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夫婦の時間
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その夜――
セリュアンは、初めてアメリアの眠る寝室へと足を運んだ。
何度もその扉の前まで来ながら、結局は手をかけられずに引き返していた日々。
その扉を開けたのは、彼にとって大きな決意だった。
誰にも言えぬほど、彼はその扉の先を恐れていた。
それが“拒絶”であれ、“無関心”であれ――
アメリアの本音に触れることが、自分にとって何を意味するのか、わかっていたからだ。
しかし今夜だけは、その恐れを押し込めて、彼は前へと進んだ。
アメリアは、思いがけぬ訪問者に少し驚いたように目を見開いた。
けれど、次の瞬間にはいつものように冷静に、仮面のような笑みを浮かべて言った。
「……まだ何か、ご用件が?」
セリュアンは扉の前に立ったまま、小さく首を横に振る。
「いや。用件ではない。ただ……どうしても、伝えておきたいことがあった」
アメリアが身じろぎする。
セリュアンはまっすぐに彼女を見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「アメリア。約束してほしい。今後は、もう一人で勝手に動かないと」
「……危険な真似など、いたしませんわ」
それはいつもの調子で返す常套句。
だが、セリュアンはそれを軽く首を振って否定した。
「たとえ危険な意図がなくても、何が起きるかわからない。この件には、何か得体の知れないものが絡んでいる。だからこそ、君の身に何か起きる前に……」
そこで一度、言葉を切り、言い淀むように続けた。
「……私は、黒幕を必ず暴く。そして、君を守る。それが私の責務だ。
だが君も、止めたところで聞かないだろう?ならば――一緒に動こう。無理に退けと言うつもりはない。だが、せめて“共に”いてくれ」
アメリアは一瞬だけ沈黙した。
瞳にかすかに揺らぎが走り、それからゆっくりと、確かに頷いた。
――静かな了承。
セリュアンはどこか安堵したように息をついた。
だが次に口を開いたとき、その声色には微妙な温度があった。
「それと……一つ、個人的な“苦情”があるのだが」
「……苦情?」
アメリアは、完全に予想外の言葉にきょとんとした。
セリュアンはその反応に少し口角を上げると、わざとらしく肩をすくめて言った。
「君は私の前では、あまりにも完璧な王太子妃だ。
それはそれで文句はない……が、アレンや護衛たちの前では、どうにもその仮面が外れているように見える」
アメリアは一瞬驚いた顔をしたあと、あっさりと頷いた。
「当然ですわ。私はあなたにとって“最愛の人を諦めて迎えられた妃”。
だったらせめて、完璧な王太子妃であることが、私なりの誠意ですもの。
私が無邪気なままでは、余計に苦しませてしまうでしょう?」
セリュアンはその言葉にわずかに目を伏せた。
その“配慮”が、自分をどれほど突き放しているかを、彼女は分かっていない。
完璧であることが、どれほど冷たく感じられるかを。
そして気づけば、口から滑り出ていた。
「君は……今も、祖国に残してきた“真実の愛”を想っているのか?」
思わぬ直球に、アメリアは一瞬言葉を失う。
「ジークのことですか? 彼のことは良い思い出です。今さら何かあるわけでもないし、未練もありません。……それが、なにか?」
「侯爵家の令息だったそうだね」
アメリアは軽く眉をひそめた。
セリュアンは淡々とした口調を保ちながらも、心の奥では冷たい何かが渦巻いていた。
「よくある話だよ。王子が市井の娘に惹かれるのは、そこに“逃げ道”があるから。
だけど――王女が、家臣の息子に心を許すのは、そう単純じゃない」
「殿下、話の意図が……」
「つまり、彼は“逃げ道”ではなかった、ということだ。君は本気で――彼に惹かれていたんだな」
アメリアは返す言葉を失った。
セリュアンの言葉には、抑えきれない感情がにじんでいた。
理性で隠しているつもりでも、それは確かに“嫉妬”だった。
すでに終わった関係にすら、胸の奥が締めつけられるような、苦しさがあった。
「……君の心の中に、誰がいようと構わない。だが……それでも私は、君を手放すつもりはない」
その言葉だけが、今夜の彼の本音だった。
アメリアは静かにまばたきをし、その視線をそらさなかった。
長い沈黙のあと、彼女はただ一言だけ呟いた。
「……殿下はずるい方ですわ」
それが責めなのか、照れ隠しなのか、セリュアンには分からなかった。
ただ、アメリアの頬がわずかに赤らんでいたのを、彼は見逃さなかった。
セリュアンは、初めてアメリアの眠る寝室へと足を運んだ。
何度もその扉の前まで来ながら、結局は手をかけられずに引き返していた日々。
その扉を開けたのは、彼にとって大きな決意だった。
誰にも言えぬほど、彼はその扉の先を恐れていた。
それが“拒絶”であれ、“無関心”であれ――
アメリアの本音に触れることが、自分にとって何を意味するのか、わかっていたからだ。
しかし今夜だけは、その恐れを押し込めて、彼は前へと進んだ。
アメリアは、思いがけぬ訪問者に少し驚いたように目を見開いた。
けれど、次の瞬間にはいつものように冷静に、仮面のような笑みを浮かべて言った。
「……まだ何か、ご用件が?」
セリュアンは扉の前に立ったまま、小さく首を横に振る。
「いや。用件ではない。ただ……どうしても、伝えておきたいことがあった」
アメリアが身じろぎする。
セリュアンはまっすぐに彼女を見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「アメリア。約束してほしい。今後は、もう一人で勝手に動かないと」
「……危険な真似など、いたしませんわ」
それはいつもの調子で返す常套句。
だが、セリュアンはそれを軽く首を振って否定した。
「たとえ危険な意図がなくても、何が起きるかわからない。この件には、何か得体の知れないものが絡んでいる。だからこそ、君の身に何か起きる前に……」
そこで一度、言葉を切り、言い淀むように続けた。
「……私は、黒幕を必ず暴く。そして、君を守る。それが私の責務だ。
だが君も、止めたところで聞かないだろう?ならば――一緒に動こう。無理に退けと言うつもりはない。だが、せめて“共に”いてくれ」
アメリアは一瞬だけ沈黙した。
瞳にかすかに揺らぎが走り、それからゆっくりと、確かに頷いた。
――静かな了承。
セリュアンはどこか安堵したように息をついた。
だが次に口を開いたとき、その声色には微妙な温度があった。
「それと……一つ、個人的な“苦情”があるのだが」
「……苦情?」
アメリアは、完全に予想外の言葉にきょとんとした。
セリュアンはその反応に少し口角を上げると、わざとらしく肩をすくめて言った。
「君は私の前では、あまりにも完璧な王太子妃だ。
それはそれで文句はない……が、アレンや護衛たちの前では、どうにもその仮面が外れているように見える」
アメリアは一瞬驚いた顔をしたあと、あっさりと頷いた。
「当然ですわ。私はあなたにとって“最愛の人を諦めて迎えられた妃”。
だったらせめて、完璧な王太子妃であることが、私なりの誠意ですもの。
私が無邪気なままでは、余計に苦しませてしまうでしょう?」
セリュアンはその言葉にわずかに目を伏せた。
その“配慮”が、自分をどれほど突き放しているかを、彼女は分かっていない。
完璧であることが、どれほど冷たく感じられるかを。
そして気づけば、口から滑り出ていた。
「君は……今も、祖国に残してきた“真実の愛”を想っているのか?」
思わぬ直球に、アメリアは一瞬言葉を失う。
「ジークのことですか? 彼のことは良い思い出です。今さら何かあるわけでもないし、未練もありません。……それが、なにか?」
「侯爵家の令息だったそうだね」
アメリアは軽く眉をひそめた。
セリュアンは淡々とした口調を保ちながらも、心の奥では冷たい何かが渦巻いていた。
「よくある話だよ。王子が市井の娘に惹かれるのは、そこに“逃げ道”があるから。
だけど――王女が、家臣の息子に心を許すのは、そう単純じゃない」
「殿下、話の意図が……」
「つまり、彼は“逃げ道”ではなかった、ということだ。君は本気で――彼に惹かれていたんだな」
アメリアは返す言葉を失った。
セリュアンの言葉には、抑えきれない感情がにじんでいた。
理性で隠しているつもりでも、それは確かに“嫉妬”だった。
すでに終わった関係にすら、胸の奥が締めつけられるような、苦しさがあった。
「……君の心の中に、誰がいようと構わない。だが……それでも私は、君を手放すつもりはない」
その言葉だけが、今夜の彼の本音だった。
アメリアは静かにまばたきをし、その視線をそらさなかった。
長い沈黙のあと、彼女はただ一言だけ呟いた。
「……殿下はずるい方ですわ」
それが責めなのか、照れ隠しなのか、セリュアンには分からなかった。
ただ、アメリアの頬がわずかに赤らんでいたのを、彼は見逃さなかった。
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