王子と王女は今日も仮面をかぶって愛し合う【完】

mako

文字の大きさ
29 / 42

夫婦の時間2

しおりを挟む
アメリアは静かに、大きく息を吸い込んだ。
そして、感情を押し殺すような瞳でセリュアンを見つめる。

「殿下。……殿下が先ほど仰ったことが本当であれば、私からも一つ、苦情を申し上げてもよろしいでしょうか?」

セリュアンはわずかに目を細め、口元に薄く笑みを浮かべた。

「どうぞ、いくらでも」

アメリアは一拍置いて、心の奥を探るように視線を落とした。
そのまましばらく口を閉ざしていたが、やがて小さく頷き、静かに言葉を紡ぎ始めた。

「私は……完璧な王太子妃として生きていく覚悟を持って、ここに参りました。
それが唯一、殿下への償いであり、私に課せられた使命だと思っていたのです。……王太子妃の一番の役目は、なんでしょうか?」

「……後継者を、産むこと。かな」

その答えに、アメリアはそっと頷く。だが、すぐに続いた言葉は、セリュアンの胸に突き刺さった。

「ですから私は、殿下の心の中には今もなお、最愛の方がいらっしゃるのだと……そう、思っておりました」

セリュアンの目が、大きく見開かれる。

アメリアの声は震えていたが、それでも淡々と事実を語るようだった。

「だって、そうでしょう?
最愛の人がいるのに、私を抱けるはずがない。……私はずっと、それを理解しようと努めてまいりました。
王太子としての責務の中で、心ならずとも妃を迎えなければならなかった、その重荷も、私なりに理解しようと……。
ですから……いずれ、殿下の心にある“その方”が側妃として上がってこられるのではないかと。
それならば、私はその席を空けておくべきだと、思っていたのです」

潤んだ瞳が、微かに震える睫毛の奥で光っている。
その姿に、セリュアンの胸は、しめつけられるように痛んだ。

「……違う。違うんだ、アメリア。君は何もわかっていない……!」

思わずそう叫ぶように言うと、セリュアンはたまらず彼女へと歩み寄った。
彼女の目に浮かぶ涙が、なによりも彼の心を乱した。

「君を抱かなかったのは、最愛の人がいるからじゃない。……違う。
ただ、君を“義務”で抱くことが、どうしてもできなかっただけだ。
君を、そんなふうに扱いたくなかった。それだけなんだ……!」

「――っ……」

アメリアの唇が震え、目を見開いたまま言葉を失う。

その瞬間、セリュアンの手が彼女の頬にそっと触れた。
体温の伝わるその手が、アメリアの思考を溶かすように包み込んでいく。

「君を“妃”としてではなく、“アメリア”として欲しいと思った。それが、ずっと怖かった」

「セリュアン……」

彼の名を口にした瞬間、アメリアの腰がそっと抱き寄せられる。
ふわりと触れた唇は、まるで長く焦がれていた熱がようやく触れ合ったようだった。

「許してほしい。……君を欲しいと、今、はっきり思っている」

言葉が終わるより早く、唇が重なった。
それは最初こそ戸惑いを含んでいたが、やがて溺れるように深く、熱を帯びていく。

肩紐がすっと滑り落ち、彼の手が震えるほど慎重に背中を撫でる。
そのたびに、アメリアの呼吸がか細く乱れ、肌の上にふれた吐息が、ふたりの距離を曖昧にした。

「私は、もう……あなたにしか、触れてほしくない……」

アメリアの声が甘く溶け、セリュアンの耳に流れ込んだ。
その一言で、彼の中の理性の最後の一枚が静かに崩れる。

寝台の上で指が絡まり、肌が重なり、ふたりの間にあった“王太子”と“妃”という仮面が、音もなく落ちていった。
そこにあったのはただ、セリュアンとアメリア――ふたりの、むき出しの感情だけだった。




朝が来たことを告げる鐘の音が、遠くで静かに響いた。

アメリアが目を覚ましたとき、外はまだ淡い光に包まれていた。
分厚いカーテンの隙間から差し込む朝の光が、揺らめくように寝室の空気を照らしている。

彼女は柔らかなシーツの中で身じろぎした。
その動きに、隣にいる人物が僅かに腕を伸ばして、そっと彼女の腰を抱き寄せる。

「……おはよう、アメリア」

低くくぐもった声が、耳元に落ちてくる。
アメリアの胸の奥が、静かに熱くなった。

「おはようございます……殿下」

そう返した声には、どこか照れの混じった柔らかさがあった。
まだ頬は微かに紅潮し、昨夜の熱が、ほんのりと残っている。

セリュアンはその表情を目にして、思わず微笑んだ。
そして、彼女の額に軽く唇を落とす。

「ねえ、もう“殿下”はやめてくれないか?」

「……そういうわけにはいきませんわ」

アメリアは少しだけ笑って、寝台の上で身体を起こそうとした。
けれどその腕を、セリュアンがそっと引き止める。

「もう少し、こうしていたい」

そう呟く声に、彼の素直な気持ちが滲んでいた。

王太子としての仮面も、政治的な義務も、戦略も、何もない――
ただ、“彼”としての言葉だった。

アメリアは少し驚いたように目を瞬かせ、それからそっと身を戻す。
彼の腕の中に身を委ねることに、もうためらいはなかった。

「殿下は……少し、ずるいですわ」

「また言われた」

苦笑交じりに囁いて、彼は肩越しにカーテンの向こうを見た。
朝が始まろうとしている。だが、今だけはその時間から目を逸らしたかった。

「ねえ、アメリア。……後悔してないか?」

ふとした沈黙ののち、アメリアは首を横に振った。
そして、そっと彼の胸に顔を預けながら、囁く。

「後悔する理由なんて、ありませんもの。
――むしろ、ようやく殿下と向き合えたことが、少し、嬉しいですわ」

セリュアンはアメリアの髪に顔を埋め、小さく息を吐いた。
彼女の言葉が、優しく胸に沁みていく。

もう、仮面の関係には戻れない。
だがそれは、失うことではなく――
ようやく手に入れた「本当の始まり」だった。

朝陽がカーテンの隙間から差し込み、寝台を優しく照らす。

肌と肌が触れ合う温もりのなか、言葉にしない想いが静かに満ちていた。
それは、夜を超えて芽生えた確かな絆。
互いに深く触れ合い、知ってしまったからこそ、もう遠ざかることはできない。

セリュアンはそっと目を閉じ、アメリアの名を心の中で繰り返す。

この朝が、すべての始まりになる――そう確信しながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

何も決めなかった王国は、静かに席を失う』

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 表には立たず、裏で国を支えてきた公爵令嬢ネフェリア。 だが―― 彼女が追い出されたのは、嫉妬でも陰謀でもなかった。 ただ一つ、「決める役割」を、国が彼女一人に押しつけていたからだ。 婚約破棄の後、ネフェリアを失った王国は変わろうとする。 制度を整え、会議を重ね、慎重に、正しく―― けれどその“正しさ”は、何一つ決断を生まなかった。 一方、帝国は違った。 完璧ではなくとも、期限内に返事をする。 責任を分け、判断を止めない。 その差は、やがて「呼ばれない会議」「残らない席」「知らされない決定」となって現れる。 王国は滅びない。 だが、何も決めない国は、静かに舞台の外へ追いやられていく。 ――そして迎える、最後の選択。 これは、 剣も魔法も振るわない“静かなざまぁ”。 何も決めなかった過去に、国そのものが向き合う物語。

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

【完結】王太子と宰相の一人息子は、とある令嬢に恋をする

冬馬亮
恋愛
出会いは、ブライトン公爵邸で行われたガーデンパーティ。それまで婚約者候補の顔合わせのパーティに、一度も顔を出さなかったエレアーナが出席したのが始まりで。 彼女のあまりの美しさに、王太子レオンハルトと宰相の一人息子ケインバッハが声をかけるも、恋愛に興味がないエレアーナの対応はとてもあっさりしていて。 優しくて清廉潔白でちょっと意地悪なところもあるレオンハルトと、真面目で正義感に溢れるロマンチストのケインバッハは、彼女の心を射止めるべく、正々堂々と頑張っていくのだが・・・。 王太子妃の座を狙う政敵が、エレアーナを狙って罠を仕掛ける。 忍びよる魔の手から、エレアーナを無事、守ることは出来るのか? 彼女の心を射止めるのは、レオンハルトか、それともケインバッハか? お話は、のんびりゆったりペースで進みます。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

外れ婚約者とは言わせない! 〜年下婚約者様はトカゲかと思ったら最強のドラゴンでした〜

秋月真鳥
恋愛
 獣の本性を持つものが重用される獣国ハリカリの公爵家の令嬢、アイラには獣の本性がない。  アイラを出来損ないと周囲は言うが、両親と弟はアイラを愛してくれている。  アイラが8歳のときに、もう一つの公爵家で生まれたマウリとミルヴァの双子の本性はトカゲで、二人を産んだ後母親は体調を崩して寝込んでいた。  トカゲの双子を父親は冷遇し、妾腹の子どもに家を継がせるために追放しようとする。  アイラは両親に頼んで、マウリを婚約者として、ミルヴァと共に自分のお屋敷に連れて帰る。  本性が本当は最強のドラゴンだったマウリとミルヴァ。  二人を元の領地に戻すために、酷い父親をザマァして、後継者の地位を取り戻す物語。 ※毎日更新です! ※一章はざまぁ、二章からほのぼのになります。 ※四章まで書き上げています。 ※小説家になろうサイト様でも投稿しています。 表紙は、ひかげそうし様に描いていただきました。

処理中です...