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ルーゼンベルク帝国へ
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チェチーリアは、目の前にそびえ立つ壮麗な宮殿を前に、思わず息をのんだ。
ドリームウィーバー王国もまた、帝国において有数の力を誇る国である。しかし、それをはるかに凌駕するスケールと威容に、彼女はまず圧倒されたのである。
衛兵によってゆっくりと開かれた重厚な両開きの扉は、見るからに威厳と歴史の重みを湛えており、その随所に刻まれた精緻な彫刻は、帝国の礎を築いたとされるハインリッヒ・ルーゼンベルクの姿をかたどったものだろう。
辺りをきょろきょろと見回すのもはばかられ、チェチーリアはそっと視線を泳がせる。
だがそれでも、彼女はドリームウィーバー王国の公爵令嬢として、この地に正式な使者として足を踏み入れたのだ。胸を張らなければならない。チェチーリアは静かに深呼吸をひとつし、背筋を正すと、長く続く回廊を一歩ずつ進んでいった。
やがて、その先に重厚な扉が立ちはだかった。
それは一目で分かるほど厳重に警備されており、その向こうにこの帝国の頂点、皇帝が待つことを、嫌でも感じさせられる。
中央に控えていた衛兵が、初対面であるチェチーリアに静かに目配せをする。チェチーリアは黙って頷いた。その合図とともに、扉が音もなく開かれる。
扉の向こうに足を踏み入れた瞬間、チェチーリアは――否が応でも、自らの立場と現実を突きつけられることとなる。
広々とした謁見の間。静寂が支配する空間の一段高い玉座に、ただひとり、冷たいまなざしを向けてくる男がいた。皇帝、フリードリヒ・ルーゼンベルク。その視線は鋭く、まるで心の奥底を見透かされるようだった。
玉座の両脇には、威厳ある風貌の側近たちが腰を下ろし、さらにその対面には、色とりどりの豪奢なドレスをまとった妃たちが並んで座していた。彼女たちもまた、無言でチェチーリアを見つめている。
――これが、帝国の中心。
緊張の中、チェチーリアは一歩前へと進み、美しいカーテシーを捧げる。
「チェチーリア・アルストメリアでございます」
その所作は、王国の礼儀と誇りを体現するかのように洗練されていた。
……
しかし、カーテシーを解いたチェチーリアの前で、皇帝はまるで彼女の存在など最初からなかったかのように顔を背け、隣の側近に何事かを言い残すと、そのまま場を後にした。
突き放されるような沈黙が残された。
その場に立ち尽くしたチェチーリアは、驚愕を胸の奥に封じ込めながら、ただ呆然と、思考を止めていた。
扉が静かに閉まる音が、まるで世界から切り離されたように響いた。
皇帝が去った後の謁見の間には、重苦しい沈黙が残されたままだった。誰一人言葉を発する者はなく、ただ視線だけがチェチーリアに注がれている。
まるで、彼女の一挙手一投足を試すかのように。
(……これが、帝国の洗礼ということなのね)
胸の奥に沈むような感覚を、チェチーリアは噛みしめていた。
公爵令嬢としての誇りをもってここまで来た――だが、現実は容赦なかった。あからさまな無視、無言の圧力、そして見定めるような眼差し。それら全てが、ここが「敵地」であることを明確に示していた。
「ご案内いたします、アルストメリア令嬢」
低く、よく通る声がした。見ると、皇帝の側近のひとりと思われる男が、彼女の方へと一歩進み出ていた。銀糸の刺繍が施された黒の礼服に身を包み、その佇まいには威圧と礼節の両方が漂っている。
チェチーリアは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに顔を上げ、そっと頷いた。
案内されたのは、宮殿内の客間だった。とはいえ、王国の城館では到底お目にかかれぬほど豪奢な空間。天井の高さ、壁にかかる絵画の数々、床に敷かれた絨毯の質感――全てが、彼女にとって未知の世界のものであった。
「本日は長旅、お疲れ様でございました。陛下との謁見の正式な日程は、改めて通達されるとのことです」
側近はそう言って、深々と頭を下げた。口調は丁寧ながら、どこか事務的で、冷たさすら感じる。
「……ご丁寧にありがとうございます」
チェチーリアはそう答えたが、内心では焦りが渦を巻いていた。
("正式な日程は改めて"――つまり、今日のは謁見ですらなかった、ということ……?)
だが、疑問を口にすることはしなかった。彼女は、ドリームウィーバー王国を背負ってここへ来ている。安易に心情を晒すことは許されない。
ひとり客間に残されたチェチーリアは、深く椅子に腰を下ろすと、ようやく長いため息をついた。
(ここが、帝国。フリードリヒ・ルーゼンベルクが支配する世界――)
そして、彼女は知ることとなる。この国では、美しい礼儀も、誇り高き名家の肩書きも、何の意味も持たないということを。
ただひとつ、価値を持つのは「力」――それも、容赦のない、絶対的な力だけなのだと。
ドリームウィーバー王国もまた、帝国において有数の力を誇る国である。しかし、それをはるかに凌駕するスケールと威容に、彼女はまず圧倒されたのである。
衛兵によってゆっくりと開かれた重厚な両開きの扉は、見るからに威厳と歴史の重みを湛えており、その随所に刻まれた精緻な彫刻は、帝国の礎を築いたとされるハインリッヒ・ルーゼンベルクの姿をかたどったものだろう。
辺りをきょろきょろと見回すのもはばかられ、チェチーリアはそっと視線を泳がせる。
だがそれでも、彼女はドリームウィーバー王国の公爵令嬢として、この地に正式な使者として足を踏み入れたのだ。胸を張らなければならない。チェチーリアは静かに深呼吸をひとつし、背筋を正すと、長く続く回廊を一歩ずつ進んでいった。
やがて、その先に重厚な扉が立ちはだかった。
それは一目で分かるほど厳重に警備されており、その向こうにこの帝国の頂点、皇帝が待つことを、嫌でも感じさせられる。
中央に控えていた衛兵が、初対面であるチェチーリアに静かに目配せをする。チェチーリアは黙って頷いた。その合図とともに、扉が音もなく開かれる。
扉の向こうに足を踏み入れた瞬間、チェチーリアは――否が応でも、自らの立場と現実を突きつけられることとなる。
広々とした謁見の間。静寂が支配する空間の一段高い玉座に、ただひとり、冷たいまなざしを向けてくる男がいた。皇帝、フリードリヒ・ルーゼンベルク。その視線は鋭く、まるで心の奥底を見透かされるようだった。
玉座の両脇には、威厳ある風貌の側近たちが腰を下ろし、さらにその対面には、色とりどりの豪奢なドレスをまとった妃たちが並んで座していた。彼女たちもまた、無言でチェチーリアを見つめている。
――これが、帝国の中心。
緊張の中、チェチーリアは一歩前へと進み、美しいカーテシーを捧げる。
「チェチーリア・アルストメリアでございます」
その所作は、王国の礼儀と誇りを体現するかのように洗練されていた。
……
しかし、カーテシーを解いたチェチーリアの前で、皇帝はまるで彼女の存在など最初からなかったかのように顔を背け、隣の側近に何事かを言い残すと、そのまま場を後にした。
突き放されるような沈黙が残された。
その場に立ち尽くしたチェチーリアは、驚愕を胸の奥に封じ込めながら、ただ呆然と、思考を止めていた。
扉が静かに閉まる音が、まるで世界から切り離されたように響いた。
皇帝が去った後の謁見の間には、重苦しい沈黙が残されたままだった。誰一人言葉を発する者はなく、ただ視線だけがチェチーリアに注がれている。
まるで、彼女の一挙手一投足を試すかのように。
(……これが、帝国の洗礼ということなのね)
胸の奥に沈むような感覚を、チェチーリアは噛みしめていた。
公爵令嬢としての誇りをもってここまで来た――だが、現実は容赦なかった。あからさまな無視、無言の圧力、そして見定めるような眼差し。それら全てが、ここが「敵地」であることを明確に示していた。
「ご案内いたします、アルストメリア令嬢」
低く、よく通る声がした。見ると、皇帝の側近のひとりと思われる男が、彼女の方へと一歩進み出ていた。銀糸の刺繍が施された黒の礼服に身を包み、その佇まいには威圧と礼節の両方が漂っている。
チェチーリアは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに顔を上げ、そっと頷いた。
案内されたのは、宮殿内の客間だった。とはいえ、王国の城館では到底お目にかかれぬほど豪奢な空間。天井の高さ、壁にかかる絵画の数々、床に敷かれた絨毯の質感――全てが、彼女にとって未知の世界のものであった。
「本日は長旅、お疲れ様でございました。陛下との謁見の正式な日程は、改めて通達されるとのことです」
側近はそう言って、深々と頭を下げた。口調は丁寧ながら、どこか事務的で、冷たさすら感じる。
「……ご丁寧にありがとうございます」
チェチーリアはそう答えたが、内心では焦りが渦を巻いていた。
("正式な日程は改めて"――つまり、今日のは謁見ですらなかった、ということ……?)
だが、疑問を口にすることはしなかった。彼女は、ドリームウィーバー王国を背負ってここへ来ている。安易に心情を晒すことは許されない。
ひとり客間に残されたチェチーリアは、深く椅子に腰を下ろすと、ようやく長いため息をついた。
(ここが、帝国。フリードリヒ・ルーゼンベルクが支配する世界――)
そして、彼女は知ることとなる。この国では、美しい礼儀も、誇り高き名家の肩書きも、何の意味も持たないということを。
ただひとつ、価値を持つのは「力」――それも、容赦のない、絶対的な力だけなのだと。
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