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第2章 街角朱雀

第9話:街角朱雀・2

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 枕元のスマホを確認するともう十時だ。急いでベッドを下りて制服に着替えようとクローゼットに手を伸ばし、今日が夏休み二日目であることを思い出して頭をかく。
 一旦大きく伸びをして、とりあえずは洗面所へと向かう。目を擦りながら廊下を歩いていく。
 広い家だった。二世帯は住める二階立ての一軒家。麗華一人では使わずに締め切っている部屋も多い。
 義両親が麗華とこの家を残して引っ越してからもう二年近くになる。一人暮らしにもすっかり慣れた。

「長いような、短いようなだなあ」

 物心付く前に実の両親を亡くし、父方の叔母夫婦に引き取られた。
 叔母夫婦は良い人たちだった。それぞれ高名な哲学者と科学者であり、優れた良識と豊富な教養を持ち、人間的にはとても尊敬できる人たちだった。
 ただ、彼らは良い大人ではあったが、良い親ではなかった。
 服も食事も住処も用意してくれたが、麗華を叱ったり褒めたりすることはなかった。
 学費は払ってくれたが、学校での取り留めのない出来事を聞くことはなかった。
 話しかければ何でも答えてくれるが、向こうから話しかけてくることはなかった。
 子供一人を不自由させずに扶養する義務があるとは思っていたが、子供に親として接しようとは思っていなかった。
 今ではそういう事情も理解できる。叔母夫婦はもともと子供を生まない選択をした家庭だ。親になるきっかけも心構えも特になく、子供との関わり方を知らなかっただけだ。経済的には不自由しなかったというだけで十分に感謝している。
 しかし、それは当時の麗華には難しい話だ。
 他の家庭と自分の家庭は何かが違うような気がしているが、曖昧な寂しさをはっきり説明できるほどの語彙がない。なまじ衣食住の不満はないだけに、もっと高度な承認の不安を語るのは小学生には難しすぎた。拙い言葉で違和感を伝えると、義両親は一般的な子供の発達過程について訳の分からない講義を始めるのが常だった。
 一番身近な親との関係が滑るようで上手く掴めない日々。引っ込み思案で下を向いていることが多い、と書かれた通知表に義両親が目を通していたのかも定かではない。
 そんな事態が急変したのは魔法少女として戦うようになって少し経ってからだ。
 ある日戦いを終えて帰ってきた麗華に、叔母は「立派なことをしていますね」といつもの落ち着いた口調で言った。
 その夜に囲んだ食卓で初めて、義両親は魔法少女としての話を興味深そうに聞いてきた。麗華は驚きながらも今日あった出来事を全て話し、義両親は二人で冷静に議論しながら、極めて有益なアドバイスを色々と口にした。
 その日、義両親は対等に接する大人として麗華を認めたのだ。扶養して生存させるだけの子供から、社会に参画している大人へと認識を変えた。
 それからも子供として甘やかされたり怒られたりすることは相変わらず無かったが、同じ大人として意見を求められたり訂正されたりすることが増えた。それが嬉しくて仕方なかった。
 ドールマスターに憧れるようになったのもそのあたりからだ。
 小学生から見れば高校生なんて大人と見分けが付かない。身の周りにいて自分と正面からぶつかってくれる大人はドールマスターくらいだ。それが悪の道理であるとはいえ、確固たる自分の意見を持ち、麗華と戦ってくれる大人。強くてかっこいい大人であるドールマスターと対等に話したり食事したりしたいと思った。
 だから最終決戦のあと、告白を断られたときは泣きながら帰った。人生で初めての恋と初めての失恋、後にも先にもあんなに泣いたのはあのときだけだ。ドールマスターにはもう二度と会えないのだと思うと、今日も明日も何をすればいいのかわからなくなった。
 泣き続ける麗華に、義両親は「これが参考になると思います」と言って鈍器のように厚くて重い哲学書を渡してきた。それは特に役に立たなかったが、とにかくずっと引きずって、本当に立ち直るまでには一年くらいかかった気がする。
 それが昨日は一緒に食卓を囲んでいたのだから人生はわからないものだが、自分は当時からそう大きくは変わっていないとも思う。
 何せ、今もスマホでラインを開いたままフリーズしているのだから。七年前、ドールマスターにいつどうやって気持ちを伝えるのか考えていたときと同じように。

「もし今日暇だったら買い物に行かないかな? ……とかでいいかね」

 とりあえず朝の支度を着替えまで済ませて、いつでも出かけられるという状態までは来た。
 しかしそこから先に進まない。
 昨日歩きながら交換したライン。芽愛とのトーク画面にはその場で確認がてら一往復させたスタンプだけが表示されている。
 昨晩は別れてから何か謝ろうかと思ったが良い言葉が思い付かず、翌日の自分に託してそのまま寝てしまった。それで今の自分がその尻拭いをさせられているわけだ。
 こういうとき、取るべき行動は本質的に二択だ。つまり気まずい事情については忘れたフリをするか、忘れたフリをしないか。どちらにも大きなリスクと大きなリターンがある。
 今の麗華は忘れたフリをする方に傾いている。上手くいけばどうとでも流せる代わり、不誠実と嫌われる危険もある。送信ボタンの上で指が浮き、押すか押すまいか何度も上下する。
 そうこうしているうちに画面がサッとスクロールし、やってしまったと足先まで震えた。気持ちが固まらないうちに指が先走ってタップしてしまった。
 もう既読が付いたかどうか慌てて確認しようとするが、しかしよく見れば、一番下のメッセージが出ているのは左側だ。
 つまり最新のメッセージを送ったのは自分ではなく相手の方。

「レーダーに魔獣の気配があった。Nモールで待ってる」

 それを読んですぐ自分の文面を消した。代わりにデフォルメされた猫のキャラクターが「了解!」とポーズを取っているスタンプを打つ。
 そのまま家を飛び出した。夏の苛烈な太陽が麗華を出迎えるが、今はそれも味方のような気がした。
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