会えない時間の二人(BL習作集)

三枝七星

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秋の魔物【新塩】


 張り詰めていた夏の気配が緩んできた。日が落ちるのも早い。新川修治しんかわしゅうじは帰り道を歩きながら溜息を吐いていた。
(夏の疲れが出たかなぁ)
 熱中症に怯える反面、冷房が作る人工的な冷たい空気で体調不良になることを危惧する。身体の疲れもそうだが、心の方にもやっと気の緩みを許せる余裕が出てきた。温度管理というタスクから、そろそろ解放されそうな雰囲気である。外回りが多い社員などは大変そうであった。新川はデスクワークが多いのでそうでもないが、それでも行き帰りの暑さには辟易している。
 何より、看護師をしている年下の恋人から熱中症に注意するようにと、耳にたこができるほど言われている。数日前、足が攣った際には、ものすごい顔をしてスポーツドリンクを放り投げられた。今すぐ飲めと。熱中症の可能性があるらしい。大袈裟だなぁと思いつつも、口を付けた途端、ぐびぐびと飲めてしまったので、やはり脱水気味だったのだろうか。それ以来、水分摂取には気を付けているし、部下にも励行している。
 そんな、慣れない注意も含めた今年の夏は、新川に例年よりも多くの負担を掛けていた。だから、なのだろうか。なんとなく疲労感があるのは。
(今日は帰ったらご飯少しにして……)
 すぐに寝よう。季節の変わり目は風邪を引きやすい。看護師をしている恋人にうつす訳にもいかない。そんな恋人は今日遅番であるから、帰りは遅いだろう。
 休みの日に作って冷凍庫に小分けしてあった食事を解凍する。やはりあまり食欲はなく、少なめに盛って正解であった。食事を終えると、短い入浴を済ませてベッドに入った。
(何だろう……)
 広いダブルベッドに一人で入っていると、どことなく寂寥感が忍び寄ってくる。涙がにじんだ。
(寂しいな……)


 看護師の塩原渚しおばらなぎさが、先に寝ているであろう恋人を起こさない様に帰宅すると、いつものことではあるが部屋の中は真っ暗だった。空腹感はあるが、疲れちゃったから寝よう、と思って入浴する。からすの行水的に済ませて風呂場から出ると、トイレから疲れた顔の恋人が出てきて驚いた。
「あ、お帰り……」
「ただいま。起こしちゃった?」
「ううん。ちょっとトイレに起きただけさ。お仕事お疲れ様」
 新川は手を洗うと、改めて風呂上がりで湿った塩原の頬に触れてから、キスした。その触れ方も何だか弱々しい。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。ごめん、先に寝るね」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
 なんとなく釈然としない気持ちで、丸くなった寝間着の背中を見送る。何かあったのだろうか。夏の疲れ?
(それだけなら良いんだけど)
 水分補給を済ませると、髪の毛を乾かして自分もベッドに潜り込む。新川は深い寝息を立てて寝入っていた。その顔にはやはり隠しきれない疲れの色が見て取れる。心配のあまりそう見えるだけだろうか?
(今年も暑かったからなぁ)
 その頬に触れようとして、やめた。起こしてしまうかもしれない。
(次の休み、何かしてあげよ)
 何が良いかな。そんなことを考えている間に、塩原も眠りに落ちた。

 翌朝、新川の目覚ましがいつまでも鳴っている事に気が付いて、塩原の目も覚めた。時計を見ると、新川が起きるはずの時間から十分程度経っている。これは不味まずいと気付いて、塩原は隣で眠る恋人を大慌てで揺さぶった。
「修治さん、遅刻、遅刻するよ」
 遅刻。その言葉にハッと新川の目が見開かれた。時計を見るや、ベッドから飛び出す。
「ごめん、起こしたね」
 塩原に詫びてそそくさと準備を始めた。こんなに彼が狼狽しているのは珍しい。そもそも、狼狽するようなことを起こさない人だ。やはり、調子が悪いのだろうか。
「大丈夫? 具合悪い?」
 心配になって尋ねる。新川は自分の状態を見誤って無茶をすることはない。だから、どこか具合が悪いのであれば、何らかの手を打っていると塩原は信じている。新川は溜息を吐いた。
「どうやら夏の疲れが出たようで……」
 しょんぼりとした様子でそんなことを溢した。
「……うん」
 他にどうも説明しようがなかったのか、言葉を濁すように話を終える。
「あんまり無理しないでね?」
「うん。もちろん。今日も早く寝るよ……待っててあげられないけど」
「そんなこと良いから、ちゃんと寝て。健康でいてくれる方が嬉しい」
 塩原は恋人と看護師、二つの立場からの一致した意見を述べる。新川は微笑むと、支度を済ませて出て行った。
「……大丈夫かなぁ」
 不安に思いながらも、寝直そうと再び横になった。


 それからも、どことなく新川の疲れた調子は続いた。本人も「夏の疲れ」と言って早く寝るようにはしているようだ。普段なら彼が起きている時間に帰宅したところ、既にベッドに入って深い寝息を立てていた日があったのである。
「明日休みだよ。お疲れ様」
 二人の休みが重なる前日、定時上がりで帰って来られた塩原が、残業して帰ってきた新川の食事を準備しながら声を掛ける。恋人はこっくりと肯いた。
「やっと休みだ……いや、やっていることはさほど変わらないんだけどね……何か疲れたなあ」
「明日はゆっくりして」
「ありがとう。渚くんも疲れてない?」
「僕が疲れた時はよろしく」
 しれっと返しながら、塩原は新川が食事を終えるまで傍にいて、皿が空になるや、相手を風呂に追いやった。後片付けを済ませ、戸締まりと火元を確認してからベッドで待つ。
「お待たせ……さて、寝るかい」
「うん。寝よ」
 寝間着姿の新川が横になると、塩原は灯りを消した。手を伸ばして恋人に抱き付こうとすると、こちらを抱きしめようとする相手の手と行き会った。引き寄せ合って、腕に納まる。新川の胸は温かい。風呂上がりの人からする石鹸の香りが鼻を掠めた。愛おしむと言うよりも、縋るような腕。
「修治さん? 大丈夫?」
「うううん……ちょっと、人恋しくてね」
 自分を抱き込む腕はどこか弱々しい。塩原はその顔を見る。目が潤んでいた。その瞼に、伸び上がって口付け。腕に背を回す。
「四十も過ぎて情けないが……」
「そんなこと言ったら僕がいらなくなっちゃうでしょ」
「それもそうか。すまない」
 間髪入れずに苦言を呈すと、苦笑交じりの反省が。
「渚くんとこうしてると、やっぱり疲れて寂しかったんだなって」
 欠落した穴を埋めるようなものなのだろうか、塩原に触れるのは。彼は指を絡めて、自分より大きな手を握った。新川は握り返すと、犬が大好きな飼い主にそうするように、頭をすり寄せた。
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