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死地を潜る【浅森】

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※このお話は拙作「セキュリティ・フッテージ」に登場する2人のBLIFです。本編後どうなるかはわかりません。


「浅見さん、何か食べますか?」
 森澤の、髪の毛のボリュームが多く見える頭が揺れている。浅見は酒の入った目でそれをぼんやりと眺めていた。可愛いなぁ。ふかふかで、ふわふわで、顔を突っ込んだらどんな匂いがするんだろう、と思っている。
「浅見さん?」
「んえ? ああ、どうする? 森澤さんの食べたいもんでいーよ」
「さっきからずっと同じ事言ってるじゃないですか」
「だあって……」
 好きなもん食ってる森澤さん可愛いんだもんなぁ。

 二人が出会ったのは数ヶ月前。森澤が務める会社で作られた警備ロボットの実験を行なうために、一つの閉鎖された商業施設が使用された。そこに、人間の警備員として派遣されたのが浅見だ。詳細はまた別にあるが、かいつまんで説明するなら二人はそこで幽霊に遭遇し、浅見は真相究明の過程で頭に負傷した。その際に森澤が救急車を呼び、付き添った。検査の結果、脳にも異常はなく、経過観察も良好。本来ならそこで終わる関係の筈だったが、それでも死地らしきものをくぐり抜けた二人の間に何かが芽生えるのは必定だったのだろう。最初は、森澤が「その後お加減いかがですか?」と浅見の体調を気にしたのがきっかけだった。すっかり元気だから、飲みに行こうよ、と誘い、食事に出掛けた。そこで、第一印象よりも気が合うことに気付き、不定期的に会う間柄になった。森澤が自分を気に掛けてくれていることが嬉しかった浅見は、多分恋心以前の部分で彼の事が好きになっていた。

 嬉しくて、好きになって、気が合って、森澤をとても大切に扱ったと思う。どこから恋になっちゃったんだろう。気が付くと、ふわふわの縮毛も、眼鏡を上げる仕草も、理屈で物を言う賢さも、全てが愛おしくなってしまっていた。

「俺さぁ、森澤さんのこと好き」
 ある日の酒の席、個室居酒屋で、酒の力を借りて告白した。
「自分も浅見さんの事好きですよ」
 そうでなきゃ一緒に出掛けませんよ、と言わんばかりの返事に涙が出そうだった。
「そうじゃなくて……大好き……」
 個室に沈黙が下りた。森澤は、こちらの判断力や正気を測っているように見える。浅見がこんなことを口にしたことに理屈を付けようとしている。へへ、森澤さんが俺のこと考えてくれている。そのことが無性に嬉しかった。
「自分のどこが好きなんですか?」
「優しいところ」
「他は?」
「賢いところ、あと天パかわいーよね……」
 えへへ、とだらしのない笑みを溢す。森澤は困った様に笑いながら、グラスの中身を空けた。
「お気持ちは、ありがたく」
「よかったー。嫌とか気持ち悪いって言われたらどうしようかと思ったー……けど森澤さんそんなこと言わないもんね」
 そう言うところが好き。
「それは優しさでもなんでもないですよ」
「知ってる。言っちゃいけないから言わないんだー。でも、それできる人ってそーそーいないよ」
 その公正さが好きだ。その公正さを一瞬ではじき出せる賢さが好き。
 森澤がそのままどんどん話をずらしていって、いつしか浅見も良い気分になって、返事を聞くことなく別の話に花を咲かせて行った。

 告白したこと自体は覚えてはいたが、自分が酔っ払っていたこともあり、森澤も本気にしていないだろう、と浅見は踏んでいた。だから、特に気まずいと思うことなくその後も森澤を食事に誘う。今度は相手が個室居酒屋を指定した。その席で、森澤が呆れた様に問う。
「この前のあれ、本気ですか?」
「本気だよ」
「今日誘われたのも、口説かれてるんですか?」
「いや、別に? もしかして、本気にしてくれたの? 森澤さんも?」
「えーと、それってふざけて口説いた人が言う言葉ですよね?」
 あの賢い森澤さんが、俺の言ったことで混乱している。可愛い。
「俺は本気だけど、森澤さんは本気にしなくて良いよ」
「どうしてですか」
「森澤さんにはもっと賢い人がお似合いだよ」
 俺みたいな馬鹿じゃなくてさ、と浅見は笑った。
「自分は浅見さんを勇敢だと思いますよ」
「脳筋なんだよ」
「そんなことを言わないでください」
 いつになく真面目な顔で森澤が言う。じ、とこちらの目を睨む。ずっと動画を再生しているスマホみたいな熱さが、相手の目にはあった。高速で演算処理している熱量。
「自分にキスできますか?」
「できるよ。していいの?」
「どうぞ」
 浅見は躊躇わずに頬に口付けた。不完全燃焼みたいな顔をしている相手に、
「口にはOKもらったらする」
「……」
 森澤はしばらく考え込み、やがて顔を覆った。
「僕の負けです」
「あれ!? 森澤さん、『僕』って言うの!?」
「仕事では『自分』ですけど、まあプライベートでは……」
「俺と呑んでるときもずっと『自分』じゃなかった?」
「いや、それは癖と言うか……」
「え、ねえねえ、負けってことはさあ……」
 ちょっとの期待、宝くじで一億を当てるような期待だけで尋ねると、
「口にしてくださいよ」

「いや、ずるいでしょ、『口にはOKもらったらする』って。どこのイケメンですか」
 酔いだけではない赤面で森澤がぼやく。彼がそんな風に動揺しているのが可愛くて面白くて嬉しくて、浅見の顔も自然と緩んだ。
「えっへへへ。イケメンだなんて、そんな」
「浅見さんは僕のことを賢いとかなんとかって言いますけど、僕は浅見さんの勇敢なところが好きですよ。かっこいい」
 いつもより酒の入った森澤も、べらべらとだらしのない口調で胸の内を吐露した。彼もまた、酒の力を借りているらしい。
「あの時だって、怖い目に遭ったのに病室で笑ってるんですから……」
「森澤さんがいてくれたからだよ」
 森澤がいたから笑っていられた。彼を信じていたから不安はあまりなかった。
 いつしか、頼んだ料理の皿も空になっていた。浅見はメニュー端末を開き、
「浅見さん、何か食べますか? 浅見さん?」
「んえ? ああ、どうする? 森澤さんの食べたいもんでいーよ」
 森澤の頭に見とれている浅見は我に返り、応じる。相手は少し不服そうに、
「さっきからずっと同じ事言ってるじゃないですか」
「だあって……好きなもん食ってる森澤さん可愛いんだもんなぁ」
「これが惚れた弱みか。嫌われたら僕はどう見えてしまうんだ」
「なまはげ」
「秋田の方でしたっけ?」
「いんや、埼玉だけど」
 妙なツボに入ったらしく、森澤は大笑いし始めた。それが面白くて、愛しくて、浅見も笑う。

 幸せな時間だ。
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