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帝の訪問
しおりを挟むその日、王宮の空気が張りつめた。
皇帝フリードリヒ・ルーゼンベルクが、突如として“妃の私室をまわる”と告げたからだ。
それは、前代未聞だった。
形式上の公式訪問は過去に数度あったが、それは年の挨拶や行事の一環。
それに比べ、今回の訪問はあまりに唐突で、しかも「平等にすべての妃の部屋を順にまわる」という。
王宮中がざわついた。
最初に訪れたのは、第一妃・カテリーナの私室だった。
「ようこそ、おいでくださいました、陛下……!」
カテリーナはまるで舞踏会の舞台に立つかのように、優雅に腰を折って挨拶した。
部屋は完璧に整えられ、花と香の香りが行き届いていた。
だが、その笑顔の奥にあったのは「緊張」であり、どこか恐怖にも似た「怯え」だった。
「体調に変わりはないか」
フリードリヒの言葉は淡々としていた。
カテリーナは「はい」とだけ答えたが、その後、話は続かなかった。
フリードリヒは黙って室内を見渡し、茶の一口も飲まずに立ち上がった。
次の部屋へ向かう。
***
第二妃・セシルの部屋では、意外な“警戒”が迎えた。
「今日は……どのようなご用件で?」
セシルは美貌を保ちつつも、声色には明らかな刺が混ざっていた。
その態度に、フリードリヒは少しだけ視線を逸らす。
「近頃、妃殿下たちの様子が騒がしいと耳にしてな。念のため確認を」
セシルは冷笑気味に応じた。
「“第八妃殿下”のことですね。私たちは、ただ静かに暮らしたいだけなのに」
フリードリヒはそれには答えなかった。
彼の目は、部屋の書棚に置かれた厚い本の背表紙をじっと見ていた。
「読書家だな。……続けるといい」
それだけを残し、また部屋を出る。
***
その後も、第三妃、第五妃、第六妃……順に部屋を訪ねた。
それぞれが見せる“歓迎”は形式的で、笑顔の裏に敵意と疑念が張りついていた。
ある妃は、あからさまに涙を浮かべて「何も悪いことはしていません」と繰り返し、
ある妃は、露骨にチェチーリアへの嫉妬を口にし、「陛下のお気に入りにはかないませんわ」と嫌味を漏らした。
フリードリヒはそれをただ“見る”。
黙して、視線と沈黙で相手の本音を引き出す。
そして気づいた。
どの妃も、口を揃えてチェチーリアの名を出す。
直接攻撃は避けていても、そこにあるのは警戒、苛立ち、そして焦燥。
“チェチーリアが現れたことで、均衡が崩れた”
それは明らかだった。
***
「……面倒な場所になったものだ」
執務室に戻るなり、フリードリヒはそう吐き捨てるように言った。
だがその目はどこか、深く思案していた。
妃たちは誰も、真実を語らない。
誰もが装い、噂を武器にし、疑念を心に抱いている。
そして――
その中心にいるのは、誰よりも真っ直ぐな“異物”、チェチーリアだった。
「……あの女を、もう少しだけ見てみるか」
独り言のように呟き、フリードリヒは書類の山に手を伸ばした。
次に彼が動くとき、それは“対話”の時かもしれない。
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