34 / 51
6 カオマンガイ am0:30
6 カオマンガイ am0:30(2)
半年前に拓がハムスターを飼いたいと言った時も、紗季はすぐに賛成してくれた。小さくて可愛いから、とクルミと名づけてくれたのも彼女だ。
やさしくて明るくて、拓がなにか言ってもいつも「いいよ」と受け入れてくれる紗季。そのやさしさに甘え過ぎてしまったのかもしれない。
スマホを持たなくなっても生活にはなんの支障もないと拓は思っていた。家にはすぐに電話を引いたし、家族や知り合いには、スマホを持たなくなったことを伝えて新しい電話番後を教えた。
みんなには驚かれたが、意外とすんなり受け入れてもらえた気がする。
家族や友人は彼が帰宅したあとの夜に電話をくれるようになったし、パソコンのメールも活用してくれた。
紗季もすぐに慣れてくれるだろう、と簡単に考えていたのだが、どうやら違ったようだ。
日に日に彼女の機嫌は悪くなり、ストレスがたまってきていることが拓にもわかる。
いままでの普通が通用しなくなったことへの苛立ち。いつどこにいても拓と簡単につながれることへの安心感。それが失われてしまった。
一緒に住んでいるし、家には電話があるから大丈夫。意思の疎通はちゃんとできる。だって、拓の両親の若い頃には携帯電話なんてなかった。それでもちゃんと生きてこられた。いまだってそれはできるはず。
拓はそう考えていたが、紗季には不便でしかないようだ。
少しずつ彼女は拓に不満を直接漏らすようになった。
日々のちょっとした連絡、頼み事、待ち合わせ。そういうことで、いちいち家の電話に留守電を入れたり、メールを送ったりするのは面倒くさい、と。
スマホのメッセージアプリや電話を使っていた時には、気軽に連絡できた。いまは、連絡する前にためらってしまう。返事はどうせ遅いんだからあてにしても仕方ない、と。
以前はよく会社帰りに待ち合わせして夕飯を食べて帰った。買い物の頼み事も気軽にできた。相手がどこにいるかわからなくても連絡がついた。
「いつでもつながれる安心感。それが失われたよね」
紗季は苦笑いを浮かべながら拓に言った。
最近、彼女の仕事は忙しくなる一方で、遅くまで残業する日も増えている。先週は季節の変わり目のせいか、風邪をひいて数日会社を休んだ。
気を張って毎日頑張って気持ちに余裕がないところに、恋人が突然スマホを持たないことを選んだら、それは戸惑うし苛立つだろう。
申し訳ない気持ちはちゃんと拓の中にある。
それでも、またスマホを持ちたいとは思わなかった。
まだ一ヶ月ちょっとで、紗季は慣れていないだけだ。あともうちょっと。この不便さに慣れて、このままでもやっていけると思えるようになってくれれば……。
三日前の日曜日、二人は久しぶりに映画を観に行った。
機嫌が悪い紗季をなかば強引に誘い出し、彼女が好きな監督の作品を見た。
映画は面白く、拓は久しぶりに笑顔の紗季を見ることができた。
「秋物のコート買ってあげるよ」
ショッピングに誘うと、紗季は喜んでついてきた。彼女が好きなショップに行くと、ちょうどいいコートを見つけた。カーキ色とベージュ色で悩んだ彼女はなかなか決めきれない。試着をしたり店員さんに相談したりしている彼女を待っている間に、拓はトイレに行きたくなった。
すぐ戻ってくるから待っててと紗季に断ってから、拓はトイレを探しに行った。
男性用トイレはその階になく、拓は上の階に行ってトイレに入った。少しお腹が痛くて、出るまでに十五分ぐらいかかった。
慌てて紗季がいる店に戻った時、彼女はもういなかった。応対をしてくれていた店員を捕まえて訊ねると、「買い物をすませてお帰りになりました」という。
入れ違いになったかと、慌てて上の階のトイレに戻ったが、そこにも紗季はいない。もしかして下の階にある男性トイレで待っているのではないかと、拓は階段を駆け下りた。だがそこにも紗季はいない。
紗季の携帯電話に連絡しようと思ったが、彼女の電話番号を暗記していなかった。以前はメッセージアプリの通話を利用していたので覚える必要がなかったのだ。電話番号を書いたメモを財布に入れておくべきだったと後悔するが遅い。
そのあと拓は、他の階の男性トイレにすべて行ってみたが、どこにも彼女の姿はなかった。
もしや店に戻ったのでは、と捜しに行ってもやはり紗季はいない。
やっとのことで紗季を見つけたのは、別れてから一時間もたったあとのことだった。
紗季は最初に拓が入った上の階の男性トイレの前にいた。そばにある長椅子に疲れ切ったように座っている。傍らには大きな紙袋があった。
「紗季、ごめん」
拓を見上げた紗季はにこりともせず小さく頷いた。
「俺、このトイレに入ったあとお店に戻ったんだけど、紗季はもういなかったんだよ。捜してくれてたの?」
紗季はただ小さく頷く。
「じゃあすれ違いになっちゃったんだ。俺も捜してたんだけど……」
「スマホがあったらね」
ぽつりと紗季は呟いた。
そう言うと思った。
拓には返す言葉がない。
「ごめん。不便な思いさせて」
「不便ていうか、なんだろう……拓がこだわり持つのは別にかまわないんだけど、それを一方的におしつけられるのは違うかなって」
紗季は立ち上がると、勝手に一人で歩き出した。慌てて拓はそのあとを追いかける。
ごめん、紗季、という謝罪の言葉は誰にも受け取られることなく宙に消えていった。
*
やさしくて明るくて、拓がなにか言ってもいつも「いいよ」と受け入れてくれる紗季。そのやさしさに甘え過ぎてしまったのかもしれない。
スマホを持たなくなっても生活にはなんの支障もないと拓は思っていた。家にはすぐに電話を引いたし、家族や知り合いには、スマホを持たなくなったことを伝えて新しい電話番後を教えた。
みんなには驚かれたが、意外とすんなり受け入れてもらえた気がする。
家族や友人は彼が帰宅したあとの夜に電話をくれるようになったし、パソコンのメールも活用してくれた。
紗季もすぐに慣れてくれるだろう、と簡単に考えていたのだが、どうやら違ったようだ。
日に日に彼女の機嫌は悪くなり、ストレスがたまってきていることが拓にもわかる。
いままでの普通が通用しなくなったことへの苛立ち。いつどこにいても拓と簡単につながれることへの安心感。それが失われてしまった。
一緒に住んでいるし、家には電話があるから大丈夫。意思の疎通はちゃんとできる。だって、拓の両親の若い頃には携帯電話なんてなかった。それでもちゃんと生きてこられた。いまだってそれはできるはず。
拓はそう考えていたが、紗季には不便でしかないようだ。
少しずつ彼女は拓に不満を直接漏らすようになった。
日々のちょっとした連絡、頼み事、待ち合わせ。そういうことで、いちいち家の電話に留守電を入れたり、メールを送ったりするのは面倒くさい、と。
スマホのメッセージアプリや電話を使っていた時には、気軽に連絡できた。いまは、連絡する前にためらってしまう。返事はどうせ遅いんだからあてにしても仕方ない、と。
以前はよく会社帰りに待ち合わせして夕飯を食べて帰った。買い物の頼み事も気軽にできた。相手がどこにいるかわからなくても連絡がついた。
「いつでもつながれる安心感。それが失われたよね」
紗季は苦笑いを浮かべながら拓に言った。
最近、彼女の仕事は忙しくなる一方で、遅くまで残業する日も増えている。先週は季節の変わり目のせいか、風邪をひいて数日会社を休んだ。
気を張って毎日頑張って気持ちに余裕がないところに、恋人が突然スマホを持たないことを選んだら、それは戸惑うし苛立つだろう。
申し訳ない気持ちはちゃんと拓の中にある。
それでも、またスマホを持ちたいとは思わなかった。
まだ一ヶ月ちょっとで、紗季は慣れていないだけだ。あともうちょっと。この不便さに慣れて、このままでもやっていけると思えるようになってくれれば……。
三日前の日曜日、二人は久しぶりに映画を観に行った。
機嫌が悪い紗季をなかば強引に誘い出し、彼女が好きな監督の作品を見た。
映画は面白く、拓は久しぶりに笑顔の紗季を見ることができた。
「秋物のコート買ってあげるよ」
ショッピングに誘うと、紗季は喜んでついてきた。彼女が好きなショップに行くと、ちょうどいいコートを見つけた。カーキ色とベージュ色で悩んだ彼女はなかなか決めきれない。試着をしたり店員さんに相談したりしている彼女を待っている間に、拓はトイレに行きたくなった。
すぐ戻ってくるから待っててと紗季に断ってから、拓はトイレを探しに行った。
男性用トイレはその階になく、拓は上の階に行ってトイレに入った。少しお腹が痛くて、出るまでに十五分ぐらいかかった。
慌てて紗季がいる店に戻った時、彼女はもういなかった。応対をしてくれていた店員を捕まえて訊ねると、「買い物をすませてお帰りになりました」という。
入れ違いになったかと、慌てて上の階のトイレに戻ったが、そこにも紗季はいない。もしかして下の階にある男性トイレで待っているのではないかと、拓は階段を駆け下りた。だがそこにも紗季はいない。
紗季の携帯電話に連絡しようと思ったが、彼女の電話番号を暗記していなかった。以前はメッセージアプリの通話を利用していたので覚える必要がなかったのだ。電話番号を書いたメモを財布に入れておくべきだったと後悔するが遅い。
そのあと拓は、他の階の男性トイレにすべて行ってみたが、どこにも彼女の姿はなかった。
もしや店に戻ったのでは、と捜しに行ってもやはり紗季はいない。
やっとのことで紗季を見つけたのは、別れてから一時間もたったあとのことだった。
紗季は最初に拓が入った上の階の男性トイレの前にいた。そばにある長椅子に疲れ切ったように座っている。傍らには大きな紙袋があった。
「紗季、ごめん」
拓を見上げた紗季はにこりともせず小さく頷いた。
「俺、このトイレに入ったあとお店に戻ったんだけど、紗季はもういなかったんだよ。捜してくれてたの?」
紗季はただ小さく頷く。
「じゃあすれ違いになっちゃったんだ。俺も捜してたんだけど……」
「スマホがあったらね」
ぽつりと紗季は呟いた。
そう言うと思った。
拓には返す言葉がない。
「ごめん。不便な思いさせて」
「不便ていうか、なんだろう……拓がこだわり持つのは別にかまわないんだけど、それを一方的におしつけられるのは違うかなって」
紗季は立ち上がると、勝手に一人で歩き出した。慌てて拓はそのあとを追いかける。
ごめん、紗季、という謝罪の言葉は誰にも受け取られることなく宙に消えていった。
*
あなたにおすすめの小説
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
【完結】1王妃は、幸せになれる?
華蓮
恋愛
サウジランド王国のルーセント王太子とクレスタ王太子妃が政略結婚だった。
側妃は、学生の頃の付き合いのマリーン。
ルーセントとマリーンは、仲が良い。ひとりぼっちのクレスタ。
そこへ、隣国の皇太子が、視察にきた。
王太子妃の進み道は、王妃?それとも、、、、?
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
熱い風の果てへ
朝陽ゆりね
ライト文芸
沙良は母が遺した絵を求めてエジプトにやってきた。
カルナック神殿で一服中に池に落ちてしまう。
必死で泳いで這い上がるが、なんだか周囲の様子がおかしい。
そこで出会った青年は自らの名をラムセスと名乗る。
まさか――
そのまさかは的中する。
ここは第18王朝末期の古代エジプトだった。
※本作はすでに販売終了した作品を改稿したものです。
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾書籍2冊発売中!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
逆行令嬢の反撃~これから妹達に陥れられると知っているので、安全な自分の部屋に籠りつつ逆行前のお返しを行います~
柚木ゆず
恋愛
妹ソフィ―、継母アンナ、婚約者シリルの3人に陥れられ、極刑を宣告されてしまった子爵家令嬢・セリア。
そんな彼女は執行前夜泣き疲れて眠り、次の日起きると――そこは、牢屋ではなく自分の部屋。セリアは3人の罠にはまってしまうその日に、戻っていたのでした。
こんな人達の思い通りにはさせないし、許せない。
逆行して3人の本心と企みを知っているセリアは、反撃を決意。そうとは知らない妹たち3人は、セリアに翻弄されてゆくことになるのでした――。
※体調不良の影響で現在感想欄は閉じさせていただいております。
※こちらは3年前に投稿させていただいたお話の改稿版(文章をすべて書き直し、ストーリーの一部を変更したもの)となっております。
1月29日追加。後日ざまぁの部分にストーリーを追加させていただきます。
おひとりさまの準備してます! ……見合いですか?まぁ一度だけなら……
松ノ木るな
恋愛
ストラウド子爵家の長女・エレーゼ18歳はお父様が大好きだ。このままお父様と同じ屋敷で暮らし、いつかお父様を私が看取る、そんな将来設計があるので結婚はしたくない。だがこれでも貴族令嬢、そういうわけにもいかなくて。
ある日、仕方なく見合いに赴くことになったのだが。
見合い相手はプラチナブロンド煌めくひたすら優美な王子様、いや辺境伯の跡取り息子。
見た目も家柄もファビュラスなのに、彼は今までことごとく見合い相手に断られ、挙句エレーゼのところに話が回ってきたという訳あり物件。
この話、断る? 断られるよう仕向ける?
しかし彼は言ったのだ。「こちらの条件のんでくれたら、結婚後、自由にしていい」と。つまり、実家暮らしの妻でOKだと!
名を貸し借りする程度の結婚でいいなんて。オイシイじゃない? で、条件とは何ですの?
お父様だけがもつ“私への無限の愛”しか信じない令嬢エレーゼが、何を考えているのだかよく分からない婚約者エイリークと少しずつ絆を深めていく、日常みじみじラブストーリーです。
※第4話④⑤、最終話⑧⑨は視点を切り替えてヒーローサイドでお送りしております。