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番外 攻略対象者たちのその後 〜アーベル編①

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 ユリアンナの断罪劇の後、オズワルドから衝撃の事実を聞かされたアーベルは、先触れもなくマーゼリー伯爵家を訪れた。
 愛しく想っていたミリカに騙されていた事実よりも、妹ユリアンナに関する疑惑を一刻も早くはっきりさせなければという焦燥感で身が焦がれるようだった。

 マーゼリー伯爵家の家令にマーゼリー伯爵夫人への取次を頼むと、家令は驚きつつもアーベルを応接室へ案内した。
 いくら先触れなしの訪問がマナーを失した行為であるとはいえ、相手が格上の家門の者であれば文句を言うことも拒むことも難しい。

 アーベルもその失礼を分かった上での訪問だったが、意外にもそんなに待たされることもなくマーゼリー夫人は現れた。

「お久しゅうございます、アーベル様。このようにお急ぎでわたくしに会いにいらしたなんて、どんな御用でございましょう?」

 マーゼリー夫人は不快どころかどこか喜色を滲ませた声でアーベルに挨拶をする。

「ああ、夫人。急に押しかけてすまない。実は夫人に早急に確認したいことがあって来たのだ」

「まあっ。わたくしにでございますか?一体何でしょうか」

 アーベルとの再会が余程嬉しいのか、夫人はニコニコしている。

「夫人に聞きたいのは、我が妹のユリアンナについてだ」

 アーベルがそう口にすると、途端に夫人の顔が歪む。

「ユリアンナ様ですか……何やら、大きな問題を起こして遂に公爵家を勘当されたそうですわね?あの方はいつか仕出かすのではないかと危惧しておりましたが……悪い予感が的中してしまい、大変残念でございます」

「………夫人は昔からユリアンナをそのように評価していたのか?」

「ええ、ええ。それはもう。こう言っては何ですがユリアンナ様………ああ、今は平民になったのでしたわね。あの娘は幼い頃からマナーも学習も覚えが悪く、兄のアーベル様はこんなにもお出来になるのにと呆れたものです」

 嫌なことを思い出したとでも言うように顔をさらに歪め、夫人は饒舌に語り出す。

「……そうか。夫人はそういう風に思ったのだな」

 アーベルが淡々と答えると、否定されないと思ったのか夫人はさらに声を高くして話を続ける。

「あの娘と初めて会いましたのは4歳の頃でしたけれどね。それはもう躾のなってない猿そのもので、手のつけようがありませんでしたわ!食器もカチャカチャと下品に音を立て、カーテシーひとつもまともにできやしない。勉強だって先代先々代の国王のお名前さえ言えやしなければ、計算のひとつもできやしない。これはもう、稀に見る愚者だとすぐに公爵にご報告いたしましたけれどね!」

 そこまで意気揚々と喋っていた夫人が、突然声量を落としてアーベルに顔を寄せてくる。
 何やら耳打ちしたいことがあるようだ。

「…………これは墓まで持って行くつもりだったのですが………正直な話、あの娘にはシルベスカの血は一滴も入っていないと思うのです。だって、公爵様もアーベル様もこんなに立派でいらっしゃるのに、似ているところがひとつもございませんから。………もしあの娘が不義の子であればとんでもない醜聞ですから、公爵様を想ってわたくしは口を噤みました。でもあの娘は平民に落ちたのですね。あるべきところにやっと帰っただけのことですわ」

 そこまで一息に言い終えると、夫人は満足そうにソファに腰かけ直し、紅茶カップを優雅に持ち上げて口を潤す。
 それまで黙って話を聞いていたアーベルは、夫人が話し終えると居丈高に足を組んだ。

「……ユリアンナの金髪はシルベスカ公爵家の色だ」

 アーベルが放った一言に、夫人は驚いてカップを口に当てたまま肩を揺らす。

「確かに瞳の色は父上とは違うが、あれは母親譲りのものだ。夫人が何をもって『似ているところがひとつもない』と仰ったのか、理解に苦しむな」

 冷ややかなアーベルの声色に、夫人は自分が喋りすぎたことを悟る。

「………申し訳ございません、少し出過ぎたことを申しました。しかし、本当にそう感じるほど、あの娘は不出来だったのでございます。わたくしはアーベル様の優秀さをずっと見て参りましたから、それとお比べして似ていないと申し上げたのです」

 取り繕うように笑みを浮かべ、話題をアーベルを褒める方向に転換する。
 マーゼリー夫人はこの話術で社交界でも一定の地位を確立してきたのだ。

「夫人。正直に話して欲しいのだが……ユリアンナは〝不出来〟ではないな?」

 しかし、アーベルの一言で夫人が思っていた会話の方向性が180度変わってしまう。

「……と、仰いますのは……?」

「ユリアンナは不出来ではない、と言っているのだ。学問にも魔法にも才があったはずだ」

 夫人の背筋に冷や汗が一筋流れる。
 アーベルは相変わらず表情が見えず、どういう感情でその言葉を発しているのかが分からない。

「い、いえ……アーベル様。幼い頃のユリアンナ様はそれは酷いものでした……」

 アーベルの意図が分からない以上、夫人はユリアンナの呼び方を「あの娘」から「ユリアンナ様」に戻した。

「先ほどの夫人の話を聞くに、ユリアンナが幼少教育を始めた4歳の時にマナーも学習も全く出来なかったと言っていたな?だが、それはおかしな話ではないか?出来ないからこそ教師をつけるのだ。初めから完璧に出来る者などおらぬだろう、違うか?」

 アーベルとはこんなに多く言葉を発する人だっただろうか?
 普段と違うアーベルの様子に、マーゼリー夫人は俄かに焦り出す。

「もちろん、仰る通りでございます!わたくしが申し上げたのは、覚えが宜しくないという話で………」

「覚えが悪いとは、具体的にどう覚えが悪かったのだ?何をどのくらいの期間教えた結果の話だ?」

 畳み掛けるようにアーベルに問われ、夫人は言葉を詰まらせる。
 実のところ、夫人は大してユリアンナを指導していない。
 指導もせずに出来ないと決めつけて、「あなたは出来損ないだ」「シルベスカの恥だ」とユリアンナを詰ってきたのだ。

 だから具体的に説明せよと言われても説明できるはずもない。
 しかし、何かを言わなければとんでもないことになる気がする。

「そっ、それは……!例えば淑女の礼カーテシーなどはお教えしても何年もまともに出来ず………」

「ユリアンナが5歳でアレックス殿下とお会いした時、きちんとカーテシーで挨拶をしたと聞いている。〝何年も〟〝まともに〟出来なかったとは、客観的な評価か?それとも………主観的な評価か?」

 マーゼリー夫人を見据えるアーベルのアイスブルーの瞳が冷たく光る。
 その瞳の奥に隠しきれない怒りが滲んでいると理解した時、夫人はどうしようもなく体が震え出す。

「……それは……シルベスカ公爵家に相応しいレベルを………」

「『きちんと出来ていた』と王家に評価されたものを低レベルだと言うのか?」

「………」

「では、学習はどうだ?覚えが悪いとはどの程度だったのだ?」

「……………」

「何をどれくらいの期間教えた?答えられないのか?」

 アーベルの淡々とした口調は変わらないが、これは間違いなく憤っている。
 そして、自分は対応を間違えたのだとマーゼリー夫人は悟った。
 
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