夏の金色のスター・フロント

mitsuo

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4章

夏のいろいろ

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 ライがお屋敷に帰ってきたのは、夜の一〇時すぎだった。
 扉のひらく音が聞こえて、すぐに立ちあがる。だけど僕より先に累と結が走り出していて、玄関へ一直線に向かっていった。
 藤彦兄ちゃんにかかえられて入ってきたライはマスクをつけていて、顔も赤いままだ。
「ライ兄ちゃん!だいじょうぶ?」
 不安そうに聞く累に、ライは小さくうなずく。
「藤彦兄ちゃん…」
 結もはらはらした顔で、藤彦兄ちゃんに声をかける。 
「心配しなくていい。だけど安静にしていないとダメだからな、あまりさわぐなよ」
 いつもとちがうきびしい声が、不安をよけいに大きくさせる。
 僕も声をかけたかったけれど、言葉が浮かんでこない。そしたら、先に藤彦兄ちゃんがたずねてきた。
「紀一、ちゃんとサギリの練習には行ったのか?」
 僕は首を横にふった。
 自分のせいでライが大変なことになっているのに、いつもどおりに過ごすなんてできない。だから自分の家と追分町を二往復して二人ぶんのエアサイクルをもどしたあとは、お屋敷でライたちの帰りを待っていた。事情を知ったお母さんも、累と結をつれておかゆをつくりにきてくれた。
「そうか」
 藤彦兄ちゃんの言葉はそれだけだった。ライをつれて、奥の間へ歩いていく。苦しそうなライの背中が見えなくなると、累と結が今にも泣きそうな顔を僕に向けた。
「ライ兄ちゃん、本当にだいじょうぶなのかな?」
「だいじょうぶだよ…きっと」
 そうこたえたけど、僕だって本当のところはわからない。藤彦兄ちゃんは何も教えてくれなかったし、今のライは見ていてすごくつらそうだし。
 僕の不安が伝わってしまったのか、累と結はますます心配そうな顔になる。ライが歩いていった暗い廊下を見ながら、結がぽつりと言った。
「ライ兄ちゃん…死んじゃったりしないよね」
 その言葉を聞いた時、心臓がどくん!と重くひびいた。
「そんなわけないだろう!」
 自分でもおどろくくらい大きな声が出てしまった。累と結はびくりと体をふるわせると、おびえたように僕を見る。僕はあわてて「ごめん」とあやまった。
 「死んじゃう」なんて言葉は、耳にするだけでもつらい。小椋のおばあさんの優しい笑顔が浮かんでくるし、もしかしたらライまで…なんて思うだけで怖くなってしまう。
 藤彦兄ちゃんも帰ってきたので、お母さんは累と結をつれて家に帰っていった。
 三人がいなくなると、お屋敷の中がすごく静かになる。なんだか、一人ぼっちで取り残されてしまったみたいだ。
 奥の間の戸がひらく音が聞こえた。僕ははっとして、通りを走りだす。
「藤彦兄ちゃん、ライはどう?」
 廊下に出ていた藤彦兄ちゃんに声をかけると、ぎろりとにらまれた。僕はごくりとつばをのみ、次の言葉をまつ。
「だいじょうぶ、ただの風邪だよ。それでも、ライ君にとっては生まれてはじめての風邪だからな。病院ではていねいに処置をしてもらったんだ」
 僕はほっと胸をなでおろす。だけど、それからすぐに藤彦兄ちゃんに頭をさげた。
「ごめんなさい!ずっとミュージアムにいるって言ったのに、遠くまで行っちゃって」 
 あやまる僕を見た藤彦兄ちゃんは、小さくため息をついた。
「遠くへ行くのはともかく、だまっていたのはいけなかったな。ライ君のために考えた計画なら、自信をもって報告してほしかった」
 藤彦兄ちゃんの言葉に、僕はしっかりとうなずいた。
「本当にごめんなさい。ライのことは僕にまかせるって言ってくれたのに…」
「それもそうだな。でも、そんな時のために俺たちがしっかりサポートしてるんだ。なんでも紀一だけに背負わせてるわけじゃないんだから、そこは安心してほしい」
「ありがとう…ねえ、ライのところに行ってもいい?」
「かまわないけど、起こさないようにしろよ。ライ君は、必死に戦っているところなんだ」
 いったい何と戦っているんだろう?気になったけれど、それ以上の質問をすることができなかった。気をつかってくれてても、少しは怒っているようだったから。
 僕は静かにふすまをあけて、奥の間に入る。
 部屋のまん中にしかれたふとんで、ライは眠っていた。まくらの横にはボール状態のトントがいて、部屋の中をかすかな光でてらしている。まっくらなよりも、こっちのほうが安心して眠れるんだろう。
 おでこにボタンくらいの大きさのアイシングチップを乗せたライは、ほう・ほうと苦しそうな息をしていた。
 さっき藤彦兄ちゃんは「生まれてはじめての風邪」なんて言っていた。今まで体験したことのない苦しみを、ライはどんなふうに感じているんだろう。
 むちゃをしないように僕が気をつかっていたら、こんなことにはならなかったはずだ。僕は自分をせめながら、ライのようすをじっと見守っていた。
 ライの顔にできた影が、急にゆらゆらと動きはじめた。はっとして顔をあげると、トントが左右に小さくゆれている。
 そんなトントの姿を見て思い出す。さっきわかった、トントのすごい秘密のことを。
 僕はちょっと考えてから、思いきって口をひらいた。
「…せ、先生」
 僕の声にこたえるように、ボールがカシャカシャ音をたてて変形する。すぐに二足歩行の体に空間表示の顔をもった、人型トントが完成した。
 いや、これはもう「先生」って言ったほうがいいのかな?
「よんだかな。堀部紀一君」
 声には加工がかかっているようで、男の人か女の人か、どれくらいの年かはわからない。だけど機械じゃぜったいに出せないしゃべり方で、トントの体から話しかけてくる。
 やっぱり、ライたちが「先生」ってよんでいたのはトントのことだったんだ。
 なんとなく呼びだしちゃったけど、どうしよう。まずは「はじめまして」かな?いや…トントとはずっと前から会ってるし、ここであいさつするのもおかしいだろうか。
「先生っていうのは、ライがかよっている学校の先生ってことですか?」
 僕は結局、気になったことをいきなり質問することにした。
「そうではないよ。私はライの暮らする3・10・8区画の子供たちの生活管理を担当している。わかりやすい言葉を使えば、育ての親の一人といったところかな?今は近海町とのスター・フロント計画担当として、ライの地上での生活サポートをまかされているんだ」
「それじゃあ先生はずっと、僕たちのことを見ていたんですか?」
「ああ。ライは私たちにとって大切な衛星の子供の一人だし、今は近海とカグヤをつなぐ使命をまかされている存在だ。万が一のトラブルがないように、トントを通じて君たちの行動も見させてもらっていたよ。近海の代表である君の意見を優先したかったから、私の存在はなるべく秘密にしていたいと思っていたけれど」
「そうだったんだ。だけどその計画も、僕がダメにしてしまったんですね。ライを病気にしてしまったせいで」
 新しくわかった事実が、僕をさらに落ちこませる。僕のしたことで迷惑をかけてしまった人が、また一人ふえてしまった。
 そんな僕のそばに、先生(?)が近づいてきた。
「きみはライが風邪を引いたことを気にしているようだが、そこまで責任を感じる必要はないんだよ。これはライにとって、乗りこえないといけない試練の一つだったのだから」
 先生の言葉を聞いて、僕は顔をあげた。
「今のライはね、体じゅうで地球のことを学んでいるんだよ」
「体じゅうで、学んでいる?」
 僕は何回もまばたきをしたあとで、ふとんの上であらい息をしているライを見た。 
「えっと…どういうこと?」
「地球の空気中にふくまれる雑菌やウイルスの数は、カグヤの一千倍以上もある。そんな空気をすって生きていくためには、自分の中に強い抵抗力をつくる必要があるんだよ」  
「でも、ライはフジヤマで病気の対策をしたんだよね?それに、風邪だっていうならライにいっぱい運動させちゃった僕が悪いと思うんだけど」
「自分を責めなくてもいいよ。フジヤマでは特に不安な菌やウイルスの対策はしたが、それでぜんぶの病気がふせげるわけではない。この星で暮らすには、ライの生命体としての強さにたよらなければいけないんだよ。今日の運動くらいで風邪に負けてしまうということは、ライはもっと力をつけなければいけないっていうことだ。紀一君がライと同じだけ動いているのに、そうやって元気でいられるみたいにね」
 先生の説明を聞いて、さっきの藤彦兄ちゃんの言葉を思い出した。
 ライが戦っている相手は、体の中にいる風邪の菌なんだ。ひょっとしたら、それは地球の空気になじんでいない今の自分をこえるための戦いだと言ってもいいのかもしれない。
 僕は手をのばして、軽くライのおでこにさわってみた。
 すごく熱い。そういえば、病気の時に熱が出るのは体が菌と戦っているからだって、お母さんが言っていたっけ。
 今のライの中では、命の火がしっかりと燃えているんだ。
「がんばってね、ライ」
 僕は眠っているライに、小さくはげましの声をかけた。
「苦しいかもしれないが、これも地球にいればこその体験だ。私はこうして体で感じとり、学んでいくのも大切なことではないかと思っている。もちろんライも、それをわかってここまでやってきたんだ」
 僕はそっと、ライから手をはなした。
 知らなかった。僕たちが当たり前にすっている空気だって、カグヤの子供たちにとって一つの試練だったなんて。もしかしたらライが地球に行くって決めるまでには、けっこうすごい覚悟が必要だったのかもしれない。
「ライはどうして、こんな経験をしてまで地球にこようって思ったんだろう?」
「つらいこと以上のすばらしいものが、ここにはあると思ったからではないかな?彼は私がしっている子供の中でも、とくに感受性が強い子だから」
「そうか。ライは音楽をつくるって言ってたもんね」
 そこでふと、僕の中で一つの疑問が浮かんだ。
「ねえ先生。ライの夢って、やっぱり音楽家になることなの?」
「音楽家?」
「そう。音楽を作ったり、演奏したりする人のことだよ」
 先生なのに、音楽家を知らないのかな。ちょっと不思議に思いながら、僕はたずねる。
「カグヤには、きみが言ったような芸術をあつかう職業は存在しないんだ」
 先生の口(?)からかえってきた返事は、思いもよらないものだった。
「今のライは純粋に、葬式船で近海へのぼる人たちを送るための音楽を作りたいと思っているんだよ。カグヤの中には、地球は自分たちの世界と違うさみしい場所だと思っている人もたくさんいるからね」
「そうだったんだ。じゃあ、ライは何になりたいんだろう」
「たしかライは、ヒフセになりたいと言ってたはずだよ」
「えっ?ヒフセって、カグヤの中で火を使う人のことだよね?」
 僕がこんなにおどろいてしまったのは、昨日の花火のことを思い出したからだ。あんなに火を怖がっていたライが火を使う仕事をしたいなんて、なんかおかしい気がする。
「不思議に思うかもしれないけれど、火を怖がることはヒフセにとって大切な条件の一つなんだよ。それだけ火をうやまい、きちんと向きあう覚悟があるってことだからね」
「ああ、そうなんだ」
 今の説明ですぐに理解できたのは、昨日の藤彦兄ちゃんの話を聞いたからだろう。
「ライにとっては、地球で過ごすことも音楽をつくることも、人生の中でかぎられた貴重な機会なんだ。だからライは、ずっと前から地球にのぼることを楽しみにしていたよ。今日はそのせいで、無理をしすぎてしまったんだろう」
 ライが地球にやってきたのは、そんなに大事なことだったんだ。その大きさを知った僕は、また落ちこんでしまう。そんなライの相手が、僕なんかでいいんだろうか?
「先生は、今まで僕たちを見てたんだよね?僕はライの相手として、ちゃんとやれてた?」
「もちろんだよ。ライに無茶をさせすぎたと思うのもしかたがないが、それも彼を思ってのことだ。きみの気づかいには私も感謝しているし、ライはそれ以上だろう。しかしね、子供のめんどうを見る立場にある人間として、一つ気になることがあるんだ」
 先生はそう言うと、人型トントをニ・三歩僕に近づけた。
「ライといっしょにきみのことも見ていたが、悩んでいるようだね。何かあったのかな?」
 優しい声だ。青い線が動いているだけの空間表示の向こうに、会ったこともない先生がほほ笑みかけてくれるのが見えるようだった。
 僕は少し考えて、決心した。
「先生は、僕たちが雨やどりをしていた時のこともしってたの?山蔵で踊ってた、小椋っていう女の子のことも」
「ああ。視界も音声もかぎられていたが、状況は理解しているよ。きみがお世話になっていたおばあさんの名前も、小椋というそうだね」
 「うん」僕はうなずいた。 
「小椋はね、そのおばあさんの孫なんだ。年もいっしょだし、小さいころからよく会ってたんだけど…最近は、あまり話をしていないんだ」
「それはおばあさんがいなくなってしまったことと、関係があるのかな?」
「うん。だけどそれは、ぜんぶ僕のせいなんだ。僕が逃げたから…」
 僕はぎゅっとくちびるをむすんで、夏のはじめを思いだす。
 灰色をした追分町。ひらいた家の玄関に、黒い服をきた人たちが集まっている。
 はっきりとおぼえている。家の中からただよってきたお線香のにおいも、聞こえてきた小椋の大きな泣き声も。
 おばあさんにお別れを言いにきたはずの僕は、その声を聞いて怖くなってしまった。そこに待っている現実の重さを、感じとってしまったから。
 足がふるえて動けなくなっていると、家の中から小椋が出てきた。
 泣きやむことができないから、頭をひやしてこいとか言われたんだろう。五年生になってから背がのびてきて、大人っぽい顔つきになっていた小椋が、小さな子供みたいに顔をぐしゃぐしゃにしていた。
 小椋は僕に気がついて、はっと泣くのをやめた。だけど涙で赤くなった目でまっすぐ見られた瞬間に、僕の恐怖は大きくなる。僕はすぐ小椋に背中を向け、走り出してしまった。
「…なるほど。つまりきみは、その時のことを後悔しているんだね」
 話を聞き終わった先生の言葉に、僕はうなずいた。
 後悔は一つじゃない。お世話になってきたおばあさんにお別れが言えなかったこともそうだし、僕より悲しいはずの小椋になんの言葉もかけられなかったこともそうだ。だけどそんな気持ちのせいで小椋をさけている今の自分が、何よりもなさけない。
「永遠のお別れのあとは、誰にだって後悔があるものだよ。だからみんな、送り出す時にありったけの心をこめるんだ。ライが歌をつくりたいと思うのも、そのためさ」
「だよね」 
 僕はしずんだ声でこたえる。そのために地球にこようとまで決意したライは、すごくりっぱだと思った。
「きみもつらいだろう。でもね、少なくともライのことで自信をなくす必要はないよ。とりあえず今は、あさってにそなえてライを休ませてくれ」
「うん、わかったよ」
 今の話でまた一つ、心配ごとを思い出す。そうだ、あさってにはライも学校に行くんだ。
 昨日のできごとのせいで、高宮町の子供たちはライのことを危険なやつだと思うようになってしまった。学校に行ってからも、昨日みたいに大変なことになったりしないだろうか?もうすでに、クラスメートの一人である染井からは嫌われてしまっているし…。
 そんなことを考えていたら、急に玄関から声がした。
「堀部、いる?」
 染井の声だ。時間を気にしているのか、昨日よりもだいぶ小さい。
 引き戸をあけると、そこには暗い顔をした染井が立っていた。
「どうしたの?」
 子供が外にいるにしては、かなり遅い時間だ。よっぽど大事な理由があるんだろう。
 染井は困っているようなまなざしを僕にむけて、こう言った。
「長井先生から聞いたの。ライ君の風邪はだいじょうぶ?」
 思いもよらない言葉だったので、すぐに返事ができなかった。
 長井先生というのは、僕たちにサギリを教えてくれる高宮町の人だ。ライが病院に運ばれたことは、すっかり町中に広がっているらしい。
「ただの風邪だよ。だから、心配しなくてもいいって」
「そうなんだ。よかった」
 染井がほっとしたように笑う。昨日の夜とはまるでちがう態度だ。
「どうしたの?昨日はみんなといっしょに、ライのこと怖がってなかったっけ?」
「花火の時はね。でも、家に帰ってから落ちついて考えたの。何もしらないうちからライ君をはねつけちゃうのは、やっぱりよくないんじゃないかって」
 染井の話を聞いて、僕はすっかり感心してしまった。
 染井はサギリのメンバーのまとめ役だし、クラスの女子の中でもたよられている。
 それは染井がまわりのことをいつも大切に考えているからだっていうのは知っていた。だけど会ったばかりのライのことも同じように考えてくれたのは意外だったし、とてもうれしかった。
「そうなんだよ。本当はさ…」
 僕はカグヤの人たちにとって火はどんなものなのか、短くまとめて説明した。話を聞くうちに、染井の顔がますます暗くなっていく。
「そうだったんだ。何も知らないで、悪いことしちゃったんだね」
「染井は悪くないよ。ライの花火に火をつけたのは僕なんだし」
「ありがとう。今日の練習でもね、みんなと話しをしたんだ。そしたらみんなも、ライ君のことをさけるのは良くないって、考えなおしてくれたの。まずはカグヤと近海のちがう所を、ちゃんと知らないといけないんじゃないかって。それでね、まずはライ君のためになにかをしてあげたいって話になったんだ」
「じゃあ染井は、それを伝えるためにわざわざきてくれたの?こんな時間に」
「まあね。堀部も今日の練習は休んでたし。ライ君の容態も知りたかったし」
 てれくさいのか、染井はほっぺを赤くしながらこたえていた。そんな染井を見ているうちに、僕の口もとが自然とゆるんでいく。
「ありがとう。ライに伝えたら喜ぶよ。ライも昨日のことは気にしてたし…あっ、そうだ」
 僕はそこで、ちょうどいいことを思いついた。
「ねえ。さっき言ってた『ライのためにすること』だけど、さっそくお願いしていい?」 
「本当に?どんなこと」
「僕たちの演奏で、ライにサギリを聞かせてあげたいんだよ」
 それから僕は、ライが音楽好きで、地球で曲をつくりたいと思っていることを教えた。染井はほっとしたように笑って、すぐにうなずいた。
「ぜんぜんだいじょうぶだよ!ライ君がよくなったら、明日にでもくればいいじゃん」
「そうだね。じゃあ、ライが元気になったら伝えておくよ。ありがとね、染井」
「ううん。私たちだって近海の子供だもん。ライ君にはすてきな思い出をつくってもらわないと。こっちこそ、ありがとう」
 染井は笑顔で言って、家に帰っていった。
 笑顔になったのは僕もいっしょだ。染井がライを嫌いじゃないってだけでもうれしいのに、あんなにしんけんにライのことを考えてくれているなんて。不安ばかりだと思っていたこれからの毎日が、急に明るくなったような気がした。
 僕はさっきよりも軽い足どりで廊下を進み、奥の間に入る。
 トントは先生モードからボールにもどっていた。レンズから出ている小さな光が、ライの寝顔をかすかにてらしている。
 あとは、ライが元気になってくれるかどうかだな。
 僕はまた先生を呼ぼうかと思ったけれど、結局やめてしまった。
 迷惑かなって思ったからでもあるし、急に眠気がおそってきたからでもある。少し安心したせいか、体にたまっていた疲れがどっと出てきたみたいだ。
 眠気に負けた僕は、畳の上にたおれこむ。そのまま、すぐに眠りについてしまった。

 僕の意識をもどしたのは、せわしない鳥の声と、体をつつむひんやりした空気だった。
 畳のかたい感触に、昨夜のことを思い出す。すぐに体をおこして、となりに目をやった。
「あれ…ライ?」
 そこにライの姿はなかった。出て行ったばかりらしく、ふとんの上がちょっとだけあたたかい。トントは残したままだ。僕は立ちあがり、部屋を出た。
 調理場を見ても、トイレやお風呂を見ても、藤彦兄ちゃんが一人で寝ている広間を見ても、ライはいない。どうやらお屋敷を出て行ったようだ。
 じゃあ、どこにいるんだろう?この近くでライの行きそうな場所を考えたら、何度も行ったことのある公園が浮かんだ。
 夜明け前の空はうすい紫色だった。人のいない通りにクツの音をひびかせながら、公園までの道を急いだ。
 公園が見えてくる。そのまん中には、一人の男の子が立っていた。
「いたっ、ライ!」
 ライがすっとふり返った。すぐ僕に気がついて、うれしそうに笑う。
「なにやってるんだよ!風邪は?」
「起きたらぜんぜん平気なんだ!びっくりした!」
 ライは大きな声で言って、その場でぴょんぴょんと飛びはねる。安静にしていないのは困るけど、本当に元気になったみたいで安心した。
 ライは、戦いに勝ったんだ。
「よかった。ごめんねライ、昨日は無理させちゃって」
「そんなことないよ。こっちこそ、心配させちゃってごめん」
 それからライは上をむいた。
「朝の町って、すごく静かなんだね。それに、空が赤い」
 ライの言葉につられて、僕も上を見る。ちょっと前まで紫色だけだったのに、いつの間にか遠くの空が燃えるように赤くなっていた。
「あれは朝日だよ。そうだ、せっかくだから日の出を見にいく?太陽がのぼるところ」
「本当に?行きたい!」
 本当は今すぐ帰ったほうがいいはず。でも、琵琶湖からのぼる朝日はすごくきれいなんだ。きれいだと思うものは、なんでもライに教えてあげたい。今の僕はそんな気分だった。
 琵琶湖まで歩いている途中で、僕はライに昨日の染井の言葉を伝えた。やっぱりライはすごく喜んで、サギリを楽しみにしていた。この感じなら、今夜の練習は大丈夫そうだ。
 近海駅のロータリーの前でまがって、少し進んだところでもう一度まがる。ライをむかえに行ったトラムと同じルートで、僕たちは湖畔の広場にやってきた。
 ちょうど、水平線の向こうから大きな朝日が顔を出すところだった。コスモスブルーの瞳に赤い光がさした瞬間に、ライは「うわぁ!」と声を出した。
 それから僕たちは琵琶湖の前に立ちつくしたまま、ゆっくりのぼる朝日を見つめた。
 太陽が琵琶湖をはなれると、湖面に光があふれる。そこでやっと、ライが口をひらいた。
「すごいことばっかりだね。この町は…音も、景色も」
 ライはそう言って、僕にかがやく瞳を向けた。
「本当に?地球にきてからは、大変なこともいっぱいあったでしょう?」
「そんなことはないよ。昨日の夜だって、楽しいことがあったんだ」
 ライが目を細くする。心の底からうれしそうに。
「とちゅうで目がさめて、まわりの音を聞いてたんだよ。そしたら鈴がなってるような、すごくきれいな音が聞こえてきたんだ」
「あ、それは虫の音だよ。そろそろ、夜になると秋の虫が鳴きだす季節なんだ」
 ライを心配したり先生との話に夢中になったりしてて、ぼくは秋の虫に気づけなかった。
 でも、今はたしかにそんな時期だ。秋のおとずれをライから教えてもらったことは、地球の先輩としてはちょっとくやしい気もする。でも、ちょっとうれしかった。
「それに、紀一の悩んでいることもわかったし」
 だけど今の言葉を聞いた瞬間に、それどころじゃなくなってしまった。
「うそ…ライが起きてたのって、僕が先生と話していた時だったの?」
 ライはいたずらっ子みたいに笑う。別に隠したかったわけじゃないけど、あの話をしっかりと聞かれていたと思うとはずかしい。
「紀一、あの小椋さんっていう女の子と、ちゃんとお話ししたほうがいいよ。そのほうが、おばあさんも喜ぶから」
 ライにきっぱりと言われて、僕は顔をそらしてしまう。
「そうしたほうがいいのはわかるよ。でも、それはむずかしいと思う」
「どうして?」
「小椋は今、学校にきてないんだ。きっと小椋も、おばあさんがいなくなったことがショックなんだと思う。逃げた僕が声をかけたくらいで、元気になるとは思えないし」
「…そうなんだ」
 ライはだまって、じっと景色をながめた。
 あきらめたのかな?なんて思っていたら、急に「きめた!」と大きな声を出す。
「紀一!僕、近海の目標がもう一つできたよ!」
「えっ、なに?」
 なんだか嫌な予感がしたけれど、しかたなく聞いた。
「紀一と小椋さんを仲なおりさせる!そしておばあさんに、安心して旅立ってもらう!」
「やっぱりか。ライ、それはねえ…」   
 僕は止めようとしたけれど、そこで言葉にこまってしまう。どう言ったらライがあきらめてくれるのか、すぐには思いつかなかった。
 しょうがないから、今のところはこっちがあきらめることにしよう。それからは僕も、ライと同じように琵琶湖を見た。
 いつのまにか太陽はかなり高いところまでのぼっていて、空はすっかり青い。気温もあがってきているし、今日もセミがにぎやかな鳴き声をかなでている。
 僕たちの夏は、どうやらまだまだ続くようだ。
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