、それはほんの少し鬱陶しいというだけだ。ゲームの勝敗に影響を及ぼすファクターではない。屋根瓦の欠片が指先に当たるのも、地面に敷かれたカーペットから毛玉が舞い上がるのも、たまたまちょっとした偶然なのだ。乱数とは原因なく生起するが故に乱数なのであり、運以上のものではない。運そのものは戦略的な検討対象ではないというのはゲーマーの常識だ。
 ジュリエットが僅かに後退するが距離は空けさせない。トンファーを握り直して距離を詰めたとき、ジュリエットが不意に口を開いた。諭すように優しい声で。

「もっと自らの美貌に自信を持って頂きたいもので御座います。わたくしは運の配分が人類に平等であるとは全く思っておりません。もしこの世に運命を決める何者かがいるとするならば、その者は全人類を美と醜に分け、美の味方をすることをわたくしは確信しております」
「何が言いたい?」
「そうそうは起こらないということです。わたくしやあなたのように、平均的な水準を大きく超えて美しい人間が不運に見舞われることは」

 彼方はジュリエットの仄めかしを真に受けるべきかどうか逡巡する。
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