夜食屋ふくろう

森園ことり

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3 お好み焼き am0:00

3 お好み焼き am0:00(2)

 美早子は新しく父と弟になる人たちに、初めて会った時のことを覚えていない。
 まだ十歳だったこともあるのかもしれないけれど、強烈な経験を忘れてしまったことが、自分としてはとても不思議だった。もしかすると、彼女にとってあまりにも異質な体験であったので、記憶されることがなかったのかもしれない。

 美早子の両親は、彼女がまだ二歳の時に離婚した。父親のことはその存在すら、彼女の中には残っていない。
 だから、屋蔵広司(やくらこうじ)という五十歳の男性が、自分の父親になると知った時は衝撃だった。他の友達みたいに自分にもお父さんができる、という嬉しさと、これからどうなるんだろう、という不安が彼女の小さい体の中でぐるぐるした。

 でも、広司は美早子がまったく知らない人物ではなかった。彼は母親の同僚だったからだ。数年前から広司のことを、たまにおいしい物を家に届けてくれたり、お茶を飲んでいったりするおじさんとして、美早子は認識していた。お母さんの仕事場の仲のいいお友達、だと。
 そんなおじさんが自分のお父さんになる。しかも、おじさんには七歳の息子がいると知った時には、もっと衝撃を受けた。弟までできるなんて、想像もしていなかったからだ。

 レストランで初めて会った昴流は、とても小さくておとなしい男の子だった。ずっと下を向いていて、喋る時はとても恥ずかしそうにはにかんでいた。
 自分よりずっと緊張して不安そうな昴流を見て、美早子は仲間を見つけた気がした。この子なら私の気持ちをわかってくれるかもしれない。私もきっとわかってあげられるだろう、と。

 両親の再婚を機に、四人は新しい住まいに引っ越した。3LDKのマンション。美早子と昴流にも一部屋ずつ与えられた。
 最初はひどく緊張していた新生活も、美早子は案外早く慣れてしまった。両親は仕事が忙しくて、平日は顔を合わせることもほとんどない。昴流も部屋で静かにしていて、面倒をみる必要がない。ストレスになりそうなものがなにもなかった。

 食事は両親が作り置き料理をたっぷり用意してくれていたので、それを温めて昴流と二人で食べた。
 最初はぎこちなかった二人だけの食卓も、少しずつ会話を重ねていくうちに、緊張がほぐれて楽しいものになっていった。
 美早子が中学生になった頃、夕食の時間は昴流にいろんな疑問を聞いてもらう時間になっていた。
 日頃から彼女は、身の回りにあるものを観察するのが好きで、ちょっとしたっとした不思議な出来事を見つけると、昴流に報告や相談をした。

「駐車場を奪われた猫たちはどこへ行ったんだろうね?」

 その当時、家の近くの駐車場が次々にマンションに変わっていっていた。
 駐車場には野良猫たちが居ついていて、三匹ぐらいがごろんと寝そべったりしているのを、よく美早子と昴流見に行った。
 だが、工事がはじまると猫たちはいなくなった。彼らに新しい居場所が見つかったのかどうか、美早子は気になって仕方なかった。
 すると小学生の昴流は、なんでもないように答えた。

「S公園の裏にいるよ」

 S公園というのは、近所にある小さな公園だった。

「裏ってどこ?」

 驚いた美早子は訊ねた。

「新しくできたコインパーキング」

 S公園は周囲を古い住宅で囲まれていた。だが、昴流によれば裏手の家が一軒、最近取り壊されて、駐車場になったのだという。

「三匹みんないるから、今度見に行ってみたら」

 後日、美早子がその場所に行ってみると、本当にちゃんと三匹の猫が仲良く寝そべっていた。
 昴流はこんな風に、度々美早子の疑問をさらりと解決してみせた。

 彼は散歩が好きでよく家の近くを歩きまわっていた。頭の中に地図があるのだそうで、それを最新のものに更新しながら歩くらしい。
 昴流の地図には住人の特徴まで書き込まれている。
 この家のおじいさんはいつも二階の窓から通行人を見ている、とか、この家のお姉さんは日曜の朝十時になると布団をばんばん叩きはじめる、とか。

 昴流とご飯を一緒に食べながら、近所のどうでもいい話をしていると、「家族なんだ」と美早子は感じることができた。こういう話は、あまり家にいない両親とはできない。もちろん、学校の友達ともしない。
 美早子は昴流と話をするのが楽しかったし、彼のことを実の弟のように思っていた。

 でも、昴流が自分のことをどう思っているのかは、いまいちわからないままだった。
 彼は幼い頃からずっと、器用になんでもこなす子だった。学校の成績もいいし、運動神経もいい。社交的とは言えないけれど、周囲とうまくやってはいる。仲のいい幼なじみだっている。
 でも、昴流はどこか冷めているように、美早子は感じられた。
 クラスで成績が一番になっても、絵や作文で大きな賞をもらっても、「他にもっとすごい人はいるから」と喜んだりしない。まわりが、「これに本気で取り組んでみたら」とすすめても、「才能がないから」と興味を示さない。

 別にそれは悪いことではないけれど、「もったいないな」と美早子は単純に思っていた。
 本気で昴流が自分のことを「たいしたことない」と思っていることが、彼女にはわかっていた。謙遜ではないのだ。まわりは彼に素質や才能が充分に備わっているように思えても、本人はそう感じていないのでなにもはじまらない。

 昴流より劣ると思われる子供たちが、(最年少○○)とかでもてはやされているニュースなどを目にすると、美早子はもやもやした。うちの弟のほうがすごいのに、と悔しかった。
 昴流が自分の才能に関心がないばっかりに、それらは磨かれて光ることなく埋もれていってしまう。そこそこの大学、それなりの会社に入って、誰にでもできそうな仕事を毎日朝から晩までおとなしく勤める人生を送ることになる。
 そしてそれはその通りになった。

 でも、そんな弟が仕事を一年で辞めていなくなってしまった。
 こんなことがあの子にできるんだ、と美早子はびっくりした。
 家族や周囲の人間は、彼がどこかで命を絶っているのではないかと心配した。
 美早子はそうは思わなかった。
 たぶん、昴流は見つけたんだろう。
 頭の中の地図に変わるなにかを。
 そう、彼女は思った。



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