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ルビーの指輪
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仕えていた貴族家が没落した。主は失踪。置き去りにされた妻は、次の主の後妻に収まることが決まった。主人の失墜が先だったのか、この二人の再婚の約束が先だったのかは、メイドの自分には知れたことではなかった。しかし、奥様は本当に困惑して悲しんでいるようにも見える。だとすると、得意顔で慰めている新主人が……否、これ以上の憶測はよしておこう。自分には関係のないことだ。
当然、継父と母の元で新生活を始めると思っていた令嬢だったが、彼女は両親から離れると言い出した。実父を探し出すと。
それを聞いた継父は激怒した。この自分から離れると言うなら、お前には相応の報いを受けてもらう。この家から金品を持ち出すことは許さないと。それで諦めるかと思いきや、娘は「結構です」と言ってその条件を呑んだ。
けれど、奥様の方は「それではさようなら」と言うわけにもいかない。実の娘なのだから。言葉を尽くして新しい夫を説得し、最低限の金銭を持たせて送り出した。自分は新居まで彼女を送っていくことを命じられた。
狭い馬車の中で、彼女は指にはめたルビーの指輪をずっと撫でていた。その指輪は、いつだったか、奥様がアクセサリーを整理するときに見かけた。結構な値段がするだろうに。困ったら売れ、と言う親の愛だろうか。メイドはそう考えた。
何を考えているかわからないところもあるが、態度がはっきりしていて、あっさりとした性格のお嬢様のことが、このメイドは好きだった。彼女がいなくなってしまうのは、火が消えたような心地になることだろう。
気温がだいぶ低くなる晩秋の日だった。彼女の実父から世話になったと言う貸主は、格安で小さな家を提供してくれた。厚意で薪も。けれど、火種になるものはなかった。うっかりしていたのか、それくらいは用意すると思ったのかはわからないが。
「お嬢様、何か調達いたしましょうか」
「大丈夫」
メイドの問いに、お嬢様は首を横に振った。彼女は暖炉に薪を置くと、その一番下に、あのルビーの指輪を潜り込ませる。
「火には困らないわ」
すると、どうしたことか。やがて、指輪が置かれた辺りから、パチパチと音がする。
「これね、種火になるのよ。お母様が教えてくださって、わたくしにこれをくださった」
やがて、薪が燃え上がる。
「火には困らないわ。寒くて死ぬことも、暗くて死ぬこともない」
彼女はどこか遠くを見ている。
まだうら若き乙女。これから縁談なりなんなりで、どこかに嫁ぐ筈だった。今や、親から離れたこの没落令嬢をもらおうとする物好きなどいるのだろうか。メイドは彼女の行く先を思って目尻に涙を滲ませる。幸いにも、仕事にはありついたようだったが、苦しい暮らしは強いられるだろう。
これは、社会的な自滅なのではないか。どうして、そんな自棄を。
「あの男」
彼女は、まるでメイドの胸中に湧いた疑問に応じるように、低い声で囁いた。あの男、とは、新しい父のことなのだろう。彼女が、新主人を良く思っていないことは、皆わかっていた。実父に特別愛情があったようには見えないが、何がそんなに気に入らないのだろうか、と、使用人たちは皆不思議に思っていたのだ。
「母を娶るだけではなく、わたくしを妾にしようとしたのよ」
それを聞いて、涙が引っ込んだ。
彼は決してそんな風には見えなかった。少々芝居がかっていて、偉そうな雰囲気はあったが、使用人たちの前では極めて紳士的だったからである。
「言うことを聞けば悪いようにはしない、と。何が悪いようには、だ。お前の妾にされること以上に、悪いことなどない」
呪うような言葉。
「それを言いふらされたくなくて、あの男はわたくしが出て行くことを許さなかった。でも、あの様子だとお母様には言っていなかったのね。何も知らないようだったから。わたくしも言っていなかった。心配させたくなくて」
「お嬢様……」
娘が出て行くだけでもあれほど狼狽えていたのだから、主人の思惑を知ったら、あの奥様はどうなるのか。お嬢様が懸念するのもわかる。
「お前も、このことは内密にするのよ。それと、あの男と二人きりにはならぬように。ああ、そうだ。お前のことを好いている下男がいたでしょう。彼といるようにしなさい」
気付かれていたのか。メイドは、最近よく目が合う男の顔を思い出して、僅かに顔を赤らめた。
「かしこまりました……」
「明日からわたくしは、もうお前のお嬢様ではなくなる。今日でお別れよ」
お嬢様は少し寂しそうに囁いた。
元より、賢いことは知っていた。自分の感情を簡単に表に出さぬ人だった。優しいと即座に評せる人ではなかった。
それでも、メイドはお嬢様が好きだった。
「また、伺っても?」
「必要ありません。お母様を頼みます」
きっぱりと言う。その瞳の中には、あのルビーの指輪のように強い意志の光が燃えていた。
当然、継父と母の元で新生活を始めると思っていた令嬢だったが、彼女は両親から離れると言い出した。実父を探し出すと。
それを聞いた継父は激怒した。この自分から離れると言うなら、お前には相応の報いを受けてもらう。この家から金品を持ち出すことは許さないと。それで諦めるかと思いきや、娘は「結構です」と言ってその条件を呑んだ。
けれど、奥様の方は「それではさようなら」と言うわけにもいかない。実の娘なのだから。言葉を尽くして新しい夫を説得し、最低限の金銭を持たせて送り出した。自分は新居まで彼女を送っていくことを命じられた。
狭い馬車の中で、彼女は指にはめたルビーの指輪をずっと撫でていた。その指輪は、いつだったか、奥様がアクセサリーを整理するときに見かけた。結構な値段がするだろうに。困ったら売れ、と言う親の愛だろうか。メイドはそう考えた。
何を考えているかわからないところもあるが、態度がはっきりしていて、あっさりとした性格のお嬢様のことが、このメイドは好きだった。彼女がいなくなってしまうのは、火が消えたような心地になることだろう。
気温がだいぶ低くなる晩秋の日だった。彼女の実父から世話になったと言う貸主は、格安で小さな家を提供してくれた。厚意で薪も。けれど、火種になるものはなかった。うっかりしていたのか、それくらいは用意すると思ったのかはわからないが。
「お嬢様、何か調達いたしましょうか」
「大丈夫」
メイドの問いに、お嬢様は首を横に振った。彼女は暖炉に薪を置くと、その一番下に、あのルビーの指輪を潜り込ませる。
「火には困らないわ」
すると、どうしたことか。やがて、指輪が置かれた辺りから、パチパチと音がする。
「これね、種火になるのよ。お母様が教えてくださって、わたくしにこれをくださった」
やがて、薪が燃え上がる。
「火には困らないわ。寒くて死ぬことも、暗くて死ぬこともない」
彼女はどこか遠くを見ている。
まだうら若き乙女。これから縁談なりなんなりで、どこかに嫁ぐ筈だった。今や、親から離れたこの没落令嬢をもらおうとする物好きなどいるのだろうか。メイドは彼女の行く先を思って目尻に涙を滲ませる。幸いにも、仕事にはありついたようだったが、苦しい暮らしは強いられるだろう。
これは、社会的な自滅なのではないか。どうして、そんな自棄を。
「あの男」
彼女は、まるでメイドの胸中に湧いた疑問に応じるように、低い声で囁いた。あの男、とは、新しい父のことなのだろう。彼女が、新主人を良く思っていないことは、皆わかっていた。実父に特別愛情があったようには見えないが、何がそんなに気に入らないのだろうか、と、使用人たちは皆不思議に思っていたのだ。
「母を娶るだけではなく、わたくしを妾にしようとしたのよ」
それを聞いて、涙が引っ込んだ。
彼は決してそんな風には見えなかった。少々芝居がかっていて、偉そうな雰囲気はあったが、使用人たちの前では極めて紳士的だったからである。
「言うことを聞けば悪いようにはしない、と。何が悪いようには、だ。お前の妾にされること以上に、悪いことなどない」
呪うような言葉。
「それを言いふらされたくなくて、あの男はわたくしが出て行くことを許さなかった。でも、あの様子だとお母様には言っていなかったのね。何も知らないようだったから。わたくしも言っていなかった。心配させたくなくて」
「お嬢様……」
娘が出て行くだけでもあれほど狼狽えていたのだから、主人の思惑を知ったら、あの奥様はどうなるのか。お嬢様が懸念するのもわかる。
「お前も、このことは内密にするのよ。それと、あの男と二人きりにはならぬように。ああ、そうだ。お前のことを好いている下男がいたでしょう。彼といるようにしなさい」
気付かれていたのか。メイドは、最近よく目が合う男の顔を思い出して、僅かに顔を赤らめた。
「かしこまりました……」
「明日からわたくしは、もうお前のお嬢様ではなくなる。今日でお別れよ」
お嬢様は少し寂しそうに囁いた。
元より、賢いことは知っていた。自分の感情を簡単に表に出さぬ人だった。優しいと即座に評せる人ではなかった。
それでも、メイドはお嬢様が好きだった。
「また、伺っても?」
「必要ありません。お母様を頼みます」
きっぱりと言う。その瞳の中には、あのルビーの指輪のように強い意志の光が燃えていた。
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