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第2章 奴隷の兄妹
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ギルバート・シモンズが人伝に準備してくれた紹介状を懐に収め、ウィルフレッドは馬を走らせていた。背後には諜報員ロブの息子のジーン、そして巨大な剣を布で覆って背に担ぐティナの姿があった。
「もうすぐロズリンの宿場町があります。今夜はそこで一泊しませんか?」とジーンが進言した。元気で健康的なティナではあったが、馬で長時間移動するのはあまり慣れてはいなかったし、次の宿場を目指すとなると、途中で野宿しなくてはならないだろう。
「そうだな、そうしよう」とウィルフレッドは若い従者が気を回してくれたことに内心で感謝した。彼は父親のロブと同じく情報収集に長けており、剣を持たせればそこそこの腕前だ。旅の同行者としては申し分がなかった。
彼らは馬をロズリンの宿場町へと向けた。
日が傾きかけた頃合に彼らは宿場町に辿り着いた。ロズリンはかつてはミスリル鉱山で働く工夫やその懐を宛にする博打打やら娼婦やらで賑わっていたものの、その鉱脈が枯渇して以来、すっかり寂れていた。王都から宗教都市ディアストラの道中になければ、とうに廃墟となっていたに違いない。今ではかつての栄光を垣間見せる古びた設備の宿屋や食堂があるばかりで、商店も扉を閉ざしているところが多い。しかしその裏街では僅かな稼ぎに縋りつく女衒やら人買いやらが暗躍し、薄暗いスラム街を形成していた。
「旦那様とティナ様はこちらでお待ちください。一っ走りして宿屋を見つけてきますんで」とジーンが申し出た。
「そうだな、よろしく頼む、ジーン」とウィルフレッドは応じ、馬を引くティナを振り返った。ティナはさすがに疲れた表情で、見慣れない町を眺めている。「どれ、そこの石段にでも腰を下ろすか」
角の削れた石段はかつては噴水の縁だったのだろうが、今は水も枯れ果て、土塊や枯れ葉が溜まっており、見る影もない。
「ふう、お尻が痛い……」と言いながらティナは半ばへたり込むように石段に腰を下ろした。段に引っかかる剣を一旦下ろすと、自分にもたせ掛けるように斜めに立てかけた。「こんなに長く馬に乗るのは初めてかも」
ウィルフレッドは苦笑を見せた。
「まあ、街と工房を行き来する程度なら、大した距離ではないからな」
彼女は荷物の中から水筒を取り出し、飲み始めた。
「ふう、おなかも減ったなあ……」
「ははは、宿が見つかったら食事にしよう。まあ、この辺じゃあ大した料理もないだろうが……」
などと他愛のない会話をしているうちに、ティナはふと、背中の辺りがもぞもぞするのに気付いた。悪い予感がしてそっと後ろを覗き込むと……
浮浪者のような風体の少年が剣に手をかけているではないか!
「……!」
彼女は驚いて動きを止めてしまった。
少年は額に筋が浮き上がるほど力を込めて剣を引き寄せようとするのだが、びくともしない。彼女はその様をまじまじと眺めてしまった。
「……何してんの?」と思わず口から洩れた。
「へ、え? あ、あ!」
思わず目が合ってしまい、少年は腰を抜かしかけた、と、すかさず大きな掌が少年の頭頂部をがっしりと掴み上げる。
「人の物に勝手に触れるとは感心しないなあ、若者よ?」とウィルフレッドが少年の頭頂部を掴んだ指先に力を籠める。初老とはいえ、かつては騎士団長を務めあげた男の手だ、握力はかなり強い。
「い、い、いた、いたぁ!」
たまらず少年は悲鳴を上げた。その声を聞きつけて、もう一つの人影が石段の奥の植え込みから現れた。
「ごめんなさい! ごめんなさい、兄ちゃんは悪くないんです! 私がおなかが減ったと言ったから兄ちゃんは……!」
飛び出してきたのは兄と同じく浮浪者のような姿の妹だ。
「な、何でも言うこと聞きます! だから、兄ちゃんは助けてあげて!」
「メア、逃げろ、兄ちゃんのことはいいから、一人で逃げろ!」
「やだよ、兄ちゃん!」
ウィルフレッドは少年の頭を掴み上げたまま、ティナを見やった。ティナはどうしたものか、という表情で彼を見つめ返す。
むしろ開き直ってくれた方が衛兵に引き渡すなり、鉄拳制裁を加えるなりできるのだが、少々気が削がれる。ウィルフレッドは頭を掴んでいた手をそのままぐい、と突き下ろした。たまらず少年はその場に腰を落としてしまった。妹が慌てて兄を庇うように抱きしめた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい! 悪いことだってわかっていたんです! でも、おなかが減っちゃって……」
「盗んで換金しようとした?」とティナが尋ねた。
少女は頷いた。
「もう何日も食べていなくて……」
「言うな、メア、俺たち奴隷の話なんて、誰も聞いちゃくれないんだ!」
ウィルフレッドとティナは顔を見合わせた。このクロミア王国では奴隷売買は禁止されているはずだ。
「この町のスラム街の子供か?」とウィルフレッド。
「違います。農場から逃げてきたんです」と少女が答えた。
「もうすぐロズリンの宿場町があります。今夜はそこで一泊しませんか?」とジーンが進言した。元気で健康的なティナではあったが、馬で長時間移動するのはあまり慣れてはいなかったし、次の宿場を目指すとなると、途中で野宿しなくてはならないだろう。
「そうだな、そうしよう」とウィルフレッドは若い従者が気を回してくれたことに内心で感謝した。彼は父親のロブと同じく情報収集に長けており、剣を持たせればそこそこの腕前だ。旅の同行者としては申し分がなかった。
彼らは馬をロズリンの宿場町へと向けた。
日が傾きかけた頃合に彼らは宿場町に辿り着いた。ロズリンはかつてはミスリル鉱山で働く工夫やその懐を宛にする博打打やら娼婦やらで賑わっていたものの、その鉱脈が枯渇して以来、すっかり寂れていた。王都から宗教都市ディアストラの道中になければ、とうに廃墟となっていたに違いない。今ではかつての栄光を垣間見せる古びた設備の宿屋や食堂があるばかりで、商店も扉を閉ざしているところが多い。しかしその裏街では僅かな稼ぎに縋りつく女衒やら人買いやらが暗躍し、薄暗いスラム街を形成していた。
「旦那様とティナ様はこちらでお待ちください。一っ走りして宿屋を見つけてきますんで」とジーンが申し出た。
「そうだな、よろしく頼む、ジーン」とウィルフレッドは応じ、馬を引くティナを振り返った。ティナはさすがに疲れた表情で、見慣れない町を眺めている。「どれ、そこの石段にでも腰を下ろすか」
角の削れた石段はかつては噴水の縁だったのだろうが、今は水も枯れ果て、土塊や枯れ葉が溜まっており、見る影もない。
「ふう、お尻が痛い……」と言いながらティナは半ばへたり込むように石段に腰を下ろした。段に引っかかる剣を一旦下ろすと、自分にもたせ掛けるように斜めに立てかけた。「こんなに長く馬に乗るのは初めてかも」
ウィルフレッドは苦笑を見せた。
「まあ、街と工房を行き来する程度なら、大した距離ではないからな」
彼女は荷物の中から水筒を取り出し、飲み始めた。
「ふう、おなかも減ったなあ……」
「ははは、宿が見つかったら食事にしよう。まあ、この辺じゃあ大した料理もないだろうが……」
などと他愛のない会話をしているうちに、ティナはふと、背中の辺りがもぞもぞするのに気付いた。悪い予感がしてそっと後ろを覗き込むと……
浮浪者のような風体の少年が剣に手をかけているではないか!
「……!」
彼女は驚いて動きを止めてしまった。
少年は額に筋が浮き上がるほど力を込めて剣を引き寄せようとするのだが、びくともしない。彼女はその様をまじまじと眺めてしまった。
「……何してんの?」と思わず口から洩れた。
「へ、え? あ、あ!」
思わず目が合ってしまい、少年は腰を抜かしかけた、と、すかさず大きな掌が少年の頭頂部をがっしりと掴み上げる。
「人の物に勝手に触れるとは感心しないなあ、若者よ?」とウィルフレッドが少年の頭頂部を掴んだ指先に力を籠める。初老とはいえ、かつては騎士団長を務めあげた男の手だ、握力はかなり強い。
「い、い、いた、いたぁ!」
たまらず少年は悲鳴を上げた。その声を聞きつけて、もう一つの人影が石段の奥の植え込みから現れた。
「ごめんなさい! ごめんなさい、兄ちゃんは悪くないんです! 私がおなかが減ったと言ったから兄ちゃんは……!」
飛び出してきたのは兄と同じく浮浪者のような姿の妹だ。
「な、何でも言うこと聞きます! だから、兄ちゃんは助けてあげて!」
「メア、逃げろ、兄ちゃんのことはいいから、一人で逃げろ!」
「やだよ、兄ちゃん!」
ウィルフレッドは少年の頭を掴み上げたまま、ティナを見やった。ティナはどうしたものか、という表情で彼を見つめ返す。
むしろ開き直ってくれた方が衛兵に引き渡すなり、鉄拳制裁を加えるなりできるのだが、少々気が削がれる。ウィルフレッドは頭を掴んでいた手をそのままぐい、と突き下ろした。たまらず少年はその場に腰を落としてしまった。妹が慌てて兄を庇うように抱きしめた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい! 悪いことだってわかっていたんです! でも、おなかが減っちゃって……」
「盗んで換金しようとした?」とティナが尋ねた。
少女は頷いた。
「もう何日も食べていなくて……」
「言うな、メア、俺たち奴隷の話なんて、誰も聞いちゃくれないんだ!」
ウィルフレッドとティナは顔を見合わせた。このクロミア王国では奴隷売買は禁止されているはずだ。
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