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54. ミリカの前世③

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 葵が帰ってから、桃奈は思い返すにつれ段々と腹が立ってきた。
 嘘が本当かは分からないが、葵と秋が付き合っていてしかも来年結婚するのだと言ったこと。
 それから、桃奈のことをサイコパスだと決めつけたこと。

 そして何より、2年前に尊厳をへし折ってやったつもりだったのに、今でも葵が凛としてそこに立っていたこと。
 しかも恨んでいるはずの桃奈に手を差し伸べ、助けたいと言う。

 何と気高く高潔なことだろう。
 ………本当に、虫唾が走る。

 そもそも、葵に弁護士など紹介してもらわなくても、桃奈の親は大企業の重役なのだ。
 弁護士の当てなどいくらでもあるはずだ。
 結局、何だかんだ言ったって葵は桃奈を馬鹿にしたかっただけなのだろう。
 そうでなければあんな捨て台詞を吐くはずがない。

 それにしても………
 目覚めてからそろそろ1ヶ月が経つのに、両親はまだ顔を見せない。
 桃奈の着替えや差し入れなどは定期的に届くため、放置されているというわけではないのだが。

「そんなに仕事が忙しいのかしら」

 刺された傷はまだ痛むが経過は順調、3週間寝たきりだったためリハビリに時間はかかったが、医師からはそろそろ退院しても大丈夫だと言われている。

「早く退院して、秋に会わないといけないのに」

 両親と連絡を取りたいが、スマホの電源を入れるのは怖い。
 退院したらまず、スマホの番号を変えないと。
 ちょうど桃奈がそんなことを考えていた時、母親が病室にやって来た。

「あっ!ママ!」

「桃奈………ごめんね、来るのが遅くなって」

「本当だよ~!プンプン!なんてね♪いいよ、その代わり退院したら新しいスマホ買ってね」

 桃奈がそう言うと、母は少し困ったように眉を下げて笑った。
 元々美人で自慢の母だが、久しぶりに会った母は若干窶れて見える。

「ママ?ちょっと頰がこけてない?そんな仕事忙しいの?」

「……………ええ、そうね。桃奈、退院の日が決まったわ。明日の夕方に退院するから、今日中に荷物をまとめておいてね。明日はパパとママが迎えに来るから」

「明日!?急だね!分かった!」

 母は忙しかったのか、それだけ言うとすぐに帰って行った。
 しかし桃奈は明日退院できると聞いてウキウキだった。
 自由のない入院生活も、美味しくない食事も、スマホで時間を潰せないのも、全部全部ウンザリだった。

 ───それに。

(早く秋に会いたいわ!)

 葵が秋とまだ付き合ってるだとか、来年結婚するだとか言っていたが、そんなのは妄想に決まってる。
 例えまだ2人が繋がっていたとしても、桃奈が割り込めば付け入る隙はまだ十分あるはずだ。

 ………そう、《イケパー》のように。
 《イケパー》のヒロインは悪役令嬢に虐められ、それを不憫に思った攻略対象たちがヒロインを守り、愛するのだ。

「悪い女に背中を刺されるなんて。私、とっても可哀想だもの。秋だって今度こそ私を見てくれるわ」

 桃奈は幸せな気分で明日を待った。





 翌日の夕方ごろ、桃奈の両親が病院に迎えに来た。
 母も少し窶れたと思ったが、父もどこか草臥れたような感じがした。
 病院を出て両親と共に車に乗り込もうとした桃奈は、違和感を感じる。

「あれ?うちのアペルロミオは?」

 桃奈の父親は車が好きで、愛車は高級外車のアペルロミオだった。
 しかし病院の駐車場で両親が乗り込もうとしたのは、国産メーカーの軽自動車だ。

「………代車だよ。ちょうど車検の時期でね」

 父がそう答えると、桃奈は疑うことなく「ふーん」と返事をした。
 高級外車の代車が何で軽なのか、とかそんなことは全く考えなかった。
 軽自動車に荷物を乗せ、3人が乗り込むと病院を出発した。

「………家に帰るんじゃないの?」

 帰り道が家から遠ざかっていることに気が付いた桃奈は、父にそう尋ねる。

「ああ。せっかく桃奈が退院したから、美味しいものでも食べに行こうと思ってな」

「やった!どこ行くの?」

「ラッシュハウスに行こうか。桃奈、あそこが好きだろ?」

「ラッシュハウス?好き~♡あそこのサーロインって肉厚で柔らかいのよね~」

 そして車は目的の店に着き、桃奈は大好物のサーロインステーキを思う存分堪能した。
 家族3人で食事をしたのはいつぶりだろうか?
 最近気に食わないことが多かった桃奈は久しぶりに楽しい時間を過ごした。

 食事が終わると、再び3人は軽自動車に乗り込んだ。
 その頃には日が暮れてすっかり暗くなった道をひたすら走る。
 桃奈はこのまま家に帰るのだと思ったが、やはり車は家には向かっていないようだった。

 しばらく車を走らせて到着したのは、夜の海だった。
 そこはビーチではなく倉庫が立ち並ぶ埠頭で、父は暗い海の近くに車を停車した。
 ここまで来れば何となく両親の様子がおかしいことに気づいた桃奈は、恐る恐る父に尋ねる。

「パパ……家に帰らないの?」

「桃奈………少し、話をしようか」

「話って?」

「……桃奈の、小中高時代の話だよ。……酷いイジメをしていたそうだね………」

 思いもよらないことを言われ、桃奈の頭は真っ白になる。

「えっ……え?そ、そんなこと、私がするわけないじゃん!」

「桃奈……!」

 桃奈は声を張り上げて否定をしたが、助手席に座っている母がさめざめと泣き出してしまった。

「桃奈……そうだな。全てはパパとママが悪かったんだ。もうちょっとお前のことを気にかけてやれば……」

 そう言って、父はがっくりと肩を落とした。
 車内の不穏な雰囲気に、桃奈の胸中にだんだん嫌な予感が湧き上がり、冷や汗が流れる。

「ど、どうしちゃったの……パパ、ママ」

「大丈夫だ、心配いらない。お前は何も知らなくて良いんだ、桃奈。最期は3人で

って……何処に?」

 そう、桃奈は何も知らない。
 あの記事が出た後に、桃奈からイジメを受けた被害者たちが次々と名乗り出たこと。
 そして、次々と訴訟を起こされたこと。
 両親の会社にもクレームが殺到したため、会社をクビになったこと。
 示談金の支払いのために全ての家財や家、車を売り払い、財産と呼べるものは殆ど無くなってしまったこと。

 ───両親がどんな想いで今日ここにやって来たか。

 父は力なく微笑むと、力一杯アクセルを踏んだ。

 そして───

 家族3人が乗った軽自動車は、夜の暗い海に沈んだ。
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